第11回(6月29日)
 
「教材」をつくるということ、工夫することが必要なんだとこれまでいってきました。それで、次に、つくってもらいたいと思います。
 
 教材で学ぶ、教材から学ぶ →→ 教材でどう学ぶのか、教材でどう学ばせるか?
 前回いいましたが、授業というものには「教師」がいて「生徒」がいて、「環境」があって、そして「教材」が介在するのですね。そしてそれらがかかわりあうなかで「学習」が生成されていく。それが「授業」のはたらきです。その中で「生徒」は「教材」で学ぶ、あるいは「教材」から学んでいくわけです。すると当然、「教師」は、その「教材」で「生徒」がどう学ぶのか、あるいはどう学ばせるのかを把握して、考えに含んで教材を選択する必要があるわけです。教材の考案が重要になるといったのですね。
 今までにみた授業についても・・・、「アイスキャンディー」を「雪」でつくる授業では、「アイスキャンディー」「雪」が教材だったわけですね。それで科学実験をした。理科の知識なわけです。これで授業を受けた人は「わかった」わけですね。忘れないほどアタマに入った。障害者理解のためのアイマスクをつけての歩行の授業も「アイマスク」がそのときの教材だったにしても、校外学習で実験をしたわけですね。それで困難や立場が「わかった」のだという。これらの例は「実感」したのですね。より「身近に感じる」という理解でした。
 すると、生徒にとって学ばせやすい「教材」を求めるということは、・・・「教材」は身近に感じさせる(実感を助ける)ためのものなんだという選択基準があるわけです。わかりにくくする目的で選ぶわけは普通はないのですが。・・・もっともそう選んでもそれでもわかるかどうかは別問題ではあります。でも「わかる」ためのものですね。
 
◆補助教材、資料
   →教材の可能性・・・教え方、提示の方法で異なる効果
           ※洗脳、宗教、教会の聖書講読・説教・讃美歌斉唱
 「教材」のサンプルとして、世界史の補助教材の中のグラフと図、写真をあげました。こういうビジュアル的に見えやすいものを授業でつかうのは「教科書の記述」のみではリアリティが足りないからですね。教員の口頭の説明でもここまできく側の頭の中にイメージ画像を浮かべさせることは難しいですね。
 私がここで口で説明する。動物の「キリン」を知らない皆さんに説明するとする。「キリンは首が長くて黄色っぽい色でそれで小さい角があって、長い首と手足を利用して樹木の葉っぱを食べるのだ」と。「体には斑紋状の模様がある」とつけ加えたり・・・、それで知らないあなたのアタマに「キリン」の画像が浮かびますか。鵺(ぬえ)みたいにわからないものや、あるいは想像もつかないのではないでしょうか。それが「写真」で見ちゃうと、ダイレクトにわかることもありますね。わかりやすい。・・・わかりやすい順番(優先順序)は次回いいます。とにかくわからすためにこういった資料はつくられている。
 しかし、そういった資料も教え方、使い方、あるいは提示する方法によっては与える効果が違ってくるわけです。アタマに入るとか入らないとか、またアタマに入ってもそれが自分の知識として構造化されてとらえられるかどうかには違いがあります。
 
 例えば「洗脳」というのと紙一重のところもありますね。「宗教」などではそういう目的がありますね。「主体性」というのと関わりますが、「教義を信じる」ことが目的ですね。受け取り方はあまり「自主的」ではいけないのです。普遍とはそういうものだと考えられている。
 同じく教育的に教えるけれど、そこは違う。でも「教材」として例えばバイブルや、その暦に従った逸話などの題材があり、育成された宣教のプロがそれを信者に説いていく。「教材」も「教師」も「生徒(信徒)」もいて、そういう「環境」もある。構造は極めて共通するわけですね。いや、聖書の講読や説教、そして一斉に斉唱するなどはまさに後に教育に採り入れられていくわけです。
 私自身、ロシア人一家に生まれて以来クリスチャンだったわけで、そういうモノを体験してきています。日本の最初の外国人教師の多くはキリスト教宣教師だったし、学校も彼らがつくったりもした。また、学校のモデルともなったともいえますね。普通、宗派的なものをとりさったものが学校だったりしたわけです。国会議事堂、学校建築、そういうもののモデルの一つではあったわけですね。それ以前の集団の教化の場であったわけです。でも伝える目的、なんのための教育であったかは違うわけです。そういうふうに目的によって異なる。
 
