教育学概論T(人間と教育) I7月8日
今回の内容 |
前々回、前回と、連続で近代以降の日本の教育の流れを、外国との関わりや内部の統制(という「教育観」)に注目してみてもらいました。前回は戦後の、まさに現在までの流れをもふりかえって、戦前までの流れと比較することで今後の流れをよみとっていこうと試みました。哲学の分析視点・概念としてニーチェの「永遠回帰」のお話しをしたかと思います。
(時間・クラスによって以下の話しはしていないが・・・)先週のリアクション・ペーパーに、僕の話し方が「すぐにわからなくていい」「なんとなくでいいからそこからわかっていこう」と言っていることへの意見がありました。「先生の言い方では不足で、もっと学生は批判的な観点をもたねばならない。それで自分が納得していかねばいけないのだ」というご指摘でした。ごもっともな指摘かと思うのでそのまま紹介します。このひとのおかげでこれで全体が「問題に気づけたはず」です。感謝します。
なぜなら、私は「なんとなく納得しろ」と、つまり「疑問に思わず信じればいいのだ」などとは言っていないつもりです。それはこれまで「疑問型」だの、わかりかたには「観念・知識」と「経験・実感」の両方とも必要だと話してきているのですし、マジックワードもそうなのですが、とにかくただ信じたりしないで(つまり考えないで)そこで思考をやめないでほしいと言ってきているつもりです。
でも、それでもそれがそうは伝わらないこともあります。いや、むしろ「伝わる」と簡単に信じているのもいけないのです。だから、こういうナマの意見や疑問があれば、それを紹介すればますます皆さんが「このままでも、まだいけないか」と気づいてくれるかもしれない。「共有」「共感」できるかもしれない。その意味でこのご意見は貢献しています。
ただ、僕は「簡単にわかるはずないから、わからなくてあたりまえだから、徐々にわかっていけばいいのだからあきらめないで」という意味で、「まずはなんとなくから」と言っているのです。それはひとそれぞれだからです。すぐにわかる人や、すぐわかること。あるいは疑問に思える人や、あとから時間をかけて考える人。それぞれ違うのです。だから、この意見をきいた、皆さんは、これでかまえかたや考え方がわかってくるはずですね。そういう意味でご意見ありがとうございます。
ただ、実は僕は「批判的思考」にはちょっと違う考えをもっているのでつけくわえます。誰もがそういうことは考え、自分は批判的にものごとを冷静に判断していこうと考えるのではないでしょうか。僕もかつてはそうでしたし、普通のことだと思います。ただし、私は「批判」のいい部分と悪い部分とがあると思います。おそらく一部からそれこそ批判をいただくかもしれませんが、ポストモダンという思想のブームがありまして、朝まで生テレビやなんやら、あるいはディベート術ブームまで含めて、そういうものが一つの流れになった時期があります。これはある程度、影響をのこし、貢献してきた思想ではあるでしょう。しかし、私はこのひとたちは何もつくらなかったと思います。なぜなら、そういうポストモダンや現代思想の一つの始祖とされたのがニーチェなのです。先週話したあのニーチェです。でも私はニーチェが好きなので、それを「批判のもと」として崇めた人たちとは考えは別なのです。ニーチェはそんなことはいっていないのですよ。読み違いといいきるつもりはありません。でも、一方ではそのように解釈した人がいて、私はそのようには解釈しなかった。なぜなら、「批判」するためにニーチェはなにかを述べていたのではないのです。「本質は何か?」を探してニーチェは何かを語っていたのです。でも、「ニーチェが批判していた」かのように後の世の人たちに語られる。僕はそういうふうに考えています。
