教育の歴史D(10月25日)

 

 復習・・・教育の流れ(世界史)

流れ

細かく

日本

区分

展 開

学習観

★対象人数

★方法

古代

古代

古代

古代

ギリシア古代都市の哲学

哲学者

個人・少人数

口伝・問答

中世

 

初期

中世
 

中世

ヨーロッパ・キリスト教思想

宗教者

少人数

講話・口述

後期
 

ルネサンス期

科学の発達、実学が流行

科 学

個人・技術者

講読・実験

近世

絶対主義国家

支配階級の教育と国民支配

統 合

個人・教化

書物・講義

近代
 

初期

近代
 

産業革命期

資本主義化、工業化

市 民

多人数・一斉教授

助教法〜

 

公教育制度

19世紀後半に初等教育義務化

公教育

大衆→「学習」

教科書・教具

 方法や人数にも注目して、絵図・写真(略)を参照しながら説明をした。

 

 

(5)教育を可能とする条件

 

 

「いま」を生きる私たちの考え方→→「教育は経済発展の附属的なもの」「時代により変わる」。

  ※この「ことば」だけでは「本当」には考えたことにならない(わかったようでわかっていない)。

 

   ・教育の「原点」を「余暇」という観点から考えていく

 「教育」が「可能」になったという考え方には違和感があるでしょうか。当たり前に「教育」がある、そういう時代に生きている私たちにとって、教育が「不可能」というのはどういう状態でしょうか。しかし例えば、国家が壊滅状態にあったり、人民が飢餓や貧困に苦しむような地域では、十分に「教育」が行なわれていないというところがあるわけです。「文字が読めない」「鉛筆やノートがない」などの国々もある。そういうところでは十分な教育が「不可能」なのが問題なわけです。それでは、私たち「可能」に満ちている国とどういう違いがあるのか。法律でしょうか、経済でしょうか。・・・ここで、私たちの国「日本」でも、十分な教育が「可能」になったのはつい最近のことなのだということと、さらにその「可能」な条件とは何かということを上の図で考えていきます。

(詳細は略)・「寿命」が変化した。それにより、長生きできる家系での個別教育から、徐々にゆとりある生活になってきたおかげで一般大衆を対象とする初等教育、その後高齢化社会化に応じて高等教育・生涯学習へと変わってきたことがわかる。・「学校」という経営の場がなりたつのも「平均寿命」の安定と高齢化があるからである。そしてそれは科学の進行、生活改善という意味で経済の形式や国家の形態、また世界の常識としてのシステム(特に情報化社会)が大きな意味をもつ。・・・などの話しをした。

 

 

次回、教育の起源 −「前身」的なもの(人間と教育)として以下のことを説明するが、それも「余暇」というものと結びつきがある。

 ○古代の成人式、日本の元服などの儀式

 ○宗教の儀式(例:キリスト教の成人洗礼など)

 ○物語(口伝等をのこしていくこと)

*社会のルールを教えたり、歴史的ルーツや伝統を伝えたり、偉大な先人の教訓を伝えるということで、「社会化の機能」を期待されている

 「縄文時代」に「教育」が可能になった?−−人間関係と「自我」、文化の伝達−−

  ●文化・文明の発達、「人間」とは何かということ、教育の「原点」を「余暇」という観点から考えていく