第12回目(7月6日)
 
 最後の授業になりますが、内容は次のようにやっていきます。復習を含みます。
・教材の構成力、工夫
・児童の思考、理解、心理的能力
・フィードバック(反省)
 「教材の工夫」が肝要だといいましたし、「わかろう」という受け取り方があれば理解が増すのも事実だからそういう知的欲求に応える(ひきだす)授業・教材が必要になるのですね。そして、常に「フィードバック」して次回移行につなげていく・・・、それによって「授業がかわる」わけです。最近「授業がかわる」という本が多くでていますが、それを参考にしようとも、受け取った方がそれを「つなげて」いかなくては結局はあまりかわらないと思います。へたしたら外見しか変わりません。
 
◆教材・教育方法の可能性・・・プロジェクター、コンバーターをつかう
 前回の復習から・・・
  ・教育教材の開発
   例・htmlの可能性
     ホームページソフト、ワープロソフトから作成可能
     画像・・・スキャナー、フォトCD、デジカメ、ネット上のもの
       絵・図→ワープロ画面を「画像形式変換」、エクセル等
     動画、音声・・・JAVAスクリプトムービー、アニメーションGIF、
            動画カメラ(Mpeg、QuickTime等)
     ページリンク(構造)・・・例、yes noで選択して別のページに飛べる

   ★一度、ワープロ「ファイル」→「htmlで保存」→エクスプローラー等で
    右クリック→Editかメモパッドで開くか、あるいは「ワープロから開いて修正
    して保存」もいい。
 
 「簡単にhtml文書はつくれる」。ホームページをつくるのなんて簡単なのです。皆さんはインターネットでそれをみている人も多いですよね。しかし、簡単に自分もつくれるのです。そして、インターネット社会に生きろというのではなくて、そのつくったものを別にインターネットにのせなくても、「授業」でつかうことができます。パソコン上だけのものでも、それを投影することが可能なのです。
 ちなみにホームページというのは「本」のようなものです。「教科書」だって「本」ですね。目次があって、表紙があって、目次で選んでとんで途中から読んでもいいし、あとから前に戻って確認してもいい。そういう再確認と読み深めができる。また本によっては選択して進んでいって何かに行き着くなどの例えば心理的な、ロールプレイング的なものや、Q&A式のものもありますよね。そういうふうにも「構成」することができる。そこがOHPやスライドで画像をみせるだけのものよりも一歩進んでいるところだと思います。様々なプログラミングだってつくれます。個人のソフトだってつくれる。そして無料で活用できる情報やソフトもたくさんあります。そして「レイアウト」(構成)が自分の思うとおりにできる。自分の知覚と、そして他人にこうわかってほしいというカタチをつくることができるのです。自分専用の「教材」作成が可能なのですね。ですから、これから可能性があるので取り組んでいただきたいと思います(複数の人が共通にみれる「本」で、しかもひきつける工夫があるなんて、すぐれた「教材」になる可能性があります)。
 前回いいましたが、皆さんにはレポートをメールで「添付」あるいはそのまま書いて「送信」提出していただきます。ワープロソフトはなんでもいいですし、テキスト文書として保存してくれてもいい、またHTMLで作成したものを添付してくれてもけっこうです。皆さんが「ここまでやった」というのを土台にして、次回の授業の学生さんにはそこからはじめて「html」作成までやっていただく予定です。ですから、授業は終わりますが、今後も興味があったら私のホームページをみておいてください。
 
 
視聴覚教材によって、学習過程がどのように変容するか
  「わかる」とは何か? ・・・これは「実感」なのだといいました。実はインターネットを通しまして私が参考にさせていただいている関西の大学の先生・山口先生という方がいらっしゃるのですが、その先生からメールをいただきました。
 
 「知識を構造化する」(知識を他の知識と関連づけ意味づける)ことによって「わかる」
・・・しかし最終的に「わかった!」と思うのは,その知識が自分自身の「経験」や「感覚」といった身体的なものと結びついた時です。
 
 そうおっしゃっていただけました。しかし、学問的にも「わかる」というのはたしかに山口先生のおっしゃるように、「知識を構造化する」(知識を他の知識と関連づけ意味づける)ことによって本当に「わかった」となるのだと思います。他のことにおきかえ可能だというのも、ある意味では「仮想経験による実感」でもあります。
 そして学問・学習は「単純」なもの(基礎)から「複雑」なもの(応用)へとつながって構成されていますね。あれも実は「構造化」していくのをたすけるものです。例えば複雑な計算式も、基本には意味があるというのは以前にお話ししましたね。その基本はまたペスタロッチの方法として紹介した「計算」だったりもするわけです。そういうものがあって、そのうえで「わかっていく」というのがまさに「計算された」理解の回路です。そしてその物事などについて、「性質」「名称」「機能」「個数」「サイズ」・・・といったことまで整理して把握していくこともまた「構造化」です。そういうふうにして、たんなる「ビジョン」としての表面的なものではなくて、それが「わかる」わけですね。
 基本的には同じことをいってきたつもりですが、ぜひ「構造化」して「わかる」というコトバの意味を考えてみてください。
 そして、同じようにおきかえの作業のなかで自分の知識とするもの。それが「実感」です。
 