   →資料の提示・・・黒板、プリント、OHP、教材提示装置(書画機)
                        *プロジェクターとの組み合わせ
 それで、資料の提示といいますか、教材をどう使うかということなのですが、例えば「教会」だと「イコン」などの聖絵図があったし、それは仏教等にもありました。で「聖書」を講読してその解釈を伝えるなどは、部分を読んで説明していくのですね。そういう「方法」だったわけです。または歌詞に意味をのせて、それで記憶や理解を助ける・・・、そういう方法だった。かなり大昔の教会からそういう方法があるわけですね。
 
 学校での提示も、教科書や刊行されたサブテキストの図絵もそうですが、普通は「黒板」をつかって箇条書きで構図を示したり、あるいは図示したり、またプリントをつかったりするのですね。こういうのが普通で、その部分部分を口頭で示しながら、ナンバリングしたりしてありますが、それですすめる。でも、必ずしもわかりやすいか、見落とさないかといった注意点はある。「書く」とか「色分け」などの工夫はできる。「読んで」指示することもできますね。しかし、時間はかかるし、読みながら書いてのバランスもたいへんだし、受取側の書いてきいて理解してというのもたいへんです。限界はある。
 
 そういう時に「OHP」とかの機器で示せば、同じ絵図が各自の手元にあってそれを口頭で示すよりは、そういう機器で指示しながらの方が「みえやすく」「わかりやすい」のですね。しかも「戻れる」ところが黒板の図とは違う(消したら戻れない)。また使い方によってはそういう「提示」だけではなく、シートにその場で書き込んでいけば、例えば聴力に障害をもっておられる方のための字幕にもなります。そういうライブな使い道もある。まぁ専用シートを作成したりといった煩わしさはありますかね。その点、「教材提示装置」は一歩進んでいます。プロジェクター内蔵型を今日はもってきましたが、この広い教室では見えないでしょうが、これをモニターに写すこともできますので、しかもカラーで、画像はビデオカメラと同じでライブに映るのです。そういう動きがあるし、見えやすい。もちろん文字を書いていくとかそういうこともできます。さらにパソコンからつないでその画像を、あるいは文字を投影したり、さらにはビデオからもつなぐことなども可能なのです。これはかなり大きな可能性のある機器といえます。実際に新進校の「インテリジェント化」などといわれる学校には教室にこういう機器が添え付けられていたりするわけです。直接、生徒にわかりやすく動く教材の姿をみせることができる。「教材」はこういう提示の方法の発展によって、また可能性が増していきます。「パワーポイント」による授業などについては前にお話ししました。変化する図像・文字で興味もひいて、しかもわかりやすくすることも可能なのですね。
 
 
◆教材から学ぶ
 「教材」から学ぶのだといいました。また授業には「教師・生徒・教材・学習環境」が要素として必要なんだといってきました。しかし「自学自習」とかで学ぶことはあるわけですね。ただそれは「授業」ではないのですけれど、学んでわかるということは同様のことでもある。
 「週間こどもニュース」という番組が「わかる」授業のヒントの一つだといいましたが、そういうテレビ番組とかからも学ぶことはあります。そして、実際に授業でテレビ番組を録画したビデオを「教材」として使用することもありますね。そういう授業、多いのではないでしょうか。
 「トーキング・タイプライター」という実験の話があって、たしかに対人間という状況がなくても、人間は言葉や知識を獲得していくことはできます。ですからそういう「授業」的プログラムをつくることも可能だとは思います。「視知力」などということばもあって、もとは障害児教育とかからでてきた言葉ですが、「観る」ことで「イメージ」として理解していく過程でのその「知覚」の一つといいますか、そういうわかる方向があるというのですね。だから視聴覚教育の分野などではそういうものが「認識」の一つとして研究されていっています。
 ただし、気をつけておかなければいけないのは、「映像」をみて「わかった」と思ったことが、本当にどうわかったのかはもっとよく別に考えていかなければならないと思います。なぜなら・・・、極論ですが、・・・それならNHKなりの教育番組のビデオをみていた方がわかるということになる。豪華にわかってもらうためにつくった準備された番組。もちろん授業にもわかってもらうために手をかけるのですが、しかし「映像」技術というみせかたが違います。そうすると、そういう方がいいということになる。
 