「批判」の運動のほとんどは「政治的」なものや「権威」「権力」の争いになっていると思います。共通するのは「我々は批判的にものごとをわきまえている」というかまえです。しかし、「批判」することが必ずしも正しいのでしょうか。どちらかに単純に分かれていくだけではないでしょうか。それが前回まで見た「循環」の構図をつくっているのではないでしょうか。私が問題としているのは、その「批判」は単純にある事項・事象に対してなのか、それとも本当に多角的に理解した上での表明なのかということです。・・・そんなことで、私は世の中の批判主義をうったえる学者には閉口しているくちです。何もつくらず、あたかも「そのとき」に正しい立場と思われやすいところにだけいて、批判だけしてかっこういい人ってのがいるのではないかと思います。すると、前にいった「ムネオ−ツジモト−マキコ」的問題になります。結局は本質がわからないで批判しあっているだけでは、何も変わらないのです。大学に勤め、うさをはらしながら、表では聖人の顔をして生きていく。それもいいのだけれども、ではそのように現代の学校制度なりを批判して、その中であなたたちは明日からどうやって生きていくのでしょうかと問いたくなります。その場でいう「高尚なこと」。でも「現実は違う」「それはそれ、これはこれ」と分けていくのですかね。では、言っていること、考えていることと自分とは違うということです。それじゃ説得力がない。厳しさも足りない。ニーチェはそういうことまでも考えて、その上で「超人」として既成概念にしばられず自らを見いだして生きていくことを言っているのです。残念ながら「批判」のスタンスを継承した後世の人たちは、「そこ」はわからなかったのだと思います。これって、他のことと同じですね。200努力してそのうち80%ぐらいしか授業や本にはならない。でもその部分だけを理解して、それをすべてだと思って受け取るということもありえる。さらに伝わっていく際に、もうカタチだけのものとなってしまう。「そういうのはだめだ!」という考え方すら「気づかず」うちに「そういうの」になってしまうこともある。これも「永遠の循環」がありえます。だから単純な批判は自分を見ていることにはならないこともあるのです。ニーチェは後の「批判主義」がとりいれたような一面だけじゃないですよ。深くて面白いですし、この「循環」という考え方にはゴールがないから僕は面白く感じているのかもしれません。
さて、(前にクラスによっては話していますが)今日はニーチェに続いてもう一人の哲学者の考え方を紹介します。ガダマー(Hans-Georg Gadamer)というドイツ人の哲学者がいますが、歴史学についてもすごい参考になる考え方を示している人で、「地平」という用語・概念をつかって説明しています。人間が何かを考え、行動し、判断するときにもつ「先入観」のことを「基盤」(地平)としていて、そういう基盤があるからわれわれは物事を理解していったり受けとっていくことができるのだということです。そういう「地平」というべきものがある。「先入観」が「固定観念」や「思い込み」「強迫観念」といったものと同様にマイナスイメージで考えられてしまうと困るのですが、私が皆さんと話が通じるのも(その通じる部分は)「先入観」や「基礎」ができているからです。日本語を話したり、きいたり読めば意味がつかめてくるということもあるし、話が数回にわたって連続されていくことによってやっとでもわかってくるのですね。同じベースともいえるかもしれません。その人ごとに独自の経験や要素なりもある。「知識」と置き換えてもいいのです。「歴史性」といういいかたもありえます。自分のなんらかの歴史性をもつ知識によって、物事を理解するときにそれを比較の対象としていくわけです。それには一致して考えられる(共感・共通)部分もあるし、しかし明らかに異なる部分もある。誤解してしまったり違和を感じる部分です。例えばいま私たちの生きているこの世の中と江戸時代とはやはり「違う」ということもある。共通している部分とそして異なる部分。でも比較によってそれに気づくし、いや比較することによって「本当にこれでいいのか」という考えの発展もでてくると思います。今いる私は江戸時代の人間ではないけれども、そういう人間が考えて、とらえなおしをしていくし、それと関係して「いま」をも構築していくエネルギーにも理解の基準にもなるということ。(私なりの解釈をすると)古い教育の「考え」を考えもしないままでいると「何も気づかない」でいるわけです。小泉総理や前回に言った人達はそうは個人的に悪くはないし優秀なのかもしれないけれども、それは「多様な地平」を理解していないからかもしれない。理解しているつもりだけかもしれない。一歩間違うと「地平」は自分勝手や孤立、ナショナリズムにだって行き着くのですから。
