第13回 (7月11日)
 
 次回は授業時間中に試験を行ないますので、内容としては今日でラストになります。「教育原論」は「教育の理念」「本質」「原理」は何かを考える講義なのですが、そのために今年は「比較」という方法で考えてみました。そのために細かすぎて、よくわからない、という感想をお持ちのかたもいることでしょう。こういう部分的なことを集中して考えてみたのは授業でははじめてのことでした。
 昨年も同じ講義を担当しましたが、あきらかに内容は少し違っています。それは問題でもあるのだけれど、求める「本質」、対象とすべきもの、目的は同じなのですが、いきつく方法、視点をかえています。
 思えば最初の方の授業で、皆さんから「決まりきった授業、本を読めば書いてあるからわかるというものではなくて、もっと独自の論が知りたい」という意見をいただいて、それで「教職」ではあるけれど、もっといろいろな方法を試したいと考えたのですね。それがうまくいけばいいのでしょうが、ちょっと細かく分散してしまったかもしれません。
 しかし、「比較」の方法にはまだまだ可能性があります。時間も足らず、納得と説得力のあるものにならなかったかもしれませんが、比較の視点は今後役立てられたらと思います。
 
 さて、前回の内容の補足です。中国や韓国のことはあまりお話しになかったという質問をもらいました。そのとおりですね。「関係」というか米国を主体にして考えることと、日米関係を中心にしか論じなかった。今回注目したのは「関係」です。
 もちろん中国も韓国もそれぞれの国の教育については個別の研究が充実しています。しかし、日本教育研究もそうなのですが、どんなにすすんでいても、その枠内だけでは「エリアスタディ」であるという限界もあります。だから「比較」の視点が必要なんだと。特に私はサミュエル・ハンチントンの「近代化」の方向・発展を、この東アジアと米国との関係において明らかにしたいのですね。「教育」に着目して・・・。
 ちなみに中国の学校は「学堂」と称されますがだいたい1860年代に西洋式「学堂」がつくられはじめています。そして「翻訳→お雇い教師→留学」という文化摂取方式も同じでして、例えば「幼童留美」なんていって1872年から75年にかけて120名の留学生が米国に赴いている。ほぼ日本の最初の留学生と同時期ですし、人数は多いぐらいです。
 豆知識的には、「米国」といいましたが、中国では「美国」なんですね。ですから「留美」なわけです。・・・さて、こういうふうに同じコースながら近代化の速度は違ったのですね。例えば「近代教育制度」として1902年に「欽定 学堂章定」が発布されましたが、すぐ後1904年に「奏定 学堂章定」というのが出た。これは日本の「学制」をモデルとしたものでした。日本モデルでした。それまで長い歴史で日本が属国のような状態であったのに、この時期には実質的に逆転していたのですね。日清戦争での敗戦と、日露での躍進をみて、「教育の必要性」を確信して危機感をもったのでしょう。「日本に学べ」となった。同じ東アジアのしかも小国がこんなにも強くなる「近代的科学」とはなにかということですね。・・・しかし、その10年後ぐらいには、1912年・13年ぐらいですが「学制」というのが出されますが内容はフランス・ドイツのを模範としたものになっていました。国家体制もあるのでしょうが模索していた時期ですね。そういうように日本との影響関係もあったのです。日本も模索がありましたね。ジグザグしながら・・。同じようにモデルを探してそれを試みて模索していたのです。ハンチントンのいうように、そこから反応がでてくる。
 
