授業の記録

教育学概論(大東文化大学) 2005年:前期

 

@4月18・・・<ガイダンス。「教育」とは何か? 「教育」とはどんな価値があるのか?> これからの「教育学」の授業の方向性について説明。1年生から履修できる科目として設定されている。3時間(コマ)で人数は合計300人ぐらいで、これは昨年なみか。まず、「教育学」は高校までの学習体験(授業)としてなじみがないように感じられるかもしれないが、「教育」は受けてきたのだと話す。「授業」「教科」ではないが、しかしこれまで、そして今日もこうして「教育」の場面にいるのだと話す。哲学、数学、心理学、経済、憲法、英語に体育と、これらは高校までの「授業」にもあった。あるいは含まれていた。「教育学」という授業はなかったかもしれないが、その哲学や体育らまですべてが「教育」なのだと解説。

 次に「教職課程」の話をして、「教育」とは何であるのかを、原理的に、また多様な視点から理解して、説明できるようになるのが目的だと告げる。「学校教育」に含まれるものとして、国語・算数・理解・社会(知識の科目類)・音楽・美術・体育・技術(感覚の科目類)などの「教科」と、ホームルームや生徒会・部活動・行事や給食などの「生活指導領域・特別活動・教科外活動」を図示して、「教育」とは何かについてひとつの説明を試みた。また、歴史的な構図を示して、「教育」の重要性を話して終了。

 

A425・・・<コミュニケーション理論。「疑問」をいかす授業について。> 昨年までと変えて、今年は「他人とのコミュニケーションの深め方」から始める。「理解」しやすい教え方ということと、今年は特に「参加型」の授業を構築していきたいと考えているためだ。テキストの「コミュニケーション論」の図式を説明し、それをわかりやすく他の方法で説明する。それを「理解」するために、私が学生さんと前で「会話」するシーンを演じて説明。複雑だが「わかりやすさ」ということをアピールする授業構成にしているつもりだ。「わかる」という時に「なにが」あるのかということと、その「わかりやすさ」のポイントがわかれば「授業」で伝えやすいと話す。そして「疑問」を知的好奇心とよみかえて、それを大切にする「考えさせる授業」がどのようにしたらできるのかと、考えてもらって、記入してもらってペーパーを回収。人数が多いが、なんとかまきこんでいきたい。

 

B5月9日・・・<グループ学習の練習。> 今回はさらに複雑に学生間で話し合ってもらって、発表までしてもらうということを試みる。これが成功すれば、様々な問題を考えてもらうことが可能となる。6人グループを組ませ、ある授業案を示して、それについて検討してもらう。授業案にはわざと「穴」をつくっておいたが、どこまで課題に気づき、よりよいものへと修正していけるのかが大事なところだ。全グループの発表が不可能なほど、チームができたので、数チームだけ選抜して発表。まだまだ、全員の参加とはなっていないので、次回はさらに「参画型」の授業を試みると前ふりをして終了。

 

C5月16・・・<教師に必要なチカラとは何か。ワークショップ形式で考える。> 「全員が参加する」「全員が発言する」授業をなぜ試みるのか。それは例えば「教育実習」などでも「しっかりと話せる」ことが求められるであろうからだ。ちゃんと話せる方がいいし、そして他者の意見をしっかりときける力も必要だろう。それこそ、「コミュニケーション」の能力でもある。もっとも、このようなレベルのことは「トレーニング」のようなものである。「教員の資質」「必要な力」と「理想の教師像」を題材にして、各自に考えてもらってから、それを各グループ内で立ち上がって話してもらうということをやっていった。人数が多いのでうるさくなるが、しかし、逆にその騒々しさの中で「話をきく」のもまた集中であり、それは「コミュニケーション」関係を結ぶということでもあるのだ。もちろん他者の意見をきくだけでも勉強になるし、刺激にもなる。そしてこういった「方法」があること自体にも気づいてほしいというのが今回の目的であった。リアクションペーパーによれば、前回以上に「話す」ことの重要性がわかってもらえたようではある。もちろん連続でやるからこそ、そう感じるというのもある。

