暗く、深い竹林の奥に、ぼろい、小屋と言っていいほどの家屋あった。
 僅か一つしかない部屋に、土間と板間が入っている。
 八畳ほどの板間に、二つの布団が敷いてあった。
 元はきちんと揃えて並べられていた布団は、今、掛け布団、そして二人分の寝巻き共々乱れていた。





 黎明の空、風窓から見えるそれに気づき、少女は薄衣を纏って気だるげに身を起こした。
 ぼう、と、彼女は薄い色に染まる空を見て、そして傍らで眠る少女に目を向けた。
 自身の長い黒髪を一掻きすると、その手で眠る少女の頬に触れた。
 眠る長い銀髪の少女がくすぐったそうに顔をしかめたのを見て、彼女は少しだけ、口元を上げ、薄い笑みを浮かべ、そしてすぐに消えた。
 無表情に戻った彼女は、どこを見るわけでもなく視線を宙に彷徨わせ、徐々に明るくなってきた空を眺めていた。
 訪れる朝に、んん、と眠っていた少女が瞼を開ける。
 寝ぼけたまま少女は傍らに座る彼女の名を呼んだ。
 それに答えず彼女は、息を吐くように言った。

「――――飽きた」

 その言葉を聞いた少女は、少しだけ驚いたように瞬きをし、そして、
「――そっか」
 納得したように、言った。

 うん、飽きたの。
 そうか、飽きたのか。

 ならしょうがないな、と言わんばかりの受け答え。
 無表情に、再び薄い笑みを浮かべる黒髪の少女。
 やれやれ、と肩をすくめ、嘆息する銀髪の少女。
「それじゃあ――」
 黒髪の少女、輝夜は言い、
「――さようなら、妹紅」
 舞い散る鮮血を気にも留めず、

 ――――びしゃり。

 その細腕を、銀髪の少女、妹紅の胸に突き立てた。









「ただいまー」
 竹林の永遠邸に、主が帰る。
 ぼろぼろになった服を辛うじて身に纏い、黒く乾いた血肉の汚れを気にした様子はなく、蓬莱山 輝夜は従者を呼んだ。
「おかえりなさいませ、姫様。今回は長かったですね」
 良く出来た従者はすぐに現われ、言った。
「湯浴みの準備は出来ています。いかがなされますか」
「自分でするからいい」
 素っ気無く言って、輝夜は湯屋へ入った。
 永琳は脱ぎ捨てられたぼろを拾い集め、捨てる。
 そして着替えを用意すると、永琳は訊ねた。
「姫様。御膳はどうしましょう」
「いらない」
 身を清め終えた輝夜は、そのまま自分の寝室へ行き、当たり前のように用意してあった上等な布団に入り、
「つかれた」
 落ちるように、眠りについた。



「師匠。食事の準備は要らないんですか?」
「しーっ。後でね。姫様はもうお眠りになられたわ」
 廊下にて、弟子の鈴仙が訊ね、永琳は人差し指を立てた。
「破局は二日前ね。監視してたてゐが目撃してるわ」
「それからずっと殺し合いですか……」
「先に手を出したのは姫様だから、終始、姫様優位だったみたい」
 共に不死の力を持つ者同士争えば、長期戦になる。
 しかも長年の宿敵。殺し殺される関係で、互いの手は知り尽くしている。
 しかし、不死と言えど死ねば辛い。
 初撃の如何が、その戦いの趨勢を決めると言っても過言ではない。
(途方も無い話だ……)
 そのスケールに呆然と溜め息をつく月の兎、鈴仙。
「今回は一年もったわ。最長記録更新ね」
「今回は、って、姫様は何度も同じことを?」
「そうねぇ。もう何十年も前だからほとんど覚えてないけど。ウドンゲならわかるでしょ? そういう波長になっちゃう周期があるのよ」
「…………一応は」
 人の波長は一定周期で変化する。
 波長というのは言うなれば“波調”で、いくつもの波が重なり合って、一つの波長が作られる。
 そう言ったいくつかの波長が丁度同じように重なり合うと、大きな波調の変化となって、予想も出来ない心境の変化を生み出すことがある。
 気まぐれな性格というのは、この変化が起りやすい波長の形、要素を持っている場合で、逆に波長が噛み合わず打ち消しあえば、安定した波長の形となる。
「となると」
 愛憎溢れる二人の関係は、その付き合いの長さもあり、憎しみから愛しさへすら変化してしまうほど、波の振れ幅が大きいのだろう。
「……でも、片方だけがその気になっても」
 そういう時はどちらかが拒絶して、殺し合いにしかならない。
「ところが、二人は永遠を生きているから――」
「――数多在る機会が、一致することもある、と」
「そういうこと」
 もう一度、そのスケールの大きさに鈴仙は溜め息を吐いた。






