授業日誌

   

 生徒指導・進路指導論 2004年度 後期

@2004年9月21日(火)・・・・初回の授業のためガイダンス。後期は2時間合計で120人ぐらい。前期と同じく、学校教育における「教科指導」と「生活指導」の二本柱について話し、教師の役割(仕事)としての生徒指導の重さを理解していただいた。ここから「どのような指導が必要か」「どのような具体的な方法があるのか」などを学んでいく糸口にしたい。朝日新聞と教育新聞の記事をあげて、現場の教員(現職教員)が「生徒指導」に「不安」をもっていることをみてもらって、大きな課題であるということと、難しいのだということを指摘した。中国と英国の教員に比したとき、なぜこんなにも不安を抱えているのだろうか。「日本」にだけ「教育荒廃現象」があるのだろうか? そうではないと思うし、それを今後の授業で順にみていきたいと言っておいた。そして「学校教育の問題」として語られるニュースや、例えば「教育の弊害」「改革されるべき」などと議論されることが(例えば「学力」「学級崩壊」「不登校」「いじめ」など)「生徒指導・進路指導上の問題」なのだということを説明し、それらを主題としてとりあげていくこととアナウンスした。もちろんカウンセリングなどの実践的コミュニケーションの方法論も大事だが、多様な面から授業をすすめていきたいと述べて終了。

 

A2004年9月28日(火)・・・・指導論導入の歴史的前提について説明。まず「生徒指導」が「教職課程」で必修になったのはいつからで、そしてそれは何故導入となったのか(必要とされたのか)、その理由を資料でみてみた。子どもの「荒れ」への対応として必須とされたものの、それは実際に現場にどのような影響を与えたのかということや、研修体制などについても考えてみた。その際に自分たちが受けてきた学校の「生徒指導」から考えはじめてみることをすすめてみた。実際にどのように指導をしていたのか。学校による違いはどういうものか。相談室や体制はあったのか。登下校の指導や取り締まり、あるいは生徒会の活動の自主制かどうかなど、簡単に説明し、それぞれについて考えてもらった。資料として文部科学省のホームページ等を配布。それについて各自で考えさせ、その後、補説的に解説をして終了。 「特別活動」と「教育・学校経営」と「生徒指導」の領域の重なりと、そしてそれが免許法(レシピ)の中でどのような期待がされているのかについても説明を試みた。次にコミュニケーション理論についての説明に入る。今後のすすめかたにも触れた。コミュニケーションは「積極的」に生徒を「理解」しようとするときの一つのモデル理論ともなる。カウンセリング論などの授業でも触れられたかと思うが、この授業では哲学的な方法をめざしていくことを明らかにしておきたい。

 先週のリアクションペーパーに書いてもらったことにコメントして終了。

 

B2004年10月5日(火)・・・・コミュニケーション理論の説明を振り返り、経験と知識と両方から理解を深めていくことを再確認した。その後、今回は「経験」としてエクササイズをやってもらい、後半に「知識」として資料(情報)をみて考えることをやっていくと説明。エクササイズはナンバー2(後から記述するタイプ)をやってもらった。はやめに、他人とコンタクトをとることに慣れ、理解しながら話せるという練習としても意味をもつ。また、記憶を深めて、理解を深めていくために、あとから確認するという作業を加えたのが今回のエクササイズ。簡単なかたちなので問題なくできたと思う。その後、いちばん入りやすい資料として森田洋司先生の本からデータをみて考えてもらった。大学図書館に同書が所蔵されているので興味をもったらみておくことをすすめる。いじめ、不登校、などの子どもの問題については、この社会学者(その道の第一人者)の資料分析が参考になる。最後に全体を振りかえって終了。リアクションペーパーには森田先生に関する質問が多くあった。学生時代に学んでおくといい本です。

 

C2004年10月12日(火)・・・・「相談」の方法論について学ぶのが今日の講義の課題。カウンセリングの方法論については「教育カウンセリング論」で学んできているので重なる部分もある。まず実際のカウンセラーの状況や、そのデータ(加配された学校の問題解決データなど)を紹介して、カウンセラーの有効性を説明する。しかし、実際の問題点として「物理的限界」や「役割の違い」を説いた。養成・育成がまだまだ十分ではなく、兼勤や数時間のみの勤務などが多く、人数が不足しているので、それにあわせた相談というのには必然的に限界もあるのではないかということと、そして「傾聴」だけではないだろうが、しかし守秘義務の問題もあって、なかなか教員と十分な連携は「立場も違い」できにくいという現実も考えていただきたい。教員にも守秘義務はあるし、あたりまえにいちばんの臨床体験者でもある。しかし、「立場」は異なるであろうと。教員は、出入りする距離感が必要ではないか。「けじめ」などと称されることもあるが、ようするに「指導」というものを考える必要があろうと。なんでもきく、なんでもさせる、あるいは何かをさせないのではなく、やはり成長のための場として学校はつくられていくべき空間であるから、それはやってもらわねばならないこともある。そういうときに指導の面が必要ではないか。文部科学省の生徒指導資料からカウンセリングに関する記述を紹介して、教員に求められるカウンセリング能力が何かを考えてもらった。そして3人組でのエクササイズで、相談者、カウンセラー、教師、という三つの立場を演じてもらって、そこで「話の理解のしかた」を体験してもらうことを試みた。