 だから、極端にいいますと、大学の授業でもありますね。ビデオを流すだけでそれで終わりだとする授業。・・・私は鑑賞という方法は否定しませんが、それだけを数多くやるというのは、ちょっとどうかと考えます。もちろん分野により違うとは思いますが。とにかく、お手軽に何年も同じビデオをみせるだけの授業。たしかに伝説的な授業として数十年間も同じテキストを読むだけの授業等がよく揶揄されますが、それとどう違うのでしょうか。共通するのは教員が「楽」というだけです。まえからいうように教員は「愛」とかじゃなくて「丁寧さ」が必要なのだと思います。「楽」でいいのか・・・。「楽しむ」のは必要ですが、「楽する」とは違うと私は考えます。そういう授業は好きではありません。「工夫」はわかりやすさ、伝えるための工夫であって、自分が疲れないためというのが中心になっているのだとしたらおかしいと考えます。もちろん「聖職者」とかそういうことをいうのではないです。「意識」の問題です。
 
  教育的番組・・・セサミストリート、ポンキッキーズ
 そういう視聴覚メディアでも私は二つに分けて考えています。一つは「教育的番組」です。もちろん普通の番組やニュースからも学ぶことはあるのでしょうが、「教育的」につくられた番組というものがあります。例えば「セサミストリート」です。この番組は米国で学力問題が懸念されたときにその対応策としての効果が期待されたプログラムの一つでした。ヘッドスタート計画といって、こういった番組を子どもが視聴することによって、文字・言葉・道徳意識などをある程度の基準まで身につけておくことができると期待されたのですね。日本でも放送されていますし、類似する「教育的番組」は世界中につくられました。「カリキュラマシーン」という名称の番組があったのですが、まさに言葉を教えるプログラムで、ペスタロッチ式のカード(掛図)の教育方法がつかわれているのですね。ちなみに言語獲得・修得のプログラムはどこの国でも似通っているといえます。「おかあさんといっしょ」とか、キャラクター中心に展開しながら、その中で知識を学んでいくという番組は効果も大きく、幼児教育の一つの担い手にもなっています。
 しかし、それは家庭内でいえばまさに「おかあさんがいっしょ」にいたり、あるいはキャラクターとのやりとりを通して興味をひきつけ、抽象的なものから、簡単なものから覚えて理解させるという意味ではまさに教育ですが、しかしそういう初歩初期的な学齢児童には効果を及ぼすとは思いますが、これとは違って学齢が上の児童・生徒のための番組はどのような効果があるのでしょうか。まさしく教育テレビでの「授業」の番組はある。それも客観的に授業をみて、得る効果はある。しかし、そういう番組自体は「教育的」であっても受けての状態によっても違うし、それもみせられた情報を個人差をもって受け止めるだけになりかねないと思います。難しいのですが、ではそういう番組の授業を流せばそれでいいのか、ビデオを見せるだけでいいのかということです。
 