 ぼろだった家屋は焼け焦げ、僅かに残った柱や土間の残骸のみがその面影を残していた。
「あー…………」
 廃屋どころか瓦礫となった家屋の成れの果ての真ん中に、同じくらいぼろぼろになった藤原妹紅が転がっていた。
 崩壊する直前、二日前と同じ黎明を見上げ、なんだかなぁ、と妹紅はぼんやりと口を開けていた。
「…………あー」
 意味の無い、声にもならない音が怠惰に漏れていく。
 このまま土に還れたりしないかなぁ、と淡い期待を抱いたりもする。
 生きているのは素晴らしいが、死ぬのも同じくらい素晴らしいんじゃないか、と彼女は思った。
(無いものねだりだなぁ……)
 心が弱ってる、と妹紅は自分を結論付けた。
 何もやる気がしない。
 とりあえず血糊を落として、着る物ぐらい用意しないといけない。
「……あー……」
 分かっている。分かってはいる。
 けれど彼女はただ、夜の樹のように息を吐き続けていた。






「お早う。――お腹すいた」
「はい、ただいま支度します。――てゐー!」
 数時間で目を覚ました輝夜は部屋を出て、手近な兎に声を掛けた。
 鈴仙が答え、声を掛けると、はーい、と廊下の端から返答。
 そして、そう、とだけ言って輝夜は廊下を歩いていった。
 居間に辿り着く頃には、朝餉(時刻を顧みるなら昼餉)の準備が出来ている。
 いただきます。ごちそうさま。
 つつがなく食事を終えた輝夜は、なんとなく永琳の部屋を訪ねた。
「永琳、居るかしら」
 不機嫌そうにも見える無表情で、声を掛ける。
 居ますよ、という返事を得て輝夜が中に入ると、講義中だったのか鈴仙の姿もあった。
「邪魔?」
「――いいえ。ウドンゲ、少し休憩入れるわよ」
「はい」
「やっぱり邪魔なんじゃない」
 肩をすくめる輝夜に、
「そんなことはありませんわ」
 やんわりと微笑む永琳。
 そして、鈴仙がお茶を淹れてきたので、三人で一服した。
「……訊きたそうね、イナバ」
 うずうずと視線を向けていた鈴仙が、はい、と頷いた。
「うーん……。簡単に言ってしまえば、娯楽の一つ、ってことなんだけどね。最初は本当に騙し討ちの一作戦だったのよ。それで、似たようなことを私も妹紅もお互い数回やって、そのうち興が乗ったのが始まりかな」
「元々は謀略だった、と」
「そうそう。今でも時々あるでしょ、食事に誘って毒殺するの」
 ああいうのは、間合いとアクセントが命よね。そうですね。
 輝夜と永琳は笑いあう。
「――嗚呼、あれは面白かったわねぇ。どういう心境か知らないけど、断食して死のうとしてた妹紅に、食の喜びを植えつけてから飢えさせたの。ちょっと前まで食事なんて要らないって言ってたあいつが、食事を懇願するのよ」
 思い出しているのか、本当に楽しそうにくすくすと笑う。
「相当昔の話ですね」
 永琳は相槌を打ち、あの頃はまだ地上の料理が不得手でした、と、同じように思い返しているのか、目を瞑っていた。
「まだあの頃は大した食材もなかったから、二人で頑張ったっけ」
「はい。兎たちには食材を集めてもらって、私たちで調理法を研究しました。兎たちも数が少なかったから色々大変でしたわ」
「あらそうだったかしら。――そうそう、イナバ」
 話を聞くことに徹していた鈴仙に、輝夜が声を掛ける。

