「教育の歴史」@  2002年9月20日(金)

 

ガイダンス

〇「教育史」は学ぶべき価値があるか?

〇「教育の歴史」を考えるとはどういうことか?

〇「いま」が歴史上の転換点になっているということを意識する考え方

 

 2002年後期科目「教育の歴史」(新カリキュラム)は、基本的には前期の「教育史」(旧カリキュラム:4年生以上対象)と同じ内容を扱うが、1年生から3年生までと学年もバラバラで人数も多いこともあり、多少、内容の構成に工夫をしていくことにした。

 ガイダンスとして講師の自己紹介と、質問の方法、連絡のとりかたや、授業の進め方、リアクションペーパーの書き方等について説明した。

 「『教育』を歴史的に考察する」、「『教育』の歴史的変遷を学ぶ」ということは、たんに教職課程の常識的事項(つまり教職に就いて教育現場に着のだから、教育の歴史ぐらい理解しておけ)として知っておくということだけではなく、「『教育』を考えていくための一方法」として必要なのだと指摘しておいた。

 その後、「教育史」を考えていくことの有効性について絵図資料を使いながら説明した。

 

〇「教育史」は学ぶべき価値があるか?

 近世(江戸時代)の庶民教育の場であった寺子屋の絵図を二枚みせて、その特徴に注目させた。配布した二枚の図がそれぞれ男女別々の教育形態であったこと(男の師匠が男児を、女性が女児を教育)、和服和装で和室(床に座る)で教授されていたこと、座り方が整然としていないでバラバラであったことが「いま(現在)」の私たちからみて奇異な点である。

 次に近代初期(明治前期)の小学校における「掛け図」をつかって教師が授業をしている絵図を提示し、上の寺子屋との違いを指摘していった。基本的(原則的)に男女共学であり、また机・椅子・洋服洋装といった風景が描かれ、さらに机と椅子を使用するからでもあるが掛け図や黒板に向かって一斉教授が行なわれていること(一律に同じ方向を向いて授業を受けていること)がその違いであり、これは現在行なわれている一般的な教授シーンと同様のものであることをみた。

 それで、現在の教育の直接の起源からみていくというときに「近代から」となるが、ここでもう一つの考え方として、この江戸期の教育と、そして明治期の教育が「入れ替わった」のは、何年間の「間」があるのかと問いができるのではないかと指摘した。われわれは「後」からその結果をみているが、「そのとき」はどのような状態であったのか考えるという方向があるのではないかと指摘した。10数年レベルでの変化実現であった。

 

 続いて、日本の学校系統図のうち、戦前のものと戦後のものとを比較してみた。簡単な比較であるが、「義務教育」期間(義務就学)は、戦前においては国民学校初等科の6年間のみであり、戦後に小学校6年間に加えて中学校3年間の9年間に延長された。「すべての児童に中等教育を」という新しい世界的な動きが日本で早期に実現したのだが、これも上述の例と同様に考えると「その大きい変化」が1944年と1949年という(二つの制度という)短い間に起きたということになる。

 

 いずれの例も「大きい変化・変革」が短い間に実行された。これは、その結果だけを受け止めているだけで良いのか。そして、実は「いま」同じような変革が行なわれているともいえるのではないか。もしそうならば、「過去」のことをみることによって何らかのヒントを得ることが可能であろう。

 この講義をとおして、過去のことを「考える」ことを、「わりと面白いし、つかえる」と考えてくれるようになるといい。

 

〇「教育の歴史」を考えるとはどういうことか?

 「いま」行なわれている教育改革はどのような結果になるのか。「学力低下」だの、「従来の教育こそ創造性を摘むもの」だのと、その「結果」を想定した論争がある。もちろん「教育の成果」は早急に出るものでもないと思うが、「歴史」を学ぶ中からひとつの答えを見出すことはできるのではないか。

 現在は「第三の教育改革」期とも称されている。「第一」の時期は最初に述べた「明治維新期」の近代学校制度の導入のことであり、「第二」の時期と称されるのが二番目にみた「戦後」の学校制度改革である。それに続いて現在のものが「第三」と目されている。2002年度から小・中学校で学校週五日制の実施や新学習指導要領に基づく「教育内容の削減と基礎の徹底(新学力観)」、及び体験的学習の重視(「総合的な学習の時間」設置)という方向がみられ、少なくとも現在大学生である受講者の時代からみても大きく変化している。授業時間数自体が減らされるということは、義務就学期間(保障)が増やされるというものとそう違わないインパクトがあるのではないか。

 「歴史」をみることによって、その衝撃の結果をある程度予測することが可能となるのではないか。また、そのような「改革」が断行される際の必要条件や環境整備、さらにそもそも「変革」がどのように論じられて実現されていくのかということをも考えていくことが可能ではないか。これは単なる年表の暗記や項目を記憶することではなく、「考える」ということである。

 

〇「いま」が歴史上の転換点になっているということを意識する考え方

 私たちは今、「第三の教育改革」のその場にいる、「歴史上の転換点」に立っているといえる(実際に受けているのは小学校〜高等学校の生徒世代であるが)。しかし、「その場」にいるときには意識されにくく、気づかないことが多い。また、それは「過去」の「転換点」でも同様であったかもしれない。タイムマシーンはないから「過去」を直接みれないし、「未来」を正確にみることもできない。しかし、「いま」の視点−−から必然と考えて−−「過去」を考え、学ぶことで、「いま」をとらえなおしていくことや、「未来」を予見していくことも可能になってくる。

 「いま」も数百年後には「歴史」になって、後代の人たちに語られ、判断されることになる。その時、「歴史に学んだ」ことでなんらかのいい道を選んだ世代として評価されうるかどうか。

 

 以上のように、これから、「教育の歴史」を考察していくことの可能性を追究していきたい。

*リアクションペーパー及び質問紙の配布と回収。