第六回(5月25日)
(2) 『方法、内容等に関する歴史的展開』(続き)
 
 今回で「歴史的」な説明は終わるつもりです。次回からは後半戦として「新しい教育方法」に注目していきます。
 前回、「コメニウス→ルソー→ペスタロッチ→フレーベル→ヘルバルト→デューイ」と見てきまして、これが「近代教育」の流れであり、常に従前のものの限界を批判して発展してきたのだといいました。とくにデューイからは教育観も変わっていると・・・。「知識の教授(教師による教授)→→学習者主体の学習」へと転換したのですね。
 しかし、するといまの日本の教育はどうなんでしょうか。以前に比較したように米国のものと違うのだとしたら、「知識の教授(教師による教授)」ということになります。たしかに学歴社会だの受験競争の弊害だの、画一的だなどと批判されることも多くあります。それで現在では「ゆとり」だの「生きる力」だの「心の教育」だの「自己教育力」だのいわれているのですね。だとするとこれから米国のようになるのか。・・・でも前回みたようにデューイの教育は大正期の日本へも入ってきていたのですね。大正デモクラシーとか自由教育とかいわれた時代があったわけで・・・、それがあったのになぜいまは違うのか・・・そしてまた「批判」され「改革」が叫ばれるのか・・・。そこには複雑な繰り返し現象、取捨選択の歴史があります。
 今日は「近代」と「現代」の教育内容の流れを簡単に比較します。もっと詳しく細かにみていく授業もあるのですが(他大学の他の講義科目ではそうしています)、この授業では一回で終わらせます。とにかく比較して、何が変わらないのか、どう変化するのか、そういうことに注目していただきます。
 
 次の図を見てください。
 
★近代教育内容の変遷



























 

江戸時代(封建制国家・幕藩体制下の教育)
(武家・
  藩校)
 儒教

(庶民・寺子屋)
 読
 書
 算












 



























 

1872年
(明治5)学制

 
綴字  習字  単語  会話  読本  修身  書読  文法  算術  養生法地学大意理学大意△体術 △唱歌







 



























 

1879年
(明治12)教育令

 
読書
習字
算術
 地理
 歴史
修身
○罫画
○唱歌
○体操
○物理
○生理
○博物
○裁縫








 



























 

1880年
(明治13)教育令

 
修身
読書
習字
算術
○地理
○歴史
○罫画
○唱歌
○体操
○物理
○生理
○博物
○裁縫








 



























 

1890年
(明治23)小学校令

 
 





 

1941年
(昭和16)国民学校令
 
 










 
大正自由教育




 










 
修身
読書
 作文
 習字
 算術
○体操
○日本
  地理
○日本
  歴史
○図画 
○唱歌
○手工
○裁縫






 
国民科
修身
 国語
 国史
地理
理数科
算術
 理科
体錬科
 体操
 武道
芸能科
 音楽
 習字
 図画
 工作
 裁縫



 










 

→→→
戦後











→→→












 

1947年
(昭和22)


 
国語

 社会

 算数

 理科

 音楽

図画工作

 家庭

 体育

自由研究




 



























 

1992年
(平成4)


 
国語

社会

算数

理科
 
 生活

 音楽 

図画工作

家庭

体育




 



























 
 
 近代以前の江戸時代はともかく、次の「学制」から「戦後」の前までが近代です。教育課程の何が変わったのかがわかる。・・・「学制」は開国後、維新後最初の教育法制ですから前例無くきわめて直訳的でした。「国語」の教え方の種類分けにもそれがあらわれています。「教え方」によって教科が分けられた。・・・それが不都合とされてか明治12年には改訂されます。でもそれでは間に合わず、この法令自身もその年内に批判的意見が出てきまして、それで「儒教的道徳の重視」が指摘され、天皇側近筋から出てきたことであるし、当時は自由民権運動もあったのでそれに対するために天皇の権威をかりようという方向に政府も従うのですね。それで「修身」が筆頭科目になった。江戸期の「読み・書き・算」と「儒教道徳」にまるでもどったかのようなものですね。「西欧かぶれの人間では日本社会はダメになる」かのような意見があったのです。その路線上で「教育勅語」というのが出されて、国民的行事・儀式や大日本帝国憲法などといっしょになって「天皇制国家体制」の形が完成したのが明治中頃です。教科書が自由翻刻から検定制、そして国定化へと向かうのといっしょで統制的なものになってきた。「日本」歴史や地理なんですね。限定している国粋主義的教育でした。ここまで20年間・・・。でもそれから10年ぐらいでやはり反動でか新しい教育の試みが出てきて、そして20年後には大正自由教育という時代になります。海外の新教育運動というものが入ってきたのですね。しかしこの時期には日清・日露から第一次世界大戦もあり、国際化に向かいきれなかったという状況がありました。それでそれから20年後には反動的に軍国的な戦前日本の教育体制ができあがっておりました。それで戦争になって、敗戦。その後、日本国憲法と教育基本法、学校教育法に基づく「現代」の教育になるのですね。ここまでが「近代」であった。
 次に「現代」はどうなのか。次の表をみてください。
 
