★講義内容をあとから台詞調におとしてアップします。おそらくこのようなことを話しているはずです。喋ったことをほぼそのまま再現するのが私の得意技だったりします。
 
 
第一回(4月13日)
 
 シラバスの配布後、「教育の方法・技術論」の授業の内容について説明。
 特に次の点に注意をよびかけた。
 
 ●シラバスは講義内容の計画であり、ある程度の約束であると思うが、15回で構想していたところ、学期の暦によれば(大学にも確認したところ)、「12回」(4月13日、20日、27日、5月11日、18日、25日、6月1日、8日、15日、22日、29日、7月6日)しか時間がない。従ってシラバスの内容をつめていくこととなる。短い時間で充実させていくよう努力したいと考える。
 ●シラバスに示したように、この授業には教科書はないので、より深く勉強したい人は、授業ごとに参考として挙げる本やホームページを見ていただきたい。特におすすめの文献等があれば紹介したい。
 ●この授業は、教員としての「授業の方法」「教育方法」について考えていくものである。シラバスには二本の柱をたてた。「教育方法の歴史」からその方向性や課題を理解し、なぜそうであったかの意味を理解することと、「新しい教育方法・授業の試み」を学んで、自らが教壇に立った時に役立てられるようになることである。
 それが目的であるが、しかしこの授業にあてられたこの「教室」(341教室)を見ていただきたい。皆さんの人数も見ていただきたい。階段教室ではなく、8×25列ぐらいまで席があり、皆さんはだいたい150人ぐらいいてぎっちりと座っている。そしてビデオ等が設置されていないしモニターもない。・・・これは、こんなに受講者がいるとはわからなかったためであろう。
 すると、例えばビデオ(映像資料)でその実践例を見ながら、その背景にある理論とその問題点とを考察していくことや、あるいは書画機やパソコンでプロジェクターをつかった方法などをしにくい(困難がある)。
 さらに「板書」すら後方の席の学生にはみえにくいという難点もある。これらをふまえて、この状況に対応しながら最善の授業をすすめていきたい。
 
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 「教育の方法・技術論」は「教職」のための必修授業です。今日ここにきている皆さんは教職を希望するからここに来ているのだと思います。日本大学では1年生時から履修できるので多くは各学科の1年生でしょうか。取得を希望する科目は国語、社会、体育、理科など様々だとは思いますが、「教員」という共通した職業の資格を得るためにはいくつか必要な共通な科目があります。そのうちの一つがこの授業です。
 
 教員になるためには必要不可欠なものと考えられている科目は次のようなものがあります(この表は配布していない。板書と口頭で説明した)。教職員になるための法規というか、必要単位の定められた施行規則では次のようになっています。
 
 *教職に関する科目(免許法施行規則に定める科目区分等)












 
 科 目各科目に含める必要事項単位
教職の意義等に関する科目・教職の意義及び教員の役割、教員の職務内容、進路選択に資する各種の機会の提供等
 
教育の基礎理論に関する科目
 
・教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想

 
・幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程
・教育に関する社会的、制度的又は経営的事項
教育課程及び指導法に関する科目
 
・教育課程の意義及び編成の方法、各教科の指導法

 
・特別活動の指導法
・教育の方法及び技術
生徒指導、教育相談及び進路指導等に関する科目・生徒指導の理論及び方法、進路指導の理論及び方法
 
・教育相談の理論及び方法(カウンセリングの基礎知識含む)
総合演習 
教育実習 












 
 
 教職の意義については日大では「現代教職論」です。「基礎理論」について「歴史及び思想」は選択必修として「教育の思想」「教育の歴史」があります。あとは心理的なもの、社会学的なものですね。そして3番目の「教育課程及び指導法」ということで必須とされるのが「(各)教科教育法」「特別活動」等の教科指導及び部活動などの指導法であり、そしてこの授業が「教育の方法及び技術」というのに対応するものです。思想や歴史に対してわりと実践的なものといえるかもしれません。他に「生徒指導論」と「教育相談」という、実際の児童・生徒とのふれあいかた、接し方、相談・支援のあり方もあります。ここらもいわゆる「実践的」な科目でしょうか。その他に「教職総合演習」と最後に「教育実習」。以上をとってはじめて教員免許が申請して認可されるわけです。教師の品質保証というか、レシピみたいなものですね。
 私も恥ずかしながら大学の教員になる以前に高校で教育の現場に立っていた時期があります。実質4年間だけでしたが・・・。そして皆さんと同じく大学で教職課程の履修をして受講をして資格をとった。科目は当時と今とは若干違っていますが、まぁ、現場に出たときに何が役立ったか、何を教わったことが役に立ったかは人それぞれかもしれません。
 現場では「即戦力」の教師を大学で養成するよう求めてくる。でも、それはかなり無理があります。私も社会科(地理・歴史&公民)の教師でしたが、現場で教える際に一生懸命勉強してなんとかできたという感じでした。教材研究とか準備が教科教授法の授業を受けるだけで即戦力になることなんてそんなにないと思います。生徒に接していないのにカウンセリング能力が即戦力になるはずがありません。原理的科目は即戦力として発揮するものではなく、精神として内在させるべきものです(そういう大事なものと考えます)。
 そういうように思いますが、この「教育方法・技術」については「即戦力」が求められうるかもしれません。「即戦力」というか「即、役に立つ」。そういうことを学び、身につけておくことがこの授業の存在意義かもしれません。
 
