教育学概論T(人間と教育) B5月20日

 

今回の内容

教育を可能とする条件、変化させる条件は何か?

「可塑性」と教育のモデル論

「長寿」「寿命」「余暇」から考える。

 

 

 

 

 

 

 前回のテーマは、「教育の原理から学んでいく」ということで、「教育」がどのように語られてきたのか、ということや、なぜ「ロマン主義」と揶揄されるのか、そして教育にはどのような目的があるとされるのか、ということについてみてもらいました。

 リアクションペーパーとして寄せられた質問・疑問に応えていきます。

 「教育」と「education」の語義を辞書で調べたところ、性格が異なるというのをみましたが、それで「教育というものが違う」というのではないのだと思います。「国語・算数・理科・社会・・・」と「教育」の内容はむしろ「同じもの」なのです。実際には「両面」が極端に出ているだけで、同じものを(同じものの中の)違う面でとらえているのではないかと思うのです。どちらの面が強調されているかといった問題と考えています。米国にだって教え込みはあるし、日本にだって内在する性能を引き出していくという考えはある。それが一般的にあるいは社会的にどうとらえられているかの違いぐらいだと思います。だからこそ、「いわれている」ことを「あたりまえ」に受けとらずに「比較」していく視点が必要です。先週、パンチェシェラの教育についていいましたが、ちょうど軍政下にあった東ティモールが独自に政権を築きはじめたとのニュースが今朝ありました。「教育」は国家の方針や国民の価値観をも固定させていきます。それも「あたりまえ」として受けとるということです。だから気をつけていきましょう。

 質問で教育について「ロマンや愛がどうしていけないのか?」というのがありました。僕は「ロマン」や「愛」という言説が悪いとは思っていません。そういった「ことば」で美化して何も実体をみないようにすることが悪いと言っているわけです。「マジック・ワード」に注意しようということです。「教育が必要」なのはもう疑いなく信じられている。私もそう思っているのですが、問題は「では何故必要なのか」というのを考えたことがないというのはまずいのではないかといっているのです。理由なく判断してしまっている。マジック・ワードというのは「説明をしないでわかった気になる言葉」であるといいました。「ゆとり」などのキーワードがそうですね。それに反対するとまるで「がんじがらめ愛好者」として批判されそうになるでしょうか。「愛」という言葉に反対すれば「愛を批判する者」ですかね。僕はそうではなくて、ではその「ゆとり」とは具体的にはどういうものなのかをきいているのです。子どもをどうしたいのか、それによってどうなるのか、あるいは教員に余裕がつくられるのか、それは時間なのか、地位なのか、給料、それとも精神的なものなのか・・・。あまりにも茫漠としていてみえてこないのです。心地よい言葉ではあります。味方も多くできそうなうけのいい言葉です。しかし実体はどうなんでしょうか。少なくとも悪気なくつかっていると信じたとしても、その人が悪気なくいった「ゆとり」や「愛」はそれがその意味で伝わっていくと簡単にあまりにも安易に考えているのでしょうか。だとしたらすごく悪い意味でお気楽なロマン主義です。これだけ「わからない」世の中で気楽なフレーズに信じて盲信していって、それで大丈夫なのでしょうか。

 「愛」というものだって、アガペーやエロスというように多様な面があるわけです。性愛、友愛、愛情、恋愛、母性愛、親子の愛、プラトニックな愛・・・。だいたい古代に哲学的にさかのぼっていけば「プラトニック・ラブ」のような語られ方もあれば、同性の愛を古代ギリシャでは問題にしていたなどもあります。「女性」の扱いもそこに表れているのですが、「愛」という何か超越的な感情というものは、人間の悩みのテーマとして不変のものともなっていますが、不変ゆえにつごうもいいのですね。何やら色恋沙汰には口出しできないなんてこともありますが、では教育現場でそういう愛情はどうなんでしょう。見守りますか。何が純愛で何がだめな愛なのでしょうか。誰がどうやって判断するのでしょうか。いや、そういう恋愛は抜いても、例えば教員がある頑張る生徒(学生)に愛情をもって「頑張ったんだから」とかいって点数を実際以上にあげた場合、他の「頑張りを見落とされた」生徒はどうなるんでしょうか。それが入試などの時は「不正」と騒がれるのではないですか。だから私は「愛」ではなくて「丁寧さ」と「公私混同をしないこと」ということが絶対だと思うのです。おそろしいけれど、こういった不見識な問題は本当にありえることです。現在国会で紛糾している問題のように、本当に意識せず「愛」ある教員までが(しかもかなり人望ある人物、若くても高齢であっても)こういったことを気づかずにやっているということもありえるのです。「自らの行ない」すら見抜けない人間が「教育」を語り携わる。これも「マジック・ワード」的現象です。その程度のレベルでしか考えていないのですよ。こういうことをいえばそれじゃあいけないと思いませんか。そうしたら、そこから何がいけなくて、そしてどうしていけばいいのかを考えていきましょう。これまでの歴史や意味を問いなおすことで、危険なものが見出せたとしてもそこから反語的に導けることもあると思います。そして「人間」をできるだけ科学的にとらえていって、人間に教育が必要な理由を証明していくよう考えていきましょう。(他は略:生理的早産やマジックワード、教育の目的についていくつか質問があった)

