「教育の方法・技術論」第12回 (2002年1月18日)

前回の復習
教材でどう学ぶのか、教材でどう学ばせるか?(教材の考案が重要)→身近に感じさせる
 教材=「モノ」を「教育」のためにつかう材料とする
 *同じ「モノ」でも見せ方によって効果が違う→→資料の提示、教室の「前」空間
  わかりやすい教材・・・教育的番組、ビデオ、教育番組の可能性→→内容を考える
 ・教育教材を自分でつくる htmlの可能性

 

◆教材・教育方法の可能性・・・プロジェクター、コンバーターをつかう

  ・教育教材の開発  例・htmlの可能性

 ・・・パソコンは借りられなかったが、書画機をもちこんでカラーの画像やテキスト、教材を投影してみせた。この200人の教室ではやりにくいが、しかし「教材」を提示しやすいし、それによってわかりやすさを加えることは可能である。(『教材提示装置』という名称であった)

 くりかえしになるが簡単につくれる・・・

   ホームページソフト、ワープロソフトから作成可能
   画像・・・スキャナー、フォトCD、デジカメ、ネット上のもの
      絵・図→ワープロ画面を「画像形式変換」、エクセル等
   動画、音声・・・JAVAスクリプトムービー、アニメーションGIF、
          動画カメラ(Mpeg、QuickTime等)
   ページリンク(構造)・・・例、yes noで選択して別のページに飛べる

 ★一度、ワープロ「ファイル」→「htmlで保存」→エクスプローラー等で
  右クリック→Editかメモパッドで開くか、あるいは「ワープロから開いて修正
  して保存」もいい。

 応用すれば・・・







 


左や下の絵(図)もペイン
等で簡単に作成できる
 

 

 

 

 上の内容は講義では「板書」したものだが、それを作成して提示して、重ねたり、戻したりといった様々なみかたができる。数学の図形を学ぶときに様々な見方をしたり線をひいたりして「わかった」という意見(体験)があったが、この方式なら共通にその「加工」(変化)をみせることができるのである。そこからはじめて、さらにわかりやすく内容に入っていくという方法もありえる。

 

 

「わかりやすさ」は、こうすれば「わかってくれるだろう」、この順序ならばという想いから?

 今日、さいごにやる内容・・・「授業を評価する」、「教材づくり(つたえかた)」について・・・「わかってもらう」にはどうすればいいか→「どうすればわかるのか」を考えてみる。そういう構成・配分を構想する。

 

 「教材づくり(つたえかた)」・・・どうやって、つくっていくか

  @モデルをつくる(構成=コンテ)→「どうすればわかるか」という視点

  A具体的な例:htmlでつくる

  B展開・・・例:プロジェクターを使った授業

 

(例)社会科・・・「円高・円安」を教える ・・・下の図や順序で教えるとわかりやすいのではないか。

 円高の変容グラフは掲載内容を一部略する。何がいいたいかといえば、右の普通のグラフのように0から遠くなるほど円が100円、70円となり、近いほど140円となっていくが「低いほど高い」という特長があることである。そこに「円安・円高」の特質が表れている。

  普通のグラフ?
    ↓

 

 

 

 

  次の図示ならわかりやすさが増すか?

   「円安・円高」ってなに?

 ←←1ドルが100円

 

 



←←「1ドルが120円」になる


 

 

それって、つまり100円を83セントってこと

 

 

 

 

 

上の方法は次のような「文章」なりをつくって、それをさらにポイントごとに具現化していくという作業である。教科書やテキスト・参考書などでわかりにくいものを、まずわかりやすい言葉や文章におきかえていく。どうすれば「わかる」かを考えて構成していく。下の文章は「わかりやすさ」を少し意識してつくった文章である。

教える内容・・・現代社会・生活・経済と国際社会との関連について。

「円高・円安」ということばがつかわれるが、それはどのようなことなのか?

 

