<コラム>「サンボと他の格闘技(その5)」 2005年3月26日

「柔道とサンボ」の最初の対戦や、その後の日本の「サンボ」観について、ここまで少し書いてきた。ちなみに、この「ファースト・コンタクト」時のインパクトを知るために、遠征試合終了時の評価を確認しておきたい。

 

「東京新聞」(1963年2月27日)では以下のように評価されていた。

過去三戦でサンボ選手はいずれも見違えるほどよく柔道の技術を吸収していた。なかでも特筆したいのは白崎四段と引き分けた重量級のシュリッツ選手だ。過去三戦無敗というだけあって試合運びもうまく、サンボできたえた柔らかい足、腰を利してねばりつくように攻める寝わざは日本でも一流選手以上のものがうかがえた。

 全柔連で寝わざ問題がクローズアップされたのは、ヘーシンク(オランダ)に世界選手権を奪われたときだが、この日の試合をみるとひとりシュリッツだけでなく、ほかの三選手も将来油断のできない存在となりそうだ。

 重量級で村井四段がベルアシュビリに小内返しでポイントをとられたとき、竹村五輪強化委員長が「驚くべき進歩だ。やはり寝わざをもっているということが、精神的に余裕を与えるのだろう。これからは欧州勢よりむしろソ連の方がこわい」と語っていたが、日本の柔道界もこういった世界の動きを研究する必要がありはしないだろうか。(桜川)

 

 「読売新聞」(2月27日)には「安心できぬ柔道」という表題で次のように振りかえられている。

 柔道では日本が最終戦でようやく勝ち越しただけに終わった。今回の対戦を通じてシュリッツの実力を高く買った専門家が多い。“ソ連二段”の同選手が日本の学生、警察官の現役四段三人を破り、東京学生界のホープ白崎四段と引き分けたのである。

柔道のわざやルールを仕込んでいったこの選手たちが、サンボの怪力のうえに柔道を加えたとき、はたして神永、猪熊などの全日本級が安閑としていられるだろうか。ソ連ではサンボからだけでなくレスリングからも柔道を目ざして怪力のレスラーたちが出てくる公算が大きい。あと一年半のうちになにをなすべきか−その解答は早急に打ち出されねばならない。(三宅)

 

 「毎日新聞」(2月27日)には「柔道対抗は2−1で日本が辛勝、通算2勝1敗1引分とどうやら面目を保ったが、重量級で村井が敗れたうえ、期待の白崎が来日以来3勝無敗のシュリッツに手こずり、さっぱり技が出ず、引分けに終わったのはさびしかった。」と書かれていた。

 

「日本経済新聞」(2月27日)には以下の記述がある。

柔道では日本の軽量級重岡、中量級の山口がそれぞれ背負い投げに威力をみせ二勝をあげたが、重量級はやはり苦戦した。重量級の初めの試合は、後半ベルアシュビリが村井の大内刈りをはずしてすぐに左の内またで村井を横転させポイントをあげた。白崎−シュリッツは互いに全くポイントなく引き分け。白崎は力が強いのでシュリッツ得意の寝わざに引き込むのを封じた。しかし東京選手権者の白崎がシュリッツの堅い防御にはばまれて全くわざを出すことができなかったのは情けない。 (今泉)

 

「朝日新聞」(2月27日)には「日本側、背水の陣」という見出しで以下の記事が掲載された。

【評】軽量の重岡が機敏に動いた。攻め手が右の背負い投げだけだったが、再度その背負い投げでステパノフをころがして効果をあげた。

 次の中量はソ連の一番の弱点。山口がパンクラトフに右からの背負いで文句なしの一本。

 重量にはいって村井はベルアシュビリを小内刈りで攻めたところベルアシュビリに右にひねられてどっと倒れ、技ありに近いポイントをとられて敗退した。

 日本に来てまだ無敗のシュリッツは日大の白崎と対戦、トモエ投げあるいは寝技に引込んで再三逆をねらったが、白崎振切って引分けに終った。

 日本側はこの日、姿明大師範を監督にすえ、強化コーチ陣もずらり観戦、背水の陣を思わせる空気だったが、出場選手が前回と違ってソ連選手の手を研究していたのと、またこれまでソ連選手が帯を持つのを野放しにしていたことを審判陣がはっきり注意したこともあって2−1と逃げきり、どうやら面目を保つことができた。今回のソ連選手の来日は柔道界にとってまたとない刺激になったといえよう。(松岡)

 

 ここで、個人の成績をまとめてみる。軽量級のステパノフは2勝2敗。ちなみに負けた技は両試合とも背負い投げでポイントを失っている。引き込み返しを効果的に使っての優勢勝ちがある。中量級のパンクラトフは4敗。大外刈り、一本背負い、つりこみ腰、背負い投げで敗れている。重量級のベルアシュビリは2勝2敗。特筆すべきは後半戦で2勝している点か。大外刈りや内またで敗れているが「力の強いのに驚いた」ことや相手の「帯を切ってしまった」ほどの怪力が報じられている。つり込みぎみの払い腰からのおさえこみと、内刈りを内またぎみに返すなど、サンボでもみられるバランスのよさがいきているようだ。ちなみに彼はチダオバの選手でもある。最後のシュリッツは3勝1引き分け。初日は小外がけぎみにくずしてから腕十字固め、2勝めは出足払いぎみに倒し、3勝めは内またすかし。引き分けの試合でも巴投げや引き込み返しをみせている。

 以上は読む人が読めば「あぁ、昔からサンボの動きは基本的には同じなんだなぁ」と思われるだろう。さて、シュリッツは高く評価されている。彼はソ連でも代表的なサンビストの一人であった。1955年から1961年までの間に、6回ソ連邦王者になっている当時の強豪。その後に「柔道」の試合に来日したわけである。ベルアシュビリもそのパワフルさが高く評価されているようである。しかし、実は(旧)ソ連・ロシアでは(オレグ)ステパノフの評価が高い。彼も1958年から1968年までの間にサンボで8回優勝している。そして東京五輪で活躍をして入賞した。そのステパノフの「英雄物語」は、例えばガトキンの『サンボ入門』(2003年:ロシアでの子どもからを対象とする入門書)にも書かれている。ステパノフはこの来日をいかして、柔道に慣れ、五輪で結果を残すことができたのであろう。柔道との「邂逅」がサンボに与えたもの・・・。活躍の場、挑戦の機会が増えたのである。サンボの機能的な面、有効性を証明する場ともなったといえようか。

 (続)

 


 

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