 さて、前回のテーマをまとめて述べましたが、例えばそういうテーマなりはそのときにちゃんと言っておけという意見もあるかと思います。毎回の授業にいちおうそれなりに伝えたいことはあるので、そのことはなるべくわかりやすく強調しておきたいとは思います。しかし、わかりやすくはやるけれども、なんらかのシンプルな暗記する「カタチ」が簡単に得られるとは期待しないでいただきたい。「考える」ことで従来の考えの足りない部分を補充したり、様々な視点からとらえなおしをはかっていこうということ自体が大きいテーマでもあります。前回言った「マジックワード」に頼る習慣もなくしていってほしい。なるべく深くわかっていってほしいと思います。たしかに小説やドラマではないのだから、考えさせるといっても明確に意図を示してほしいというのもわかります。しかし、そんなに簡単に答えが得られたり、ある「絶対」のものがあるとは思っていません。ですからなるべく疑って、考えてもらうような講義になります。それで必ずリアクション・ペーパーを書いてもらいますし、また授業中の質問も受け付けます。わからないままにしておくことが問題なので、そこらへんは各自の判断でできる範囲でいいですから解消していってください。 

 

 さて、前回の「生理的早産」に続いて、人間に教育が必要な理由を、生理学的に、医学的に説明を加えてみましょう。

 

 人間の「可塑性」と教育

 かつて、教育のモデル観(教育が必要だという表現)として様々なことが語られてきました。例えばジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)で有名な「タブラ・ラサ」、つまり「精神白紙説」もその一つです。この言葉は有名ですから、これも単純に「人間は生まれたときには白紙のようなものだから、知識や常識なりをしっかりと書き込んでいく必要がある」と言っていると受けとられがちです。たしかにそういう意味ではある。しかし、それまでの「観念主義」の哲学の考えを否定して、ものごとは「経験」によって知覚されていくとする考え方ですから、別にこれもダイレクトに「教育が必要」と述べたものではないともいえます。「教育思想」ではそういうところまで教えていっているのか不安もあります。しかし、たしかに「白紙」ならば危険もあるし、しっかりとした教育というものがあるべきとは結びつけられるでしょう(「しっかりした」というのはまた探していくわけです)。ただしロックは「実在」を批判したのではなくて、主観で変化のあるものと区別していったのですね。「もの」はある。そして区別される様々な要素をもつものごとによって、人間は知覚を得ていって成長するのだと言っているのです。

 他にも「植物モデル」説があります。たしかに植物と同じで世話をして養分を与えていって、それで大木にまで成長していく。そういう機能や構造をもっている生物で、周囲の環境に問題がないよう調整しないと影響を受けて育つという点に帰結するわけです。環境重視のモデルといえます。「性悪説」なども「生まれつき悪い質」をもっているからこそ、しっかりとまっすぐにしていかねばならないという「教育モデル」といいかえもできるでしょうか。私は「電子頭脳モデル」というのも話しています。もともと電子頭脳は人間の脳をモチーフにしたものなのですが、とにかく「初期化」して、そこに情報を蓄積していって、メモリーを増設したりソフトをインストゥールしていったり、グレードアップという成長期があったり、そして学習機能がついていたりといったもの。優先キャッシュなどもあるわけです。オペレーティング・システムというのは自我みたいなものとも思います。共通するのは「成長性」ですかね。それが人間の特徴で、そして様々な手間をかける必要が教育というわけで、その教育の結果、あるパフォーマンスなりを可能にするということです。いろんないいかたがあった。