 とはいっても、「即、役に立つ」ような知識・情報、「最新の方法」を学ぶには、この教室でのこの授業方法では少し難しいかもしれません。それで、いま、私は少し困っています。考えています。
 このスペースとこの人数でできる「授業の方法」。これを考えていく必要がまさにあるのですね。
 これも「教育方法」です。
 
 シラバスの上の方に「授業の方法は講義形式を中心」と書いてある。必要に応じてメディア機器を活用し、またメール等を試すとある。・・・「講義」はこの教室でも可能です。この教室の構造、長方形で皆が前を一律に向いていて、その前に教壇があって黒板がある。このようにマイクをつかって私が喋る、話す。それを机の上でノートとる。ただし、さきほどシラバス配布時に後ろまでまわってみましたが、後方の席の人に見えるような文字を黒板に書くと、かなり板書の量も限られます。そうするとスピードをあげるか、あるいは箇条書きにするように減らすか・・・。制約を受けます。「ここで何を教えるためにどのような伝える方法が可能か、あり得るか、最善か」、それを考えていくのが、それこそがこの授業の目的の一つなんでちょうどいいかもしれません。
 (右手をあげて)こうして手をあげる・・・、よく注目させたりする方法としてそういうポーズがとられます。緊張させたり、ゆるめたり。あと声の調子を変えること。強調したりとか。板書の文字の色を変えるとか・・・。ここでそれをやったら見えにくい色もありますね。赤と白ぐらいしか後方では見えない。「机間巡視」といって、歩きまわりながら授業をする。マイクがコードレスなら可能ですが、どういう意味があるか少し疑問です。気分をかえるぐらいかな。まぁ、古典的ではありますが、基本的にはいまできる方法としてこの講義形式をすすめていきます。
 もちろん、AV機器を使ったり、ゼミ形式・円卓形式で話し合ったり、ディベートしたり、ディスカッションしたり、グループワーキングとか、アシスタントをつけた授業とか、誰かに発表させたり、質疑したり、・・・語学ならテープレコーダーつかったり、会話したり、実習とか・・・いろいろな授業の方法はあります。そういうのは知っていますよね。それらをここで行なうのはなかなか困難でしょうが、それらの存在と必要な理由・効果などは徐々に説明したいと思います。
 他にもノバが「お茶の間留学」とか言ってサテライトのマンツーマンというかやってますね。テレビ電話だと画像の動きがずれる。ところがパソコンでもそうだけど電話回線じゃなくてテレビアンテナを使えば、ケーブル回線でやれば受信送信量が増える。例えばこの教室がいっぱいなら窓の外を線をつなげば線の範囲内でサテライトというか一方的にビデオカメラからの画像は送れますね。それのやりとりをできるという発想。・・・とある大学がとりいれているという。・・・可能性はあります。でもその一方でインターネット上のスクールというか、資格につながるスクール経営が失敗して訴訟になっているなんてこともある。まだまだこれからなのかもしれない。いろいろありますね。
 