  教育番組、放送教育の可能性
 それで、そういう「授業」の番組もそういう場合もあるのですが、講座とかでテキストと併用の場合もあります。そういう「教材」やあるいは「評価」といいますか、レポート提出等で講評もあるなど「やりとり」がある番組もあるわけです。そういうものを「教育番組」と分けて考えています。単純にいえば「放送大学」等の試みがそうです。地上波以外のそういう番組・プログラムが充実しつつあります。大手予備校などはそういうのをやっている。どこが「教育的番組」と違うかといえば「教えるべきところを教える」明確な目的があるわけです。基礎的な部分は「教育的番組」でも担える。情操などもそうでしょう。しかし、資格や専門的な部分などは共通のテキストと、その教材を映像からでも認識すべきとおりに受け止めたか、理解しているのかを確認する必要があるわけです。それには交信が必要となる。ですから直接対応でなくても、間接的にでもやりとり、コミュニケーションがあるわけです。その点で「教師・生徒・教材・環境スペース」が存在するのでそうですね、少なくとも「通信教育」とまではいける。放送大学はシラバスがあって、そしてテキストによって学んで、その補助としてバーチャルな講義があるわけですね。さらにレポート提出・評価などのやりとりがある。大学でも熱心でなければ、積極的に質問でもしなければ、それは授業が生であってもバーチャルなのと同じ状態ではありますね。ですからその意味では集団であるかどうかぐらいの差しかないわけです。
 以上のように可能性も含むものとして、映像の教育力として二つあると思います。
 
 とにかく、私は、「ただビデオ等をみせるだけ」の授業には懐疑的です。多様ではあるけれど、反応も多様ですし、それでいいという目的もあるでしょう。しかし放置になるおそれも大きいと考えます。こういうものはあくまでも一つの「例示」にしかすぎないのだと考えるべきです。すくなくともその意図が伝わらないと、私のような「疑問型」の不信感あふれる学生にとっては「楽勝」授業だけれど「教員不信」がめばえやすいし、結局わかりやすそうでなにも身にならない危険性があると思います。
 ビデオは自分でつくったものではない。もちろん「活用」は大切です。しかし、手抜きとの距離だけは注意しなくてはならないでしょう。
 
 自由のはき違えについては前回話したと思います。「強制」「画一」にならない工夫が必要なのですね。そして「引き出す」ということが難しい。しかし大切なわけです。そういうことのために「授業」という教育方法を考えるのは「手抜きじゃないプログラム」「教材の工夫・作成」が最重要となってくるわけです。
 
◆教材・教育方法の可能性・・・プロジェクター、あるいはコンバーターをつかう
  ・教育教材の開発
 いま、「ビデオをみせるだけの授業」をいいましたが、必要なものならいいわけです。それを判断するのが誰かが問題なのですが、しょっちゅうそればかりで「いい」と思い込んでいる人がいるのなら疑問です。何もしないのが授業であるとか、そちらの方がいい、というのなら教員はいらないわけです。「いない方がいい教員」「いらない教員」というのは受けての感想としてはあるでしょう。でもそれが自分の教育方針というのならば、それで具体的には自由にさせるとかビデオ流すだけというのなら、特定の分野をのぞいてですが、そういう教員はいらないと思います。
 きつい言い方を続けるのですが、もう一つは「いい教材がない」と嘆いている「だけ」の教員が問題だと思います。例えば「いい教育ソフトがない」から「できないんだ」と言い訳を続ける「だけ」の教員。そういう教員が「創造性」を説く時・・・例えば「教え込みじゃなくて個性や創造のほうが大切だ」などとですね・・・、そういうときに説得力を感じません。嘆いている「だけ」というのは「創造力」がないというのに等しい。文句をいうだけの教員です。あるいは(さっきもいった)同じく誹謗中傷だけの教員。そういうノリやウケも技術ではあるかもしれないけれど、教育は人気とりゲームではありません。一見楽しくてもなにもない授業。あわない生徒にとっては苦痛でしかない。
 ・・・ですから「教材」は開発するものです。応用でも活用でもいいのですが、新しい授業方法として「つくれる」可能性を紹介しましょう。
 
