「北アルプス縦走」 
 5万分の1図(上高地、槍ヶ岳)
南岳(3,033m)、中岳(3,084m)、大喰岳(3,101m)、槍ヶ岳(3,180m)、樅沢岳(2,755m)、三俣蓮華岳(2,841m),
鷲羽岳(2,924m)、水晶岳(2,986m)、黒部五郎岳(2,840m)、弓折岳(2,592m)、抜戸岳(2,813)、
笠ヶ岳(2,897m)
10/6 (水)  清水(車)→松本(車)→新穂高温泉(車中泊)
10/7 (木)  新穂高温泉→チビ沢→槍平小屋→南岳小屋(泊)
10/8 (金)  終日風雨が強く南岳小屋に停滞(台風19号、20号の影響)
10/9 (土)  南岳小屋→南岳→中岳→大喰岳→槍ヶ岳→樅沢岳→三俣山荘(泊)
10/10(日)  三俣山荘→鷲羽岳→水晶岳→三俣蓮華岳→三俣山荘(泊)
10/11(月)  三俣山荘→黒部五郎岳→三俣山荘→双六小屋(泊)
10/12(火)  双六山荘→弓折岳→抜戸岳→笠ヶ岳→新穂高温泉(車)→静岡
1993年10月にリフレッシュ休暇を利用して、短い休暇では入ることの出来ない北アルプスを縦走しました。
中岳からの槍ヶ岳の写真
 中岳からの「槍ヶ岳」奥の白い峰は「野口五郎岳」 1993.10.9

10/6 (水) 晴れ 清水〜新穂高温泉
                     へ車にて移動

 北アルプスは、年によってはすでに雪を被る可能性もあり、この季節が無雪期の最後のチャンスと思いながら出発する。
 国道52号線を韮崎まで行き、ここから中央高速に入る。 諏訪湖SAでお湯を保温水筒に補給さらに水筒(ポカリスエット粉末入り)に水を補給しようと、公団のおばさんに「ここの水は飲めますか?」と尋ねると、「はい、こちらで入れてあげますよ」と言うのでお願いした。 すると、水筒を濯いでしまい中の粉末は全て捨てられてしまいました。

 おばさんも気が付いたようで「すみませんね、水筒の中に入っていたようですね」。
 仕方がない、 自分が説明しなかったのだし、好意で濯いでくれたものだから。
 「ありがとう。」と礼を言って諏訪湖SAを出る。 
 明るいうちに安房峠を越えたいと思っていたが、松本ICを出た時はすでに薄暮になってしまった。 対向車とのすれ違いを考えトラックの後ろについて峠を越えた。 
 新穂高温泉の駐車場には午後7:20に到着する。 車中で夕食をとり明日持って行く荷物を整理してシュラフに潜り込む。
 

10/7 (木) 曇り時々晴れ一時雨 
           新穂高温泉〜南岳小屋

 午前6時に新穂高温泉を出発。 交番に登山届けを出して、いよいよ縦走のはじまりである。 
 穂高平小屋付近は牧場風の感じで草原が広がっていて、こんな所でのんびりと散策するのも良いだろうな、と思いながら先へ進む。
 この辺りから笠ヶ岳方面を見ると朝陽に照らされた山並みが望まれたが、どの山か部分的で定かではなかった。
 チビ沢、白出沢を過ぎ滝谷で初めて下山してきた1人の登山者に会ったのみで、静かな山旅である。 こんな静かなのも稜線までだろうと思っていた。 
 槍平小屋も新しくなったのか、とてもきれいな感じの小屋になっていた。 この付近から紅黄葉が真っ盛りで、歩いている登山道まで明るかった。 槍平から南岳への登山道が分岐しており、この道へと進む。 しばらく進むと涸れた沢沿いの道を登る。 間もなく右岸から左岸に道はかわる。 