 さて、最初に言ったように、またシラバスの上にも書いてあるように、これは「教職」の授業です。教育を「職業」とする、「仕事」なんですね。
 「仕事」「職業」と言いましたので、私的にはお決まりの例えての話しをします。
 例えば、工場で、オートメーションの流れ作業の中で、例えば一本のネジをしめるという仕事。これは何も考えないでもしめることはできるかもしれません。無の境地とでもいうのなら、その方がストレスもなく楽かもしれません。魂をこめると疲れる。気をはりすぎると疲れます。でも、やりがいはどうでしょう。むなしくなりませんかね。あと、怠惰になって、思わぬ事故をおこしたり、そういう実例もあるのではないでしょうか。誇りというか責任感というか意識を高めておく。これは大切なことなんじゃないかと思います。
工場のことは置いておいても、教師は人間相手の仕事ですね。これを同じくただ授業のことだけや、あるいは授業もただこなすだけになったら・・・、文字にすれば「心のない授業」という嫌なイメージになる。どうでもいいって手をぬいていいのか・・・、いいわけはない。でも、実際、よくそういうことがあるっていわれるし・・・、あるらしい・・・。ただでさえ、物事は、続けていけばマンネリになりやすいんです。手をぬく危険性がある。だからこそ、「教育する意味」ということを考える必要があると思います。
 ですから、「教育」に携わるものはまず「技術」の前に、そういう大切な「意識」をもておかなくてはいけないと思います。心があってはじめて技術も、続けていく上で意味をもっていくのだと思います。
 では「教育」を受けてきて、何がよかったでしょうか。どんな「授業」がよかったかはあとでききます。こんなに人数がいるとなかなかアドリブでききにくいのですが、まぁパターンとしてきいてみるとたいていは「友だちができた」「部活がよかった」「いい先生がいた」と言った答えが頭にうかぶはずです。これはしかし最大公約数として教育を受けた誰もが得る成果ですかね・・・、個人の経験・体験・感想ですよね。
 教育を受けてよかったことって、「授業がよかった」という人がいても、それはその先生という人物がよかったか、あるいはそれらによって自分が授業を好きになったからよかったというものが多いのではないですか。「国語」がどこでもいいのではない。ということです。・・・つまり「ある授業」はよかった。何か方法がよかったのかもしれません。ふれあう接し方、距離感、理解させ方がよかったのかもしれません。だから違うんですよね。
 もちろん、小学校に行って、卒業したから中学校へ行き、同じように、中学に行って、卒業したから、高校へ入れた。そして高校を卒業したから、今ここに入れて・・・、ここで教育を受けて卒業し、また資格をとって就職して自分で生活していく・・・、これも教育を受けた成果ではあります。たしかにね。
 じゃあ、いったい、教育を受けて何がいいのか、何が意味があるのか、ということです。 教育を受けると・・・、勉強をするから頭がよくなって便利である。・・・これはあまり具体的ではないですね。漢字が読み書きできるようになる。たしかにできないよりは便利ですね。新聞とかも読めるようになって・・・、役に立つともいえる。算数・計算ができて・・・、実際の買い物にも役に立つ。理科ができて、火を使ったりとか、科学的な知識も知ることができる。家庭科で料理を覚えたり・・・・、でもあまり具体的すぎても、これはそれぞれの教科の目標の一つではありますけど・・・、「教育」というシステムじゃなくても、・・・極端な話し、家庭学習でもできますね。
 じゃあ、学校教育の教科はあまり役立っていないとも言えますね。だから本来はこれは文化・知識の伝達なんですが、段階ごとの困難な順に並べたもので・・・、徐々に高度に考えていけるようにと並べられたものなのです。それが、行き着きすぎて、早く、正解を記憶したもの、点数をとったものが良いという考えが強まりすぎて・・・、文化伝承が置き去りになってるんですね。そして、その点数教育優先のために、コミュニケーション能力を十分に育てることができないという現状にある。・・・私は、だから愛国心も、国民感情ももたず・・・、他人を尊重できない「崩壊現象」にあるんだと考えています。
 さて、教育は人間を成長させるためのものですが、レシピというか設計図があります。「こう教えれば、この内容を教えれば、人間のこの部分の成長になる」、そういう設計図です。
 「教育課程」というものについて考えれば、国語・算数・理科・社会・・・、といったものは世界各国どこにでもあるものです。あれも、ただあるのではなく、実はそれぞれ人間の発達に必要な要素として一つ一つが意味をもっています。
 「国語」「算数」は基礎科目。基礎的な能力ですね。「社会」「理科」は内容科目。科学の段階的な内容を身につけるものですね。実験、地理学、発展の歴史を知るとか・・・。「音楽」「美術」は表現科目です。表現力、芸術性、感性を育む。「体育」「技術」は技能科目です。技術力をつけるもの。以上が教科課程です。それと他方で人間性やリーダーシップなんかを身につけるためのものとして、「生活指導」や「生徒指導」、「特別活動」など、HRとかクラスとか部活とかがある。以上が学校教育の中身です。
 これらを身につければ「理想的な人間」ができると考えられた。たしかかもしれない。そしてこれは世界のどこでもたいてい一致しているプログラムなんです。言語・数学・科学・歴史・芸術・体育・技術・・・、どこでもある。ただ、これをどの程度教えるか、何を教えるか、あるいは一番大きいのは「どう考えるか」の違いはある。日本と例えばアメリカとの違いなんかはあるのではないかと思います。日本はトータルにこの能力を身につけることを理想としているというか、そのためにトータルに均一に教え込むことを重視していないでしょうか。アメリカなんかだと、音楽だけの人、スポーツに秀でた人、理系の能力の優れた人、文学者・・・、いい意味で偏りが尊重されているともいえないでしょうか。もちろん、そうなってしまっているのか、そう意識されているのかにも違いがありますし、今どのような状況であるかは常に微妙に変動しているということも忘れてはならないのですが。
 適当な例えかどうかわかりませんが、電車にのってある出発点から目的地へと行き着くのがこの教育の過程(課程)そのものといえないかと考えています。例えば私は今日、この授業へは日大の商学部で授業をしてから来ますので、祖師ケ谷大蔵というところから下北沢で乗り換えて、下高井戸まで来ている。私の家は横浜の、京浜東北線(根岸線)の根岸という駅を利用しています。そこから朝、桜木町まで10数分乗り、東横線に乗り換えて武蔵小杉で南武線にまた乗り換える。登戸というところまで乗って、今度は小田急で祖師ケ谷大蔵まで行くんですね。昼に授業を終わってそこからここへ来る。これが教育の「出発点」と「ゴール」だとします。でも実はこの経路、他の生き方も時間の短縮法も、料金の安い方法もあるんですね。例えば東横線で渋谷に行って、そこから下北沢で乗り換えて祖師ケ谷大蔵、そこからまた戻ってくるというように、下北沢を起点とする方法。これがどちらかが本務校だとして定期等があれば、そういうふうに経路を重ねた方が「二重取り」じゃないけど料金をディスカウントしやすいです。時間もそんなにかわりません。インターネットや「駅スパート」といったパソコンの機能でいろんな経路や時間、料金がわかりますね。「道」(方法)は複数あるんです。その選択ですね。あるいは途中から東海道線をつかって川崎乗り換えで南武線・・・、もっとはやい。このように様々な行き方、手段、方法がある。ここで言ってもきりがないです。
 これらを、この行き方(過程)をも含めて、ゴールへと行き着くことを学ぶことこそ教育なのではないでしょうか。お金、体調、気分、いろんな条件に照らし合わせて選択すること。これが大事なんじゃないでしょうか。どうも日本の教育は、決まった時間にきめられた車両に乗って、決められた時間に着くことを求めているようにも思ってしまいます。自由に方法を状況に応じて工夫して、様々な模索の上に・・・、各人がゴールを目指すこと・・・、それが教育ではないのでしょうか。もちろん、こんなのは、単に私がイメージする例えであって、これが正しいとかはいいきれません。
 まぁ、教育の「教え方」にもきっといろいろあります。私のいうことが完全に正しい、単純にあっているなんて考えないでください。いろんな考えかたもあります。また、それで不信に思ったり、あるいはわからないことでパニックにはならないでください。そんなに簡単にわかることじゃないと思います。
 もう少しいうと、その時の状態というか、対象とする年齢・性別・学校によっても、他のいろんなことによっても、教育のありかたは変わってくるはずです。必ずしも誰にもどこでも有効な教育方法なんてないんじゃないかと思います。
 