比較の対象として「いま」の学問界レベルや新しい情報を知っていけば、その問題というものに気づいていくということが可能になる。もちろん過去の歴史を考えるときに「いま」の視点から多様な判断をしていって新しい発見や問題点を理解していくことも可能なわけです。私にいわせれば「過去」のことも多様に解釈していくことが可能になるというか、これまでその「ものさし」すらも固定されていて「過去」の問題も見落としていたということもあったんじゃないかと思うのです。私たちは過去から何を見出していけるのか、そういうことを考えていきます。どうでしょうか。これは「批判」だけじゃないということでもあります。よく学んでいきましょう。
●「教育観」の「循環」を考える
まずは前回まで見てきた流れを、もう一度振り返りますが、少し書き方を工夫してかえてみます。「教育観」という部分に注目してみます。日本の教育の「教育観」がどのようなものであったのか、大きな傾向をみていきます。「教育観」とは「教育」や「生徒」に対する基本的なスタンスや「かまえ」と考えてもいいかと思います。
現在の教育改革についても「なんらかの大きな見方」のもとに「方針」や「詳細」が決定されていくわけです。皆さん個人もなんらかの「教育観」をもっています。「きびしくしたほうがいい」「個性を尊重してやりたいことをさせるべき」とか、「現実的に学力を重視すべき」などと言った考え方があるでしょう。そういった「考え方」をみていきます。初回の授業で「教育」というものを辞書で引いたら「外部から意図的に知識を授けて望ましい姿に変化させること」と書いてあった。それに対して「education」を引いたら「内在する能力を引き出す」とあった。これで前者はトップダウン型で後者はボトムアップ型などと考え、典型例として前者が「教え込み重視」の日本に多く、後者が「経験主義」の米国だと「仮」に大きくわけてもきたわけです。
まぁ、前回までのでいえば、外国よりの時期と、そうでない時期はあった。外国よりの風潮を嘆くとき「日本らしく道徳・規律を重視すべし」という意見が出され、それが反映される。これを「管理主義」と名付けておきます。管理の重視がみられるという時期です。それに対するのが「自由主義」といえましょうか。自由化傾向の強くあらわれる時期です。その「管理」と「自由」を図示(板書)すると次のようになるでしょうか。
あくまでもみやすさを大事にしてシンプルにしたものです。「上」を「自由化傾向」、「下」を「管理傾向」の方向としてみました。次に戦後も書いてみます。
これも上下に並べるとあらためて「わかりやすさ」が増すのではないでしょうか。この「比較」はガダマーの言う「地平」の理解のしかたでもありますし、またニーチェの「循環」をみるためでもあります。
●「教育」を語ることば
「教育観」として語られ、それが「教育改革」に影響を与える。そういうことばを、あるいは影響を与えたことば、またあるいはその改革を象徴することばを資料をみながら考えてみます。
まず、明治5年の「学制」というものの序文としてつけられた文書です。
★学制(明治五年八月三日文部省布達第十三号別冊)第二百十四号 |
これが「従前」(江戸時代)の封建的制度を批判していることと、その上で新しい国民として知識・教養を身につける必要があると書かれていることがわかるでしょうか。「立身出世」や「実学」(科学思想)、あるいは「男女共学・平等思想」なども書かれています。もちろん「受益者負担」というように無料ではなかったことが当時の経済状況を示していますが、すぐれた公教育概念に近いものが書かれています。当時の「教育観」としてどのような人間を育てたかったのかというのが表れている。
それでは「戦後」の、再スタート時はどうだったのでしょうか。
★新日本建設ノ教育方針(昭和二十年九月十五日) |
「従前」(戦時中まで)の教育を批判し、「個人」の自立する平和社会の実現と、「科学思想」とがあらわされている。そのように読めます。もう一つ・・・。
★修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件(昭和二十年十二月三十一日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官第八号民間情報教育部ヨリ終戦連絡中央事務局経由日本帝国政府宛覚書) |
ここでも「従前」の教育の乗り越えが明確に示されています。ちなみに「戦争の責任」として重く意識していたのですね。ところがその「修身」やかたよった「歴史」による「国家主義の強制という意味での愛国心」とよばれかねないものが後にまた求められたりの混乱があるわけです。もう一つ・・・。
