第五回(5月18日)
(2) 『方法、内容等に関する歴史的展開』
 ●前回までの復習を簡単にまとめると、次のようになります。































 

@ 基本的な伝達方法
・・・話す(言葉)、書く(文字)。個人、少人数→多数を相手に授業。

 *学校の歴史(・・・公立学校制度ができるまで)
 @古代→ギリシア古代都市の哲学スクール、アカデミア等。プラトンやアリストテレスらの哲学者・教養人。一部の政治的指導者=「知識人の教養」のためのものという限定。
 A中世→ヨーロッパ・キリスト教の宗教思想。僧職が特権階級。僧職のための学校。 
 Bルネサンス期→科学の発達。宗教改革、世界観変革。実学が流行。私塾。学問熱が高まる。
 C絶対主義国家確立→支配階級の教育。国民統一、軍事力をつけるための教育。国民支配。
 D産業革命期→資本主義化、貿易等で経済力を増す国、工業化によって国力を富強した国が「近代化」。工場労働問題との関わりで国民に知識を与える必要、子どもへの教育の必要性が説かれる。
 E公教育制度の確立→19世紀後半に初等教育の義務化という形式で達成。義務・無償・中立性の3原則が公教育の特徴。

A 新しい授業方法→新メディアの教材、教授方法。
・・・明治時代(日本の最初)の教育方法・技術論=指教法
 @多数の生徒に教えるために教材(掛け図・教科書)がつくられる。
 Aそもそも「学校」もなければ「教師」もいなかったため、「決められた授業方法」マニュアルがつくられた。「問答法」を中心とした事物の教えかた「庶物指教法」であった。

B 一斉教授における初期の形態・教育方法=助教法(モニトリアルシステム)
 @最初の「教師養成」は上のような状態であり「間に合わせ」的。効率よく「教員不足」を補う必要がある。
 A「庶物指教法」の前には「助教法」が行なわれた。他の国でも最初はこのシステムがとられた。

C 日本とアメリカの教育方法の形態(違い)
 @米国の授業は生徒の「学習」中心で動きがある。日本は人数も多く、固定的であり、教師中心になりやすい。
 Aテキストの内容は「庶物指教法」と同じ。教えかたとシステム、教育観が違う。
 































 
 
 少しお説教じみた話になりますがちょっと「話をきいてください」。まさに「きく」ということについてですが、先日、新聞に「あなたは話すのが得意か、聞くのが得意か」とアンケートした結果が載っていました。「得意、得意でない、どちらかというと・・・」というように答えさせた結果ですが、しかし「他者の話をきくのが苦手で話すのが得意」というのはどうでしょうか。私は教育の方法を「話す」「書く」というのが基本にあって・・・といいましたが、これは「伝え方」ですね。しかしさらに伝承していくには「受け取り方」が必要なわけです。受け取られなければまた意味がなくなっていく。また「教える」にしても「理解してわかっていること」を「伝える」のですよね。教師も生徒だったわけです。教えられた、伝えられたことを受け止める、そして理解して、それを「伝える」。すると当然「受け止め方」も重要です。「話す」表面的な技術も大切だけど、その前にその内容を受け止める、つまり「話す」ことを「聞く」ことが大切ですね。こういうと「俺の授業を聞け!」と言ってるようでお説教みたいになりますが、そういうよりも、むしろ私は話がうまい方ではない、だから「聞き取ってください」と言っているのです。勝手な話ですけど私は何でもわかる人間だなんて自分を思っていないし自信もない。責任はあるから努力はしますが、誰にでも自分があうとは思えない。それにこれだけの人数の教室です。聞こえない、見えないと思っている人もいるでしょう。そういう人は遠慮なくききにきてください。メールでもいいです。僕には授業する責任がある。皆さんにもそれを受け取る自己責任もないわけじゃない。授業が「教員・生徒」(皆さんは「学生」ですが)というものがいてはじめて成り立つのだという考えを、おそらく教員志望の皆さんはもっているのでしょう。ならばわからないままにしておかないで、いつでもきいてください。わからないということには答えます。さて、今日は以前「学校設立前史」はザッと話しましたが、今日は近代以降いまの「学校」がどのようにして形成され定着し、その中で「教育方法」がどのように構想され実践されていったのかを歴史的にみていきたいと思います。
 
 
 ●教育思想家=教育方法論を説いた人
 教育学をつくりあげた教育思想家を概観することから考えていきます。近代教育のキーパーソンと呼ばれる人々を古い順にあげてみることで全体の流れを説明してみましょう。
 なお、基本的に「人名」や「事柄」を記憶しろとはいいません。「知識」として学ぶのはいいのですが、とりあえずまずは発展の経緯・歴史・雰囲気をみてもらって、そのキーワードたりえる人物を紹介してほんの一部の活動を話すぐらいに限定します。各自で興味をもった人物について調べてみてください。また、各人物の著作もあげますので、具体的にその人物の思想を知るにはそういうものにも目を通すといいと思います。難しい本もありますが、新書版のものもあります。教養のためにはいいのではないでしょうか。
 
