教育学概論T(人間と教育) @2002年4月15日)

 

 初回の授業のため、ガイダンスとして以下のようなことを話した。




 

◇教育学への入門、教育学の立場はどういうものか
◇「教育」を客観的にみていく思考法
◇導入:「教育学」や「教育(について)」は学ぶに値する学問か
◇これから「教育学」に興味をもってもらえればいい

 

(3クラス担当のため話し方は違いもでているが、話したことがらは次のような内容である)

 今日が最初の授業で、初対面ですから、私にも皆さんにも多少の不安がまだあると思います。まず、私はこちらの大学は今年が初めてなのですが、まだ大学のシステムなりをよく知っていないですし、雰囲気にも慣れていない。皆さんはどんな講義についても同じでしょうけれど、「この授業は難しくないだろうか」「どんなことを学ぶのだろうか」という不安があると思います。簡単に言うと、この授業は読んで字のごとく「教育学」というもののおおよそについて説明していくというものです。教育学の入門だと思ってもらってもいい。

 しかし、こうして簡単に言ってみて、それで不安がとけるかというとそんなことはないはずで、まだわかったようでよくわからないという状態と思います。まずなによりも「教育学」自体がわかるようでわからないのではないでしょうか。まだ大学の講義の中でも「哲学」や「倫理学」「宗教」「経済学」や「外国語(英語など)」などは中・高校までの授業に含まれてきた部分もありますが、しかし「教育学」はこれまで「授業」としては受けてきていなかったのではないでしょうか。イレギュラーや例外としてはともかく、通常の授業としてはなかったと思いますし、ですから「何をするのか」がよくわからなくて不安だろうと思います。そしておそらく、どうやら「教員」になるための学問なのではないかなどと想像する人も多いのではないでしょうか。この予想は一面としては当たっています。

 しかし、皆さんは「教育学」は初めてかもしれませんが、「教育」ならいままで受けてきていますし、まさに「いま」もこうして大学に来て授業に参加しているわけです。その受けてきている「教育」というものについて客観的に考えていくモノサシ、理論、データを分析したものなどが「教育学」というものだと言っていいと思います。だからいままでは「受けて」いた立場でしたが、たしかに教員になれば「授業をする」立場にと変わるわけです。 それは視点や考え方がかわってくるというもので、さらに他人を教育することへの意識や責任感も必要になります。少なくとも複数の立場を理解するという意味では客観的ですし、ですから「教職科目」として「教育学」があるのだともいえると思います。ただし私は「教職」のためだけにあるとは考えていません。十分に教養として役に立ち、また人間の形成や社会の問題などを考えていくのに有効な、「つかえる」学問であると思っています。半年から一年間の授業で皆さんが「教育学って面白い」「教育学ってつかえるかも」と思ってもらえるように授業をすすめていきたいと思っています。

 さて、皆さんは大学に入ってきて「不安」があるかもしれないけれども、また「期待」もあるのですよね。大学を希望どおりに入れなかった(不本意入学)などの不満があったり、ただなんとなく入ったという人もいるかもしれないですけど、それはどんな人間でも他人には言わなくても悩んだり、考えこんだり、揺らいだりすることはあることです。「自分って何?」とか、「生」とか「死」とかを考えることもあるでしょう。私も最近すばらしい人生の恩人を亡くしたばかりでして、毎日「生き方」というものを考えてしまいます。あとは「愛」とか「人生」とか、あるいは「職業」や「未来」まで、いろいろ思い悩むことはあるでしょう。そういう悩みへ直接じゃなくてもなんらかの目からウロコが落ちる状態や、ハッとさせてくれる考え方や言葉・・・、そういうものに、本でもいいのですが「出会えないよりは出会えた方がいい」と思います。僕も10数年前は大学生であったわけで、そのときそう思っていました。これはもちろん受けとる側がポジティブになる必要もあるかもしれませんが、とにかく一つでも多くそういうものに触れる機会があった方がいいかと思います。「教育学」が皆さんにとってそういうものであるかはわかりませんが、考えていくとけっこう面白いものであるとおすすめしておきます。