★米国教育使節団報告書 (要旨)(昭和二十一年三月三十一日) |
「いま」の教育改革で求められている「経験重視」や「地方分権」(地域の教育)というのはこの時期にもめざされていたのですね。それがいまも変わらない。これは永遠に変わらないのか、あるいはめざされていたものが施行しているうちに変わってしまったのか、どちらかでしょうか。ジグザグという意味では後者になります。とにかく、あるスタート地点での「教育」への考え方には少し共通点があった。
それがまた「改革」される。それではいけないという考え方が強まってくるのでしょうか。その時の「従前」の教育をまた改善しようという強い意見が出てくる。当然、「反動」的な反対のものになります。明治12年にカリキュラムの一部が改革されましたが、それでは不十分とさらに翌年に改革され(教育令)、「修身」という天皇制のもととなった儒教道徳が中心となった。その時の代表的な意見のやりとりとして、元田と伊藤博文のやりとりは紹介しました。自由民権運動の対策として伊藤もそちらにつかざるをえなくなったのですが、その時の元田の意見を読んでみます。
★教学聖旨大旨(明治十二年) |
「なんでも洋風」という風潮を嘆く。そういう若者に不満をもつ。過去の国家のありかたから現在に対する不満や焦燥や憤りを感じる。これは戦後でいえば次の文書にも似ている箇所がみられると思います。
★1966/10
中央教育審議会答申等 後期中等教育の拡充整備について (第20回答申)「別 記」期待される人間像 |
この時代は「逆コース化」といって再軍備がおこなわれつつあった時代でした。沖縄返還などともからまりますが、あるいは自衛隊というのもそうです。米国との会談上で「自分の国は自分で守る」という意識が強調された。それには「そういう精神づくり」が必要と考えられたのですね。私はすぐに「米国がつくった『日本人を骨抜きにする憲法や制度』」というとらえかたが一面的で好きではありません。むしろこうやって変えられる時にこそ「世界システム」ともいうべき関係があって方向づけられ固定されてしまうことがあったのだと思います。単純な「反対」「批判」では意味がないと言うのはそういうことです。とにかく単純な反動で時代はジグザグしているようにも考えられるからです。
そして、現在もこういう感覚は語られるのではないでしょうか。「新しい歴史教科書」のこともいいましたが、例えば資料としてあげた「教育改革国民会議」議事録の次のような意見です。
●(太田議員)我が国の議論においては、経済などがまず優先されがちだが、教育という問題こそ根本的で一番重要な問題である。公明党の憲法調査会でも議論となっているのが、グローバリゼーションが進む中で、日本の「ナショナル・アイデンティティ」を如何にして確立するかという問題。 |
あとで全体をみていきますが、いかに「同質か」がわかっていれば、それで生かせる部分もあります。しかしおそらく各時代の人間は自分だけの「地平」でそういうことを考えてもいないと思います。
さて、「反動」としての意見は他にもでていて、とくに「天皇のことば」として出された意見も「教育観」を表していますが、それも図表にあわせてみれば「なんのために出されたか」ということがみえてきます。「教育勅語」で天皇制体制確立を宣言したのですね。
★教育ニ關スル勅語(明治二十三年十月三十日) |
下の三つは、これも天皇からの詔勅という形式ですが、「戊申詔書」は大正自由教育への風潮への引き締めという位置づけや揺れがみえるでしょうか。「国民精神作興ニ関スル詔書」はその大正新教育の後期に出されていることから意味がみえてくる。そして戦時期に突入していくことを反映した「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」ですね。すべて「教育観」や時代を象徴する意味があります。
★戊申詔書(明治四十一年十月十三日) |
國民精紳作興ニ關スル詔書(大正十二年十一月十日) |
★青少年学徒ニ賜ハリタル勅語(昭和十四年五月二十二日) |
詔勅ではないけれども、戦時下の状況をあらわしたものに次の資料があります。いやおうなく国民全体が戦争にまきこまれていく時代でした。
★国民学校令等戦時特例(抄)(昭和十九年二月十六日勅令第八十号) |
●現代の「教育観」?
