●<コラム>「サンボと他の格闘技(その4)」 2005年3月26日
前回の最後に書いた「ハルランピエフの息子」とはアレクサンドル・アナトリービッチ・ハルランピエフのことである。彼の近著は『СИСТЕМА САМБО』(「サンボの体系」とでも訳すべきか、以後、日本語に訳できるものは日本語表題を示す)。約530ページにも及ぶ大著である。ちなみに創始者であるハルランピエフはアナトリー・アルカデビッチ・ハルランピエフ(言うまでもなく「アルカディビッチ」とは「アルカディの息子」という意味で、彼の父はアルカディ・ゲオルギビッチ)。サンボ創設の歴史についてはまたあらためて書いていきたい。 このアナトリー・ハルランピエフはサンボ史には欠かせない(「最大の功労者」とも称される)人物であり、彼自身「柔道」を学んでいたのでたしかにその影響は大きくみられる。また彼自身、「われわれの国(ソ連)のスポーツに日本の柔道のようなエキゾチックなものを採用すべき」という提言(ルカシェフ「サンボの創設」所収)を残しているので、サンボ創設に関わった彼の提言であるから「サンボ=柔道の弟」という解釈もつくられてきたのであろう。ただ、私は、このハルランピエフの提言は「柔道の亜流をつくろう」ということではなかったと考えている。そうではなくて、日本でも明治以降「柔術」から「柔道」へのスポーツ化があり、例えば武道として体育化の動きもあった。国民化・大衆スポーツ化といいかえてもよい。実現は1964年にとなったが「オリンピック招致」運動を古くから推進していた嘉納治五郎の外交手腕などもあった。つまりは柔道の「テクニック」「メンタル」ではなく「システム」「ポリティクス」の部分がモデルとされたのではないかと思うのである。 なぜなら「サンボ」のモデルとして研究され参考にされたといわれる「ソ連各地の民族格闘技」の存在が無視できないものだからである。これらは一般的には「バリバー」(「格闘技」「格技」あるいは「レスリング」などと訳され「民族伝統の相撲」のようなものと考えてよい)と称されるが、無数にある。多民族国家(旧)ソ連では民族の数だけ伝統・文化があり、その数だけ「バリバー」があったともいわれることもある(私は「そこまではない」とは思うが)。「双頭の鷲」を国象とする「ロシア」。これは「ヨーロッパ世界」と「アジア世界」にまたがることを表現するともいわれるが、その大きな国土で「共通点」をつくり出そうとするとき、また「世界」にも発信すべく「国威」を磨いていこうとするとき、隣国「日本」の「柔道のシステム」あるいはその発展のシステムはモデルとなりえたと考えている。 ユーラシアに伝わる民族格技(バリバー)には、もともとレスリング・相撲・柔道などとも共通点はあった。例えばシンコとポルビンスキーの『格闘技サンボ』(1980年)には、具体的なサンボの技と民族格技との影響が指摘されている。ロシアの相撲ともいえるパヤソフ(帯をつかむレスリング)にはパトシェツキやパドノシュカがあったと書かれている。前者は大内や小内などのかけ払い技。後者は体落としとも共通する技である。グルジアのチダオバも有名な格技であるがここからはパトファットやザツイプ・イズヌトリーなどがとり入れられたという。前者は内股などに共通し、後者は大内などの刈り技。他にもトルクメニスタンのグレーシュからはパドサトとザツイプ・スナルジーが入ったという。前者はハネ技や巴投げ系、後者は河津がけなどの技である。他にもアゼルバイジャンのギュレシュ、アルメニアのカフ、カザフスタンのクレシュ、モルドヴァのトリンテ、タジキスタンのグーシュチンギリなどがある。ここでは省略する(なお、ウズベキスタンのクラシュなども現在、世界への普及拡大をはかっている。協会はhttp://www.kurash.jp/)。 ちなみに「グレシュ」などの音が似ているものはトルコの「ヤール・グレシュ」等と共通する。中東・中央アジア及びイスラム教圏にも残る伝統レスリングである。モルドヴァの場合、同名の民族格闘技はルーマニアに源がある(ルーマニア系民族の伝統技)。また各民族の言語を事典で調べても面白い。クラシュなどは「豪胆さ、心」などを意味するし、アルメニアの言葉でコフと発音するのは「引っぱる、掴む」を意味する。パヤソフは「帯」を意味する。他にもタタールのクリャシュ、バシコルトスタンも同じくクリャシュ、ヤクートのハプサガイ、トゥーバのクレーシュ、アデゲイのアドゲベナジなどがある。おそらくこれらの名前が列挙されるのは日本でもはじめてと認識している(アップのファイル日付が記録されるし、引用はご自由にどうぞ)。ちなみに「クイシティ」「コシティ」とグーシュチンギリ、グレシュなどの共通性はどう考えられるだろうか。前掲のこの地域の専門家である松浪氏などはそのようなことを明確にしていれば「本質理解」に近づけたか、後進の役に立てたと思うのだが・・・、これは余計なお世話である。残念ながら「俺は本物を見てきた」「知っている」という人物なのに気づかれていない。これは氏だけでなく、他でもよく見られることである。 言語学的に起源を追うなどの方法はニーチェやソシュールに限らず普通のアプローチ方法である。また今回も、「『書かれたもの』には『すべてが書かれているのではない』」という点に帰着してしまった。ちなみに私もまだここには書ききれてなどいない。原語そのものを表記もしていないし、出典を明記しての比較分析も本当はするべきである。何かの著作にするときには、それにつとめたい。 (続) |
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