安 倍 奥 縦 走   5万分の1図(南部、清水)
                                          
 1974年4月27日〜5月2日
   
 重荷に耐えた歩行距離70kmの縦走

笹山(1,764m)、山伏(2,014m)、大谷嶺(1,999.7m)、八紘嶺(1,918m)安倍峠(1,420m)、
大光山(1,661m)、十枚山(1,726m)、仏谷山(1,504m)青笹(1,555m)、真富士山(1,345m)、
竜爪山(1,051)、若山(844m)


4/27(土)  新静岡駅(バス)→富士見峠→井川峠(テント泊)    
4/28(日)  井川峠→笹山→山伏→山伏小屋(泊)    
4/29(月)  山伏小屋→山伏→大谷嶺→八紘嶺→安倍峠(テント泊)    
4/30(火)  安倍峠→大光山→刈安峠→十枚山→十枚峠→南沢支流点(テント泊)   
5/1 (水)  南沢支流点→十枚峠→仏谷山→青笹→真富士山(テント泊)    
5/2 (木)  真富士山→竜爪山→若山→桜峠(バス)→新静岡駅


1974年5月の連休に安倍川流域の山々で今まで何回か登った山や峠をつないだ縦走を計画しました。 出発前には、ほぼ半日毎に下山ルートがあり 「もし、何かあれば直ぐ下山すればいいさ」 とある意味では気楽な気持ちで精鋭(いや愚鈍かな?)3名は山に入りました。

4/27 新静岡のバスセンターから井川行きのバスに揺られること2時間半、富士見峠に到着する。  

ここから重い荷物を背負っての縦走を開始した。雑木林を抜けた大日峠からは残雪を抱いた南アルプスの峰々がくっきり

と望まれました。しばらく進むと勘行峰牧場にでる。牛達はのんびりと牧草を食べている。こんな重い荷物を背負って歩か

ねばならない身には、なんとも羨ましい気持ちにもなる。 伐採の仕事の人達が林道の真ん中で休憩しており「休んでい

けや」の声に迷わず休憩となり、お茶をご馳走になる。

こんな具合で3名はへばってしまい、井川峠には予定より1.5時間程遅れの到着であった。

今宵の夕食は豚汁で明朝の分も一緒に作ってしまう。味噌が少なめだったが味は抜群(山で喰えばなんでも旨いよなー)。

空は満天の星空で明日から下り坂になるとは思えない様な空だった。午後8時シュラフにもぐり込み休む。
 

  山伏小屋の写真
 1974年当時の山布小屋

4/28 朝2時半(まだ朝にはなっていないよ)眠い眠い目を擦りながら起床する。朝食に手間取り(何のために昨晩豚汁を

作っておいたんだよ−)出発は5時になってしまった。昨日の疲れが回復せず調子がでない。

今日は安倍峠までの予定だが、これではとても着きそうにない。特にテントを背負っている若いN君(若いと言っても何のこと

はない私と4才しか違わなかった)の疲れが著しい。笹山への途中で富士山の後方から登る太陽を木の間越しに拝む。

笹山で荷物を降ろして20分の休憩を取る。しかしその後もピッチが上がるどころか、益々ピッチは落ちる、そして牛首で遂に

N君はノビてしまった。ここでN君の荷物を分配し荷物を軽くしてやる。猪の段で10時となってしまい昼食を取る。

ここで今日の行程を山伏小屋までに短縮することにした。最後の登りを登りきると展望が大きく開け遙か彼方に駿河湾まで

見えていた。小屋に入るにはまだ早いし、ここで大々休憩を取った後、小屋への道を下っていった。

夕刻から予報通り雨が降り出した。(そのためN君は小屋泊まりが正解だったと、しきりに仲間にPRする。)

