教育の方法・技術論G(11月30日)

 

新しい教育課程=「総合的な学習の時間」(総合学習)

 

 前回までの「歴史」の考察で、次のような展開があったということをみてきた。

<(助教法)→一斉教授(教師中心主義)>→→←←<学習・経験主義(児童中心主義)>

 今回からは写真画像のような(略:前回のものを提示)「授業の形態」の実践を紹介しながら、実際に行なわれている授業をいくつか取材して紹介するので、それをみながら、どのような授業や、そこで「わかる」伝え方が可能なのかというのを数回にわけて説明していく。結論を最初にいっておくと、「どちらかがいいのか」ということではない。「どこがいいのか」「教育方法・技術としてどう考えていくべきか」ということに注目することが大事である。「どちらがいい」として「あちらはだめだ」と決めつけてしまうと、歴史的にみてきたジグザグにはまってしまうということになる。曖昧な立場に思われるかもしれないけれど、私の立場はそういうものだし、具体的な方法についてもまた言っていくつもりである。

 

新しい教育課程=「総合的な学習の時間」(総合学習)

 

 なぜ、「総合的な学習の時間」についてこの授業でとりあげるのか?(概略)

「21世紀の教育の中心課題」と考えられているし、「学習指導要領改訂の目玉である」から・・・。
 2002年度から小学校3年生以上・中学校で実施される(高等学校では2003年度から)。
  一つの「教科」ではあるが、その教育方法論・教育観が現在求められるものである。
  基本的にはデューイ以来の経験的学習の方法であり、他の教科の学習にも有益な点がある。「一教科」となった。
 歴史的には、日本の教育史上、3度目の試みともいえる(大正期、戦後改革時、今回)。定着するか剣が峰。
 その共通する動きとして、前改訂時に「生活科」の導入が実施されていた。「自己学習力」と合科・総合的な授業。
 「ゆとり」「学校週五日制」「教育内容三割削減」の中で新設される意味、期待。(生きる力?)
  週に3時間程度の導入になるか。
  基礎の重視、厳選・精選による約3割削減(それ以前と合わせて5割?)。πが「約3」、計算機の使用、など。
 新しい教師が求められる(負担も増える)が基本的には教師主体にすすめていくしかない。
 「学力低下」等が懸念されるが、やると決まった以上、考えていくしかないし、考えて臨むしかない。
  繰り返しによる習得の効果は小さくなるが、応用力がつくのか?(どう構成していくかが私たちの考えること)

 

 想像される事態・・・現場は完全実施前に不安になり、混乱している。学校内の教師でも賛成・反対、積極・消極と二つに分かれていることが多い。「今までにない」ものだから、マニュアルを求め、ここ数年、「総合的な学習の時間」関係の図書、雑誌、ホームページ、記事等が増えてきている。皆さんが現場に出るころ、高校でも2003年以降から実施されるので、どこの学校でもこの授業があることになる。今後はそういう教員が求められる。これからの教員は採用の困難に加えて、さらに即戦力が求められ、そして新しい試みへの対応が求められる。

 例えば外をまわる(見学とか観察)。とびまわる子どもたちとふれあう。情報ツールを使いこなす。授業で発表用に機器を使う。これが「若いんだから」と求められることも多いだろう。そのためにもこの授業でとりあげる必要がある。しかし、そのツールや危機や観察や教材づくりは、もちろんいうまでもなく「他」の教科の授業でもつかえるのである。「わかる」「わかりやすさ」のための授業を考えていくときに、この新しい教科について考えていくことも有効である。

 

 こんなイメージ(子どもが調べて、新しい発見をする)

 例えば、高知県土佐市の小学校の例。「地元のヒーロー坂本龍馬について調べたい」と子どもが提案した。「日本史」の授業の一環としてでもいいのですが、「自分たちで調べる」・・・これは教科書を読むとかの安易な方法ではなく「教科書以上のものを調べて発表する」ということです。いろんな本を読んだり、また「地理」の授業でもいいのですが、「高知県」がどういう地理的条件にあったのかとか、その産業形態や人口、あるいは県民性の問題とかですとか、そういうものを龍馬を調べながらやってもいいのですよ。歴史と地理の共同ですね。それで「郷土」を知って、生活を知って、愛着を感じて。さらに「龍馬」への誇り、それを生んだ郷土の誇りをもつ。インターネットで調べていくと他の例えば京都の小学校でも幕末の英雄として龍馬を調べていたりして、そこと交流しながら「京都」を中心に当時のネットワークや世界を理解していく。そしてみつめなおすのです。実際に高知県は四国山地・山脈という厳しい修行地のような山で四国の他の地域と分断され、唯一外海側であったし海を渡っていくしかいい交通手段がなかったのですね。それで大阪や、いろんなところから情報を得て、交流して、それで龍馬の出てくる条件もつくられたのではないか。こういった発想はあまり教科書なんかには書かれていないわけです。そういうものを「子ども」が考えていく。「歴史」だけでも「地理」だけでも「情報」だけでも「国語」だけでもない。そういう授業なんですね。(略)