 まずはコメニウスです。
@コメニウス(Comenius, J.A. 1592-1670)
 教授学を構想した人物でラテン語を教える教科書として『大教授学』(1632年)を著し、また世界初の絵入り本『世界図絵』(1658年)を著した。「近代教育学の父」と称される人物。幼児の自発的な発達に注目し、ようするに家庭で児童を教育するということを重視して指摘した。特に知識というか言葉の教え方にウェイトを置いた。やさしいものから難しいものへと学ぶ(理解の)順序を考えた。とにかく人間にとって「教育」の必要性を説いた人。授業の進め方として自然界でいうところの「太陽」のように全生徒に同時に教授することを説いた。ベルやランカスターによって助教法として各国に広まったものもこの影響を受けている。
 
 前回の「助教法」的構想ですね。学校というか「工場」のように教えるといいますか、そういう一斉教育の必要をいっていた。図示テキストといいますか知識伝達の効率性・教材をつくった人物でもあった。
 
 続いてはルソーです。世界史の授業等にも出てきた重要人物です。
Aルソー(Rousseau, J.J. 1712-1778)
 ルソーは『社会契約論』を著してフランス革命に影響を与えた人物で、教育論としても『エミール』(1762年)を著して近代教育史上に大きな足跡を残している。自然主義、子どもの自発性、内発性、主体性を尊重するという「児童中心主義」の教育観を展開していた。「消極的教育」といって、教え込まない教育、自然な教育を標榜していたが、革命論と同じく、当時の教育に対する反発から出たものでもあった。当時、フランスでは暗記重視の教育だった。それを批判して自然主義的な教育を主張した。『エミール』の内容は家庭教師による個人教育と発達・成長について書かれている。小説で教育論を展開し、大きく影響を及ぼした人物である。
 『エミール』は今でも教育界で聖書的(福音書)に扱われるベストセラーです。個人的には複雑な人物でしたが、当時思想家として影響力があり、「画一的で詰め込み的な教育」を批判したという点がひじょうに印象的です。しかし、そのルソーをあげて「教育は必要」としている現代の教育(あるいは教員養成)は、やっていることは「画一的な現実ももつ集団教育」という現実(矛盾)があります。教育とはそういうものなのかもしれません。その二面性については次回さらっと説明します。
 
 次に、実際に「学校での授業方法」を実践して考案した人物です。
Bペスタロッチ(Pestalozzi, J.H. 1746-1827)
 ペスタロッチは実際に学校を経営して教育の方法を研究した人物である。直観主義の教育方法(メトーデ)を確立した。「直観」とは直接モノを観て教えるという実物主義の考えで、「数・形・語」を教えた。例えば果実でその数、形体、名称や性質を教える。基礎陶冶を重視して、その上で開発主義の問答法で認識をすすめていくのであった。
 ペスタロッチの教授法は以前に資料でみたものです。明治期の日本にもこれが最新のものとして導入されました。実物で「数・形・語」を教えるというのは、例えば「りんご」をもってきて、その名前を教え、性質を教えます。丸い、赤い、青い、大きい、小さい、硬い・・・、いろいろありますね。綴りも教え発声発音も教えます。そして比較して数概念も教えられます。洋数字を教えて、その書き方、概念を理解してから、応用して増やしたり減らしたり・・・、足し算にも引き算にもなりますね。半分にカットすれば分数も可能ですか。・・・とにかくそういう教え方が可能である。これは物でなく絵図に省略されることが多かったですね。「実物主義」ではあったが形式的ではありました。前回のインターナショナルスクールの算数の教え方がまさにこれですね。この基礎を言っていた人とも考えられますか。世界中に広まって行きました。
 
 その方法を応用してその前段階で試みたのがフレーベルです。
Cフレーベル(Frobel, F.W.A. 1782-1852)
 上のペスタロッチの学校で学んで幼児教育で実践した人物。幼稚園(Kindergarten)の創始者であり、英語圏でもキンダーガーテンというように、彼がつくった名称がのこっている。子どもの自己活動を重視して、児童の遊戯の教育的意義を指摘した。遊具(恩物)を考案して幼児期の教育のあり方を提唱した人物。『人間の教育』(1826年)を著した。
 「遊戯」や「遊具・玩具」、とくに「恩物」というもので様々な形や数を体得させるように考えました。いまの幼稚園の教育の基礎もここにありますね。
 