 自分のパソコンモデルはたんなる例えにしても、実はこういう「教育の必要」と例えられモデルにされる言説も、いまでは、もっと科学的に説明が可能なわけです。

 それは「人間の可塑性」ということで説明することができます。「生理学」などの知見からみるとわかりやすいのですが、人間は大きく変化する、大きな可塑性をもった生物です。「生理的早産」で示されたように、「脳」などの構造をもって生まれてくるから早産なわけですが、元々母体の胎内にいるときから「脳」中枢を中心に発達するかたちで、そういう構造をもって生まれてくるわけです。乳児期、幼児期と「脳」や頭のサイズ自体はそうは大きく変化するのではなくて、むしろその後大きく変化していくのは頭を除く「身体」の部分とも考えられるわけです。それも「脳」を中心とする神経系の構造が中枢から末梢にまで発達していく(脳鞘化)のにあわせて肉体が成長していくというメカニズムになっている。例えば“いわゆる”「赤ちゃん」がものを口に入れるのは乳児期には「口」が表現や感覚器として外界との媒介になっているからです。そしてすぐにものを投げたりしてしまうのは、あれは指先まで神経が通っていないから思うように(思っているかは別にして)つかめないから投げたようになってしまうのですね。そして足の先まで神経が通って、そこで全身の統御バランスが可能になってはじめて立って、飛び跳ねたりもできるようになるわけです。これは大脳を中心とする神経系の可塑性ともいうことができます。そういう構造をもって生まれてくるのですが、脳がそのとおりに能力を発現していく過程ともいえる。それで成人にまで成長していく過程で、神経系や器官、内臓、骨格筋の発育があって、全身が大きく変化していくということになっている。人間は「プラスチック」(可塑性)な性質をもっているといえます。ちなみにこの大きな変化に即して、それにふさわしい内容を割り振ったものが「教育」のプログラムといえます。

 「可塑性」を教育モデル論として述べていけば、もっと人間の細胞や神経などの性質からその(教育の)必要性(や効果)を説明することもできます。例えば、私がいまにいたっているのはどういう変化をしてきたからでしょうか、そしてそれはどのように説明されうるでしょうか。私は植物のようなものなのか、それとも白紙なのか。人間は、例えるならばいくつもの可能性をもって生まれてきます。脳細胞を一生のうちに使い切ることはできないなどといわれますが、細胞などは毎日ものすごい数の死滅というのがある(それが生きるということでもある)のですが、それでも死ぬまでにそれらすべてがなくなるということはないのですね。いくつもの「可能性」といいましたが、例えば「私」は現在の「私」以外になる可能性ももって生まれてきたともいえるのです。それを例えば、「A、B、C、D」四つのタイプになる可能性があったとして、現在の「私」は「Bタイプ」としておきましょう。例えば「体格」だとして、中肉中背でもなんでもいい。実は「私」は「A」になる可能性もあった。例えば高身長です。でも「B」になった。「C」になる可能性も、また「D」になる可能性もあった。小さかったり、細身だったりなんでもいいのですが。しかしその可能性をもった細胞なりがある時「死滅」したのです。「私」という「容器」の中で三つの可能性が消えて一つが残った。それは死滅です。しかし他の三つが消えた分、スペースができた。その空間を「B」という才能が伸びていって・・・、その結果として「私」は「B」になったといえるのです。「伸びる」という点で「植物モデル」にも近いとも思えますが、少なくとも「生物」とはそういうものであると理解しておくほうがいいと思います。もっといえば「モデル」は比喩や例えなのですから、それをしっかりと知っておけばいいといいたいのです。そして当時より明らかになってきた「人間」に対する様々な理解で情報を更新しておく必要があると思います。さて、「持って生まれた」といっても、これは単純な遺伝ではありません。環境の遺伝、文化の遺伝という考え方もいまはあります。遺伝の話しについては、また「脳」の話しについてするときにいっしょに説明しておきます。(クラスによってはいくつか実際の例や例え話をしたが省略する)

 

(3)教育を可能とする条件、変化させる条件は何か?

 「子ども」の発見?

 資料として写真(図絵)類を5枚用意しました。「学校での教育の風景」ですが、古い時代順に、「寺子屋で複数の師が同一教室で教授している絵図」、「明治初期の教員養成機関の授業計画(「助教法」という方法)」、「一斉教授の授業の教室配置図」、「米国の授業風景写真」、「総合学習での調べ学習授業の教室配置図」という順番になります。時系列的に「そういうふう」に発展(展開・変化)してきたともいえる。