   例・htmlの可能性









 
   ホームページソフト、ワープロソフトから作成可能
   画像・・・スキャナー、フォトCD、デジカメ、ネット上のもの
      絵・図→ワープロ画面を「画像形式変換」、エクセル等
   動画、音声・・・JAVAスクリプトムービー、アニメーションGIF、
          動画カメラ(Mpeg、QuickTime等)
   ページリンク(構造)・・・例、yes noで選択して別のページに飛べる

 ★一度、ワープロ「ファイル」→「htmlで保存」→エクスプローラー等で
  右クリック→Editかメモパッドで開くか、あるいは「ワープロから開いて修正
  して保存」もいい。
 
 ★★★パソコンが無敵万能だとは思いませんし、いいませんが、しかし「みせる」方法としては可能性があるものですし、最新のものだとは思います。すでに「情報科」新設が予定され、そういう教員養成もはじまっています。小学校からインテリジェント化・IT導入で授業がかわってくると思います。一般にもIT講習とかが広く行なわれています。
 皆さんの世代だと、高校でパソコンやワープロの授業があったのかとも思います。私の時代にはありませんでした。いまでは教員養成課程においてパソコン授業が必修となっています。皆さんもそういう授業を受講しているわけですね。これからはネットで結ばれて学校間の交流も拡大するでしょうし、とにかくしばらくはこのような情報機器が大きくウェイトを占めると思います。
 それで、最新のパソコンには様々な機能がありまして、あるいは様々なソフトがある。もともと企業等のプレゼンテーションなどでもそういうのが使われてきたのですね。昔はスライドや模造紙等での掲示、せめてフリップをつくるか、あるいはビデオまでだった。OHPとかで写すこともありましたね。それがいまではパソコン上の操作で文字・画像・音・動画などいろんな可能性があるわけです。もうそうなっている。
 ところが学校の方ではまだ全体としてはそこまではいっていないですね。先駆的なこころみがあるだけ。ですから、それがプレゼン・発表として印象づけられて効果的だというのですから、そうなっていくべきではあります。
 それで、パワーポイントとか、いくつかそういう変化フリップ「画面」を出力・提示する「機能」(ソフト)はあるのですね。かなり前の授業で紹介していますが、どんどん映像と文字と音ですすめていくことができる。そういうものを学ぶのが必要かと思います。
 
 ですが、私は「開発」という方では、ハイパーテクスト(html)というのをおすすめしたいと思います。簡単にいうとホームページです。皆さんに授業のホームページをつくっているといいました。あれは(*これ)授業の公開ということと、反省と責任と、さらに受けれなかった人のため、あるいは授業中にわからなかった人のため、なにより自分の満足(確認)のためという目的があってつくっているのです。
 それで、なぜすすめるかというと、比較的に簡単につくれて、そして可能性が大きくあるからです。ほとんどのことが工夫によってできるのではないかと思います。そしてもちろんコンバーターというのを使ってプロジェクターあるいはビデオデッキに接続すれば、それを「画面」に映し出して、みんなで観ることができる。そして、戻ったり、変形させたり、あるいはその場でタイプして文字を入れたり・・・、いろいろなみせかたが可能なわけです。まさに「プログラミング」技術を修得すれば「教育プログラム」もつくれる。知人が何人もそういうことをやっています。ですから、「嘆くだけの教師」は本当に情けないです。ですから、皆さんに、そういうのをつくれるようになっていただきたいと思います。
 つくりかたはプリントに(ホームページでは上に)箇条書きで示しました。
 例えば、下のホームページの一部をみてください。それは右側のような「html言語」というもので書き示されたものが、ハイパーテクストとしてインターネット上(ブラウザ上)では左側のようにビジュアル的にみえるのです。これが「HTML」です。
 