 皆さんの前回のアンケートで「金八先生でやっていたようだ」というのもこういう「共同」の授業です。あの番組は今回は朝の読書とかやっていますが、前のシーズンのでは、たしか「人間」かなにかのテーマで、各教科担当の先生がかわるがわる授業をしていたのですが、文学・小説に書かれた人間、保健・健康面からみた人間、音楽、芸術、科学・・・、なんでもありですね。まぁ、そういうように先生方にお話ししてもらうのもそれが生徒側からの提案だったり、あるいは必然だったらそれでいいのです。まぁ、そういう「地域」とかなんらかのテーマにそって「問題」を提示させ、それを調査させて、まとめさせて、それで発表までもっていってもらう。そしてその発表をきいた感想を述べあったり、それをまとめさせたり・・・、そうやって生徒のやる気を喚起し、自ら望んで学ぶという姿勢を身につける方向にもっていくこと・・・。それを目的とするのが「経験主義」的な教育です。「生徒自身が太陽」というのは、そういうことなのですね。「受容」ではないということです。

 

 配布した資料、横浜市教育委員会の会報(広報)で紹介された事例には次のような目標がしめされていた。

 テーマ=「国際理解、情報、環境、福祉・健康」

 もちろん上のものだけが決められたのではないが、社会における生活・体験から実際的なことを学んでいくなり、課題を発見して対処していく力をつけていくというのが目標であるから、上記のテーマについてというのがより具体性はある。ちなみに日本の社会科、地理歴史、公民の単元もその目標はこういうものになってはいる。普段なら教科書の内容を(少し資料を加えるなどして)考える・覚えるだけであったが、それを児童・生徒が主体的に参加しながらやるというふうにするのだと考えてもいいか。ちなみに社会科のこういう目標は導入の当初、つまり「経験・学習カリキュラム」の導入時にやはり同じように「期待」されて入ってきた目玉の科目であったからだともいえる。「社会科」は「社会科学」なり「社会そのもの」なりを学ぶということでもあるが、その意味で「総合的」な学習が本来必要とされたし、実際に最初の学習指導要領社会科編には「総合的な学習を」という言葉があった。この授業は「社会科」だけを扱うものではないけれども、いま「歴史の学力・知識低下」とかあるいは「社会科はつまらない、なぜなら暗記科目だから」というのは、「当初の目標」とは変わったからである。つまり注意しないと批判なり圧力なりを受けて「総合」の時間もそういうものになってしまう危険性もある。そういうことを知っておこうということで、ジグザグを見てもらったというのもある。(もっともあえて「〜時間」としたのだから必ずしも同じように形骸化はしないかもしれない。)

 

  授業の展開・子どもの理解


 

生徒の興味    仮説・見通し   発表・討議   反省・総括
<問題発見> →  <問題解決> → <成果報告> →フィードバック →次の問題へ

 このような授業における教師のあり方とは何か。「学ぶ」とは何か。授業とは何か。「教え方」は「教え込み」ではなくて「自己教育力」をつけさせることある、ということが目標とされているが、それはどうすればいいのか、どうしていくべきか、あるいはどのような限界や課題があるのか。  以上のようなことをとりあえず考えていきましょう。

 

 資料の紹介。

 『総合的な学習の時間〜その可能性と限界〜』オクムラ書店・・・学術書としては水準が高くはないというか、研究著作のたぐいではない。世の中には「総合」関係の著書はたくさんあるし解説書もたくさんあるので参考にしてほしい。(水準が高くないと言ったが)著者増田氏は高校講師にして取材者ライター。実は世の中の著作のパターンは大きくは三つに分かれないか。