 それと日本の「独自性」についての補足です。キリスト教導入を防げたかどうかで変わるんだといいましたが、では日本はなぜ防げたのでしょうか。
 従来、いまの「新しい歴史教科書をつくる会」もそうですが、歴史的な見方にはいろいろあって、例えば司馬遼太郎さんの小説は私は好きなのですが、幕末や明治期を生き生きと描いていて、「維新はすばらしい」となるのですね。しかしちょっと前には「江戸ブーム」などといって「江戸時代をみなおす」といいますかそういう先駆的なこころみや独自性というものがあって、「素晴らしかった」といわれたりもします。だから「オリジナリティ」もあって「連続性」もあるとなる。
 私は「部分的真理」というのはあると思います。もっといえば、別に日本だけでなくて他の国でも「同じような例」はある。いや「国」の歴史という以前に「人間」の社会なんてのはそう大きく変わるものでもないと考えています。まぁ複合的な理由で変わるものと変わらないものとが混在していて、部分的真理として連続性も断絶性も同居しえているわけです。
 「どちらか」の単純二分法ではないのですね。それではまさに「かわらない」というのはみてきたとおりです。だから苅谷剛彦先生も言っているように、「右か左かで振り子のように論じてはいけない」と思うのです。
 で、話が戻りまして、日本がなぜ独自性、あるいは教育の独立を勝ち得たかというと、・・・もっといいますと「キリスト教」を受け入れての教育にならなかったかというと、これは「明治維新」が大きかったと思うのです。
 そんなことはいう人間はいくらでもいるのでしょうが、少し違った考えをもっています。その前に「キリスト教」導入の功罪ですが、例えば米国でも「学校教育」から特定の宗教教育は排除されているのですね。日本も教育基本法で特定の宗派と政党支持は排されているはずです。そううたわれている。フランスでもなんでも、キリスト教はあるけれど、学校はキリスト教教育の場ではないのですね。「学校」と「教会」は別のものと分けられている。だからいい悪いではなくて、生活の中にちゃんとあればいいわけです。そう分けられている。ところが、中国や韓国ではミッションスクールが国民教育の中心的機関になってしまった。他に財閥・企業など様々な文化進出を受けますが、とにかく「教育」はミッションに把握されていました。まさに「教育された」状態なわけです。その結果、国家独自のナショナリズムがもう一つまとまりきれなかった。それで後に「教育権回収運動」や「救国運動」が起こったのです。インターナショナルな世界の中ではじめてナショナリズムが自覚されて、高揚したのですね。その運動は具体的にいえばミッションスクール批判も含んだものでした。だから、「教育された」ことによって「自国意識」高揚が遅くなったのだと考えます。
 これは戦後のフルブライト奨学金とかの留学も同じです。戦後知的エリート層は米国に迎えられ最新の民主主義と科学とを研究する環境を与えられた。たしかに平和主義で戦争忌避の効果はあったのでしょうが、しかしその基金はやはり賠償金だったのですね。同じです。いまではこれは日本が出しているのですが・・・。とにかく最新の学問とともに「教えられる」わけですから基本的には「親米派」になる確率が高いわけですね。「洗脳」とまではいいません。しかし、彼らがそれをもって帰って最新の成果を広めていく。なおかつ彼らは国家の中心的ブレーンにもなる。そういう「システム」としては同じではないでしょうか。
 まぁ、とにかく日本は下関賠償金についてはことわったし、そして米国の模倣をして韓国等を「教育する」立場にたった。ここで注目したいのは「国家」対「国家」でこの「教育」的関係がなりたつということですね。強制的で軍事力まかせの暴力的でない(もちろん背景に軍事的優位は現実としてある)そういう関係。
 