                         *ソース























































 
<HTML>
<HEAD><META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html; charset=Shift_JIS"><META NAME="GENERATOR" CONTENT="JUSTSYSTEM Ichitaro11"><META NAME="CREATIM" CONTENT="17:11:8">
<META NAME="BUILD" CONTENT="2001/5/30"><META NAME="KEYWORDS" CONTENT=""><META NAME="JS_DocStyle" CONTENT="21000,29700,0,3000,3000,3000,3000,MS ゴシック,MS ゴシック,1,370,0,80,40,13,0,600,0,363276,0,2,4">
<TITLE></TITLE></HEAD>
<BODY BGCOLOR="#ffff00" STYLE="font-size:1em">
<DIV><B><FONT STYLE="font-size:3.15em" COLOR="#ff0000">教室の</FONT><FONT STYLE="font-size:3.15em" COLOR="#0000ff">構造</FONT><FONT STYLE="font-size:3.15em" COLOR="#ff0000">!!</FONT></B></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:1.19em">(授業・学習観の違い?)</FONT></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#660000">「アメリカの教室」</FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#0000ff">(一例)</FONT></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.00em" COLOR="#660000"> </FONT><FONT STYLE="font-size:2.00em">・・・</FONT><FONT STYLE="font-size:2.00em" COLOR="#ff00ff">経験カリキュラム!? </FONT></DIV>
<DIV><IMG SRC="houhoukari08_fig1.gif" ALIGN="LEFT" WIDTH="383" HEIGHT="459"></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.00em" COLOR="#ff0000"><B>生徒は一定して黒板を向いているか?</B></FONT></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.00em" COLOR="#00ff00"><B> ?・?・?・?・?・?・?・?</B></FONT></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#660000">「日本の教室」</FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#0000ff">(一例)</FONT></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#660000"> </FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em">・・・</FONT><FONT STYLE="font-size:2.00em" COLOR="#ff00ff">教科カリキュラム!?</FONT></DIV>
<DIV><IMG SRC="houhoukari08_fig2.gif" ALIGN="LEFT" WIDTH="361" HEIGHT="426"></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#660000">*</FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em">児童・生徒の方向に注目?</FONT></DIV>
<DIV><FONT STYLE="font-size:2.38em">この</FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#ff00ff">違い</FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em">は何か→→</FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#ff0000">「考えてみよう」</FONT><FONT STYLE="font-size:2.38em" COLOR="#0000ff">!!</FONT></DIV>
<DIV><A HREF="http://www5b.biglobe.ne.jp/~koga1999/houhoukari09.html"><IMG SRC="houhoukari08_fig3.gif" ALIGN="RIGHT" WIDTH="114" HEIGHT="31" BORDER="0"></A><FONT STYLE="font-size:3.00em" FACE="MS Pゴシック"></FONT><A HREF="http://www5b.biglobe.ne.jp/~koga1999/houhoukari07.html"><IMG SRC="houhoukari08_fig4.gif" ALIGN="TOP" WIDTH="114" HEIGHT="31" BORDER="0"></A><FONT STYLE="font-size:3.00em" FACE="MS Pゴシック">⇔</FONT></DIV>
<DIV><B> ?・&times;・+・&times;・+・&times;・+・&times;・+・&times;・?</B></DIV></BODY></HTML>
 