 岩や石に付けられたペンキを確認しながら慎重に登る。 しかし、これといった目標物もなく正確な現在位置が判らず地図でこの辺りかなと思いながら歩く。
 大きな岩のところで昼前の天気予報の時刻になったので休憩を取りながらラジオで予報を聞く。
 この予報では台風は伊豆半島と房総半島の沖を通るようなので、今日のところは、ひどい悪天にはならないだろうと予測する。 
 登山道は益々急坂になり登り一辺倒で、疲れてきたのになかなか小屋に着かない。槍平小屋から登ること4時間でやっと南岳小屋に到着する。
 小屋は新しく気持ちの良い小屋だ。 宿泊手続きを済ませると乾燥室にストーブを炊いてくれたので帽子やシャツを乾かす。 夕食までの2時間余り布団に入り寝てしまった。
 寒くなり目を覚ますと夕食ができたと呼びにきてくれた。 夕食は疲労で余り食欲はないが、ゆっくりと時間をかけて出来るだけ沢山食べることにした。 今夜の宿泊者は私1人だけだった。
 
南岳小屋の写真 10/8 (金) 終日風雨強し 
             南岳小屋(停滞)

昨夜からの雨は相変わらず降り続いている。 今日の行程をどうしようか思いを巡らす。
 朝食を済ませて、雨が止むのをベッドスペースで待っていると、「掃除をするので」と玄関の土間に出されてしまった。
 天候の快復を待てど一向に快復する気配はない。 昼食はコーヒーを沸かしレーズンクラッカーで済ませる。
 昼過ぎに停滞を決める。すると直ぐに談話室にストーブを入れてくれた。  ラジオを聞きながら明日からのコースを検討したり天気図を書いたりしながら夕食までの時を過ごす。  天気図がまとまった頃に夕食を運んできてくれた。
 今夜も宿泊者は私1人だったので、少し申し訳ない気持ちとお客なんだから、という気持ち半々で少しばり複雑な気分であった。  明日の天候の快復を祈りつつ床に着く。

南岳小屋 手前が旧館 奥側が新館 1993.10.9 

10/9 (土) 快晴  南岳小屋→三俣山荘(泊)

 昨日停滞した甲斐あって、今日は台風一過の快晴である。 5時半に1階に下りて行くと、「お一人ですから食事されるんでしたらどうぞ」と言うことで早めの朝食をさせてもらう。
 出発の際「双六小屋に行かれるのでしたら、南岳の小屋は10/10で小屋を閉めます」との伝言を頼まれる。 
 「朝は凍っているからゆっくり風が冷たいから少し多めに着て行くといいよ」と言って見送ってくれた。 外は風が強いこと帽子を飛ばされないようにサイズを縮める。 
 南岳には10分程で到着。 早朝の富士山、南アルプスがとても美しく眺められたが、槍ヶ岳から北の山々は随分と白く雪が着いているようで少し心配になる。 昨夜のニュースで「室堂でカメラマンの遭難」騒ぎがあった。 

そのため、槍ヶ岳の小屋に電話があったら家に電話しようと小屋を覗くが電話は見あたらなかった。 
 その変わり小屋にはアイゼンがズラリと並んでおり益々不安が増大した。 ”エイ、槍ヶ岳に登って、奥が無理なら下山すれば良い”と心を決める。
 昨夜の雪が着いた槍ヶ岳に向かうと、途中にアイゼンがいくつか脱ぎ捨てられていた。 岩に着いた新雪は柔らく凍ってはいない。
 雪が着いている岩にステップを置くたび滑らないように緊張した。
頂上に着くと同時に、今までいたパーティーが下山して、山頂を1人で占領し周囲の山々の雄大な景色を心行くまで満喫した。
 山頂から北の方向を見ると野口五郎岳だけはひときわ白く光っていたが、手前までは僅かな雪があるのみで一安心、縦走することを即断する。
 

