授業日誌

 

 教育方法論 2004年度 前期

@2004年4月15日(木)・・・・最初の授業なので「方法論」の教科書の内容を中心にガイダンス。全部で115人なら少ないか。「教えかた」というものが「教育」の中でものすごく大きいウェイトを占めることを強調しておいた。

 アンケートでこれまで習ってきた教育系授業でよかったものをあげてもらったが、ほとんどおぼえていないというのはどういうことだろうか。教員のせいだけだろうか。自分の「意識」はどうなのだろうか。少しうるさめにやっていかねばならないかもしれない。ちなみに同じ質問を数人にきいて応えてもらったが、ある授業がよかったとしても、「その授業」自体の魅力だけだろうか。では、その同じ授業を私がやっても同じように「よかった」と思うだろうか。そこには専門性や得意不得意の他に、人間性や信頼などの関係性もまたあるのである。その意味でも「教えかた」によって内容が同じでも受け止められる可能性には差が出てくる。したがって「教育方法」は重要なのだ。

 

A2004年4月22日(木)・・・・テキストを使って、教育の「目的」について。第一章の部分をやった。通信教育課程のスクーリング型授業であり、共通のテキストはこなさないといけないという規制はある。たしかに教科書中心といえば魅力がないように感じられるかもしれない。しかし、それも教えかたである。あえてわりと普通に教科書をつかってみた。読んで、また読ませて、解説して、板書にまとめる。また、とにかく寝る学生を起こしてすすめるというのを意識した。私はたぶん媚びることはないと思う。私語よりは寝る方がましという人もいるが、しかし私は「教育方法」については考えて、やってみなければ意味がないとも考えている。注意することで嫌われてもかまいません。そういう人間だとわかってもらいながら進めるのが、実はこの授業の目的でもある。

 

B2004年5月6日(木)・・・・教育方法の種類についてテキストを読んでもらいながら授業。コメニウスやルソーについては、すでに教職課程で受講しているはずの授業で学んでいるはずなので、そこからリンクさせたかったのだが、ほとんど理解している人がいなくてがっかり。仕方がないので来週に全体的な話をすることにして、今日はこの学校で受けている授業のスタイルの「種類」について発言してもらいながら、「教育方法には様々な種類がある」というのを理解させて(印象づけて)終了。あまりにも意識が低いものをかなり注意した。ちなみにそのような「指導」に時間をとると、「授業」自体の時間や質も落ちてくる可能性があるといい、だから意識を高めていくのが力量かもしれないと述べておいた。

 

C2004年5月13日(木)・・・・今日は、2章の「歩み」の部分を。コメニウスからヘルバルト、そしてキルパトリックあたりまでを概説。新教育までを含めたことで、「教育に関する考えかた」で「教育の仕方」が変わってきたというのもあると指摘。もちろん機材や科学の発達もあるのだが、それらは他大学で「歴史」の授業でとりあげていることなので本授業では軽く話すのみにした。日本の明治期の授業方法についても数冊の本を紹介。紹介しただけで必ずしも全員が読むとは思っていないが、その分を辞書などの複写を配布することで少しでも補っておきたい。

 

D2004年5月20日(木)・・・・雨。今日の授業では「ヘルバルト」の教授法についてとりあげた。教科書とプリントにあげた参考文献の記述をもとに、「教授学」「段階教授法」というものがどういうものであるのかを説明を試みた。読むだけや書くだけではわかりにくいと思うので、実際にいくつかの授業をシミュレーションでやってみた。

 

E2004年5月27日(木)・・・・「方法論」では総合学習についてお話し。教材として経験をさせることで学ぶということについて説明をしてみた。来週からはワークショップ形式でやっていく。そうとうに口うるさい私・・・、眠らせないし、私語させない。けっこう厳しいと思われるだろうか。授業は受けかたにもよるということを、また今後やっていこう。相手の責任にばかりしていてはいけない。自分しだいでなんとかなることもある。私もあなたたちの責任だとして突き放しはしないので、「授業時間」にはつきあっていただく。

 

F2004年6月3日(木)・・・・今日は授業でグループワークをやってもらったが、しかしクラスによって反応がまるっきり違う。題材は「一斉教授と経験学習の比較(効果と課題)」について。はじめなので3人組か4人組になってもらう。他人に迷惑をかけるのをゆるせない思いから、あるグループをかなり強烈に叱る。今年はずいぶんぶつかることが多いが、僕はあまくないので。その意味できつい授業だが頑張ってほしいものだ。ちなみに「課題」の「経験学習」の調べ学習の方法自体がこのグループ学習なんだと気づいてほしい。それをできないことがあるという現実。これで「自由がいい」というのはいかがなものか。あれは「自由」ではなく、ちゃんとした「方法」なのだ。