 どうでしょうか。右の文字、なにやら「暗号」のようにもみえますが、これが「左」の画面の「実態」なのです。こういう文字(左側)を「右画面の『ソース』」といいます。こういう文字(html言語)を打ち込んでいけば、左のように表示することができるのですね。しかし、左のような簡略なものをつくるのにも「右」のように打たなくてはいけないかと思うと「難しい」と感じられるでしょうか。
 たしかに私も最初はそういう「タグ」といわれるhtml言語を打って表示していました。そうやっておぼえました。しかし、今はそんなめんどうなことは必要なくなりました。そういう知識も作業もいらずに「左」程度のものは誰にでもすぐにつくれるのです。
 パソコンの初歩の授業で誰もが習うであろう、あるいは実際にもいちばん頻繁につかうであろう「ワープロ」ソフトですね。それで例えば「板書」みたいな箇条書きのレイアウトをします。文字を書くということです。
 次に「文字」に「色」をつけたり、拡大縮小といった「サイズ」をかえてみたり、あるいは「書体」もかえることまではできますね。ゴシックとか毛筆体とか。わりと簡単にできるようになります。
 そして「罫線」とかラインを引いたり、図や表を書いたりもできますね。グラフだってつくれます。ワープロ以外のソフトでつくってもいいです。それをはりつけられます。これも簡単にできます。
 また「絵」だって書けます。いや、線で書いた「表」だって、あるいは「文字」だって、それを「画像として保存」というふうにすれば、それは「写真・絵」として変えることができるのです。そして「絵」や「写真」は外から取り込むこともできます。デジカメで撮影してもいいし、スキャナーという「カラーコピー的」なもので取り込んでもいい。さらにその取り込んだ写真にも絵や文字を入れることができます。
 そしてワープロ画面でも「背景」に「色」をつけることができます。
  ・・・上の「左」はそういうふうにつくったものです。「ワープロ」でつくりました。
 そしてそれを「HTML文書として保存」みたいな「保存」を選択すればいいのです。次にその保存したものをクリック(開く)すれば、インターネット・ブラウザ上(インターネットを閲覧するための画面)に「左」のような形式で表示されます。
 
あとは「慣れ」です。ポイントは、まずおおまかに「ワープロ」でつくって、すぐに「HTMLで保存」にします。次にその「保存」したものを「マウス」で指示し(ポインター・カーソルを当てる)、「右クリック」すれば、「編集」や「EDIT」、あるいは「メモパッドで開く」あるいは「ワープロソフト(一太郎)で開く」などの「選択肢」がでてきます。前者二つで開くと「ホームページ編集ソフト」上であらわされまして、そのなかで「編集」できます。色をかえたり、文字を加えたり、画像を増やしたり、サイズを変えたり、他のページ(他のHTML文書)に跳ぶスイッチをつけたり、・・・いろいろできます。後者のうち「メモパッド」では例の「タグ」による暗号みたいな文字の羅列ででてきます。これに暗号を加えて微調整することもできます。最後の「ワープロ画面」だと、最初に書いたものに近いというか、それと「編集画面」との中間タイプで表示されます。
 ようは、どれが自分が「編集しやすいか」です。編集・修正後「上書き保存」をすれば、次に開いた時には修正されたものが表示されるわけです。
 こう考えると、簡単ではないでしょうか。
 
 さて、この授業では、実はそこまでやっていただこうと考えていました。しかし12回しか講義の時間がなくて、どうしても足りないのですね。ですから「課題」を与えて模擬授業用画面をつくっていただくというのは断念します。これは今後、必要になるかとも思います。皆さんで勉強してみてください。
 申し訳ないのですが、後期の授業の方は13回か14回あるので、そちらではこれをやっていただこうかと思います。それで、皆さんにはそこまで時間をかけれなかったけれど、しかしレポートを「メール」で提出する、ぐらいまではやっていただきます。ただ出せばいいというのではないのですが、まずそういう出し方ぐらいは気楽にクリアしておきましょう。そんなにテクニック的には変わらないのです。ですから、まずそういうネット上に関わることができるし、情報を発信できるのだという第一歩まではやっておきましょう。わからないことは私のホームページ上にも書いておきます。またメールできかれれば確実にお応えします。
 以下の「規定」にそってレポートを書いてください。
 

投稿規程   メールで koga1999@mti.biglobe.ne.jp へ(7月 日まで)
 「21世紀の教育方法の可能性」というタイトルでレポート。

@添付(ファイルを「添付」)、Aテキストとしてメールにそのまま書く(Macの人はそうしてください。)、B携帯メールの人も、そのまま文書で何度かにわけてもいい、CFDで提出も可(来週の授業時に提出→テスト時に返却する)、

そのままホームページに採用・掲載されたものは、後輩への授業に貢献したという点を評価して5点プラスします。つまり評価は105点満点です。