 1・原理的研究、

 2・事例研究、

 3・統計分析・・・。

「原理的研究」はこれこれこういうものだとその理念や理論を述べるもの。学者の著作に多い。不登校の理論、いじめとはどういうものか、とか、そういう定義付けのもの。実践的でないと批判される。次の「事例研究」は実践的ではある。ルポライターがよく書くタイプで、〇〇学校の教育とか、不登校児Aの追跡、とか、あるいはいじめ殺人の犠牲者の人生を取材から解きあかすとか・・・、そういう具体的な例。たしかにそういう極端な事例からも教育のなんたるかは知ることもできるであろう。極端すぎるということもあるか。「ある教え方」だけを報告されてもある種宣伝になってしまうし、偏りはありえる。さいごの「統計分析」は文部省(いまは文部科学省)らがよく報告するもので、実態の全対数を出すもの。貴重ではある。だいたいこの3パターンになっている。いくつかを含んでいるかどれかだけか・・・。そういうものではないか。

 

 特色・・・「教育」の成果を考えない(で考えられた)教育改革?

 増田氏は現場の人であり取材者である。すると2のパターンになるかと思う。しかし、ラジオという番組用につくり、また研究者の対談等も収載しているために、上とは違うパターンになっている。あと、学者の文章ではないからわかりやすい。

 ある意味、1章は「原理」、2章は「事例」、3章で「全体」という同じ構造にもみえるし、そういう要素を含んではいる。そういう意味では「水準が高くない」というよりはバランスがいいともいえる。しかし強調したいのは、特筆すべき点は、ライフコース追跡があるということだ。

 「ライフコース研究」とか「ライフサイクル」とかそういう名称をつかった研究はあるが、そんなのと違うのは、ある一人の人生や民衆の人生というか生活基準を追うとかではない部分である。著者増田は「教育問題が難しいのは、『すぐに答えが出ない』からです。受けた教育の結果が出るのは、十年、二十年先。子どもが成長してどのようなおとなになるのか、さらにそこから社会の一員としてどんな活躍をみせるのか。もちろん、時代背景も変わっていきますので、その時点でよかれと思って行われた教育でも、その結果まで予測するのは困難な・・・(略)」と書いているが、つまり私が前にいったジグザグの変化の中で、その両方というか実際に受けた人の取材をしているということである。これこそ証言者。上の意図というか政策的に変えられた中で、当時批判された教育が後々までどのような影響を及ぼしたのか、そういうものまで調べないと・・・、本当に「教育の成果」をみたことにはならないのではないか。そういう長期的な展望が本当は必要である。この本の第一章にはその証言が収録されている。「学術書」ではないしそういう理論的「水準」は低いけれども、どんな「総合的な学習の時間」の著作よりもこの本がすぐれているのはここと思う。私自身、こういう取材ができていないので、「教育」を研究するものとして反省している。これは大きな課題で、もう当時の教育を受けたものの証言をひろうのも難しくなってきているのだ・・・。 第三章の対談は苅谷剛彦氏が登場していて、「総合的な学習の時間」を擁護する立場の浅沼茂氏と討論している。ラジオで放送されたものの採録であるが、これがまた貴重な意見が多くある。

 今回の授業では、1章の「証言」からこの「総合学習」の可能性を中心にみていきたい。続いて2章の実践事例も参考にしながら、次回の授業まで連続で「実践」から「なにが問題か」というのを取り出していきたい。次回はさらに他の例や研究会で勉強してきたことも紹介していく。

 

 文部省の目的

 本書の取材録として文部省にきいた「総合的な学習の時間」に関する説明。

 「やってみたい! 知りたい!」ことを「体験させて下さい」・・・それによって「生きる力」が身につくんだという説明ですね。それで不登校やいじめや学級崩壊もなくなって学校が楽しくなるという・・・。

 著者は「これは本当にできるのだろうか」と疑問視して、それでこのような本を書いた。確かにそんなに簡単に解決するはずはない。寺脇研と苅谷氏の対談でも、文部省の意図は学校が楽しくなって、全員が100点をとれて、問題がなくなっていくことで、従来の学力観を変えていくのだというような趣旨のことが述べられていた。それが可能かどうかはここではおいておいて、その実現をめざすのならどうやっていこうかと考える方が建設的である。「理想」としては間違ってはいない。ただ、「考えて」決めたのかと、それが現場に伝わっているのかという「十分さ」がいちばん問題だろうし、どこまでやっていくかという覚悟や責任もいちど深く考えておかないと、やがて「反論」がでてきたときがたいへんである。