 さて、「明治維新」の評価ですが、私は維新自体は、全部は評価するのはひとことでは難しいものと思っています。ただし、よく「無血革命」だと。市民革命とかとは違うといわれる。革命じゃなくて、改革だろうとか、その指導者層を指してですね。そういうこともいわれるし一理あるとはいえる。江戸城あけわたしが無血であったとか、そういうことで歴史的に様々な評価はあります。しかし、私が注目したいのは、そんな中で、例えトップダウンであろうともおそろしいまでの方向性というかエネルギーがあったと。その時のイデオロギーというものの葛藤もすごかったんだと思うのです。別のいいかたでいうと、強制的にリミッターを外したといいますか、「宗教革命」的なすごい運動エネルギーがあった。「宗教革命」というと大げさかも知れませんが「廃仏毀釈」というものが短い時間にあった。簡単にいうと「仏教」を排して「神道」に、神社を仏寺配下として吸収されてた時代からリバイバルで独立させ(神仏分離)、そして上位に置くという方向性がありました。その運動が過激な所では藩内ほとんどの寺が打ち壊されたりもしたし、仏像も棄却された。全国どこでも、ではなかったけれども、瞬間的にはものすごい危機感が仏教側を襲いました。先週みたヘボンの書簡にもそのものすごい転換エネルギーについて書いてあります。ひとびとは従ったと・・・。
 もっと個別例をあげると、すごいことなのです。例えば松本藩などでは知藩事(藩主)が自ら率先して菩提寺をとりつぶします。そして墓を壊して川に流した。・・・自分の親、先祖の墓ですよ。封建社会というのは「軍事力」として忠誠を尽くすかわりに孫子代々まで土地所有などの特権を認めてもらうということでなりたっていますね。主従関係という契約を結ぶのですね。それは中世の騎士も武士もある種同じですね。そういう忠誠心や、忠義、そして儒教精神がそうですが祖先への感謝畏敬の念というのをもっている。父子の関係も厳格であったわけです。それを・・・、支配者自らが壊した。宗旨がえなわけです。もちろん松本藩の例は一例でして、政治的に維新政府に承認されるためのパフォーマンスの面もあった。しかし事実は宗教心をひっくりかえして神道に鞍替えしたのです。
 神道が国学とくっついて維新政府の天皇制イデオロギーとなっていったのはご存知ですよね。もともと「廃仏毀釈」は中国にもあって、仏教がインドの神を祀る宗教だと、そして種族の問題とからまるときに出てきていたんですね。江戸時代にだって地域によってこういう問題はあった。ルネッサンスは宗教を転換させるほどだったといいましたが、ルネッサンスは「新しい」科学の面ばかり強調されますが文芸復興だったわけです。復古的でもあった。原点にかえってというやつです。江戸時代にも水戸黄門(光圀)じゃないですけれど、日本史をあらうことによって征夷大将軍という地位や、国の王が誰なのかということは自覚されてくるわけですね。正統支配者というやつです。それがどうやら天皇ということになる。「尊皇」のスローガンが立つわけですね。「尊皇攘夷」でも「尊皇開国」でも、基本は「尊皇」。それが維新のエネルギーであった。反幕府という意味においてです。それで実現したのが「王政復古」です。
 まさに「復古」です。革新ではない。古きに帰って天皇制に戻るというわけですね。しかし、そういう一見「後ろ向き」なものも、対近世封建社会というイデオロギーとして立つときには「新しい」「有効な」イデオロギーとなるのです。「王権神授説」というのがありまして、神が与えた支配の権利というやつですね。そういうのが認められたのは別に日本だけのことではないです。そして日本の「神」は神社に祀ってあると。
 難しいのですが、とにかく維新期に「廃仏毀釈」があった。そして神社優位になり神祇官がつくられるなどして政治的にも優位性を発揮した。国民教化という国民育成の面を請け負ったりもしたのです。そういう「宗教」となった。
 実はこの「神道・国学」が維新政府のイデオロギーとなって対抗イデオロギーたるキリスト教を排して文化的・技術的側面のみを導入することができたのだと思います。実際に仏教もそのために採り入れられました。完全につぶされたのではないのですね。神道を中心とする国民精神の体制へと向かうわけです。
 以上のことは、国内ですでに宗教を「学校」から排する方向性(近代性)の準備ができていたともいえます。それは日本ではできていたのだと。だからその骨格部分に西欧文化の肉をまとうことが可能となったのではないでしょうか。
 ちなみに廃寺を学校として利用したところも多いのです。「学制」以降の学校調査で、新設の建物をもつのは難しいわけですね、財政的にも。そんな時、もと寺を有効活用したケースが多くみられた。これも著名な学者の研究(海後氏等)によって「近世、寺子屋が発展したものも多い」という根拠の一つともされてきました。しかし、必ずしも「寺=寺子屋」ではないですね。調べてみたら廃寺がけっこうあります。「寺」というものの建築物としての意味を考える必要があると思います。実はそもそも冠婚葬祭儀礼だけではなくて、宗教というのは「教育」の機関でもあったのですね。そういう大衆が集まれる場所でもあった。維新の戦乱においては屯所として使われたり、あるいは横浜の寺のように外交官官邸に使われたり、大きい建築物としての意味があります。しかし近代では「宗教」の場から切り離して「学校」という「教育」の場へ児童を囲い込んで、そこで国民をつくっていく必要がありました。欧米でも<「教会」→「学校」>、<「宗教」→「教育」>へのシフトチェンジがあったといえます。そういう意味で中国・韓国はそうできなかったし、日本は国内の事情からそれが可能であった。だから主体的に対応できたのだとも思えます。
 もう少しこだわれば、維新政府のうち、その集合した藩の各地で、「廃仏毀釈」なりがあったとしても、宗旨がえがおこったんですかね。いや、そもそも仏教や神道を信じていたのでしょうか。あるいは天皇の伝説でもいい。そういうものを信じて、それで狂信的に他を排斥したのでしょうか。薩摩藩以外はどちらかというと仏教系が多いと思いますが、そこでどうわりきったのかですね。おそらくそんなに深い問題というよりも、「政権」に比べればたいした問題ではなかったのではないかと思います。優先順位としてです。民衆がどう反応したかはまた別問題。とにかく体制を「皇国」に転換していく、そのうえでの「歴史的」意義は感じていたでしょうが、心性の問題としてまで把握していなかったのでしょう。もっというとそうされるだけの仏教でもあったのではないか。戸籍担当ではないけれど、実質的に民衆統制の特権を与えられていたのが寺社でもあった。排他されるべき「旧権力・権威」の一つになっていたというのもあったのだと思います。とにかくおそらく「尊皇」政権というイデオロギーの一つであり、それが「開国」路線になってもキリスト教普及を阻んだのだと思います。もちろん民衆レベルで受け入れた例はありますが。
 
