授業の記録   2005年:前期

教育学概論(中央大学)

 

@4月15・・・<ガイダンス> 「教育」とはどんなものか。「教育」とは考えるに価する学問か。これからの「教育学」の授業の進め方について説明。こちらでは2年生から履修できる科目として設定されている。人数は40人ぐらいで、これなら模擬授業などもやりやすいか。

 「教育学」は高校までの学習体験(授業)としてなじみがないだろうが、「教育」は受けてきた。特定の「授業」「教科」ではないが、これまで、そして今日もこうして「教育」の場面にいる。私は高校で社会科を教えていたことがあるが、哲学、数学、心理学、経済、憲法、英語に体育と、これらは高校までの「授業」の中にも含まれていた。「教育学」という授業はなかったかもしれないが、その哲学や体育らまですべてが「教育」なのだと理解しておくといいでしょう。

 この授業は「教職課程」の授業である。「教育」とは何であるのかを、原理的に、また多様な視点から理解して、説明できるようになるのが目的である。「学校教育」に含まれるものとして、国語・算数・理解・社会(知識の科目類)・音楽・美術・体育・技術(感覚の科目類)などの「教科」と、ホームルームや生徒会・部活動・行事や給食などの「生活指導領域・特別活動・教科外活動」を図示して、「教育」とは何かについてひとつの説明を試みた。また、歴史的な構図を示して、「教育」の重要性を話して終了。

 

A4月22・・・<教育の原理> テキストをつかって、教育の原理として説明されていることを学ぶ。「アヴェロンの野生児」「狼に育てられた少女の記録」や、精神白紙説、性善説まで、様々な教育観があった。「だから教育が必要なのである」という説明である。ただ、この授業では科学的に、そして多様な視点から学んでいきたいと話し、数冊のテキストを比較する。すると、ロマン主義的な、そしてあいまいな話しが説話としてまかり通っていることがわかるだろう。その中で「生理的早産」説(ポルトマン)など、どうやら科学的に信頼できそうな説もあるのがわかってくる。

 今回は代表的なテキストから学ぶというのが主な目的であり、今後の学習の導入でもあった。

 

B5月6日・・・<「理解」の構造> 「他人とのコミュニケーションの深め方」について。「理解」しやすい教え方ということと、今年は特に「参加型」の授業を構築していきたいと考えているためだ。テキスト『教師論』の「コミュニケーション論」の図式を説明し、それをわかりやすく他の方法で説明する。それを「理解」するために、私が学生さんと前で「会話」するシーンを演じて説明。複雑だが「わかりやすさ」ということをアピールする授業構成にしているつもりだ。「わかる」という時に「なにが」あるのかということと、その「わかりやすさ」のポイントがわかれば「授業」で伝えやすいと話す。そして「疑問」を知的好奇心とよみかえて、それを大切にする「考えさせる授業」がどのようにしたらできるのかと、考えてもらって、記入してもらってペーパーを回収。参加型の授業は人数や雰囲気によって難しいが、なんとかまきこんでいきたい。

 

 

C5月13・・・<グループワークでプログラムを検討する> 今回はさらに複雑に学生間で話し合ってもらって、発表までしてもらうということを試みる。これが成功すれば、様々な問題を考えてもらうことが可能となる。6人グループを組ませ、ある授業案を示して、それについて検討してもらう。指定したプログラム案にはわざと「穴」をつくっておいたが、どこまで課題に気づき、よりよいものへと修正していけるのかが大事なところだ。全6班になり、全チームとも発表。5分延長となってしまったが、後半の発表にもりあがりがあり、うちきらないでよかったと思った。数回後に、さらに「参画型」の授業を試みると前ふりをしておいて終了。

 

D5月20・・・<大脳の構造と教育> ふたたび「教育の原理」について。新しい「原理」ともいうべきものについて取り扱った。まず、新しいテキストを紹介し、その部分をプリントにして配布。読んでもらってから、25分間のグループディスカッション。「教育が何のためにあるのか」がどのように説明されているのかを(水準を)確認して、実際の生理学のデータや脳科学の新しい言説を紹介。本日は他者のテキストを読んで学んでもらう授業であった。「脳」の機能から学べたことはいくつかある。学力の話。IQの話題。早期教育。そして英才教育の効果やつめこみの効果。また評価や自己教育力について。この内部(脳)と外部(社会・価値観)という両面から教育をとらえなおすことができるのではないか。

 