槍ヶ岳山頂からの展望写真
  槍ヶ岳山頂からの展望 ’93.10.9
 槍ヶ岳を背に私の写真


新雪の着いた「槍ヶ岳」と私 1997.10.9
 

 山頂での大展望をパノラマ写真におさめ下山する。岩場の下りは登り以上に気を付けないと危ない慎重に下る。
 途中登ってくるパーティーを何回か待避しながらだったが、半分程下った所で先に下ったパーティーに追いついてしまった。
 「お先にどうぞ」と声を掛けられたので、先に失礼させて貰った。
小屋の前に置いた荷物を背負って裏銀座コースへと進むが、この方面に来るパーティーはなく踏み跡もない。
 新雪に足跡をつけながら千丈沢乗越へと向かう(槍ヶ岳の陰になっている部分は新設が融けずにしっかり残っていた。)
  乗越まで来ると雪もなく稜線漫歩、振り返れば槍ヶ岳から北鎌尾根が手に取る様に眺められ、「山関係の雑誌や本に出て来る世界」にいるのだと感慨を新たにした。
 雪が消えた、西鎌尾根でお茶を沸かし「北アルプスの景色」をおかずに昼食の大休憩をとる。
 そして、今夜の宿泊予定の双六小屋は「樅沢岳」を下ったところにある。
 そのためピークを越すたびにこれが「樅沢岳か?」と何回思ったことか。
 それでも午後2時に「双六小屋」に着いてしまったので、南岳小屋の伝言を届け「三俣山荘」まで足を延ばすことにした。

 コースは当然トラバースコースを選択する。最後はヘバリ気味で午後4時半少し前に三俣山荘へ着く。
 宿泊名簿を書きなががら南岳から来たことを告げると、小屋の主人が「良く頑張ったね」と言ってくれた。
 「小屋は混雑してないので好きな場所にどうぞ」ということだった。 ストーブのすぐ横の場所にした。
 ここで一気にビールを飲みたいところだが、山で疲れた状態のアルコールには良い思い出がなかった。

 そこで、ポカリスエットを2本買って1本は水筒に、残りは一気に腹の中に入れる。 喉の渇き一気に解消させた。
 この小屋の食堂にはコーヒーサイホンやワインの瓶が並びスキー場のレストハウスを思わせる感じがした。
今夜のメニューは焼き肉とスパゲティと少量の野菜、スープそれとご飯であった。

        三俣蓮華岳からの展望写真
   三俣蓮華岳にて  1993.10.10

10/10 (日) 快晴  
  三俣山荘→鷲羽岳→水晶岳→三俣山荘(泊)

 今日のコースは最も余裕のある日程である。朝食を済ませ、荷物を小屋の隅に預けて出発する。
 いきなり鷲羽岳への直登は、空身に近い荷物なのに喘ぎ喘ぎしながら登る。
 頂上の少し手前であとから大きなザックを担いで登ってきた人に追い越されてしまう。
 鷲羽池で写真を撮りながら頂上へ着くと、先ほどの人が休憩中だった。お互いに写真を撮り合うと、なんと同じ機種のカメラだった。
 同じ様な「価値観の持ち主か」と思うと非常に親しみが湧いた。
 この後水晶岳に行くと言うので、一緒に楽しい山の話などしながら水晶岳に向かう(新潟の十日町の生まれの方であった)。 
 水晶岳は黒岳とも呼ばれている。 これは周りの山に較べ岩肌が黒いからだが、水晶岳への登山道には小さいが水晶がキラキラと輝いていた。
この山名は水晶岳のほうがふさわしい感じがする。

 イメージ的にも良い様な気がする。
 この山は北アルプスの真ん中に位置し、ここまで来るにはどのコースを取っても何日も要する。
 それだけに北アルプスの山々の殆どが眺望できる素晴らしい山であった。
 水晶岳をあとにして祖父岳経由で下るか岩苔コースで下るか迷ったが、当初の予定だった岩苔コースを下ることにした。
 新潟の方は薬師沢小屋にまで行くと言うので、ここで別れる。
 岩苔コースは沢沿いで豊富な水が流れており、夏場にはさぞ高山植物が咲き乱れることだろうと思いながら下る。
 小屋に戻って昼食をとった後、時間があったので三俣蓮華岳に足を延ばしてきた。
 今夜は昨夜と違っての混雑する様で、2階にも客がどんどん入っている。
 困ったもので人数が多くなるとマナーを守れない人達が出てくる。 消灯後に酒を飲みながら雑談したり禁煙なのにタバコを吸ったり他人への迷惑等考えていないのか・・・? 