 人間を理解していく、あるいは人間の様々な悩みに応えるための学問はたくさんあります。「哲学」は考えるということや、善悪の判断や価値基準をとらえるのに有効ですし、「心理学」でカウンセリングの技術を学びたいという学生も多くいます。私のように年齢を重ねて身体の調子に不安がでてくると「医学」や健康のため「生理学」などによって身体のことを深く考えて対応していこうとすることも必要かもしれません。あるいは人間の生活や未来をみていくために統計学的分析を試みて「社会学」の立場から考えてみたり、考古学や文化人類学、広義の「歴史学」によって人間の世界そのものを理解しようなんていうのもある。詩や小説などに書かれたものへの理解を深め考察していく「文学」や芸術も大切なものですし、自然科学的に「生物学」の立場から人間の存在や行為・行動そのものを把握していく方向だってありえます。他にもいろいろあります。しかし「教育学」も、人生や個人や社会や歴史を考えていくのに有効な面がたくさんありますので、今後そういったお話しをしていきたいと考えております。

 もう一度言いますが、いままで受けてきた、そこにいたという「教育」を客観視しながら、いろんな対照の鏡をつかって「どういうものなのか」を考えていくのが「教育学」です。自分の体験からはじめられるし、それを様々な角度から考える。そして今ある「教育」についても自分の体験やそれを客観視していくことから得た視点などから考えていくようになる。人間の登場しない「教育」はありませんし、いまここで私の話をききとって理解できる言語能力や知覚の力も教育の成果として発達してきたわけです。できなかったことが、できるようになった。練習の成果なのか、慣れなのか、経験なのか。すぐに何でもできる人もいればそうでない人もいる。この差も環境や教育の効果という面もあるのではないでしょうか。「教育学」は人間形成の学でもあり、きわめて人間学だとも思います。こう考えてみれば、「教育学」というものも、なかなか面白そうなものに思えないでしょうか。

 

 さて、それでは、配布したプリントをもとにして、「教育学」が考えていくに値するものなのかを、・・・大学の一授業として学ぶにふさわしいものかを、講義の「導入」としてみていただこうと思います。

 「教育」とひとことでいうと、それはそれでなんらかのイメージとして把握されるわけです。皆さんが受けてきたものでいえば「学校」や「授業」というものが「教育」の象徴としてイメージされるのではないでしょうか。そこで資料として、絵図・錦絵などを数枚あげておきました。

 プリント左上の二枚は江戸時代(近世)の庶民教育の場「寺子屋」での手習い(授業)のシーンです。国語や習字の時間と理解していただいてもいいのですが、この二枚の絵を比較してみます。まず現代と比べればいうもでもないことですが「衣服」なりが違っているわけです。「和服(装)」ですし、帯刀(刀を携えて)してもいます。髪形が髷が結ってあって、ひとことでいえば「時代が違う」となるのでしょう。たしかにいまとは時代は違ったのですね。それで二枚の「同じ時代」の絵の差ですが、左は男の教師(師匠)が男児に、右は女性(師匠)が女児にと教えているシーンでして、男女別学が描かれています。共学の所もあったかと思いますが、一般的には男女別学だったと考えていまして、後にわざわざ「これからは男女共学とする」といわれたぐらいですからそうであったと思えます。

 そして他にはどのような特徴がみられるでしょうか。まず、椅子に座っていないで、床(板や畳)に座っている。そして整然と整列してはいませんね。バラバラに各自が自分の作業をしている。なかには友だちのところに顔を出したり、ちょっかいを出しているかのようなシーンも描かれている。現在とはかなり異なっているわけです。

 左の下にある二枚の絵は明治時代(近代)の初等教育(小学校)の授業のシーンです。これには「教室」の前の部分に黒板や掛図があって、教師がそこに立っていて棒で指し示して教えているのですね。服装や髪形は「いま」と同じになっています。生徒の中にも「洋服(装)」の子がいて、「椅子」と「机」を使って全員一律に前を向くように座っている。さらに男女共学にもなっています。まさにいまの授業と同じ形態の「一斉授業」になっているわけです。ですから、日本の教育の100年史なり120年史なりが書かれる場合、そのスタート時点がここ明治期であるとされるのですね。すると、上の二枚の近世の教育とは明確に区別されることになる。

 たしかに見てわかりやすいほど違うわけです。納得しやすいかもしれない。そういう事実はあったと知ることはできるし、歴史の授業で学んでいるかもしれない。しかし、「そのまま」を知ることは「考える」こととは違うと思います。まるっきり「別のもの」に変わったのだとスッキリわりきって受けとっていいのでしょうか。では、年代、いつ変わったのかを考えてみたらどうでしょうか。

 ○寺子屋(江戸時代:近世)・男女別・和装・床に座る・個別の教育(1860年代まで)