「今の私は、――“貴方の眼から視て”、どうかしら?」

「えっと……」
 何気なく振られた言葉に、鈴仙は真面目に応えようとして、余計に戸惑った。
「…………私の眼には、いつも通りの姫様に視えます」
 逡巡の後に鈴仙は答え、
「やっぱりね」
 それに満足したのか、輝夜はにっこりと微笑んだ。






 真上から太陽が照りつける頃、竹林の廃墟に人影が訪れた。
「…………死んでるのか?」
「生きてるよ。残念ながら」
 来訪者、上白沢 慧音は、無我の境地に至る妹紅を見つけるのに手間取っていた。
 半眼、無心でその様子を眺めていた妹紅は、ようやく生きた心地を取り戻し、にやにやと笑いながら起き上がった。
「今回は長かったな」
「そうなの?」
 胡坐を組んで座り込む妹紅に、慧音は残骸の中から毛布を発掘して放った。
「一年一ヶ月と五日。日数にすると丁度四百日だ」
「そりゃあまた」
 意味も無く意味有り気ねぇ、と妹紅は笑った。笑い続けた。
「――――あー」
 そしてまた息を吐くと、脱力して、また瓦礫に寝転がった。
「……そろそろ起きないと、置いていくぞ?」
 まだ使えそうな物を探す発掘作業を諦めて、慧音が妹紅に呼びかける。
 まさか寝ているのか、と危惧するが、
「…………」
 妹紅は真っ直ぐと空を見上げていた。
「妹紅」
「――はいはい」
 妹紅が起き上がる。
 毛布を適当に纏って着物にすると、とっとと歩き出した。
「それじゃあしばらく厄介になるよー」
 気楽に言い放つ妹紅。
 急転換した妹紅の調子に、呆れて溜め息を吐く慧音。
「……また、里の人間に変な誤解をされるんだろうなぁ……」
「何で? いつもの事じゃない」
「前回が何十年前の話だと思ってるんだ。覚えている人間が居ても、一人か二人だよ……」
「まあ、私は別に気にしないけど」
「………………はぁ」
 深く深く嘆息する。そして、

「なんだ。今回は、お前、まだ、“切れてない”のか」
「――――あー、わかる?」

 わからないでか、と慧音はまた嘆息。
 幸せが逃げるよ、と妹紅は妙にはしゃいで言う。
「切れたのは向こうでね。こっちはぼけっとしてたところを、ぐさり、だよ。あとはいつも通りさ」
「やめろ、想像したくない。というかわかって言ってるな、妹紅」
 耳を塞ぐ素振りをする慧音に、ふふんと笑って妹紅は喋り始めた。
「いやぁ、こっちは中々やる気になれないってのに、向こうはがんがん本気出してくるんだもん。半刻はやられっぱなしで居たんだけど、そのうち腹が立ってきて、本格的な殺り合いになったのは今ぐらいの時刻かなぁ。でもまあ、初っ端から押されてたんで、ほとんど殺されたのは私なんだけど」
 はいはい、と慧音は聞き流すことに務め、それでも嬉々として、自分が輝夜にああ殺されたこう殺された、と妹紅は話し続けた。