 

D2004年10月19日(火)・・・・今日は「教員としての指導」ということで、論理療法のカウンセリング理論について説明。まず前回の復習で、カウンセリング技術に「対面化」が含まれていたことを確認し、またエクササイズで「教師」には「指導」の立場があったことを思い出してもらう。そしてカウンセラーの物理的限界から状態が長びいてしまう子もいるであろうと説明し、日常で接することの可能な教員のやるべき指導とは何かと、考えるよう指示。「しかる」「注意する」などの意見もあったが、悩んでいることの解決方法として今回は「論理療法」という一つの方法論を紹介すると述べる。心理学的な、養成の難しいものではなくて、先哲として「哲学」的にカウンセリング・指導していくのだとして、「宗教論争」などについて例をあげた。ソクラテス・プラトンの問答を説明し、「考えかた」というのがコミュニケーション理論で説明した「観念」の世界であることや、それが間違うと固定観念・妄想・思い込み・強迫観念になってしまうのだと説明。つまり、「思考」の部分で、自ら苦しんでいることがありえるし、傷つく、悩むとはそういうことでもあろうと。そういう面を論駁・説得してなおしていくのがこの方法論である。前回のロールプレイで説明すれば、「混乱」を整理して、交通整理して、またまわりが見えるように安全運転に導いてあげることだと例えてみた。いくつかの事例を紹介し、そしていくつかのシートによるエクササイズを方法だけ紹介。そして仮の事例をあげて、それでシミュレーションするということを試みた。最後のシミュレートは25分間とったが、それでも間に合わない受講者もいた。もう少し、時間をとれたらと反省。

 

E2004年10月26日(火)・・・・「グループワーク(その1)」。前期と違って少ない受講者数なので、簡単にグループ分けはできた。エクササイズの複合型として5〜6人でのグループになっての話し合いを求めた。やってみれば「集団」になっての話し合いは「難しい」と思っていたのが固定観念だったとわかるであろう。前回の「論理療法」で言ったとおりである。今日の内容は不登校の資料をみて、そしてグループごとに内容や対策を検討してもらった。「グループワーク」という生徒たち自身に話し合いをさせる「方法」自体を今日は経験してもらったということと、そしてその後に背景を解説して授業なり理解を深めさせていくのだと言って授業は終了。もちろんグループごとの提出物と、そして各人にリアクションペーパーを書いてもらった。

 

F2004年11月2日(火)・・・・「グループワーク(その2)」。今日は場面設定してのグループワークからプレゼンテーションまで。前回のものからの発展型。生徒指導の教員研修ワークショップを仮想で体験してもらうというねらいもあった。「教育プログラム」をたてる(検討する)のにも教員会議で議論し、そして親や各種関係機関に連絡や連携をとらねばいけないということを先ずあたりまえに気づいてもらうのがねらいの一つ。「教育」に意図的じゃないものは少ないというか、そういう責任がある。生徒の行動や、理解、そして体験や社会的まとまりをどのようにつくって、そして最大限に効果を出せるのか。事例を一つみせてから45分間検討。その後、発表(代表5組のみ)。発表はなかなかいい意見や適度な分散もみられて、まとめやすかった。前期より人数が少ないため、逆にまとまりやすいのも事実であろう。「グループ活動に慣れてきた」「面白い」という感想があった。

 

G2004年11月9日(火)・・・・「不登校」について。前々回にグループで話し合ってもらった資料の補完になる。自分たちで考え、それを教員や他者が補う。そうやって何らかの問題解決をうながしていくのが、「指導」の一つではないかと説明。「自主的」に「社会」に参加させていくというのも、そのような態度を育てるのもまた学校でやるべき指導であると考える。森田洋司の著書を数冊と不登校に関する本を数冊紹介した。また、特に、新しい研修の内容について紹介した。具体的な指導の方法として参考になればいいのだが・・・。

 

H2004年11月16日(火)・・・・「サイコドラマ」を紹介。エクササイズ系のなかでももっとも難しいのだが、人数も適度であるし、また効果も多少みられると思い、試してみた。グループワークの形態になり、そこで役割を決める。あとは事前に話し合いと場面設定などをして即興劇を演じていく。特に、時間の設定をして、また役割をかえたり、あとから振り返ってみることも試した。もちろん時間不足もあるし、また知識不足もあるだろう。グループに慣れたとはいってもまだ恥ずかしさなどもあるだろう。しかし「考える」「イメージする」という効果、「相手の立場」「複数の立場の理解」という点ではどうだったろうか。こういうエクササイズ系の授業は、どうしても個人個人の受け取り方には差ができる。それは「経験型授業」でも同じことだ。それがわかることでもプラスであろうし、またやっていくことで深まっていくでろう可能性は感じられたのではないか。