 ○小学校(明治時代:近代)・共学・洋装・机椅子に座る・一斉教授(1870年代以降)

 いちばん短い期間で、10数年単位で、この落差がありえたともいえますかね。このような急変を「別のもの」とわりきっていいのでしょうか。この変化の可能性や理由、そして影響を考えないで、ただ受け入れることがいいのでしょうか。

 とにかく「教育」は急に大きく変わることもあるわけです。このことの影響や人間生活との関わりを考えていくことは必要ではないでしょうか。

 

 次に右下二枚の図は、日本の学校系統図で、小学校から大学までの進学連結等が示されたものです。二枚の違いは、学校の名称も違いますが、斜線部分の年数が違うわけです。これは義務就学期間でして、左が国民学校の6年間だけ義務の時期で、右が小学校6年間と中学3年間の期間でして、こちらが「いま」と同じだということになる。左だと、12歳で進学しない生徒は社会にでていくことになる。二枚にはそのような差異がある。しかし、左は1944年のもので、右は1949年の学校制度なわけです。「5年」程度の差の(タイムラグの間の)変革なのです。それでこの大きな違いがおきている。これも、この事実だけを受け止めるだけでいいのでしょうか。何が理由なのか、それを考えなければいけないでしょう。 簡単にいえば、左右の間には「第二次世界大戦」があったのです。ちなみにさきほどの明治と江戸の間にも「開国と維新の変革」があった。その大きな事件と教育との関係を考える必要があると思います。

 

 もっと身近な問題ともいえます。今年は平成14年(2002年)ですが、今年から大きく教育は変わるともいえます。ちょうど二日前の土曜日にニュースや記事になっていましたが、小・中学校では完全に学校週五日制が導入され、土曜日が休みと設定されました。授業時間がそのまま削減され、内容も「基本の重視」という厳選・精選によっておよそ3割が減らされたというのです。そして個性やゆとり、あるいは自己教育力、創造力をつけるために「総合的な学習の時間」というものを週に3時間程度行なうこととしました。一つ一つはいい企画だけれども、実施する準備や条件整備、あるいは周囲への説明が理解を十分に得ているかについては問題があるのです。しかし、とにもかくにも「いま」教育は変わっていくのです。「ゆとり」の教育改革、あるいは「戦後に継ぐ三度目の教育改革」などともいわれています。まさに江戸から明治への変革が一つ、戦前から戦後へが二つ目、そして今回のが三つ目となるわけですね。それでこのようなプリントをつくってみたのです。とにかく身近な問題でもあり、事実として受け止めるだけでなく、考える必要があると思うのです。

 残りの一枚の写真は米国の授業のシーンです。シカゴの小学校の地理の授業ですが教室の構造が違っているわけです。この写真は「調べ学習」をしていますが「経験カリキュラム」の授業ともいえます。まず教室の前にある黒板に生徒が向いていない。生徒同士で机をくっつけてグループ学習をしている。先生の位置にも動きがあって、一般的な日本の教室や授業とは違うのですね。 実はこういう子殿も主体的な学習というのをモデルにして取り入れていこうじゃないかという考えがいま日本にはあります。いいところは取り入れていけばいいですね。しかし・・・。この構図自体はきわめて寺子屋にも一致しもするわけです。いや、よく問題として騒がれる学級崩壊の描写も似ているとはいえないでしょうか。もちろん寺子屋当時には「学級」がなく、崩壊しようがなかったわけで、その後クラスがつくられて、年月を経ていまにいたっているわけですね。そしてもちろん無目的に「寺子屋→小学校→寺子屋スタイル」と繰り返されるのではなくて、そういうものを理解した上で戻るのであれば単純に同じ結果には陥らないと思います。しかし、「形」だけではなくて、その影響や、あるいは本当に何が必要なのかを考えるべきでしょう。あるいは三度目の改革ならば、過去の変革の時に何を目的として、何に対応しようとしていて、そしてそれが社会に承認される形であったのかどうか、またあるいはどのような影響を及ぼすことになったのか・・・。それらをとらえなおすことも必要じゃないでしょうか。これらは歴史的な問題ですが、モラルや思想の問題、産業の問題、社会の問題、人間の心理の問題、生活の問題など、いろいろな面からその「教育」をできるだけはっきりしたものとしてとらえていきたいというふうに考えています。

 次回は一ヶ月後ですが、前期・後期の授業で「教育」と人間、社会について考えていくことが面白いと思えるように、授業をすすめていきたいなと考えています。

 (アンケート配布・回収)