三俣山荘から早朝の槍ヶ岳写真
  朝の三俣山荘にて  1993.10.11

10/11 (月) 快晴  
  三俣山荘→黒部五郎岳→双六山荘(泊)

 日程を検討した結果『今後の山行を考えるとカットする山はアプローチが短い山を残した方が芳しい』ことから笠ヶ岳をカットしよう。
 そこで今日は「黒部五郎岳」に登ることにした。
 あれだけの人が宿泊したのに「黒部五郎岳」に登る人はいないらしく、私の前にも後にも人影は見あたらない。
 小屋から少し登った所で右に折れ、三俣蓮華岳をトラバースしながら稜線の道に合流する。
 小さな沢では氷柱が見られ、きれいな氷柱をひとつ二つ口に入れてみた。 冷たく口の中がさっぱりする。 しばらく平坦な道が続いた後は、一転急勾配を一気に三角屋根の黒部五郎小屋まで下る。
 小屋から少し登るとカールの底部に達する。
このカールの石と草紅葉と源流から流れ出ている清水の調和はまさに自然が作った芸術品である。 
 このカールの最後は稲妻型につけられたジグザグの登りである。


 稜線に出れば頂上はすぐそこである。
この頂上にも人はいなかったが、休憩していたら太郎平方面からの登山者が3名が登ってきた。 写真を撮りあった後私は下り始める。
 帰りは稜線のルートをとったが、カールの縁の所々に赤布の目印があるだけで、何処が登山道かはっきりしておらず一歩間違えたらカールに転落しそうなルートであった。
 今日は天気も良く見通しが効いたので迷うことはなかったが、悪天候時には薦められないコースであった。
黒部五郎小屋を過ぎ急坂を登って行くと、これから黒部五郎岳に向かう人に出会ったので、「往復カールのコース」を薦めてやった.。
三俣山荘に戻ると「遅くに黒部五郎岳に向かった人がいたが会いましたか?」と小屋の主人に尋ねられたので、「小屋の手前で会ったので、カールのコースを往復するほうが安全ですと話して来ました。」と返事をした。

水晶岳山頂からの展望写真
 水晶岳から 「黒部五郎岳と雲の平」 1993.10.10

 三俣山荘から、一昨日きた道を戻って双六小屋に着く。 この小屋の主人の管理人は写真家でもある小池潜氏のため、写真家の卵達が多く宿泊するようである。
 今夜も数人のグループが泊まっていて、他の宿泊者が夕食をしている時に、まだ双六岳でシャッターチャンスを待っているということだった。
 この小屋の食事は北アルプス屈指と言われるだけあって、ボリュームたっぷりの「天ぷらの盛合わせ」で大変おいしかった。 
 またこの小屋には、小池氏の写真集をはじめ、山の本が沢山並んでいた。

  これなら停滞しても時間を持て余すことはないだろう。  宿泊者と色々話していたら、「安房峠を越えるには観光バスが走っていない時にしないと渋滞に巻き込まれるだけで、夕方過ぎに出たのと余り変わらない」と教えて貰った。
 そんな訳で、小屋からそのまま下山しようと思っていたが、急遽「笠ヶ岳」に寄ってから下山することにした。
 横浜のN氏への手紙を書いて、明日の出発時刻を早めて、急いで荷物の整理をして休むことにした。

双六小屋の夕食の写真 双六小屋の弁当の写真 
 双六小屋の夕食  双六小屋の朝の弁当
 

10/12 (火) 曇り後晴  
   双六山荘→笠ヶ岳→新穂高温泉→静岡

 朝食を弁当にしてもらったので、まだ誰もいない食堂で冷たい弁当を食べていたら、小屋の人が熱い味噌汁とお茶を持ってきてくれ、大変ありがたく美味しく食べさせてもらった。
 今日は曇空で風も強く雨に降られるのを覚悟をする。  小屋を出て双六池を過ぎた所でタオルを玄関に忘れたのに気が付いたが、戻る気力と時間のロスには替えられずそのまま進む。
弓折岳は黙々と越えて、さらに大ノマ乗越を過ぎ2,662mピークへ着く頃にはガスは益々深くなってきた。

 
 岩の上に動いてるものあり、近づいて見ると雷鳥が2羽おり急いでカメラを取り出しシャッターを切る。(ガスが深く撮れた写真はお見せ出来る様な出来栄えではなかった。)
 