 そして「教授学」といいますか「教育学」を大系化するのに尽くしたのがヘルバルトでして、ペスタロッチに並び称される人物として知られます。
Dヘルバルト(Herbart, J.F. 1776-1841)
 ヘルバルトもペスタロッチに接しているが、科学としての教育学の確立を目指して活躍した人である。学校教育の基礎を構築したともいえる。四段階の理論として「明瞭」(個別の知覚)・「連合」(表象の連合)・「系統」(多数のものの関係・秩序)・「方法」(応用)を掲げた。のちに弟子たちによるヘルバルト学派によって五段階(予備・提示・比較・総括・応用)に変えられ世界中に伝わるが形式的な段階説となってしまったという点もある。
 明治期に日本の学校制度が確立した時に最も影響力をもっていたのがこのヘルバルト主義の教育でした。助教法を乗りこえたペスタロッチ主義をさらに乗りこえたものともいえます。ここで教科教授法の大枠は完成した(ここまででいちおうの完成をみた)とも考えられます。
 
 その後、ヘルバルト主義等の集団教授を画一的で教師中心であると批判し、新しい教授法といいますかあるべき教育観を説いたのがデューイという人物です。
Eジョン・デューイ(Dewey, John 1859-1952)
 アメリカのシカゴ大学における実験学校で自らの哲学思想(実用主義・プラグマティズム)に基づく経験主義的授業研究(実験主義)を行ない、「社会」と人間の成長・学校との関係を説いた。著書『学校と社会』『民主主義と教育』等とその基礎理論「経験主義」「問題解決学習」「児童中心主義」等が20世紀新教育運動の中心的理論となった。「子どもが中心・太陽」であり、学習者の経験・周囲のことから出発・組織していくのが授業ということになる。作業等をとりいれたのも特長。
 デューイによって、根本的に教育観はくつがえされたともいえます。もちろんルソーもなにも「児童中心主義」をうたってもいますが、その「授業」を具体化して普及させたのはこのデューイ等です。例えば次のように世界中に「新教育」として広まりました。
 
→→キルパトリック(Kilpatrick, William H. 1871-1965)
 デューイから指導を受け、「プロジェクト・メソッド」を開発。子どもに発見・計画させ、その解決作業を通して知識・経験を得させようとするもの。
→→1920年代以降、「能力別学習」「個別学習」(生徒の能力・個性差、自主性を尊重するシステム)が流行。ウォッシュバーン(Washburne,Carleton W. 1889-1968)の「ウィネトカ・システム」、パーカースト(Parkhurst, Helen 1887-1973)の「ダルトン・プラン」、モンテッソーリ(Montessori, Maria 1870-1952)の「モンテッソーリ・メソッド」。日本でも大正自由教育として沢柳政太郎の成城小学校での実験(1917年)、及川平治(明石女子師範附属小学校)の各科分断の方法、木下竹次(奈良女子高等師範附属小学校)の合科教授、小原国芳の玉川学園の教育、羽仁もと子の自由学園などがあった。
 
  以上のように、「知識の教授(教師による教授)→→学習者主体の学習」へと転換したのですね。ちなみに「近代教育」という場合の「近代」とは何かというと、日本の場合はたいていは「明治期から第二次世界大戦敗戦まで」が近代で、それ以降を「現代」としています。それでいうと、このコメニウスからデューイまでが近代ともいえます。次回はこの「近代」と「現代」とを比較してみます。「教育方法・内容」がどう変わって、何が変わらなかったのか。それで「教育」というものの本質がみえるかもしれません。
 
 ちなみに、前回みた「アメリカの教室風景」ですが、これがデューイの言った「教育」でもあります。それがいまも生きている。なぜなら「バラバラ」ではありますが、児童・生徒それぞれの興味で「調べ」学習をして、そして報告して討議をする。教師はブラブラ動く・・・。「子どもが太陽」なんですね。コメニウスと助教法の教室構造は「教師が太陽」でした。公平に照らすという意味では良いことです。でも「教師中心」になってしまう弱点はある。その意味でペスタロッチ主義でも、いまの日本の教室構造でもそうですね。ですから「教科書」の内容は同じです。でも「考え方」「方向」が違うのです。それについては後で「経験主義」「総合的学習」という新しい教育方法としてお話しします。
 
 以下のことについて次回ミニレポートを提出していただきます。
1、テキストや掛図を示しながら事物を教える方法は「授業方法」としてどういった点がすぐれていたのか。あるいは改善されるべき点は何か。
2、「助教法」のすぐれている面、および問題点は何か。
3、経験主義的教育のすぐれている点、あるいは問題点は何か。
4、時間があれば何かご意見をどうぞ。