 ひじょうに難しいというか、わかりにくい話をすすめてしまっているようです。ここで結局この講義として何がいいたかったのかをまとめというか追加します。
 
 個人が誕生して生成・成長していく過程で<家庭→学校→社会>へと環境を変えるというかそこで養育や教育を受けて「社会化」されていくのですね。そこではじめて「社会」の中で自分の居場所・あるいは自身を位置づけて相対化できるというようになるのだ、と。学校も部分社会ですね。そう考えると、より複雑化される社会の中で生きていくための訓練であり、装置であるかのように思えますね。まさに「生きる力」なわけです。「そういうもの」が「教育」なのだと・・・。まさに「曖昧」で「語りにくい」ものです。
 そこではじめてこれまでの復習が必要になる。「教育とは何か」というのから始めて、必要とされるコトバや伝説をみて、そしてジグザグに動いてきた通史をみた。考えられた当初はよかったのだけれど、その後勝ち取ったあとに継続・更新していく際に変わるんじゃないかとみえました。コメニウスにはその当時のデューイにはその当時の「必要」条件があった。・・・その後「固定観念」を疑うことを目的に比較してきたわけです。
 
 これまでやってきたことはなんだったのでしょうか。ひじょうに「批判的」であるようで、おききぐるしいかもしれないと反省しています。
 「狼の育てられた子」を迷信だと批判したり、ルソーの人格をなんだかんだいったり、コメニウスの教育はつめこみかのように言ったり、デューイだって本当は意見わかれるのですがあたかも完全に児童中心主義かのように極端に述べたり・・・、今回は宗教ですか。なにか「教育」は悪いものだと言ってるかのようです。しかし、そんなふうには思っていません。影響力のある大切なものだと思っています。そして、私の言う以上に「教育」は「批判」されてきたのですね。その結果があのジグザグなわけですね。
 単純な二分法、それをこそ批判したい、というより検証する必要があるというのが私の思うところです。今日、配布した苅谷先生の資料、それと『人間会議』という雑誌の記事ですがこれはハンディなのでその研究スタイルを読みやすいと思います。ちなみに同誌にはこちらの本田学長ら女性学長たちの座談会も収録されています。大先輩でもある研究者の意見を知ることができるかもしれません。図書館等に入っているのではないでしょうか。学長が出ていらっしゃるのですから・・・。
 