 さて、山口先生にはまた次のようなことも教えていただきました。
 
「バザールでゴザール」などのをCMを考えたプランナーから慶応大学教授になった佐藤雅彦(だったと思う)が,新聞に連載しているコラムに次のような話がありました。
「三角形の内角の和が180度になる」ということを,いくら説明されても「理屈の上ではなんとなるわかる」が,どうしてもいま一つ「わかった!」という感じがしなかったのに,ある時,先生が三角形の紙を破いて,それぞれの角を合わせたら見事に一直線(180度)になったことを見て,わかった!」と思ったという。
 
 どんなに抽象的な法則や概念でも,最終的には人間の「経験的に確かだと思う」という感覚と結びつかない限り,「わかった!」ということにはなりせん。
 
 そのとおりですね。例えば「教え方」です。この授業はそれが目的ですからやってみましょう。
 
 私がいま、数学の時間だとして皆さんに教えているとします。
 
 ●まず、声でいいますね。「三角形の内角の和は180度になります」と。それだけでわかる人はどのぐらいいるでしょうか。そういう「コトバ」でわかる人は、わかるということが「構造化」だとすると、近いそういう知識をもっているか、あるいはそういう「図」をアタマの中に描ける人でしょうか。もちろん数学好きというのもいいでしょうが、最初から知っていたというのはここでは省きます。
 
 ●次に「教科書」にその図が書いてある部分を指摘して「ほらみてごらんなさい」と言う。だいたい二等辺三角形とか正三角形とかが書いてあって、例えば角の部分に「90°」「45°」「45°」なんて書いてあるとわかりやすいですね。「ほら、90+45+45で180だろう」なんて「言って」教える。教材も少しつかって、やっぱり「コトバ」で教えるのですね。さっきのよりはいい。けど、そういう平面的なというか、単なる三角形の絵をみても皆がピンとくるとも思えない。あとは「分度器ではからせて足し算させて証明する」というのもありますね。
 
 ●あるいは「黒板」に書いたりしますね。ただし書く絵は基本的には「上」のといっしょです。まぁ、みるべき部分というか、注目する部分はわかって、少しは理解が増すかもしれません。こういう「教え方」もありがちです。
 
 ●ところが、例えばいまここに、黒板に模造紙を貼っておきましたが、・・・これはスクリーンがわりにするために貼ってあったのですが、この大きいのならみえると思うのでこれで実演します。こうやって適当に「三角形」に切ります(実際に切った)。もちろん三つの角があるから三角形ですね。その三つの角の部分に赤いチョークで「弧」の印をつけます。分度器で「何度」かはわかりません。
 そして、それは、この大きな三角形をちぎります。そしてセロテープで切った「角」の部分を黒板に貼っていく。・・・すると、もちろん三つをあわせると「直線」になるわけです。・・・なりましたね(実演した)。
 これをやると、「わかる」度合いが増すのではないでしょうか。しかもランダムな違う三角をつくってまた実演する。どんな三角形でもそうなのだと「実感」させていく。そして、とどめとして皆さんの手元に小さい三角形にカットした紙を配布して、実際にやってもらう。「体感」もさせるわけです。
 
 ●今日は小型のプロジェクターと教材提示装置をもってきていますので、投影してみますが、例えばそういうので画面上でみせても効果的ですね。
 このホームページ上では写真でみてみましょう。
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 たしかに「わかった!!」という感覚がもてたのではないでしょうか。これは「教え方」の一つです。「わかってもらう」ための教え方の一つです。
 
 さて、以上をふまえてもう一度考えてみましょう。
 ◆→→「教材」は「実感」を助けるためのモノ
  言葉や文字だけでは伝えきれない情報を「知覚」「認識」させるその補助的なものとして「教材」を構成、あるいは作成する必要がある。
 ◆→→「わかりやすいモノ」を考える
  わかりやすさには、次のような順序はあるのではないでしょうか。
 
    言葉(音声)< 文字 < 絵 < 動画画像 (*意図的に編集したもの)
 
  言葉だけよりは文字の方が見直しがきく分いいでしょうか。さらに図絵の方がイメージしやすいでしょうね。そして動く画像ならさらにリアリティは増すと思います。もちろん実際にはこれらは複合的にミックスされてつかわれているはずですね。「それだけ」というのは少ないのではないでしょうか。
     ※教科書、黒板等は? どう位置づけられるか? 実物主義、直観主義は?
      みかんの学習、ひつじを飼う、アイマスクの実験は?
 
