<コラム>「サンボと他の格闘技(その6)」 2005年3月27日

 前回までは「サンボと柔道」との関係について少し書いた。もちろん現在まで時間を経て、サンボと柔道は交流を深めてきていて、その当時と現在とでは関係は変わってきているところもある。また世界的にみても「ヨーロッパの柔道」は「ほぼサンボ」などと指摘されることもあるし、相互に影響を受けているといえよう。これは「サンボ」のアイデンティティを考える点で重要な問題でもある。

 さて、今回から「レスリング」との接点を書いてみたい。

 

 私は「レスリング」とサンボとの影響関係に関心をもってきたと以前に書いた。今回から示していく資料が私にそう思わせた根拠の一つともなっている。

 その前に、先ず私とサンボの「接点」をここに述べたい。もちろん父ビクトル古賀がサンボをやっているのを幼少のころから見てはいた。しかし普及されていないスポーツであり、私自身が試合に出るのは大学生になってからである。私が最初にふれた競技はレスリングであり、次に柔道であった。小学校4年生から中学3年間は柔道にとりくみ、高校以降レスリングに復帰した。「サンボ」は見ていたというだけである。

 私の柔道時代の道場の先生のうちの一人は山田先生といって今もサンボ連盟でサンボ普及にかけまわる人物であり、また小学校当時に憧れた道場の師範代の高橋茂先生はあの「ステパノフ」と戦った張本人でもあった。私が学んだ渡辺道場は寝技も好んで研究する人が多くいた。私の入門前までは柔道五輪王者ネフゾーロフも修業に来ていたという道場であった。ただ、「サンボ」は所詮、父親がやっているというだけだった。

 高校は土浦日本大学高校だが、ここでインターハイ優勝したてのレスリング部に入った。2つ上に小林孝至さん(金メダリスト)や本田多聞さん(プロレスラー)がいて、日本有数のレベルで練習をしていた。この高校時代に私は「サンボ」との関わりをもつ。土浦日大は「ソ連」との交流をすすめ、まずソ連チームを招いて合宿し、翌年にはこちらからソ連へと渡り合宿練習をした。この最初の訪日チームに金メダリストのサスラン・アンディエフさんらといっしょにマデアシビリさんがいた。彼から可愛がられ「サンボをやれ」とサンボ着をプレゼントしてもらったのだ。特にその後、私はグルジアに行き、レーワン・テディアッシビリさんとマガラシビリさんという二人のサンボ世界王者から技術を教えてもらったのが大きい。正確にいうと、この二人はレスリングの王者でもあった。そしてチダオバの王者でもあり、立ち技がきれる選手であった。もともと「レスリング」での遠征であり、「レスリングのため」の技を教わったのだ。しかしその技は「サンボ」の技と同じものでもあった。

 当時、うちの高校は本当に日本最高レベルの技術があったと思う。例えば「和田スペシャル」と呼ばれる技は、和田選手が使う10年ぐらい前の「このとき」に土浦日大の選手がソ連からとり入れ、はじめてつかった技だ。高校全国2位になった関さんという先輩がこれをつかったのが初めてのこと。プロレスラーのビル・ロビンソンが使うダブルアーム・スープレックスに似た技すら、ソ連で学び、私達はそれを試合でつかって勝っていた。別に格闘技のプロという人たちがいうような「今は使い手がいない技」ではないし、少なくともグルジアのトビリシと、茨城県の土浦市ではみんな使っていた技である。天才赤石光生さん(五輪で銀銅メダル)が同階級にいたため全国2位に終わった武藤先輩はこれで関東大会を全勝した。記憶に新しいアテネ五輪で銅メダルをとった選手の技も(あるいはいま世界で流行なのも)「アンクルローリング」という名前でこの当時に私達が使い始めたものである。これなど「膝」を極めてまわるタイプのものもある。

 私は、チダオバで習った「大外刈り」を特にとり入れ、大学時代にはこれでかなりの勝率をあげた。昨年『技の大事典』という本が出て、小林先輩がレスリングを代表して演舞をしていたがその「レスリング式STO」なる技がその技である。この高校時代にソ連から学んだ技であった。もっとも小林先輩が試合でつかっているのは見たことがないので、写真でも若干解釈は異なっている。ちなみにこの技は「変則的」とみられて「そんなものかかるのか?」とよく言われるのだが、私は強豪との対戦時に好んでつかって「かかる」のを証明している。世界最強レベルのロシアのレスリング技術に無駄や嘘はない。例えば石沢選手(ケンドー・カシン)にも数発かけているし、サンボ式といえば原選手(五輪出場)にもカニバサミなどを数回成功させた。この原さんはその後サンボでも全日本王者になっている。ちなみに二人とも全日本王者。ちゃんとかかるのである。

 この「大外刈り」は手首をとって相手の足の後方までつっこむ形で入り込み、膝つき背負いのような角度で投げる技である。アテネ五輪柔道金メダリストのイリアス・イリアディス選手が決勝で決めたのがこの技。彼はギリシャ代表だがグルジア育ちということであった。同じ技なのは当然である。

 長くなったので次項に続けて書きたい。資料も次回以降からゆっくりと紹介していく。

 (続)

 


 

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