 とにかく、「生きる力」「心の教育」「ゆとり」というのが、(上に書いた)「国際理解、情報、環境、福祉・健康に関して総合的に学習する時間」で解決できると考えているのであろう。具体的には国際理解すること、情報をつかいこなすこと、環境に対する理解を深めること、福祉の精神や健康の意識をもつこと・・・が「生きる力」「心の教育」「ゆとり」の答えだともいえるか。なるほど、そう考えたら悪くはない。あとはどうやっていくかだけである。

 

 事例の紹介

 一つは秦野市上(かみ)小学校の「ひつじを飼う」事例。ひつじを飼うことになる・・・。「ひつじ」とはどういう動物なのか? 何を食べるのか、餌はどうするか。気候はどういうところに住んでいて、小屋とかはどういうものを準備すればいいのか。糞尿の始末はどうするか。どのくらい大きくなるのか。近所迷惑にならないか。危険性はないか。考えて、・・・それで準備をはじめる。

 小屋をつくったり、散歩したり世話したり、毛を刈ったり、体重をはかったり、生物学でもあり数学でもある。そして授業時間以外にも世話をする。そういう社会的分担・協力もある。夏休みも同じ。これが「授業時間」なのかといえば、みえないカリキュラムとして身につける部分でもあるし、さらに授業時間を通して把握し、考え、それとは別に世話をしているともいえるし、課題なんだともとれる。事件も、エアガンでいたずらされたことがあった。それで危機管理には危険回避にはどうしたらいいかと考えて、夜回りとかあるいは小屋の構造を変えたりとかもした。糞尿も堆肥小屋をつくって肥料にしたり・・・、そうやって「問題解決」を繰り返していくのである。最後に1年間で授業は終わってしまう。そうしたらこの羊は農家に返す。そしていずれ屠殺されて羊肉として調理されて人間の胃袋に入るという現実もあるのだが、生物の命の尊さですか、そういうものに気づいた子どももいたし、実際に2年後の今年、一頭が屠殺された。そういうことまで見せるべきだという大人もいたが、いろんな意見がある。概略、以上のようなことが紹介されている。

 もう一つの千葉県高砂小学校の紙スキと紙パックの再利用・リサイクルといった環境に関する学習からも多く学ぶところがある。

 

 証言。教育の成果、効果。

 その教育がどういう効果を残したのか、それが数年後に、あるいは人生においてどう「生きる力」になったのか、とでもいうようなことに注目したい。何も証拠なくそういうものが語られ過ぎている、情緒的で観念的で幻想的ともいえる。そういうのを明らかにしていく作業は必要ではないか。

 

<戦前に自由教育を受けた人の証言> (増田『総合的な学習の時間〜その可能性と限界〜』12〜28ページ)

 著者がラジオで「総合的な学習の時間」について放送したところ、西村さんというリスナーの方からお便りがあり、その西村さんの手紙には自分が昭和10年頃に受けた「合科教育」のことが綴られていたとのことであった。それで追跡取材をしたと・・・。

 滝野川小学校の1〜3年の時に金子先生という担任の先生がそういう授業をしていたというのである。当時、そういうことを目的とした教育だとは「生徒」たちは意識していなかったようであるが、楽しく、いろんな活動の中から授業が構成されていたという。教員の見えない努力、課題の構成能力が問われるということである。「自由な遊びのようだった」「時間割もなかった」、と語られる。

 

 例えば、アイスキャンディーをつくるという「シーン」・・・。

「二・二六事件の日、あの日は大雪でね。金子先生が、“明日はアイスキャンディーを作るから、割りばしを一本持って来い”って言うんですよ。翌日、みんなで試験管を持って校庭に出ると、金子先生が“きれいな所をみうけて雪をとってこい”って言うもんだから、校舎の裏とかみんな必死になっていい場所を探してね、試験管にギュウギュウに雪を詰めて先生の所に持っていったんです。そうすると、先生がイチゴジュースをかけてくれてね。そのあと各自持って来た割りばしを試験管に差して、その試験管を先生の所に用意してある大きなバケツ・・・その中にも雪が入ってたんですけど、そこに突き立てて固まるのをみんなでじっと待って、そっと割りばしを試験管から抜くと、まさに真っ赤なイチゴのアイスキャンディーができたんです。
 “先生のバケツの中の雪には塩がいっぱい入っているんだと。塩を加えるとうんと冷えるんだよ”
 そう金子先生がおっしゃってね。とにかく楽しかったし、おいしかった! 今でもその赤いアイスキャンディーのことは鮮明に覚えているんですよ」(18〜19ページ)