 これまでみてきた「教育方法」が、「わかる」側の視点というか、「わかりやすさ」という方向からみて、どの位置になるのでしょうか。「教科書」は「文字、絵」なわけですね。「言葉」だけより進んだ教材であったわけです。「黒板」も重なる部分は多い。読み言葉や量は書けないのですが、「指示」してポイントを印象づけるためのものではありますね。「実物主義」「直観主義」は「掛図」をつかうときには黒板・教科書をミックスすたというか同様です。実際のモノやレプリカをもってきてみせるのは「質感」なども理解させやすいですね。ある意味では「動画画像」を超えます。しかし、編集して背景まで教えられる動画といいますか、動きがあるものにはさらにすぐれた点があります。まぁ、「動画」のなかった時代が「実物主義」が最大限の効果が考えられてつくられたものだったわけですね。「体験学習」は実物の動きや背景までみにいくことでもあります。「技術」的に最大限の効果を構想してその時々に開発されたものでした。そういった「点」でたんなる教育的番組やビデオまかせだけでなく、意図的に編集・作成して動画をいかした教材をつくっていくことが「いまの時代(技術)」の課題なのだとも思います。
 
 「技術の発達」という話でいいましたが、どんどん小型化・軽量化されていますので、デジカメ動画撮影機でビデオ等を編集して数時間分を保存してもちあるくこともできます。それをモニターやコンバーターを通してどこにでも、パソコン画面でも、プロジェクターででも映し出すことができます。そういうことを「授業の効果」として考えて応用していくことも「技術的」に求められるようになってきているんだとも思えます。
 
 実際にも例えば「学校のインテリジェント化」などというキーワードとして紹介されたりもします。私もいくつかそういう学校に見学にいってみたことがあるのですが、公立でもそういうのがつくられてきたりもしています。例えば千葉県の打瀬小学校・中学校。こういう教室の黒板がボタン一つで開いて、壁の中から巨大なプロジェクターがでてくるのですね。そしてこの教卓もひっくりかえるようにしてパソコンや書画機(教材提示装置)が出て来たりする。もう用意されているのですね。備えつけとなっている。そういうものを活用しながら、社会科だろうと理科だろうと国語だろうと、授業をすすめていけるのです。そういう装備がどこにでもある時代ももうくるのかもしれません。
 
 しかし機械をつかうことがすべてとはいいません。伝え方が、伝わり方を考えた時にベストをめざせばいいのです。
 とにかく、・・・人間の知覚・理解は脳内思考において情報を概念化・構造化することです。それを考えて、そのために「学習する筋道」にそった「授業の構成」を考え、教材を活用していく・・・。そういうことが目指されるでしょう。
 もう一度アナウンスをします。

投稿規程   メールの場合 koga1999@mti.biglobe.ne.jp へ(7月13日まで)
 「21世紀の教育方法の可能性」というタイトルのレポート。
@添付(ファイルを「添付」)、Aテキスト(文字)としてメールにそのまま書く(Macの人はそうしてください。)、B携帯メールの人も、そのまま文書で何度かにわけてもいい、CFDで提出も可(来週の授業時に提出→テスト時に返却する)、
 
 
 さて、手元に配りました、「授業評価アンケート」を無記名でいいので記入してください。15分〜20分ぐらい時間を書けて考えて書いてください。無記名ですからきびしい意見を率直に書いてください。(配布→回答を求める)
 
