教育の歴史K(12月13日)

 「教育」の考え方 −通常の教育史に出てくる知識(人名)を整理する−

復習

(1)教育のおおまかな流れ

流れ

細かく

日本

区分

展 開

学習観

★対象人数

★方法

古代

古代

古代

古代

ギリシア古代都市の哲学

哲学者

個人・少人数

口伝・問答

中世

 

初期

中世
 

中世

ヨーロッパ・キリスト教思想

宗教者

少人数

講話・口述

後期
 

ルネサンス期

科学の発達、実学が流行

科 学

個人・技術者

講読・実験

近世

絶対主義国家

支配階級の教育と国民支配

統 合

個人・教化

書物・講義

近代
 

初期

近代
 

産業革命期

資本主義化、工業化

市 民

多人数・一斉教授

助教法〜

 

公教育制度

19世紀後半に初等教育義務化

公教育

大衆→「学習」

教科書・教具

 

(2)「教育をつくった」代表的な人物

@コメニウス(Comenius, J.A. 1592-1670)

 教授学を構想した人物でラテン語を教える教科書として『大教授学』(1632年)を著し、また世界初の絵入り本『世界図絵』(1658年)を著した。「近代教育学の父」と称される人物。幼児の自発的な発達に注目し、ようするに家庭で児童を教育するということを重視して指摘した。特に知識というか言葉の教え方にウェイトを置いた。やさしいものから難しいものへと学ぶ(理解の)順序を考えた。とにかく人間にとって「教育」の必要性を説いた人。授業の進め方として自然界でいうところの「太陽」のように全生徒に同時に教授することを説いた。ベルやランカスターによって助教法として各国に広まったものもこの影響を受けている。

 

Aルソー(Rousseau, J.J. 1712-1778)

 ルソーは『社会契約論』を著してフランス革命に影響を与えた人物で、教育論としても『エミール』(1762年)を著して近代教育史上に大きな足跡を残している。自然主義、子どもの自発性、内発性、主体性を尊重するという「児童中心主義」の教育観を展開していた。「消極的教育」といって、教え込まない教育、自然な教育を標榜していたが、革命論と同じく、当時の教育に対する反発から出たものでもあった。当時、フランスでは暗記重視の教育だった。それを批判して自然主義的な教育を主張した。『エミール』の内容は家庭教師による個人教育と発達・成長について書かれている。小説で教育論を展開し、大きく影響を及ぼした人物である。

 

Bペスタロッチ(Pestalozzi, J.H. 1746-1827)

 ペスタロッチは実際に学校を経営して教育の方法を研究した人物である。直観主義の教育方法(メトーデ)を確立した。「直観」とは直接モノを観て教えるという実物主義の考えで、「数・形・語」を教えた。例えば果実でその数、形体、名称や性質を教える。基礎陶冶を重視して、その上で開発主義の問答法で認識をすすめていくのであった。

 

Cフレーベル(Fröbel, F.W.A. 1782-1852)

 上のペスタロッチの学校で学んで幼児教育で実践した人物。幼稚園(Kindergarten)の創始者であり、英語圏でもキンダーガーテンというように、彼がつくった名称がのこっている。子どもの自己活動を重視して、児童の遊戯の教育的意義を指摘した。遊具(恩物)を考案して幼児期の教育のあり方を提唱した人物。『人間の教育』(1826年)を著した。

 

Dヘルバルト(Herbart, J.F. 1776-1841)

 ヘルバルトもペスタロッチに接しているが、科学としての教育学の確立を目指して活躍した人である。学校教育の基礎を構築したともいえる。四段階の理論として「明瞭」(個別の知覚)・「連合」(表象の連合)・「系統」(多数のものの関係・秩序)・「方法」(応用)を掲げた。のちに弟子たちによるヘルバルト学派によって五段階(予備・提示・比較・総括・応用)に変えられ世界中に伝わるが形式的な段階説となってしまったという点もある。

 

Eジョン・デューイ(Dewey, John 1859-1952)

 アメリカのシカゴ大学における実験学校で自らの哲学思想(実用主義・プラグマティズム)に基づく経験主義的授業研究(実験主義)を行ない、「社会」と人間の成長・学校との関係を説いた。著書『学校と社会』『民主主義と教育』等とその基礎理論「経験主義」「問題解決学習」「児童中心主義」等が20世紀新教育運動の中心的理論となった。「子どもが中心・太陽」であり、学習者の経験・周囲のことから出発・組織していくのが授業ということになる。作業等をとりいれたのも特長。

 

→→キルパトリック(Kilpatrick, William H. 1871-1965)デューイから指導を受け、「プロジェクト・メソッド」を開発。子どもに発見・計画させ、その解決作業を通して知識・経験を得させようとするもの。

→→1920年代以降、「能力別学習」「個別学習」(生徒の能力・個性差、自主性を尊重するシステム)が流行。ウォッシュバーン(Washburne,Carleton W. 1889-1968)の「ウィネトカ・システム」、パーカースト(Parkhurst, Helen 1887-1973)の「ダルトン・プラン」、モンテッソーリ(Montessori, Maria 1870-1952)の「モンテッソーリ・メソッド」。日本でも大正自由教育として沢柳政太郎の成城小学校での実験(1917年)、及川平治(明石女子師範附属小学校)の各科分断の方法、木下竹次(奈良女子高等師範附属小学校)の合科教授、小原国芳の玉川学園の教育、羽仁もと子の自由学園などがあった。

 

 以上、「人名」「人物像」は歴史の試験には出題もされやすく、それに「人物」や「事件」を中心に(例えば「戦争」や「法規」も)描かれることが多いため、学んでおかねばならないところです。しかし単なる暗記というのではなく、「いま」につながる視点からこれまで「歴史」をみてきたのですから、その「つながる」ことをした人物がどういう出自で、そして具体的には何をしたのか、それが当時どのような意義をもつものであったかをみていけばいいのだと思います。そういう「ルーツ」であり「オリジン」である人物を中心に学んでみました。もっと日本人でも貝原益軒や福沢諭吉、内村鑑三などの頻出人物もいますが、今後は歴史書や教科書を「つながる」視点で読み解いて考えていっていただくことを期待します。これで授業を終わります。