私たちが生きる「いま」の「教育改革」にどのような「教育観」があるのかもみておきます。資料としてあげたのは「教育改革国民会議」の第一回目の議事録からの抜粋です。この会議はよく「茶飲み談義にすぎない」等と多くの批判を受けていますが、その真偽を問うのは別の機会にしまして、実はこういうものもすごく「改革」に影響を及ぼすというのをまず知らねばなりません。実際にここで話し合われ出た意見、答申らを中央教育審議会らは検討していて、例えば「ボランティア・奉仕活動の義務化」などがこれから実施されていく方向にあるのです。だから馬鹿にするだけではなくて、「それ自体」どういうものかを考えていく必要があります。これは官邸ホームページで公開されていますので、「国民」の一人としてこれを確認して学んでいくことも意味があると考えます。アドレスは次のとおりです。
「教育改革国民会議」URL http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/index.html
教育改革国民会議報告として「教育を変える17の提案」が出されました(平成12年12月22日)。おそらく大学の「教育」系授業で学ぶこともあるかと思いますが、私は今回は「第一回」の議事に注目します。なぜなら、他の部会と違ってこの会は「フリートーク」でして、各委員や出席者に「それぞれの教育観」を語ってもらうという形式だからです。
どうやって「委員」が選ばれたのかも問題はあるでしょう。たしかに「政府」「自民党」に都合のいい人を選ぶことはありえます。「まず、教育基本法改正という目標ありき」と評価されるように、そのために協力できる人を選んだつもりはあったのかもしれません。結果的にその意図は達成されなかったかもしれませんが、「答申」「諮問」というスタイルによる「会議」というものはそういうものとなりやすいのです。しかし、ここでは委員の性格はおいておきます。「日本を代表する方々」に集まっていただいて「21世紀の日本の在り方を考えてもらう」という目標ですから、肩書・識見ともすぐれた方々が集まったのでしょう。
では、そういう方々のフリーな「教育観」をみていきましょう。
(戸田議員)これまでの教育についてみると、特に「徳育」が現場で教えることが難しかったようだ。会議では専門家の御意見も伺いながら、教育の基本・根本に係る問題につき御議論いただきたい。また、教育基本法の改正についても御議論いただけるものと期待している。 |
(太田議員)我が国の議論においては、経済などがまず優先されがちだが、教育という問題こそ根本的で一番重要な問題である。公明党の憲法調査会でも議論となっているのが、グローバリゼーションが進む中で、日本の「ナショナル・アイデンティティ」を如何にして確立するかという問題。 |
(浅利委員)劇団で40年にわたり、小学生に対して自己犠牲や友情についての芝居を見せてきた・・・戦前の修身の授業のようになってはいけないが、例えばガンジーや日本の偉人などの人生を学ぶことができるような授業を行うべきであり、その中で道徳観や倫理観を養っていくべきである。 |
(石原委員)地方の公教育・義務教育を担当してきた経験から発言していきたい。・・・教育の機会均等が成し遂げられたことで「平等」は一応達成されたので、今後は「公平」という観点について考えていくべきである。 |
(上島委員)・・・二児の父、日本青年会議所の代表としてコメントしたい。・・・大都市圏ではドラッグの問題や社会不安があり、地方では授業を抜けてカラオケに行ってしまうなど、地域によって問題の状況が違うが、これらの現実を踏まえ・・・どのような人を育てるのか、大きな指針をまとめたい。 |
(牛尾委員)・・・日本の状況についていえば、米国で20年前、30年前に起こっていたことが今現実に起きている。日本人は、貧しいときの哲学というのは持っているが、豊かなときの哲学というのを持っていないので、豊かさに対応した教育を考える必要がある。また、母親中心の教育が女性の社会参加に伴って機能しなくなっていること、祖父母とともに住まなくなったことにより道徳が軽視されていること・・・ |
(梶田委員)・・・経験上日本の教育はしぶとくて底力を感じるが、根本的なところで歪みが出ている。教育行政を非中央集権化、非政治化するとともに、未来ばかりを語るのではなく、過去を踏まえ温故知新を図るということが必要である。日本人はフランス革命を知っていても、自分の国の歴史や古い文化を知らないため、南米からの留学生は日本の技術はすばらしいが教育は植民地教育であるとして失望していた。また、豊かな時代に価値の軸、自己統制力を持った人間をいかに育てるかが重要である。 |