 あるいは「個人」の教育から「集団」の教育へと変化し、また「個人」の大切さが強調されてきているともいえましょうか。「個人主義」や「児童中心(学習者中心)主義」、あるいは「自己教育力」が大切ともいわれるわけです。しかも、この変化は諸外国でも同様な面もあって、一部のものへの教育から、集団教育の実現として助教法や一斉教授が採用されて、その批判・改革として個人重視の学習へと展開していった。「新教育運動」などといわれるものであったのですが、より正確にはどれも外国の展開をそのまま導入(輸入)していったものであったのです。「民衆」への教育、あるいは「大衆化」とも表現されますが、たしかに教育の対象が変わって、それで教育観(教授観)が変わったともいえる。「そうならざるをえなかった」とか、「歴史的必然性」とかはいわれることはあります。なんとなく納得できるし、そういうのを「発展」の形態として私たちは受け止めている。

 しかし、わかったようにはなるけれども、もう少し詳しくみていておきたいのですね。政治の形態とか、世界の情勢とか、その当時の思想の傾向とか、なんらかの運動とか、人間の生活文化など、一つ一つを詳しくみていって、さらにそれらの関係までみていって、それではじめてよくわかってくるものだと考えます。いま、見た「図絵」らは「結果」であって、みえやすいしイメージはしやすいのですが、そこまでの「過程」なり「背景」なりは描かれていないのですね。わかったようでいて、そこで考えずに納得してしまうことも「マジックワード」的な考え方といえます。ですから、つねに「なぜ」ということをなるべく考えていきましょう。

 もちろん上にあげた注目すべき点、すべてをみていくには時間が必要です。だからそういうものが必要だろうという指摘にとどまらざるをえないのですが、私がいつも考えているみたかを一つ紹介して、皆さんにも考えていただきたいと思っています。それは「教育」の形態が変わったということを「人口」や「生活」から考えるという方向性です。「人口統計・変動」からみていくという方法にもいろいろありますし、経済学の視点などもまた有効と思いますが、今回は「日本人の平均寿命の変化」(人間の平均寿命の変動)から考えてみます。

 グラフ(資料)にあるように日本人の平均寿命は縄文時代には14.5歳、室町から江戸時代にかけては38歳、明治・大正時代には39.5歳、1935年になると48歳、1947年で52歳、1965年には70.5歳、1999年で80.5歳となっています。あくまでも「平均」でして、もちろん長寿の人もいたわけです。昔の偉人の肖像などをみれば老人の姿が多くあるわけで、しかし一般的に生活しにくさというものか、衛生や経済まで含めた社会環境の厳しさもあってか、平均的にはそのぐらいで亡くなっている人が多いと数字上は割り出されるわけです。もちろん各時代の調査方法や分母数の違いなどもあることは考えておかねばなりません。しかしそう割り切っても、それでも傾向として「寿命が伸びてきている」ということはいえるのじゃないかと思います。長生きできる人間とそうでない人間の差が大きかったとしても、それは多くの人間が長生きではないという意味では同じなのです。つまりまず指摘しておきたいのは、少なくとも時代によって寿命による全対数の違いがあり、それによって個人が「将来」なり「余裕」をもてるなりすることへの影響(というかいまとの違い)があったのではないかということです。

 単純に、あくまでも単純に比べれば、14.5歳、38歳、39.5歳、48歳、52歳、70.5歳、80.5歳という寿命の目安があるときに、「教育機関で学ぶ」ということへの「かまえ(考え方)」に違いがあるのではないでしょうか。あくまでも単純な比較ですが、例えば皆さんの年齢まで学ばせることが可能な寿命というものがあるし、その年齢をクリアしていてもそれで家族なりを築いていってもその後の「育てる」という人生や、いまのような高齢化社会特有のさらにその後の人生の過ごし方というのがみえてこないだろうし、そういう意味での「余裕」というものがないと想像します。寿命が14.5歳と80.5歳の時とを比べてみればそれは大きく違うのですね。もちろん38歳と39.5歳の当時や、48歳、52歳などでは違いはそう大きくないのかもしれません。だからそういった長い間の安定というのが生活形態をつくりあげただろうし、そういう中で「学ぶ」「教育」という文化的行為も「期間」が長くなってきたり、「機関」がつくられたりとしてきたとも考えられます。