 夜。月が真上から竹林を照らす頃、
「なんだ」
「なによ」
 瓦礫が残るのみとなった廃墟に、二人の姿があった。
 二人はいつも通りの格好で、いつも通りに互いのことを毛嫌いした様子で、一緒になって瓦礫に座り、月を見上げた。
「…………」
「…………」
 言葉は無く、会話は無い。
 互いを無視するように、二人は時間を過ごしていく。
 気まぐれに吹いた風が竹林を揺らし、ようやく妹紅が口を開いた。
「……四百日だってさ」
「ふぅん」
 妹紅の言葉足らずの台詞に、輝夜は何のことかと訊かなかった。
「最長記録更新だって」
 どうでも良さそうに輝夜が言う。
「…………」
「…………」
 再び沈黙に包まれた。
 二人は気にしない様子で、ともすれば意地になってるようでもあった。
 ふと、月が雲に隠されると、また妹紅が口を開いた。
「毎度ながら、すっきりしたな、ここ」
「しょうがないじゃない。一年よ? 一年も一緒に居たら、それぐらいの反動はあってしかるべきだわ」
 立つ鳥跡を濁さずって言うじゃない。
 それは意味が違うだろう。
 にこりともせず冗談を飛ばし合う。
「通過儀礼みたいなもんか」
「必要経費のようなものよ」
 両者とも、結論は既に持っている。
 単に間を潰す話の種で、その実、彼女たちは間を潰す必要も無かった。
 その程度に、彼女たちは互いのことを知っている。
「面倒臭いなあ」
「そうかしら」
「建て直すのにまた手間掛かるんだよ。お前のとこでやったらわかるだろ」
「私の館にはイナバたちが居るもの。人手があるわ」
 そうだったか、と妹紅は頭を掻いた。
「貴方だって、あの半獣の手を借りればいいじゃない」
「慧音かぁ。慧音だってそう暇してるわけじゃないからなぁ」
 わざとらしく、ああ困った、と妹紅は肩をすくめた。
「…………何が言いたいの?」
 酷くつまらなそうに目を向けて、輝夜は訊いた。
 乾いた視線を受け止めた妹紅は、笑って言った。
「しばらく泊めてくれ――」
「――嫌」
 刹那の間もおかず、輝夜は完全に拒絶した。
「…………」
「…………」
 ちぇっ、と妹紅は寝転がり、誤魔化すように月を見上げた。
 輝夜はもう興味が無いと立ち上がり、瓦礫の丘を後にする。
 そして、ふいに、輝夜は振り返り、
「うちのイナバが言うには、私はもう、いつも通りみたいよ」
「…………。そーですか」
 それだけ言い置いて、帰って行った。
 残された妹紅は、しばらく彼女が去っていった方を眺めていたが、そのうち立ち上がり、
「んじゃ、私もきちんと、切り替えますかね――――」
 大きく息を吸い込み、吐き出した。










 そして、妹紅の家が建て直され、季節が替わった頃の良く晴れた日。
 菜園の手入れをしていた妹紅は、来訪者の気配を感じて手を止め、顔を上げた。
「――――妹紅ー!」
 太陽のような笑顔を浮かべた輝夜が、親しげに声を掛けてきた。
「…………」
 妹紅は屈んでいた体勢から立ち上がると、手入れで毟った雑草を、手に炎を生み出して燃やした。
「ちゃんと家建ったじゃない。おめでとう!」
 兎が跳ねるように輝夜は妹紅に近づいていくと、相変わらず笑顔のまま話しかける。
「…………」
 対する妹紅は黙ってそれを眺めていた。半眼で。
「立派な家ね。あ、これ、差し入れ――」
 そう言って輝夜は包みを取り出す。
 包みの中身は握り飯で、それを差し出しながら、
「それで、またしばらく一緒に暮らさない――」
 悪意の欠片も無く輝夜は言い、
「――――断るっ!!」
 全力で――炎を纏った拳で輝夜をふっ飛ばしながら――妹紅は拒絶した。



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