 さて、「二分法」ですが、実は「内面」自体、二面性があるのではないでしょうか。さっきから「独立」とか「主体性」とか「個人」とか「社会」とか言ってきました。
 「個人」という主体性と、「社会」との関係というのがあると思います。さっきは「はたらきかける」「相対化する」といいましたが、・・・「主体性」とは英語ではsubjectですね。これは「附属する存在」でもあるわけですね。「主体」とは「独りよがり」でも「わがまま」でもなく、まったくの「自由」などでもないのですね。なにか「超越的な存在に従属する自分」の確認が「主体」ではないでしょうか。それは「神」であったり「国家」への忠誠であったり民意のコンセンサスであったり、いろいろあるわけですね。よく「神」観念というか宗教感覚について「日本人は弱い」とここらへんが語られるわけですね。だから道徳心が弱いといわれる。これも検証すべきでしょうが、たしかに「日本人」が主体性を主張するときは、何か圧力に対して人権的に訴えるパワーとして言うことがあるような気もします。「社会」観とでもいいましょうか。最近そういうのを憂う著書が多いですね。
 まぁ、検証はおいておきます。「教育」は「個人」側からみれば、たしかに成長・成功のための機会でもあるわけです。「近代化される」状況の中からそういうのを打破する人材は育ってきているのも事実です。女性とか黒人の教育機会について言いました。たしかに個人の成功につながる。しかし、それによって「統制」される面もありますね。これも「個人」「社会」の二面です。
 ミッシェル・フーコーという哲学者・思想家がいて、近代社会を分析・批評しています。「一望監視システム」とでもいうのでしょうか、例えば「教育」「学校」とはそういう「まなざし」のシステムによって規制されている。個人の内部から自己規制するようにされている、といった意味のことをいっています。「学校は刑務所」とでもいうようなとらえかたですね。
 確かに刑務所は周囲に高い壁があって閉じられた(出られない)空間であって、中央にひときわ高い監視塔(望楼)がある。サーチライトが照らされたりするやつですね。そこが全棟(全体)を見渡せるようになっているのですね。そして囚人からはそのタワーの中はみえない。でも存在とライトと、そういった状況で「いつでもみられている」かのような「まなざし」を感じるようになっているわけです。本当は誰もみていないかもしれないのに、・・・現在の医療ミスではないですけど、プロセス軽視は多いですね。うちの実家の知覚に少年刑務所があって、数年に一回ぐらい「脱獄」が話題になります。本当は「脱獄」できる状態なのかもしれない。しかしみられているかのような状態で、自らおとなしく従う方向に向かわされるのですね。そういうシステムは学校にもないかと。
 単純に「助教制」学校の教室がそうだとか似ているとかの話しではいけないのですが、たしかにそういうふうに「個人の自主性・自立」が重んじられているようで、その実「社会性・規範意識・統制」が同時に機能している、そういう空間であるわけです。
 しかし、西洋の宗教だって、本質はそういうものだったのではないでしょうか。従属と規範と社会性と個人の生活。そういうものが同時に存在するのは矛盾ではないですね。「神」観の変容があっても、支配構造は変わらないと思うのです。subjectする主体性なわけですから。
 いま、フーコーを紹介する形で「学校は刑務所か」といいました。他にもいろいろな人の示唆に富むコトバはあります。イバン・イリイチは前に紹介しましたが、社会の「学校化」を論じている。社会関係こそ、近代社会こそ、「学校化」された空間だと考えられますね。年功序列や学歴ポジション、曜日の生活習慣など、そういうことがあるといってきました。これも生活規範でもある。
 もっとコトバはあります。カール・マルクスはあまりにも「マルクス主義」で有名ですが、彼は「宗教は民衆にとっての阿片だ」と言ったといいます。まさに「阿片を与えてかわりにキリスト教の神も与えてやる」といいましたが、そういう「近代化してやる」側の考えにも符合しますし、「宗教が人心統制装置」であったことは前回と今回でいいました。
 ちなみに他の人物は「マルクス主義こそ知識人の阿片だ」と論じていたりもする。そういう時代もあったのでしょう。
 私の好きなイマニュエル・ウォーラーステインは「普遍主義信仰の神殿が大学」だなどとも言ってまして、やっぱり「教育」「学問」と「宗教」「迷信」とは切っても切れないものなのだなと思います。
 