 一面「ヤナギラン」の花の咲いた山伏山頂写真
この写真は当時の夏の 「山伏」です一面ピンク色に咲いてる花は「ヤナギラン」 
 
4/29 朝3時に目を覚ます。昨日からの雨が相変わらず降り続いていたため「今日は停滞」と決め再びシュラフに潜り込む。

しばらくして、まわりが騒がしくなったので起床してみると雨は上がっており、山伏の山頂方面には青空さえ見える。

我々も出発のため急いで準備をする。今日の予定は安倍峠まで、今回縦走のメインルートである。
 

山伏の山頂は、一面短い笹に覆われ所々に大きな立枯れ木が見事に調和し、あたかも自然が作り出した庭園である。

この山伏は今回の縦走の最高峰である。ここから新窪乗越へは快調に下る。 しかし、この後の大谷嶺へは辛い登りであった。

大谷嶺から五色の頭までは展望良好で荷物の重さを忘れさせてくれる快適な稜線漫歩だ。再び八紘嶺への登りといい安倍峠

への下りといい、とてもきつく大変であった。安部峠のキャンプ地は、水は豊富だし3面山に囲まれた静かな絶好の場所であ

る。夜半に「ピーピー」と鹿の鳴声が聞こえた。この静かな峠の自然はいつまでもいつまでも残しておきたいものである。

八紘嶺山頂での縦走メンバーの写真  冬の安倍峠の写真
 上の写真は八紘嶺の山頂で縦走メンバー3名  上の写真は冬の安倍峠

4/30 いよいよ、今日から縦走の後半戦である。安部峠からバラの段への登りの急なこと、前の人のカカトを見ながら

の登りである。営林署の境界標識づたいの道で、今までの登山道とは異なり踏まれていない。奥大光で昼食を取った後、

大光山・刈安峠へとゆっくりとした歩みではあるが確実に進む。刈安峠の西側に本村への道が分岐している。


峠からの十枚山の山容は大きく魅力的である反面、苦痛の登りを覚悟させられた。峠から少し下ってから登りが始まる

笹の切り開きも少なくなり歩き難くなる。

大光山山頂で縦走メンバーの写真 
大光山の山頂にて 
十枚山に登りさえすれば本日の行程は終わったも同然と身体に言い聞かせ歯をくいしばり急坂を登りきった。とうとうここ迄

これたと言う想いも手伝って、「ばんざ−い」の後3人で固い握手をしてしまった。今日の行程では1人の登山者にも会うこと

がなかった。そして幕営予定地に着くともう一歩もあるけない程疲れ果ててしまった。水場に水を汲みに行った2人がテント

スペースがあるとのことで、そちらへ移動したが、私はもう夢遊病者同然であった。

十枚山山頂でのメンバーの写真  冬の十枚山山頂の写真
 上の写真は十枚山頂でがっちり握手  上の写真は冬の十枚山
 
5/1 昨日の天気図作成時には、天候が心配されたが雨も降らず縦走を続ける。 これから先には水場がないのでそれ

ぞれ持参のポリタンク全て、9リッターを満タンにして出発。十枚峠に登り返して下十枚山に向かう。十枚山へのハイキング

は何回か来ているのに、下十枚山に足を延ばしたことがなかった。 下十枚山を下がったところが地蔵峠でその名のとおり

「お地蔵さん」が祀ってある。ここで昼食を取る。  

ここからは益々踏み跡は少なくなり、背丈以上もある笹に覆われ、かき分けかき分けの登り下りが仏谷山から細島峠、青笹

へと延々と続く。大変なアルバイトの末、やっと浅間原の鉄塔下に到着。 ここまで来るとひと山越える毎に目指す桜峠が近

づいてくる様に感じられた。しかし満タンの5リッターポリタンクがこたえたのか、再びN君がバテテしまう。ここで幕営していて

はゴールの桜峠にはおぼつかない。 そこでザックをここで幕営していてはゴールの桜峠にはおぼつかない。そこでザックを

交換して担ぎ、バテ気味の身体に鞭打ちながら真富士山に向かう。 やっとの思いで第二真富士に到着する。頂上直下の

わずかな平坦地でテントを張る。 食料も乏しくなり最後までの食料計画を確認する。 1日日程が延びたため食料は乏しく、

空腹は満たされないままシュラフに入る。


5/2 いよいよ最終日。 2時半に起床、ラーメンをすすって4時半に出発。第一真富士まではハイキングコースでしっかり

とした登山道であるが、そこを過ぎてからがひどいヤブっだった。前の人との間隔を小枝のしっぺ返しを喰らってしまう。

また、背中の大きなキスリングがヤブに引っかかってしまい思うように前に進めなかった。 やっとの思いで駒引峠に到着、

時刻は午前9時。ここで昼食にするが、羊羹1本にクラッカー1袋、これが3人分の昼食。そのわずかな昼食を取り竜爪山に

向かう。 竜爪山の頂上には遠足の高校生が多数おり、何か我々は場違いの姿に写ったに違いない。貴重な水をコップ一杯

づつ飲んで早々に退散する。 空腹と疲労でもう誰も口を開こうともせず、痛む足を黙々と引きずるのみ。

そして、最後の桜峠に着いた時には「ああ−、終わった。もう歩かなくても良いのだ」と呟いた。

 

重荷で初日からみんなバテ気味で「もう明日は下りたい」との思いが心のどこか潜んでいた。しかし「もう

一日だけもう一日だけ」「安倍峠まで」と自分に言い聞かせた。 また、誰かが弱音を出せば他の人が「も

う少し」と励まし、別の人が弱音を吐けば他のひとが日「もう一日」と励まし会いながらの70kmにも及ぶ>

縦走を成し遂げることができた。 当時は皆が二十歳代(?)。チームワーク、そしての青春のチャレンジ

に乾杯だ!


 
安倍川・大井川流域の山へのボタン 安倍川及び大井川流域の山のページに戻る

ホームへ戻るボタン ホームに戻る