●<コラム>「サンボ戦士(サンビスト)の活躍!」
連勝街道を走る柔術家ノゲイラを破りPRIDE王者となったエメリャーエンコ・ヒョードル(正式には「エメリヤネンコ・フョードル」と記すべきか)。彼の勝利インタビューで、「サンボ65周年を飾ることができた」や「サンボの技術は柔術に負けていない」というような言葉がありました。これは彼を支えるロシアチームの主要メンバーがサンビストであるということもありますし、またこれまで柔術の選手に(サンボ選手が)負けていたということもあって、この勝利への特別の想いというものもあったのでしょう。しかしマスコミは「むしろ柔道の技術ではないか」「サンボの技を出していない」と書くところもあります。これは認識が間違っています。 正直にいってPRIDEで派手に決まるのは力量に差があるか、戦法が研究されていないかか、あるいはラッキーパンチなどではないでしょうか。自分の格闘技を生かすという意味で戦法を研究しているのは質の高いアマレス戦士たちや柔術家たちでした。サップも自分の力量を生かす戦法をしている。・・・あるいはK-1で興奮する名勝負もルールによってあのパワーで「なぐりあわねばならない」からというのが本質でしょう。おそらく、そういう本質をいつの間にか忘れて、「積極的な見えやすさがないとその独自性がない」と思いこんでしまうのか・・・。あるいは私の思い込み(思い違い)であることを祈りたいのですが「柔道」やむしろ「柔術」という新しいムーブメントを志向してしまっているのか(無自覚にでも)・・・。あらゆるバーリトゥードは結局は柔術のテクニックを知らないと勝てないともいわれます。しかし、あれは柔術だけのテクニックではなく、サンボも柔道もレスリングも共通するものです。もちろん柔術の世界が提唱者として広まったバーリトゥード・ムーブメントですが、サンボも柔道も、レスリングも、その中での自分の生かし方を認識するようになったから勝つようになったというだけです。その意味では柔術の技術を知るようになった。でも柔術の選手に柔術の技で追いかけて勝っているのではないのです(時間、質、量的に難しいでしょう)。もちろん切り方だけを研究したという意味ではない。むしろそんなのは「あたりまえ」の話しで、そういうあらゆる多角的状況の中での自分の技量の生かし方というのを「認識した」から勝つようになったのだと思います。 |
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