「円」というのは日本のお金の単位だということはわかりますね。その「円」の価値が「高い」か、「安い」のかということです。でもなぜ「高い」とか「安い」とかの違いがあるのでしょう。僕たちの意識としては「100円」は「100円」のままです。100円硬貨が明日から50円硬貨になったりはしない。でも、「物」の値段は変わりますね。値上がりや値下がりがある。100円で買えたものが120円の値段になったとき、「100円硬貨一枚では買えなくなる」。値上がりです。それは「物」の価値が値段的にもあがった(高くなった)ということです。・・・でも、100円硬貨は100円のままですね。まだ、よくわからないのではないでしょうか。
 実は「お金」も「物」と同じように「買われる」「売られる」ものなのです。私たちが海外旅行に行くとき、銀行や空港で日本のお金「円」を「現地」のお金に交換します。なぜなら「円」はそのままでは使えないからです。アメリカに行く時、日本のお金をむこうのお金「ドル」に買える。この「交換」は「アメリカのドル(お金)」を「日本のお金(円)」で「買う」ということでもあります。日本のお金をアメリカのお金に換えるには、つまりアメリカのお金(ドル)を日本のお金で買うには「いくら」かかるのでしょうか? 「ドル」は「何円」なのか? そう考えながら、銀行とかで買うのです。
 例えば「1ドル」の値段が「100円」だったりする。つまり100ドルは10000円ですね。向こうで買い物するときにはどうも値段がわかりにくくて、日本と比べて物が高いのか安いのかがわかりにくいなんてこともあります。
 さて、物の値段があがるのと同じように、実は「お金」の(とりひきの)値段もよく変わるのです。「需要と供給」のバランスで、「人気がある歌手のコンサートのチケット」と同じように、みんなが欲しがるときには値段があがるのです。以前の値段では買えないこともある。具体的には「1ドル」の値段が「120円」にあがったとする。これは「高くなった」のですね。何の値段があがったのでしょうか? もちろん「ドル」です。だから「ドル高」ともいえます。これは、100ドルを買うのに12000円も必要になります。差額の2000円も値上がりしたのです。そして、これは逆の立場でいうと、アメリカ人が日本のお金(円)を買う時に、「100円」を買うのに以前は「1ドル」必要だったのが「83セント」で買えるようになったということです。つまり「円」の値打ちが安くなったのです。これが「円安」です。
 すると、「円安」に比べれば当初の1ドルが100円の時代は「円高」ともいえますが、・・・それよりもこの「円高・円安」といういいかたは、日本の「円」を売り買いする立場からのいいかたでもあるのです。基本的に「世界」はドル中心の、つまりアメリカ合衆国中心の考え方になっています。第二次世界大戦以降、アメリカ経済が強くなって、世界基準となったのですね。ドルはほとんどの国で使えるし、換金できる。いちばん売れている商品なのです。言語の「英語」と同じように、世界のおつきあいの標準になっているのです。
 「円」と「ドル」のとりひきは「ディーラー」というひとたちが銀行で行なっています。東京の外国為替市場などがそうです。「為替」とは「替えるを為す」ことで、「お金の交換をする」という意味です。ここで値段がやりとりされます。でも、なんで「株価」のように上下するのでしょうか?
 「需要と供給」といいました。例えば「米国にお金を送金する」場合、通信販売での払い込みでもいいのですが、「円」で支払って、それがドルに替えられますね。その時に物の値段に対する支払い金額かえかわってきますね。単純に10000円だと思っていたのに足りなくなったり。あるいは会社をやっていて、商品を米国に売ったとする。相手は「ドル」で支払うのですが、「円」に換金される。そのときにやはり「円高」かどうかで儲けとか損がでますね。物と同じで「安い」ときにはたくさん買えるわけで、それで値打ちがあがったら売れば、それで儲けられるわけです。儲けた時はそれが「差益」で、逆に損をしたら、それを「差損」といいます。
 「円」が欲しい人が多い時、値段があがるのです。例えば日本の商品がすごく売れるとする。大量に輸出して、それを米国内でたくさん買われる。すると「ドル」が多く支払われて、それで「円」に両替をするということにもなる。「円」の需要があがるのです。日本に「円」でかえさなきゃいけないし、日本人の給与を円で支払うわけです。「円」が必要にされる。
 バブル崩壊以降、日本は金利を低くしてきました。企業に金利を低くして銀行がお金を貸す必要があるし、そのために預金者への利子も低くするしかなかった。そうすると、利子の低い銀行に貯金はしないですね。少しでも利子のつくところにお金が集まる。米国系金融とかがそうですね。それで消費も落ちるけれども、ドル需要があがり、円安になる。

 

  これでも「かなり」わかりやすくなったと思うが、これは初回の授業でいった三角形云々を口でいう、あるいは教科書を読むぐらいのレベルかもしれない。そこでもう一つ構成していって上のような置き換えなり実演なりがあれば、わかりやすさが増すと考えられる。

 

 

→→「構成」をしていくのは「変換」をしていくということである。それをさらに組み立てさせていって、相手の内部への再現なり定着なりがありえるし、その構造によって応用理解も可能となると考える。今回の内容は少し具体的であるが、実際に「教材研究」して授業を組み立てていくというのはこういう程度のところからはじめていって、丁寧さなり詳細さなり、あるいは機器使用なりを高めていけばいいのである。そして結局は「どうすればわかるのか」ということをあたりまえに考えていって、そこから組み立てていくということである。

 

 最後に・・・試験の説明。考え(思考)を説明する記述で答えること。「わかりやすさ」を説くのだから採点者によく伝わるよう「どうすれば伝わるか」を意識して答案を書くこと。たんなる羅列の箇条書きは評価が低い。キーワードを覚えただけではなく、出た問題に対応して答えていくものを評価の対象とする。ただし補助として図示を加えてもいい。ノートのカタチを覚えた板書そのままのものではなく、自分なりの言葉・文面で論述をすること。

 

 「授業評価」について記入(15分間)。人気投票になる嫌いがあるが、先週書いてもらった「いい授業をする教員」の個人名の公表は完璧にはしない。なぜなら1・2年生で学科もわかれているのだからかなり限定されるし、一つをいいというと他を駄目と枠づけするに等しいからである。しかし共通する「勉強になった」「わかりやすい」「熱意を感じる」教員もいるわけである。「悪さ」は書いてもらわなかった。いい面から共通点なりを探していこうということと、今回までのこの授業については厳しく無記名で評価していただけばいい。(略)