E5月27・・・<学習用具の誕生> まず、日本の教育と欧米の教育のシーンを写真と画像でみて、その違いを指摘してもらう。次に『ノートと鉛筆が授業を変える』という佐藤秀夫先生のテキストを読む。そこには、「紙」以前の書きつけるものとして、古代文明の話しが書かれていた。当時の「情報」がどのようなものを媒体として残されたのか。近代性とともに考えるべき問題である。それが文字文化圏と言語文化圏を形成したともいえるのである。佐藤先生のテキストを読むと「紙」という書きこめるものがあるということが、どのような効果を及ぼすのかということや、その歴史性についてがよくわかる。そして鉛筆やペンの開発、15世紀以降の印刷術や出版文化、聖書、洋紙の発明や、第一次世界大戦中の日本の生産率の変化などから、「当時の教育への影響」がわかるのではないだろうか。こちらでも佐藤先生の本がすごいというリアクションがたくさんあった。たしかにすごいスケールだ。

 

F6月3日・・・<ワークショップ形式でのディスカッション> 「教員の資質」についてグループでの学び。今回はワークショップ形式で考える。「全員が参加する」「全員が発言する」授業をなぜ試みるのか。それは例えば「教育実習」などでも「しっかりと話せる」ことが求められるであろうからだ。ちゃんと話せる方がいいし、そして他者の意見をしっかりときける力も必要だろう。それこそ、「コミュニケーション」の能力でもある。もっとも、このようなレベルのことは「トレーニング」のようなものである。「教員の資質」「必要な力」と「理想の教師像」を題材にして、各自に考えてもらってから、それを各グループ内で立ち上がって話してもらうということをやっていった。人数が多いのでうるさくなるが、しかし、逆にその騒々しさの中で「話をきく」のもまた集中であり、それは「コミュニケーション」関係を結ぶということでもあるのだ。もちろん他者の意見をきくだけでも勉強になるし、刺激にもなる。そしてこういった「方法」があること自体にも気づいてほしいというのが今回の目的であった。リアクションペーパーによれば、前回以上に「話す」ことの重要性がわかってもらえたようではある。もちろん連続でやるからこそ、そう感じるというのもある。

 

G6月10・・・<教育思想―コメニウスからデューイまで> コメニウス、ルソー、ペスタロッチ、フレーベル、ヘルバルト、デューイをとりあげ、どのように教育が語られ、構想され、工夫され、発展して今日に至るのかを考えてみた。たんなる歴史的事項や人物の名前を覚えるということを目的とはしていない。いちおう最初の授業から指摘してきている「一斉教授」と「経験学習・調べ学習」の形態がどのようにしてできてきたのか、またどのような意見に影響を受けてきたのか、というのをみていくのが目的である。初回の授業からの継続しているテーマでもあるし、また前回の学習用具の発展とも関係している。例えばコメニウスの『世界図会』が可能になったことや、それにより教育が準備されるようになり、近代教育へと発展するということは、印刷術や「紙」とも関係してきているわけである。佐藤秀夫先生のいわれるように15世紀の特徴でもあった。ルソーの『エミール』にせよ、同じことである。これまでのものと関わり、さらに登場人物の面にまで気をくばってみたという感じで理解していただきたい。

 

H6月17・・・ <教育の歴史―教育内容の歴史的変遷> 今回と次回、二回連続で日本の近代教育の変遷についてみていく。まず、板書で構図を示すので、その時間をつなぐこともあって、受講者に「愛国心」ということについて意見をまとめてもらう。「最近の日本の若者には愛国心が足りない」とか「戦後の教育が戦前の日本の本来の独自性や自信を失わせるような結果になってしまった」などと、例えば文部科学大臣が述べたりすることもある。そしてどうやら教育基本法を改正したいのだという。そんな「愛国心」というものについて、皆さんがどう考えているのか。そういう「論議」「改正」自体をとらえなおそうというのが、今回からの授業のねらいでもある。江戸時代封建制のもとでの教育、明治初期の近代化過程における教育、例えば学制。それがどのように改訂されていったのか。教育令、改正教育令、学校令、国民学校令などをみて、資料も丹念にみてもらった。大正時代をはさむ、天皇の名で出された勅語、詔勅、詔書のたぐい。そういう文書の意味を知るのも必要かと思う。「教育」がどうとらえられていたのか。今回は第一の教育改革をみてもらった。

 

I6月24・・・<教育の歴史―教育内容の歴史的変遷> 前回からの連続した内容となる。第二の教育改革、戦後の教育改革とその後の変遷をみた。それにより、現代の、第三の教育改革を理解しやすくなると考えている。学習指導要領の変遷、とくに道徳や教育内容の扱いの違いについてみてもらう。その中で、従前の学制と同様の意見、その改正意見と同様の意見、同様の危機感などが政府側などから発せられていたことがみてわかっただろうか。指導要領の性格が変わったのはいつごろからで、そしてどのようにして変わったのか。現在の国旗国歌の問題や、教員への強制の問題のもとが、ここに表れているのではないか。前回に続き、資料をなるべく多く目を通してもらうことで、それらに関する理解を深め、考えさせることを試みた。宿題として、ミニレポートを課す。

 

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