 

D5月23・・・<科学的に教育を考える。「生理学」の視点から。> 「教育原理」のテキストを紹介し、その記述から学ぶ。「教育が何のためにあるのか」がどのように説明されているのかを(水準を)確認しておいた。様々な説や挿話も紹介し、ポルトマンの「生理的早産」説を学ぶ。そして実際の生理学のデータや脳科学の新しい言説を紹介。本日は他者のテキストを読んで学んでもらう授業。

 

E5月30・・・<学習用具の誕生。ノートと鉛筆が授業を変える。> 佐藤秀夫先生のテキストを読む。まず、日本の教育と欧米の教育のシーンを写真と画像でみて、その違いを指摘してもらう。次に文字文化圏と言語文化圏の話をして、古代文明の例も紹介する。その当時の「情報」がどのようなものを媒体として残されたのか。そして佐藤先生のテキストを読むと「紙」という書きこめるものがあるということが、どのような効果を及ぼすのかということや、その歴史性についてがよくわかる。そして鉛筆やペンの開発、15世紀以降の印刷術や出版文化、聖書、洋紙の発明や、第一次世界大戦中の日本の生産率の変化などから、「当時の教育への影響」がわかるのではないだろうか。佐藤先生の本がすごいというリアクションがたくさんあった。たしかにすごいスケールだ。

 

F6月6日・・・<教育の思想。> コメニウス、ルソー、ペスタロッチ、フレーベル、ヘルバルト、デューイをとりあげ、どのように教育が語られ、構想され、工夫され、発展して今日に至るのかを考えてみた。たんなる歴史的事項や人物の名前を覚えるということを目的とはしていない。いちおう最初の授業から指摘してきている「一斉教授」と「経験学習・調べ学習」の形態がどのようにしてできてきたのか、またどのような意見に影響を受けてきたのか、というのをみていくのが目的である。初回の授業からの継続しているテーマでもあるし、また前回の学習用具の発展とも関係している。例えばコメニウスの『世界図会』が可能になったことや、それにより教育が準備されるようになり、近代教育へと発展するということは、印刷術や「紙」とも関係してきているわけである。佐藤秀夫先生のいわれるように15世紀の特徴でもあった。ルソーの『エミール』にせよ、同じことである。これまでのものと関わり、さらに登場人物の面にまで気をくばってみたという感じで理解していただきたい。

 

G6月13 ・・・<教育の変遷。(その1)> 日本の学習指導の歴史的変遷をみる授業。次回まで2回連続で行なう。授業としては、わざと「私語」を注意し、「そのように叱られ、私が授業の方針をかえたらどうする?」と問いかけることからはじめた。そして、改革や改訂などが、そういう意見から影響を受けてかえられるのだとしたら、どうだろうか? とさらに問いかける。江戸時代から明治、そして大正を経て戦前までの教育の改訂のようすを、各時代の学校制度に記された教科や、様々な教育に関する意見から、それらの「流れ」を読み取っていこうと試みた。

 

H 6月20・・・<教育の変遷。(その2)> 前回からの続き。第二の教育改革、戦後の教育改革とその後の変遷をみた。それにより、現代の、第三の教育改革を理解しやすくなると考えている。学習指導要領の変遷、とくに道徳や教育内容の扱いの違いについてみてもらう。その中で、従前の学制と同様の意見、その改正意見と同様の意見、同様の危機感などが政府側などから発せられていたことがみてわかっただろうか。指導要領の性格が変わったのはいつごろからで、そしてどのようにして変わったのか。現在の国旗国歌の問題や、教員への強制の問題のもとが、ここに表れているのではないか。前回に続き、資料をなるべく多く目を通してもらうことで、それらに関する理解を深め、考えさせることを試みた。

 

I ・・・

 

J・・・

 

K ・・・

 

L ・・・

 

M・・・