授業日誌

   

 教育の歴史 2004年度 後期

@2004年9月24日(金)・・・・初回の授業のためガイダンス。「『いま』を判断する歴史的思考法」と題して、歴史の視点の有効性を説明。とくに現在は「第三の教育改革」と表現されることがあり、その「いま」を判断するのに比較の対象として、第一、第二の改革を理解しておこうとよびかけた。江戸期から維新期への変革をみてもらい、現在どこかの国で現実的に起こっていることと近似することをも指摘。次に戦前と戦後の大きな変革についても、これも現在ある国で施行されていっているものに似ているのではないかと指摘した。つまり「過去」のことは無意味ではなく、モデルにも教訓にも、そして判断の材料にもなるのだと説明。「いま」もいずれ歴史として誰かに説かれることだろう。ただ記録されるのではなく、私たちはその記録をつかってつくりあげて、あるいは変えていくことができるのではないかと説く。この講義をとおして、「歴史」に興味をもったり、つかえるなと思ってくれたならばいいのだが。

受講者数は70名以上で教室に入りきれなかったので、次回から場所を変更する。

 

A2004年10月1日(金)・・・・ 「教室のかたちが変わる」と題して、授業方法や教育観の変容について説明。各種講義の形態について説明しながら、それが対象とする「人数」と関係していることに気づくよう促す。そして古代は人数は少なく、皇帝や貴族など、一部の層の教育にとどまったことや、現在では大学全入時代が近づくなど「大衆」教育の時代になってきたことを話し、それが人類史の寿命などとも符合することを資料で説明。そして事典で「教育」「education」や、「school」「余暇」などの文字を説明し、また機械の発達・発明などで教育の可能性や目的が変容してきたことを説明した。これは例えば「生涯教育・学習」の時代が来たことの説明にもなる。そして、今後はどうなっていくのかについても考えてみた。実は過去の展開から未来を展望するのも歴史的な考察方法である。リアクションペーパーには「事典」を引くことの面白さに反応があった。

 

B2004年10月8日(金)・・・・「教育の起源。古代〜中世〜近代の展開」について。まず導入として、教育の原点から考えていこうとして、日本の起源として「縄文文化」がありえるのではないかと話す。「文化」は伝えられ、広い地域に集落や土器や様々な加工品が受け入れられたことに注目されたい。埋葬や呪いもあっただろうか。偶然だけではない、意図的なある形のものが伝わった。情報でもあるし、価値観でもある。そして経済的行為でもあるし、助け合い・分業などもあったろう。定住することで狩猟の移動から解放された「弱者」も生き残り、安定することができた。あるものはモノをつくり、あるものは子守もしたのではないか。だとすると、これは「教育」のはじまりではないか。慣習・伝統・行事などが伝わり、宗教儀式が行なわれ、文化が伝搬すること。こういうものを教育の起源と「教育史の本」には書いてある。その後、世界史的展開を説明。「いま」から考えて、社会の起源を「古代」と考え、いまにつながる「近代」と、それらの中間にある「中世」という大きい考えかた。また一つ一つの特色として前時代を批判し、それはその前の時代に戻るということも意図していたというのもみてもらった。ギリシャ時代の皇帝や奴隷制度を否定したキリスト教的社会、それを超えるルネサンスは迷信打破の科学的思考でもありながら文芸復興でもあった。そしてその後の絶対主義国家の確立は王権神授説にのっとったという意味で、神学的でもある。その後、自由革命、産業革命を経て公教育が実現した近代社会となる。ちなみに日本も正当性のために前々政権の血縁を名乗ったり、あるいは維新も革命といいつつ王政復古でもある。そういう歴史的特徴を大きく理解してもらうのが今回の目的。小テストを実施。本日から最後に設問に答えてもらって、それを評価すること(3点満点)を初回の授業時に説明していたので、「古代から教育観がどのように変わっていき、それは社会とどのような関係があったのか」について書いてもらった。

 

C2004年10月15日(金)・・・・「『書くモノ』『書きつけられるモノ』と文化圏」と題して。佐藤秀夫先生のテキストを紹介。「ノートと鉛筆」についてだが、日本人は本当に欧米人に比して「しゃべれない」のだろうか。これはこれまでの授業から考えれば「教育方法」「教育観」の違いとしても納得できる。しかし、故・佐藤先生はもっと深く、大きく、それを「文化」の視点から考えていたので、それを紹介する。日本人は「しゃべれない」というよりも「書くのが得意」なのかもしれない。それはそういう「モノ」が欧米に比して発達していたからだというのだ。だから「そういう教育方法」「そういう教育観」になったのではないか・・・。こういう考えかたである。古くは「紙」がなく、欧米では小羊の腹の皮や、粘土板などに文字を書き残すので、稀少で重く、必然的に一部のもののみが知識を蓄積するのみとなった。これは「古代」社会の特徴だというのは前回までのとおりである。「紙」をつくれたのは中国だけで、それが500年代に伝わって来て「和紙」がつくられるようになった。だが欧米では15世紀頃に伝わり、あるいは18世紀に洋紙が発明され、それから出版・印刷術などが発展したので、「文字」文化ではなく「言語」文化圏なのではないか、という考えである。これにさらに鉛筆の創造やその輸入・輸出のデータと国定教科書制度・就学率・世界大戦などの背景をあわせて、日本(アジア)特有の教育文化がつくられたのではないかという考察であった。佐藤秀夫先生は、スケールの大きい、日本教育史研究のまさに中心的研究者であったが、残念ながら近年、亡くなられています。こういう深く、大きい考察・研究も、学生に継承していただきたい。私も学びつづけていく。

 小テスト実施。「教材・教具の与える影響」について、ノートの他について考えてもらった。

 

D2004年10月22日(金)・・・・