 

G2004年6月10日(木)・・・・「方法論」は板書案の作成をやってもらった。いいものもあった。グループワークでうまくいかず、からかいや人まかせにしていた者たちもいたので、今回から「個人」で考えてもらって、それから周囲の学生同士で批評しあって、いいものを選んでその選ばれた者が発表するという形式にしてみた。課題レポートもいくつかでてきた。板書のまとめかたは、箇条書きだけではなくて、動かす展開として台詞やメモといっしょになってはじめて意味をもつのだ。これから数回、このような指導案をつくってもらって提出してもらう。何組かは発表してもらうが、それらはすべて評価すると宣言しておいた。

 

H2004年6月17日(木)・・・・今日からコンセプトマップづくりに挑戦。題目は円高についてと、そしてテキストの部分との2題。「発表」と「授業」は似ているし、また実際に「学習」では一致するわけです。相手にどのように説明すればわかってくれるのかと考え、それを教材にしてその配置を考えていく。このコンセプトの考えかたは授業のつくりかたにもなるでしょう。課題レポートもたくさん集まってきた。

 

I2004年6月24日(木)・・・・コンセプトマップの書き方のマニュアルをやった。急遽つくりあげた「つくりかた」の模範例。それを画像にしてパソコンで見せた。提出物で評価するといったが本当にレベルの差が大きい。もちろんそれでもいいのだ。しかし私は「やらない子」が「できるようになる」ことが大切と思っている。その学生なりに進歩すればいいのだ。だから軽い気持ちでやらないことだけは評価しない。疲れないようになんとか乗り切るが、帰宅後、体重が70kgジャストに落ちる。近年でもっとも軽くなった。体力的にピンチ。

 

J2004年7月1日(木)・・・・今日から「方法論」では「新聞をつかった教育」や「生徒を参画させる方法」という新しい教育形態を紹介し、そして仮設実験授業などについて話していくつもりである。「新聞」の授業については朝日新聞の記事なども紹介するが受講生によっては中学・高校で経験のある者もいた。またディベートの授業も体験した者もいた。それらの話をひろいながら、テキストの記述にも触れてみたが・・・、実はこれ自体も「参加」型の授業なのだ。実際にエクササイズを一つ試し、そして記事を要約させて報告させる図案を書いてもらって終了(数組のみ報告)。

 

K2004年7月8日(木)・・・・「方法論」は複数人で「理解」をしやすい関係を考えるためのエクササイズをやって、次に授業のシミュレーション。テキスト中から担当部分を決めて、そこから教案をつくってもらって報告。この提出と報告の連続の授業は今回で終了とする。過去の提出物のいいものを講評する。なぜ、多くの人がみて「いい発表だ」と思うものと、そうでないものがあるのか。これは能力の差なのだろうか。努力の差なのか。それとも慣れていけば誰でもできることなのか。・・・慣れていって、努力できるというところまでは、教員が責務としてもつべきではないか。

 

L2004年7月15日(木)・・・・ティームティーチングについてとりあげる。複数人いることでどのような効果があるのか。さらにテキスト内や資料以外にどのような効果的な方法が可能かを考えてもらう。そしてその限界として、なぜこれまで日本では効果がみられなかったのかについて調べて終わり。受講者で過去にティームティーチングを受けた経験のある者に語ってもらったところ、そのほとんどが効果的でなかったということがわかった。それはなぜなのか。次回、夏休み明けに謎解きを試みたい。

 

M2004年9月9日(木)・・・・授業ラスト。今日は静かだった。ティームティーチングの種類について説明。その考察から「日本の従来のティームティーチング」という本質がみえたのではないか。それは効果的ではないかもしれない。それは本来のティームティーチングとは少し違っているのである。もちろん日本には日本にあう形もあるが、それは「形式的なだけでいい」ということではない。悪循環をつくることというのがある。それはおそらく本当の問題点がみえていない場合だ。真似はしたが効果がない。だからやっても意味がない。・・・いや真似だけで本質をわかっていないから効果がないのであって、それは間違った方法なのではないだろうか。最後に教育工学の話をして終了。来週の試験の健闘を祈る。