  いま、外国と日本との違いもあるのではといいましたが、日本の「教室」と授業をちょっと考えると、まさにここと同じ構造になっていますよね。机・椅子に座って黒板に向かう。・・・アメリカのある小学校に行った時、そこでは、人数が少ないというのもあるんですが、教室の前半分にカーペットが敷いてあって、わりと雑然としているんですが、ホワイトボードとかで講義もしますが、横に先生の部屋というか教職員室みたいなものになっているのですがそういう私物とか机がある。ビデオやパソコンが置いてあるんですね。
 で、先生が「これを見て」というと、生徒が絨毯のスペースに集まってベタッと座ってモニターを見るんですね。動きがある。ストレッチもできるんですが、・・・とにかく動きがあるように思いました。
 日本でもPCは増えています。でもそれ専門(そのためだけ)の部屋じゃないでしょうか。先生は職員室にいるのがふつうですね。技術とか理科で違うこともありますが。もちろんかなり新しい形態の学校もつくられています。新設の学校なんかに多い。でも、全体としてはやはり限界ですね。
 そういう、・・・違いを少し感じてもいるのですが、そういういろいろな可能性と、そしてそれがどのような効果を及ぼしているのかを考えていきたいと思います。
 基本的には3回目ぐらいから数回、歴史的・原理的な話をします。その後、新しい教育の試みを紹介する。その中から考えていただきます。基本的には古いことから意味を学びたいし、あと皆さんが現場にでる時代にはきっとその時代にふさわしい新しい方法が必要とされます。それは見つけて欲しいのですが、それが究極の目的です。
 
 今日は初回ですので、少しアンケートに協力をお願いしまして、これで終わります。
 @メール、ネット利用は可か?
 A教育方法・技術のすぐれた授業はあったか?
 B教職で取得(希望)する科目(教科)は?