 

I2004年11月30日(火)・・・・「心と行動のネットワーク」と「非行問題」について。まず文部科学省の指導方針を読んで解説。また新聞紙面から見てもらうこととして、後期では「いま」と「昭和30年頃」の論調をみてもらった。日付がないと、いつの時代だかわからないところもあったのではないか。続いて文科省の通達をみて、そこに書かれた「心のサイン」について考えてもらった。また「非行」について白書類のデータを比較して、「教育の効果」「指導の重要性」を指摘して、さきの指導方針の意味を補っておいた。今日は「資料」「文書」を読んで解説する日である。社会学的データは個人的な興味の分かれるところだろう。・・・どうだっただろうか。

 

J2004年12月7日(火)・・・・「PEACEメソッド」(ピアカウンセリング)について。英国の「いじめ」については資料でみてもらったが、「教育」の効果か、「学校の伝統」なのか、年齢があがるごとに「とめる」ように成長していくというのが数値ででていた。これを応用したオーストラリア、カナダなどでも同じような効果がみられるという。それがピアカウンセリングなどだが、日本での実践のしかたなどを課題として考えてみた。もちろん実験校での事例はあるし、本も数冊でている。特に滝充さんの本を紹介。実際にグループごとに場面設定して、数回の「会議」(話し合い)を演じてもらった。内容は「私語」についてとりあげた。これがPEACEの方法というか、仮想ではあるが生徒会などを指導して議論させていくことになると試してみた。自分たちで考え、生徒指導を自律的にやっていくという理想的な方法。リアクションペーパーを回収。

 

K2004年12月14日(火)・・・・「進路指導の傾向」についてデータを読む。今日は資料の日。「ニート」に関する出たばかりの雑誌の記述を読み、いわゆるフリーター志向について考えてみた。高校生の進路傾向に関する新しい資料の分析を行なう。「進路」の指導とは? どのような指導が必要だろうか。学校や教師への信頼度や相互の信頼、コミュニケーションはどうなっていくべきか。「学校を嫌い」にしてしまっていいのだろうか。など、資料から様々なことがよみとれたかと思う。「フリーター」については某大学でのゼミの議論の様子を紹介。資料を各自で考えてもらって、それから隣近所の人と自分の意見を交換しあうというのを試みる。そこから意見を再構成して書いてもらう。そのような複合的なことをやっていたら授業が長びいた。「進路指導」は実はとっても重要なテーマです。

 

L2005年1月11日(火)・・・・「叱る」指導というものを考えてみた。生徒指導関係の学会誌も参考にしながら、「いま、現場で、叱る」という指導がいかに難しく、そしてそれの方法をどのようにして得ていけばいいのかと考えてもらった。「怒るのではなく、叱る」という台詞を読めば、それはそれでわかるのだけれど、実際にどういうふうにしたらいいのかというのを知らないといけないだろう。実際の場面を設定し、かまえていくことで「納得」して得たものから「怒るのではなく叱る」ということがより実際にわかるのではないだろうか。過去に叱られた「指導」場面を思い起こし、そこで「良かった」「納得できなかった」というのを考えてもらうことからはじめた。すると何らかの「マニュアル」のような形ができてきたのではないか。短い時間で終わらせ、具体的に納得のいく説明で行ない、個人の人格攻撃をしないでしっかりと叱る。しかもそれよ有効たらしめるのが結局はその人のポリシーだったりするということ。これは「教育愛」などとひとことで書かれていることとも一致するので、だから「教員養成」の授業では教えにくく難しいのである。今までに「私語」について話し合い、そしてロールプレイもやってみたから、それをサイコドラマのようにして試していく方法も理解できたのではないだろうか。教師役が3分間でどのように話し合いにもちこめるのか。名前の呼び方、イントネーション・・・。いろいろ学ぶべきところはまだまだある。

 

M2005年1月18日(火)・・・・本日はラストの授業。横浜市で行なった「不登校」の追跡調査についてのデータをみるという約束を守って、最後にそのデータから「指導」というものを再び考えてみるという日。「不登校」の数、男女比、そして学年ごとのJ字配分という構成。その原因分析に関するアンケート結果では、保護者と子どもとの理解の差もみてとれました。今回も「みえにくい」という問題であった。保護者の子育て観。逆に子どもの父親・母親観。それらの複合的な集計比較。そして兆候の小中学での差。また保護者の意見(自由記述)のいくつかも紹介してみた。

今回の、この後期の授業では、なるべくエクササイズ・ロールプレイを半分入れることと、より新しい資料から分析することをこころがけてみたが、受講した皆さんはどのように受け取ってくれただろうか。・・・試験での検討を祈ります。