 

 当時、生徒であった西村さんはこう語っている。この「遊びのような活動」と感じていたものが、実は綿密な計画上の授業だったと知ったのは数十年後だったという。金子先生は小学校3年生までで移動したが、その後1980年に没されるまで『月間理科の研究』に連載されていた小伝と、その遺稿にその授業案が載せられていたという。

 なお、滝野川小学校は都下ではわずか三校のみの公立ながら新教育を実践していた学校であった。1年から6年までもちあが

りクラスで時間割もない、ということと、さらには次の記述にも注目したい。

「教室には大きな丸テーブルがいくつか置いてあって、五・六人ずつそのテーブルを囲んで授業をするんです。席も男女交互に座ります。出席簿は生年月日順。・・・(略)」(22ページ)

 

 この「風景」はこの講義で何度もやってきた米国の小学校の一例やインターナショナルスクールの例と一致する。ちなみに玉川学園でもそういう方法はずっととられている。そういう向き合い方がこの時期の日本で導入されていた。また、内容に関して

次の記述にも注目したい。

「その丸テーブルの上に金子先生がみかんを山盛りに置いて、“自分たちで、好きにしていいですよ。食べてもいいし、よく観察してください。そして観察したことを、ノートに書いて発表して下さい”っておっしゃったんです。・・・(中略)・・・そこに絵を描く子もいたし、八百屋へ行って値段を聞いてくる子もいた。“みかんのへたをとったあとの星のような模様の数は中の袋の数と同じです”なんて発見をしていた子もいました。そうしたことをノートに書いて発表しあうのです。たくさん発見のあった人がえらいとほめられました。」(22〜23ページ)

 

 「たくさん発見のあった人がえらいとほめられました」というのは、たくさん発見した者が上でそれ以外は下ということではなく(つまり「たくさん発見のあった人」おみ偉いのではなく、逆に少なくてもその努力は認めなかったことはないと思う)、単純に「いっぱいある。よく調べたな」ぐらいのほめかただったろうと思われる。ちなみに金子先生の指導案にはこの「みかんの観察」について、「子どもは叱られたことは忘れるが、一度ほめられたことは忘れない。どんなに小さなことでもほめて、その上に建設していくことである。このあと、あぶりだしの学習をさせたが、なかなか面白く発展した」(23〜24ページ)との記述があった。この授業は教師の側からはたらきかけて「させている」ものだが、各々の課題が綿密に関係づけられ、面白く生徒の興味をひきつけながら発展させていけるようになっている。「考えさせる」授業といえるのではないか。そういう工夫のある授業であった。

 

 ちなみに、このクラス(椿組)の授業は、昭和13年3月に金子先生ら新教育を行なう数人の先生が異動したことでガラッと変わったという。時は日中戦争開戦の翌年であった。クラスは男女別で編成がえとなり、時間割も、時間(時限)区割りもはじまり、「規律一点張りの管理体制の学校生活」になったそうだ。このころ「自由の方がいい」と思っても口には出せない雰囲気であったと証言が書かれている。

 なお、この小学校低学年のわずか三年間の仲間がその後も同窓会を開き集まっているということでも(70数歳までも)何か特

殊なものを感じる。西村さんは授業以外のことであるが次のように話している。

「金子先生の教育は私の人生を左右した気がするんです。お話ししてきたように、五段階のような成績をつけたり、時間割や教科書に縛られたり、ひとつの価値観を押し付けるようなことはありませんでした。子どもの興味・関心はその子どもによっていろいろで、それを認めてくれた。人間の価値は、学校の成績以外のところにあるといったことを教えてくれていた気がします。
 私は、あの時代のことを思い出すだけで、今でもエネルギーがわき出てきて、いろいろなことに挑戦する勇気がもてる。頑張って生きていこうって思えるんです」(28ページ)

 