 「学習指導要領」の変遷
1947年、「学習指導要領・一般編」〔試案〕を発行(3月)。実施4月〜。
    高校「新制高等学校の教科課程に関する
 近代以前の江戸時代はともかく、次の「学制」から「戦後」の前までが近代です。教育課程の何が変わったのかがわかる。・・・「学制」は開国後、維新後最初の教育法制ですから前例無くきわめて直訳的でした。「国語」の教え方間の特設、科学技術教育の重視。(教育内容の現代化)
    官報告示。(文部省は学校教育課程の拘束を主張、教科書内容の統制進む)
    実施、小(61.4〜) 中(62.4〜) 、道徳は58.10 〜。
1960年、高校学習指導要領改訂(実施は63年) 。
1968〜70年、改訂。教科内容の現代化、小学校から集合、関数など導入。神話教育復活。
    実施、小(71.4〜) 中(72.4〜) 、高校(73.4〜) 。
1977〜78年、改訂。教科内容の過密化を改善するとし、授業時間の削減、前回導入の集合を削除、
    「ゆとりの時間」設定。高校では「習熟度別学級編成」導入が提示。
    実施、小(80.4〜) 中(81.4〜) 、高校(82.4〜) 。
1987年12月、臨時教育審議会答申をうけ、教育課程審議会は、道徳教育の充実、
    (小) 低学年の社会科・理科の廃止と生活科の新設、(高) 社会科の「地歴科」「公民科」へ
     の分割等をもりこんだ答申を発表。〔他に「格技」を「武道」に〕
1988〜90年、上答申をうけ、学習指導要領は戦後6度目の改訂。
    実施、小(92.4〜) 中(93.4〜) 、高校(94.4〜) 。
2002年、学習指導要領は戦後7度目の改訂。「総合的学習の時間」。学習内容の「精選」。


















 
 
 学習指導要領というナショナルカリキュラムですが、最初は米国式の内容でしかも「試案」という性格であった。強制ではないのですね。統制でもない。それが約10年でその文字が削られ、また官報掲示という準法制的になって「統制」が強化されました。それで「道徳」が復帰します。戦後、「修身」という天皇制儒教的道徳科目が批判されて、それはカットされたのですね。それが復帰している。ちょうど制定後20年あたりで日本は高度経済成長の時代を迎えて自信を復活させているのですね。東京オリンピックや新幹線開通やいろいろ特徴的なことはあります。そのころ、文部省の諮問機関である中教審から答申が出され、その中に「期待される人間像」という文書があったのですが、ここでは露骨に「国民意識」として「家族」「国家」の尊厳を説いていますし、そして「天皇」を尊敬の対象としてみるそういう日本国民意識が必要だと記されているのです。いったい誰がつくった意見なのか。・・・これは明治12年に批判された意見とそっくりですし、いままた「新しい歴史教科書をつくる会」で言っていることともひじょうによく似ているのですね。日本人は日本人としての尊厳を忘れるなという嘆き節・・・。同じタイミング(周期)での繰り返しに思えます。まぁ、もちろんそれは物議を醸し、批判的意見もあったのですが、道徳復活路線につながります。やがて「神話」の教育すら再開されました。一方で「ゆとり」路線もでてきまして、教科つめこみ教育の批判的意見も出てきています。今回の学習指導要領の改訂も「ゆとり」路線なので一面では「国際性」方向なのかもしれません。しかし、その一方で「教科書問題」や「日の丸・君が代」、それこそ「神の国発言」から「自衛隊集団的自衛権」なんて構想もある。いまは同じ近代末期と同じ波でどちらにブレるか不鮮明な時期ともみれます。
 もちろんただちに戦争だなどと不安はあおりません。ただし大人のフラストレーションというか子どもしばりは必ずあります。「奉仕」の義務化もそうですね。あれの行き着くところはへたしたら徴兵制です。「奉仕の義務」って何時代の話ですか。ヴォランティアは「奉仕」と訳すべきではないかもしれない。たてまつり、つかえるというのはきわめて政治的・権力的・支配的なコトバです。まぁ、ここではとにかく、なぜか似ている周期で繰り返しがあるようだとだけ感じ取ってください。
 「国際性」と「独自性」。これをカリキュラム論で別のものにあてはめてみれば日本は「教科カリキュラム」型であり、米国は「経験カリキュラム」型という考え方があって、その間をジグザグしているのだともいえるかと思います。これにも対応すると・・・。







 
 <日本>
教科カリキュラム
・教科、教材、教師が中心
・準備された教材に従って教える
 (マニュアル化)
・全員が同じく反応し、一様な学習結果を得ることが目的
・教育とは学校で教授を受ける



←  →



 
 <米国>
 経験カリキュラム
・経験や活動、学習者が中心
・実際の学習場面に応じて教材を選択
・反応も学習結果も多様、個別になることが予想される
・教育とは連続的な成長の過程







 
 
 それで、米国式が入って「国際性」の動きが多くなると、必ず反動的に「日本的独自性」を主張するむきがある。その時、理由として「学力が云々」といわれるのですね。現在も「学力低下」論争がありますが、流れは同じかなと・・・。例えば逆に米国では前大統領クリントンの時に学力向上のために「日本的方式の導入」がめざされていました。ないものねだりではあります。極端にいうとこの二つの系統なのですかね。それで日本はといえば「総合的な学習の時間」という新しい科目によって、経験カリキュラムをまた採り入れようとしているわけです。これが成功するのか、またもや反動的方向に転換するのか・・・、これからの日本の教育はどういう方向に向かっていくのかに注目する必要があります。この二つのカリキュラム観、学校観、教育観、そして子ども観によって、授業というものは大きく変わります。次回から『総合的な学習の時間』という最新の授業についてみていきます。