秩父平は一面笹原で一休みするには絶好の場所である。 ガスの動きが早くなって、なんとなく空が明るくなった様な気配が感じられた。
 抜
戸岳からは這松帯で天気が良ければ槍・穂高の展望にはもってこいの筈である。 笠新道の分岐にザックを置いて笠ヶ岳に向かう。

笠ヶ岳に」向かう稜線からの笠ヶ岳の写真
 三俣蓮華岳稜線からの「笠ヶ岳」 1993.10.10
 雲が切れはじめ、目指す笠ヶ岳の姿も時折現し、思わずピッチも上がる。 笠ヶ岳のキャンプ地辺りから岩のガラ場の道になる。
播隆上人が泊まったという播隆平はどの辺りだろうか? 小笠の先に笠ヶ岳山荘があったが閉じる準備で忙しそうであった。
笠ヶ岳の山頂にはケルンが立ち並んでいたが、山頂の標識らしきものが見あたらずケルンや穂高をバックに写真を撮り、ケルンの脇で最後の昼食をする。 さて下山しようと忘れ物はないか、ケルンを一周した所ケルンの石の間に一枚だけ「山頂の標識」が見つかったのでもう一度記念写真を撮り直し、そして、登ってきた道を笠新道の分岐まで一気に下る。
この分岐からしばらくは険しい道で、ペンキの目印を見失わない様に慎重に足場を確認しながら下る。 長い長い下り道を紅葉の終わった山の上から紅葉真っ盛りの下界へと、どんどん高度を下げていった。

 もう少しで林道へ出る頃かと思っていたところ、「カサゴソ」と物音がした。

 下の方で工事をしている様な音が聞こえるので、関係者が木でも採りにきているのかと思った。
 すると目前を黒い動物が逃げていって、木の陰でこちらの様子を伺っているではないか、良く良く見ると首の下が白っぽくなっていて小熊だと判る。
 カメラのズームをいっぱいに延ばしてシャッターを切った。(出来た写真は黒い陰が写っているだけで熊とは判別出来なかった。でも小さな小熊には親熊が付いていると言うので親に出くわさなくて良かったよ)
 林道に出て歩いて行くと、上の方から歩いてくる人がいた。 どこかで見たことがあるなと思ったら、昨夜小屋で色々話をした人だった。
 小屋から直接下りると言っていたのに遅いと思ったら、途中写真を撮りながら下っているうちに道を間違えてしまい遅くなってしまったと話してくれた。

笠ヶ岳からの穂高連峰の写真
 「笠ヶ岳」より「穂高連峰」1993.10.11

 この人は名古屋の方で今日は新穂高温泉に泊まるので、一緒に泊まろうと誘われましたが、下山後の片づけ等を考えたら遅くなっても帰りたいので、私はそのまま帰ることにした。 
 この新穂高温泉にはアルペン浴場があって無料で入浴出来、村営の露天風呂もあって、ここも無料で入られることを教えてもらった。
 しかし、アルペン浴場は16:30迄で数分しか時間がなかったため入浴できなかった。

 駐車場に戻ると1週間分の請求書が貼り付けてあった。(ここはてっきり無料駐車場かと思っていた所だが、有料駐車場であった。到着したのが夜だったため分からなかった…実際の無料駐車場はもっと下の方にあったのだ。)
村営の旅館に駐車料金を支払いに行った後に、川渕にある露天風呂で汗を流し、さっぱりした所で帰路に着く。 

北アルプスということで、人々々でさぞかし混み合うだろうと覚悟していたのだが、全く静かな山行で小屋以外のコースの中で出会った人達は10名を越えなかったので無いかと思う。 最も混雑を避ける様にプランを組んだのですが、時期を少しはずしただけで、こんなにも出会う人が少なかったなんて信じ難い気がします。

あたかも昔の南アルプスを歩いているのではないかと錯覚することさえあった。 でもいつかは必ず人と出会うだろうと言う想いがあり、全く孤独感は感じませんでした。
 こんなに静かな山行が出来るのであれば、もっと北アルプスにも足を運んでおけば良かったとも思った。

百名山リストへのボタン 日本百名山へのあしあとのページに戻る

「ホーム」への戻るボタン ホームに戻る