 ・×・△・〇・▽・×・△・〇・▽・×・△・〇・▽・×・△・〇・▽・×・
 (15分経過)
 集める前に「講義」の最後にお話ししておくことがあります。
 私は「嘘」をついていました。「混乱」するかもしれませんが、意図的に「嘘」といいますか、誇張して話していたことがあります。
 私は、「ジョン・デューイ」の教育が経験主義で、そして「米国の教育」は「デューイ」そのものであるかのようにわざといってきました。テーブルの座り方とか調べ学習だとか、そういうように誇張してきました。・・・それで、皆さんが「アメリカ合衆国=自由な座り方の、学習者中心主義」と思われるかもしれませんので最後に訂正します。
 いや、授業中にも「日米相互に不足している部分をモデルにしあっている」とはいいました。だから「いわゆる日本的」な教師中心型教育もあるとはわかってもらえたとも思ってはいます。しかし、それでもやはり米国の多くは圧倒的に「デューイ」型と思われるのではないでしょうか。
 実際にはデューイだって「自由」とかだけではなくて、社会的な規律とかも考えていましたし、すでに「外国」に伝わるときにもイメージの違いはありえるのですね。しかし、そうではなくて、実は米国の「教育」に関する新聞記事とかを読むと「ジョン・デューイ以来の伝統」とか「デューイの精神」とかがフレーズとしてつかわれます。
 つまり、全米すべてが「デューイ」式になっていれば「わざわざ」こんなことはいわれないのだとも考えられます。つまりすべてがそうなっていないということの裏返しですね。みてきた「揺れ動き」と同じで、そういう主張の中で「あっち、こっち」と指摘合戦が繰り返される。・・・つまり<米国=「デューイ」式>ではないということです。
 私が紹介したシカゴの学校やマサチューセッツの学校、そして横浜にあるインターナショナルスクールは、実際にそういう教育をやっていました。それは嘘じゃないです。でも同じシカゴやマサチューセッツ州でも、違う「教師中心」の教育はあるのですね。ですから絶対ではありません。あくまでも「日米」と「近代教育の2つの到達点」と、さらに「総合的な学習の時間」という「授業のカタチ」に注目して理解していただくために、こうして「単純化」したことをおことわりしておきます。
 他にも、いろいろ付け足したいこともあるのですが、とりあえずこの「講義」はここで終わります。
 アンケートを回収します。
 なお、最後に・・・、「授業」について「フィードバック」によって次回につなげていくことが必要だと言いました。
 実は、この「授業評価」も、その一方法です。
 授業はフィードバックして評価までが一つのものなんだと思ってください。
 来週、試験をやります。私は日大でも他の少人数の講義では点数をつけた解答用紙を返却します。ちゃんと点数の判断基準・講評もします。他大学でも130人のテストでもそうしています。「採点の基準がわからない」という疑問には応えたいと思う・・・、これが「評価」までが授業という部分です。ただし、他大学で可能なのは協力していただいてる先生方がいらっしゃいまして、といいますか、そういうことを実践されている先生がいらっしゃるのです。その先生といっしょに「補講」のカタチで時間をとりまして、返却が可能になるのです。日大のもう一つの授業は教育学科の授業なので、一学科ですからそこを窓口に返却していただくことが可能なのです。ところが皆さんは人数も多く、複合的で、さらにそういうための「補講」をやるシステムがまだ不十分です。ですから、試験の「講評」やポイント解説はホームページ上に模範解答をつくって、アップしたいと思います。
 それで、皆さんには私の授業を「評価」していただくということにしました。
 これはやっている先生もいらっしゃるのでしょう。この結果もしっかりと受け止めまして、ホームページ上に「公開」します。ですから手厳しく評価いただいてけっこうです。それで次回以降の受講生のためになりますから。私の気づかない、あるいは受講者からみた不満、改善すべき点がわかれば、・・・少なくともそこは「よくなる」可能性もあるわけです。
 これは大学でも短大でも、あるいは高校でもやっていました。だから毎年授業が変わります。「学生が教員を評価するなど言語道断」などと反応する人もいるでしょうが、高校では例えば都内でも正則高校とかが以前からやっていますね。
 「自分」で評価してもいいのですが、しかしこれは「授業方法」の「授業」です。「生徒の受け取り方を考える」という視点でやっているのですから、「受講者」からの「評価」を把握しておくことが必要かと思います。そういうわけで、このアンケートを実施しました。いずれホームページに結果を公開しますので、みてください。こういうことは実施されても、教員組織間での脅し的になるだけで実際には公開されないといったことが多いそうです。それでは意味がないですね。「自覚」と「工夫」、その「継続」。そして「反省」「評価」とサイクルしていくこと。・・・以上です。
 それでは、試験、頑張ってください。レポートはメール添付は試験当日中まで受け付けます。また「レポート」も仮名にしますがイイモノと思ったものを数点アップします。自分のが採用されるかもしれませんのでチェックしておいてください。それも、皆さんのやったことですが、後期の学生からいかしていきたいと思います。
 ありがとうございました。
 
*受講者の皆さん、ありがとうございました。質問疑問を寄せていただいた「疑問型」の皆さん、そしてそういう意見はなくとも考えていただけた皆さん。皆さんのおかげて動いた授業が「これ」でした。またアドバイスをいただいた山口和宏先生に感謝申し上げます。ありがとうございます。それと答案返却と授業の評価という点では、お茶の水女子大学の米田俊彦先生のおかげでそういうことを考えていくことができるようになりました。さらにお茶大の研究室の皆さんにもご迷惑をおかけしました。そして日本大学の研究室関係の皆様にもお世話になりました。後期の授業を工夫することで、その皆様への感謝の意を示したいと考えます。