 こういう部分は感想であるから思い入れもあるし、そのままにすばらしいと受け取ることにも注意は必要である。しかし、それにしても、皆さんにも書いてもらったように「こういう教師でいてほしい」という態度そのものに近かったように感じる。なんにしろそれが後々まで思い出に残っているというのはすごいことではないか。ちなみにそのクラスのメンバーは様々な職業に就いたようで、なかには数年前に亡くなった五社英雄(映画監督)さんもいたそうである。

 

 授業。教師の立場

 この事例、金子先生がどういうことをしていたか、それを考えてみよう(カードに記入させる)。

 自由か?授業のとっかかりからミーティングでもなんでもして話し合ってきめていく手もあるが、必ずしもそうではない。それではある程度の「関係」なしではうまくいかないような気もするし、かなり「できる・できない・やる・やらない」の差が出ることもイメージできるであろう。

 しかし、教員は、「何もしないでいた」「見守っていただけ」「自由にさせていた」のであろうか。そうではなくて、考え、準備して、予想して、工夫していたのではないか。

 導入?おそらく「子どもの主体性」の授業というと、「自由」をイメージすると思う。「見ているだけ」でいいなら、別に何も悩まないし、教員は「楽」なはずである。連絡や助言や調整をするにしても、それじゃ教員はあまり必要ない。だからスタート時の「導入」は重要だとなる。これからそういうことをしていくというか、そういう皆の考えを尊重していくという「方向づけ」を、そういう意味でモチベーションをもっていくようにしないと、ただただ「自由」にしてもうまくはいかないと思う。通常の授業でもこれは大事。「こういうことをこれからやるよ」と言ってすすめる。この「総合的な学習」では「これからどうやっていこうか」とポイントごとに考えを求めることであろう。少なくとも大きな方向づけをしてそれで「皆の意見をききながら、皆で考えていくよ」とすすめかたも告知しておく必要があるのではないか。皆の意見を集約してというのが難しいのであれば、それをイメージさせて実感させ、慣れさせることが必要ですね。いきなり「アイデア」が出るだろうか。慣れてくれば出てきやすくなるかもしれない(でもあきるかもしれない)。全員の意見が統一されるだろうか。無関心になる人がでてくるかもしれない。人間、怠惰な一面もあり、自分のやりたいといったことでも興味がうすれていくことがある。そういうものを、どうやってまとめて、全体として創造していけるのか。いろんな発見や知識をちりばめて「実感」させていけるのか。そういうものをまとめていく能力が教員に求められる。このように難しい。だから、「考える」こと(方針・今後の方法)を「考え」てもらう必要がある。

 それに多くの意見を集めて、そこから選んでいってもいいのであるが、「やりたい」ことと「できる」ことは違うという問題もある。「こうしたほうがいい」と思うことだってあるはずだ。どんな問題が出てくるか。どんな調べ方が可能か。なにがわからないことなのか。興味をひきつけながら、そういう大きい範囲でのガイドしていく能力。だから、方向づけとして、「そういうことがいいのだ」「こういうことをやっていくのだ」という理解を求めることも必要であろう。この授業(方法論)は全体の授業、教育についてであるから、とくにそういう応用面やマネージメントの面をこそ考えていきたい。「導入」が大事というのは昔からあるが、しかし「導入」のサービスばかり力を入れて、それで授業がしり切れとんぼというのもありがちである。

 

 資料2、横浜市教育委員会の冊子南太田小学校の例。国語における障害児に関する文学作品の理解のために、街のバリヤフリーを調べたり、施設に行ったり、アイマスクをして歩いて視力障害の人の気持ちになってみたり、点字を学んだり、盲導犬のことを学んだりという実践が紹介されている。もう一つの大道中学校の例はゴミ問題についてである。

 資料1ページめの写真の黒板に「なにを学んだらいいか考えてみよう」という先生からの問いかけが書いてあるが、そこで生徒たちが意見を出して、それで授業をすすめていくようである。しかし、そこで意見がどうでてくるかの難しさもある。関係か慣れか、あるいは力量かひっぱりが必要である。そしてこれは普通の他の授業でも同じことである。

 

 そういう授業のためには、教師は次のようなたちまわりが必要か。

 