(勝田委員)・・・教育基本法の見直し、教科書検定の廃止を行って自由化する必要がある。それにはメリットとデメリットの両方があるけれども私見ではメリットのほうが大きいと思う。また、教育改革国民会議を開催したせっかくの機会なので、情報公開を原則にしてマスコミを上手に使うことが大事である。子どもは国の宝であるから、国を挙げて「他人の子どもも誉めよう、叱ろう運動」をキャンペーンしてはどうか。今では地方ですら地域社会が崩壊しているのだから、教育改革は学校だけの問題ではあり得ない。・・・ |
(金子委員)・・・慶応幼稚舎の舎長として小学生と関わる中での印象を述べたい。まず第一に、子どもは複雑なことも理解するということである。・・・・・幼稚舎ではいろいろな分野で競争をさせて子どもを誉める機会を作っており、競争自体が悪であるとは思わない。そのことで人の気持ちがわかることもある。学校はコミュニティの核であり、学校を人と共に喜ぶことを知る場としたい。 |
(河上委員)・・・この場では唯一の現場の教師である。勤務先の中学は学校が崩壊しているという意味で全国の最先端である。200人の生徒の中で5、6人は学校の枠組みを全く無視する生徒がいる。枠組みを無視されると彼らに対して教師は何もできない。校内暴力が吹き荒れた時期と比べると普通の生徒と問題児の差が少ないため、2割ぐらいの生徒がそれについていってしまい、全く規律をなさない。ただ救いとなるのは7、8割の生徒はまだ、現在のシステムを受け入れようとしていること。このような現場の生徒の実体をなるべく生のまま伝えるのが私の役割と考えている。 |
(木村委員)・・・我が国は、今こそヘゲモニーを求めないエリートを必要としている。また、日本の教育には職業観・勤労観といったものが欠けており、そのため若者に無職者が非常に多い。経済が好調なアイルランドなどでは労働経験と学習経験を同列のものとして扱っている。ケンブリッジでも昔とカリキュラムがまったく変わっており、職業観について教えている。 |
(草野委員)・・・戦後の経済成長を支えた優秀な労働力を育てたのが日本の戦後教育であったが、受験戦争・偏差値教育・学歴社会など悪い面もあった。少子・高齢化、女性の社会進出もあり、システムを構築する必要がある。重要なのは、@個々人の能力を伸ばしていくこと、AIT革命が進展しているが日本の経済を支えているのは「ものづくり」であり、そのための教育をしっかりやっていくことB自分の考えを正確に相手に伝えるためにディベートなどを教育に取り入れることC生涯学習の成果を発揮できる環境をつくることD相手を思いやる心の醸成E勤労観・働くことの重要性を教えること |
(クラーク委員)・・・道徳が崩壊しているので、修学旅行などはやめて、ボーイスカウトや奉仕活動などの経験を積むようにさせることが必要である。 |
(黒田委員)・・・自然科学の現役の研究者・教育者は私だけなので、その立場からも発言する。科学技術、特に生命科学の分野では生命倫理が問題となっており、また、環境問題においても、国民一人一人の正確な判断を求められている。@自然、社会、歴史の中での個を考え、A自然の不思議さ、厳しさに感動し知的創造の喜びを知り、B勤労に対する誇り、責任、倫理観、他者への思いやりを持つために、子どものころからヴァーチャルではない本物の自然と社会に触れて創造性を養うべきである。 |
(河野委員)・・・日経連の「教育特別委員会」で人材の育成と「海外子女教育振興財団」で海外子女の教育問題に携わっている。我が国は、高度工業社会から情報社会へと、またグローバル化の進展と、社会構造や価値観などが、大きく変わりつつあり、教育制度も制度疲労を起こし、環境の変化に十分対応できていない。・・・海外の日本人学校の生徒達は、自己主張もはっきりしており、多様な価値観を受け入れ、自律心もしっかりしている。 |
(曾野委員)・・・日本人は、真善美のうち、相手との関係に基づく「善」ばかりに一生懸命になり良い人と思われようとしてきたが、「真」と「美」という徳や美学については個人的な作業でありおろそかにされてきた。・・・全国民が18歳で社会奉仕活動の機会を持つべきであり、愛を受けるばかりでなく与えることを学ぶことで、高齢者問題などをはじめとした様々な問題の解決に結びつくと考えている。 |
(田中委員)・・・高等教育に対する社会的関心が低いことは問題。現在進行中の各種の制度改革の成否は、人材の養成にかかっており、安上がりな大教室のマス教育でゼネラリストを養成するだけではなく、リーダーシップをとれる人材の育成が必要。教育に携わる人材の質の向上も重要になってくる。また、公共的で実践的・倫理的な問題に関わる実践知の教育の充実が図られるべきであり、そのためには、画一的な平等志向から脱却し、多様化・重層化した教育・評価システムを構築する必要がある。 |