 ここで、「教育」とは何か。私がどう考えているかということを二人の研究者のことばを借りて紹介しましょう。
 一人は浅田彰さんです。教育学者ではないのですが、10年ぐらい昔にポストモダン論とか構造論とかそういうことばを一般に、お茶の間にまで広めるのに貢献したというか、ニューアカデミズムの旗手として有名になった人物です。昔、院生時代にこの人の本を読んで理解するのに時間がかかりました。今では長野県知事田中康夫さんと本を書くとか、幅広く活動なさています。この浅田さんが経済的問題についてですが、「国対国のものが、一国内のすみずみにまで浸透して、結果的にではあるがはじめて近代化したといえる」というようなことを書かれていました。正確なことばをコピーででも配るべきですが、ここではそういうようなことだったと紹介するのみにします。
 もう一人は入江宏さんという教育史研究者なのですが、近世から近代を研究していて功績のあるかたです。入江先生曰く、「スクールシステムができてからが近代」だとおっしゃいます。近世もていねいに研究されていますから、寺子屋や藩校が近代性があったといってもいいのに、あえて「システム」「制度化」されてからが近代であり、それ以前とは明らかに違うのだといいます。なるほど・・・。
 私は、このお二人のを合わせたというか、近い考えをもっています。それがこれまでみてきた比較から考えたことでもあります。近世から近代へというのでは、宗教(キリスト教)から学校システム化へのシフトチェンジがあったと考えるのですね。それで入江先生のいうようなシステム化がなったと。宗教と教育の関係をとらえたいというのが私の考えです。さらに対外関係においても強制的関係から教育的関係へとシフトしてそれで近代化は達成されると考える。ハンチントンのいうように導入を「受け入れる側」もいるわけで、しちらの反応もあるから、そういうためにも「教育的」関係になることが重要であったろうと。志向されないと、支持されないといけないですから。これがあって、そしてそれも「社会」の形なのですね。社会システムである。それが国内という社会関係にまで反映していく状態、それは浅田氏がいうことにも通じると思います。
 
 かなり難しいいいかたかもしれませんが、「近代の教育」は一つはそういうものであったのではないかと思います。昨年の授業ではこういう話しはしなかったのです。比較も一段階で、昨年はいろんな見方から「教育は何か」を考えようということで、教育問題とかそういうこともとりあげたのですけど、今回ほど「比較」中心ではなかったです。ですからどちらがいいのかはないのですが、細かくてわかりにくかったと思われた方もいることでしょう。まぁ、次週の試験では「大きく教育理念とは何か」を論述していただくようなものにしたいと思います。いろんなことをしたけれども、全部「教育」についてみたわけです。ですからどれをみても、どんなみかたをしても、みえてくるものに共通したものはあるはずです。
 
 さて、最後に時間がなくて恐縮ですが、現代というかいま現在に「教育理念」がどう話されて考えられているのかをみていただきましょう。
 昨年、話題になりました「教育改革国民会議」についてみてください。もう批判や解説もたくさんでていますので、そういうことはそれらにまかせまして、手短に要点だけ述べて、あとは皆さんに考えてもらえばそれでいいと思います。きっとどこでもそういう授業があると思いますから・・・。
 この会議は冒頭で自民党・公明党・自由党の当時の与党代表者が発言をしているのですが、「教育基本法見直しを」というのがどうも目的であるように思えるのですね。どうやってこういう委員を選ぶのかも、「創造性あふれる人物を選んだ」なんて故・小渕総理がいってましたけどそういう手続き・関係で選んだのかとかの疑問もあります。茶飲み談義なんて過激ないいかたもされています。しかし、それらはここでは扱わない。
 教育原論は教育理念を学ぶものです。そして戦後の現代の教育理念は「教育基本法」にあるといってきたし、みていただいた。ところが、その「理念」を変えようというのです。
 近代以降の比較もしましたね。天皇制教育への傾倒とか、そういうために従前の教育理念を批判するということがあったと・・・。元田「教学聖旨」や「期待される人間像」やいまの「新しい歴史教科書」にみられる「ナショナリズム」は似ているともいってきました。そして必ず二分法でいくと意味なく極端を行き来するだけになると・・・。今回のは「教育基本法」を時代にマッチするように変えるべきだという。・・・そういう意見も「ありました」ね。同じように感じてしまいます。ちょっと会議の結果としての提言だけをあげておきます。


































 
教育改革国民会議報告  −教育を変える17の提案−平成12年12月22日

はじめに
 教育改革国民会議は、内閣総理大臣のもと、平成12年3月に発足し、この度報告を取りまとめた。私たちは以下の17の提案について、速やかにその実施のための取組がなされることを強く希望する。
「人間性豊かな日本人を育成する」
・教育の原点は家庭であることを自覚する
・学校は道徳を教えることをためらわない
・奉仕活動を全員が行うようにする
・問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない
・有害情報等から子どもを守る