 もう一つは、その寿命の理由をも考えてみたいのです。縄文期の14.5歳と室町以降の38歳という飛躍的に思える伸びはなんとなく文化的生活や安定度で想像できそうです。より多くの人間が安定して暮らせる都市なり文化なり、生活なりがあったと(「歴史」の授業などから学んできたことからも)理解はできるでしょうか。しかし一方で室町以降の38歳から明治・大正期の39.5歳というのは、1300年代中頃から1900年頃までの600年間という年月が経っているわりには変化が少ないともいえないでしょうか。そうかと思えばそれから30数年後には48歳へと短期間に伸びて、その後10数年で52歳、そして70.5歳と異様とも評すことができそうな伸びを示してきているわけです。今も延長は続いて80歳を超えてきたわけですね。こういった「長い期間」変わらなかった(ゆるやかだった)ものが、いきなり「短い期間」で激変するというのはどういう状態なのでしょうか。これを二つ目に考えていただきたいのです。「生きる」ということに直接関わる、別のいいかたでは「死を克服しようとする」ことに大きく関わるものは「医療」「医学」だと思います。単純に医療技術の差というのは過去と現在とでは大きくみられたと思います。昔は不治の病であったものが、今では治癒が可能となったものがある。そういう克服があったわけです。「医」という文字の変遷をみても象徴的なのですが、古くは「巫女」の「巫」という文字が含まれていて(「?」)、人間の死の克服が「祈祷」頼みであったということもイメージされるわけです。そういうのは政治体系にも表れていた時代もあった。ところが信じて治るという効果や自然治癒はあったにせよ、それでは効果が十分であったとはいえないと思うのです。そこで大陸の文化の影響もあったのでしょうが「薬学」が入ってきます。「医」という文字のつくりに「酉」という文字が含まれるように(「醫」)なってきて、医療技術が進歩して科学的になってきたともいえる。「薬師」などや西洋でも「メディカル」なんてよばれるものがでてきたのですね。「酉」は「酒」ということでもあるから飲み薬や麻酔、あるいは安定剤にもなっていったのでしょう。この文字は明治初期ぐらいまではつかわれています。それが「医」という文字になった。これは例えるならマジナイも、薬依存も抜けて近代医術に転換していったといえないでしょうか。文字と同じく余計なものをダイエットしていった。ちょうど江戸後期から解剖が実行されて、明治の医学では洋学中心に外科などが入ってきた。人間の身体を切除するというのはタブー視されながらも、それによって大きく医学が発展していったのですね。どこの国でも解剖が行なわれ、医学が新しくなってきた。前回に話したコペルニクスではないけれども、ある種「神」の領域への挑戦でもあったわけです。いまでも脳死やクローンなどは物議を醸すわけですね。進んだ科学というのは社会的倫理との衝突がかかせないわけです。さて、この「文字」についてというのはあくまでも一つの例ですが、しかしそれは「寿命」にもあてはめて考えることが可能ではないでしょうか。「医」のなかった時代、「?」やあるいは宗教的なものに頼んでいた時代、「醫」という技術的な側面がみられた時代、それが「医」学として現在のような形体で発展した時代。科学技術の進歩、生活・経済の進歩というのが関わっているのですが、とにもかくにも人間の寿命はのびてきた。すると何が生まれるか。おそらく「子ども」というものが発見されると思うのです。いや、子どもや女性も働き手であったのが、長生きをすることが可能になってきて、それで「余裕」が生まれてきて、それで「教育」なりを受けさせるだけの時間や考え方がでてきたと思うのです。

 私はこれを「余暇」ということとして今後お話ししていきます。「school」(学校)の原語シューレの意味は「余暇」として知られていますが、これは象徴的な言葉であって、まさに「行かせる余裕」があってはじめて「学校」なり「学校教育」なりを実現していくことが可能になってきたと考えるのです。「図絵」で見たように教育は「大衆化」してきたともいえる。しかし、そういうふうに変わることを可能としたのはなんでしょうか。「経済的・文化的発展」という言葉一言でもしも示された場合に、それはそれであっているとは思うけれども本当にそれでどういうことか具体的なイメージがわくのでしょうか。そういうことで少し深く、そして違った角度から考えてみたかったというのが今回の授業のいいたかったことの一つです。

 実は「子どもの発見」という言葉が「社会史」などを標榜する方々から提案されたことがありました。それはそれで新しい提案でしたし、フランスの新歴史学の影響を受けたものなので新しいものではありました。しかしその主張は「見落とされていた子ども」を発見するということで、無名なものとか、あるいは書物以外の文字情報や絵画などを資料としていくという方法論の問題が注目されてばかりじゃないかと私は受けとりました。残念ながら「教育」そのものを疑っているようでいて、実はまだ大きく外から全体を見直すようなことではなかったように思います。宗教などいろんなものに視点を置いたもので重なる部分もあるのですが、私はそもそもの「子ども」というものを医学的・生理学的、あるいは解剖学的に、また社会的にとらえなおすことが必要だと考えていまして、関心は異なっています。まだまだいろんな見方や考え方はあります。できるだけ多様な見方を試みていきたいと考えています。

(リアクション・ペーパー配布と回収)