(田村委員)・・・今の日本の大人は18歳の若者に与える言葉を持っていない。・・・ 21世紀懇談会は個の確立をうたっているが、集団主義で成功した国で個の確立は難しく、「個の確立と全体」と考えるべきであり、ケネディ大統領の演説にあるように「国が何をしてくれるかではなく、国に何をできるのか」ということを考えた方が良いのではないか。 |
(沈委員)・・・これまでは、地方は中央ばかり見てきたし、中央も地方に対して通達ばかり出しては上意下達の行政を行ってきた。私は、職人の父から仕事を伝達され、そのために父を尊敬することができたが、今の日本でこのような関係が成り立っているかどうかは疑問である。特に父親は家庭から逃げ出しており、親の側の意識改革をするための教育が必要である。 |
(浜田委員)経団連では昨年から教育を担当している。昔の日本にはお手本となる人がいたが、テレビが誹謗中傷にあふれていること、各界のリーダー層の役割と責任が明確になっていないこともあり、状況は変化してきている。・・・いじめは昔もあったが、弱い者いじめはしないという暗黙の了解があった。今は強い者はいじめられないので弱い者をいじめて楽しむのが普通となっており、政府で弱い者いじめはいけないことだと広告を打つべき。自然に接する機会が減り、友達とも遊ばなくなった。この状況を打開する意味でも、14、15歳時に、一定期間合宿で農業を行う「国民皆農制」を実施すべき。 |
(藤田委員)・・・臨教審以降の教育改革は日本を駄目にしている。世界的には教育の「再武装化」が潮流となっているのに、日本では逆に「武装解除」を行っているようなものである。教育には多くの資源を投入する必要がある。また、いじめや校内暴力などの問題は、学校病理なのか社会病理なのかを見極める必要がある。その多くは社会病理であり、学校に全て責任を押しつけ、問題を解決できないといって学校を責めるのは間違っている。 |
(森委員)・・・戦前から歴代総理大臣・文部大臣が「教育は100年の大計」と言っているが、それをスローガンで終わらせてはいけない。これまでの改革案は理念に傾き、これを実行するための理論や実践方策に欠けていた。教育問題の原因をたどってゆくと大人の幼児化に行きつく。ローレンツも「文明が発達すると大人が幼児化する」と言っているが、この幼児化した大人が親として子どもを育てており、これが劣子化現象となっている。 |
(山折委員)・・・心の教育を議論するための中教審の委員に宗教家が一人もいなかったが、このような文部省の見識を疑う。宗教教育は戦後教育の根幹であり、内村鑑三も西欧文明を受け入れながらキリスト教を無視したのは失敗であったと言っている。 |
(山下委員)・・・いかにあるべきか、いかに生きるべきかという人の教育が欠けている。また、子どもは大人の鏡であるので、親・教師は自分を省みて、まず自分を磨くべきである。大人が本音と建て前を使い分けていることが子どもが荒れる原因であり、責任は大人一人一人にある。 |
どうでしょうか? すばらしい意見もありますか。僕は実は賛成できる部分も多いのです。例えば共通して次のようなことを言っているように読めませんか?
・現代の教育観
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左側の意見、ごもっともではないでしょうか。私も人間に「道徳」は大切で、ないよりはあったほうがいいと考えるのです。働くことだって尊重したいし大切にしたい。例えばまじめにやるのがバカだなんて思いたくないし、努力の格好悪さなんて意識はもちたくない。人間を尊敬したいし、「愛国心」だって自然に自分の国を好きではいたいのです。まわりの人や社会に役立つという連体意識だって必要だと思います。
しかし、その一体感が、なぜか「実現」をめざすときに「右側」のような答申となる。これには私は反対です。なぜか「そういう反応」ばかりがでる。意識は共通しているのに、制度化され、あるいは運動となるとこんなにもつまらないものになる。例えば「組織」ならばその組織運営が最重視されたり、それで実際的問題がおいていかれることもあります。いいでしょうか。例えば、「カウンセラーを必要とする」のには賛成できるけど、「カウンセラー加配ですべて解決として何もしない」というのには反対です。形式的にしかならないし、実態や条件準備の問題もある。「道徳はあったほうがいい大切なもの」とは考えますが、それは「道徳の授業(哲学科、人生科、人間科などの名称)」を増設したから大丈夫とするものではないはずです。何かを「カタチ」にしようとすると、たいてい「本質」が忘れられてしまう。これまでもそういうことを繰り返してきたのではないでしょうか。
今日は、そういう「考え方」をみてもらいました。単純な思考ではいけない、多様な、多角的な、つねに考え続けていくということが重要です。教育は形式的に考えるほど、あたりまえだけど形式的になる。本当の解決点がますます見えづらくなると思います。今日はこれまでにします。
(リアクション・ペーパー配布と回収)