「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する」
・一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する
・記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する
・リーダー養成のため、大学・大学院の教育・研究機能を強化する
・大学にふさわしい学習を促すシステムを導入する
・職業観、勤労観を育む教育を推進する

「新しい時代に新しい学校づくりを」
・教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる
・地域の信頼に応える学校づくりを進める
・学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れる
・授業を子どもの立場に立った、わかりやすく効果的なものにする
・新しいタイプの学校(“コミュニティ・スクール”等)の設置を促進する

「教育振興基本計画と教育基本法」
・教育施策の総合的推進のための教育振興基本計画を
・新しい時代にふさわしい教育基本法を

 報告をまとめるに当たっては、骨太で分かりやすいものを目指し、理念や抽象論を展開するより、具体的で建設的な提案を行うこととした。このため、委員から出された数多くの意見や提言をすべて盛り込むことはしていない。また、必ずしも盛り込まれた提言のすべてが意見の一致をみたものではない。
 
  いろんな提案があります。「奉仕の義務化」はかなり話題になっていますね。ボランティアの意味が違うとの批判もあります。義務化によって意味がなくなり、評価のためにそういう活動をするようになると。しかし会議側は緊急課題だから「体験させるべき」という。平行線です。いや、「奉仕」は「奉り仕える」と表記するので、以外に日本的なものなのかもしれません。そうすると「日本的」観念の復帰とも思える。戦前の勤労奉仕にも近いものだと思います。そういった人たちの郷愁の念を含む妄想なのでしょうか。
 田中外務大臣は人気がありますが、「介護等体験」の義務化を提案したのもあのかたでした。でも、具体性がなく考えていない発言で「とにかくやること」という勢いだったために実態は問題含みのままです。1週間弱で何が身につけられるのかや、あるいは受け入れ側と行く方の意識ですね、そういうのをどうするかがまったく配慮なかった。やることに意義がある・・・、そうかもしれません。しかし考えなくやれというのは説得力がありません。小泉総理大臣も地元の近所の人で好きなのですが、しかし「具体性を」ときかれると心情論・感情論ばかりで「具体策はあとで検討するのだ」と言い切る。それで動いていいのでしょうか。他者を動かす、社会を動かす責任というのがあるわけです。ちなみにこの妄想といわれる「提言」の最後に「骨太」の方針なのだと書いてあります。あれも別に小泉総理のコトバではないのですね。そういうものが目指され、そして1999年の国旗国歌法と同じくへたしたら考えなくすすめられます。はじめに「変える」ありき。
 では、どう変えたいのでしょう。ひとことでいえば「公」にしたいのだと思います。
 今日もいった「社会」と「個人」。主体性のときにいいました。その個人ではなく「公」を強調すべきなんだと、「社会をわかれ」と子どもたちに危機感を抱いた大人が「教育しようとしている」のではないでしょうか。それは元田や「人間像」とどう変わるのか。あるいは変わらないのか。・・・
 今、教育理念の一面、社会性や公性が重視されつつあります。それはそういう危機感のあらわれで実際に問題もあるのでしょうが、それは「強制」で教えて身につくものなのでしょうか。「身につけさせよう」というものでいいのでしょうか。「公」を目指す社会。それがいまの動きなんじゃないかというところで、しり切れとんぼ的ですが講義の内容を終わります。
※昨年の受講生(ネモトさん)がちょうどもぐって受けていました。「昨年とは内容が違う」ということでも嘘をつかないでよかったです。久々にお話しをしたのですが、基本的に教育は批判するよりもいい機会をいかしていく「出会い」の場であってほしいと心から思います。「邂逅」というコトバが好きなのですが、他人に出会うことから学ぶ、楽しむ、ときに悲しむ。しかし成長してもいける。そういう「出会い」をこのしんどい社会関係のなかで楽しんでいけたらと切に思います。ネモトさんの今後の活躍をお祈りします。そしてお茶の水女子大学生の皆様との「邂逅」をかみしめながら・・・。

 お世話になりました。              古賀 徹