★「導入」(動機付け)・・・問題発見を導く、促す→問題解決へ向かわせる→考察後、報告→討議を経てフィードバックさせ→次の問題発見へつないでいく

★「助言」(アシスト)・・・できる、できない、あるいは方向をアドヴァイス。気づかせる。報告のマネジメントを注視してあげる。

★「支援」(サポート)・・・資料収集、時間外・学校外の行動、講師や取材依頼等、クラス全体の課題でもあるから一員として後方支援する。

★「論駁」(指導)・・・評価の後、注意点や問題点・課題は指摘してあげる。その課題を次回に解決するようにもっていく。

 

 ※注意すべき点→として、最初は金子先生のように教師がいざなうことからはじめていって、そういう習慣なり空間をつくりあげていくことが必要ではないかと私は思う。「つくりあげる」というと「フィクション」的に強制や統制、コントロールのようなイメージに思われるかもしれないが、そうではなく、というか「つくる」ということだけで悪いイメージがもたれることがすでに問題ではないか。そうではなくて、よくつくっていくことが大切で、それがなにかを考えておくことが重大だと思う。

また、「教師はサポート役だ」というのもそれはそうだが、しかし偏ってとらえられることもある。サポート役だから教えないのではない。サポートは当然、しかし必要なことは必要なりにあたりまえに教えるということが重要ではないか。

 

 教師の問題構成能力と授業の構成(おおよそ次のようなことがいいたかった)

 年間の「授業」、ある単元の授業、あるまとまりを理解して身につけてもらうための「行ない」が授業なわけです。ブツリと切れて独立しながら、つまり行き当たりばったりながら、実はつながっていて何かを最終的に身につけられたというのが必要じゃないでしょうか。難しいですね。テレビドラマなんてそうですね。延々と一話完結で続いていく大衆娯楽番組もありますが、たいていは1クールという期限があって、そのなかで毎回のドラマの中で恋愛や出会いや別れや事件や問題が展開していくのですね。最終回のフィナーレに向かって・・・。でも毎回そのなかにもそれぞれ展開やその回ごとのストーリーがはじまってまとまる面もあるわけです。・・・。
 この1時間の授業が「小目標」だとしたら、単元ごとテーマごとのが「中目標」、最終的な年間通してのものが「大目標」です。そういう一話・一回ごとの授業にも、そして全体にも(学習者にとって)意味をもたせる「問題構成能力」が重要になってきます。
 とにかく、文学作品を読んで、読み深めて、そして全体として理解していくようなものです。1章ごと読んで学ぶことはあります。連載された小説などはそうやって一つずつワクワクさせます。そして後半へつなぐ気づかせや興味を引っ張るものがありますね。そして最後まで読んでまたなにかがわかったように感じる・・・、あの感覚。
 とにかく教員の能力としては「問題構成能力」(マネージメント)と「教材の工夫」が必要です。これは従来の授業でもなんでも必要ですね。その「配分」と「開発」が必要ですが、従来のものとこの経験的学習ではその割合に少し違いは出ているかなとは思います。「教科教育」タイプだと、あらかじめ選択された教科書の構成を中心に年間の授業計画がわりふられますね。さらに「教材」も教科書以外にも準備されるものもある。おまけになかなかそれ以外のものをつかってすすめる余裕がない。なぜなら複数クラスで同時に同じ内容をやっているのであまりにも他の先生と違うことをやると全体でのバランスが崩れますね。だからあまった時間にやるしかない。そういう教員の創造力がいかせられないものかもしれません。逆に「総合的な学習の時間」ではこの二つの能力が求められます。教員自身の「創造力」が求められているともいえる。つかってないものをつかうのは難しいですね。皆さんが突然いわれたらアイディアを考えつかないのと同じで・・・。まぁ大人の背中を見て子どもが育つというのなら、やはり何もしないのじゃなくて教員の「創造力」が試されます。

 

 来週の話し(予告)・・・先週みてきた小学校の実践例では、小学校4年生が大学のコンピュータ授業以上にパソコンを「自分で、自由に」つかいこなしていた。比べると「大学」の授業は恥ずかしいものである。そういう子どもが当たり前になったとき、そういう教員はどうするのか? 自分の意見をいえて、考えて行動して、そういう子どもが当たり前に(多数に)なったとき、大学の教員はどうするのか。喜ぶ人もいるし、そうでない人もいる。あとは何も思わない人もいる。これは大学だけの問題ではないけれども、そういうことをつねに考えて授業をしていきたいものである。そういう実践例を紹介します。