魔導書の執筆中、ふと、顔を上げると、目の前に鬼が居た。
「…………」
「…………」
なんで? 無表情のまま、図書館の魔女パチュリー・ノーレッジは疑問に思った。
「…………」
「…………」
眼前の鬼、伊吹萃香はこちらの手元を興味深そうに見ている。
どうやら、書いている魔導書が気になるようだ。
(ふむ)
確かに気になるだろう。
なにせ、鬼が記述されるはずの魔導書だ。
(それにしても……)
と魔女は思う。
ここは私の書斎だ。
図書館の閲覧室ではなく、本当に書斎なのだ。工房、私室と言ってもいい。
こんなところまで、この鬼はどうやって入ってきたというのか。
(ネコイラズ……)
いや、無駄か。
考えるに、この鬼は、密と疎を操る程度の能力を持っていて、霧状に“広がる”ことができる。
件(くだん)の時も、幻想郷を覆うほど広がって、宴会をやらせていた。
その状態から、再び萃まれば幻想郷の何処にだって現われることができるのだろう。
「……うー、読めない……」
と鬼は言った。
正確には読みづらい、といったところだろう。
まだ大した記述をしてないから、魔術的な隠蔽、封印は行っていない。
魔女の基本中の基本、鏡文字で書き込んでいるだけである。
(でも……)
――ぱたん、と書きかけの魔導書を閉じる。
魔導書というのは、そうそう他人に見せるものでもない。
「えー」
鬼は不満そうであるが、無視。
「なんて書いたの? なんて書いてあるの?」
無視を決め込もうと思ったが、鬼は思いのほかしつこいようだ。
さらり、とこっそり手元でメモをする。
曰く、この鬼は存外に鬱陶しい。
「ねーねー」
五月蝿い。
「…………」
ため息を吐きながら、本を開く。
鬼は嬉しそうにはしゃぎながら、こちらに注意を向けている。
その様子を見て、さらに吐息のような溜め息を吐いた。
「鬼について」
見出しを読む。鬼は聞いている。
「角がある」
読む振りをする。鬼は聞いている。
「酒好き」
目を半ば以上閉じる。鬼は聞いている。
「小さい」
本を閉じる。鬼はびしり、と固まった。
「――以上」
「――嘘吐きぃぃぃっ!!」
案の定、巨大化せんばかりに大激怒。
ふむ。やはり、単純というか、素直というか。
(単に嘘が嫌いなのかもしれない)
再びメモに追加。
しかし、しばらくすれば治まると思ったのだが鬼はしつこい。
段々と鬱陶しさが募るので、魔法で机の引き出しから例の物を引き寄せる。
小袋に入ったソレを、一握りし、未だにぎゃーぎゃーと喚いている鬼に投げつけた。
「――――痛っ!」
効果は抜群だ。
「ちゃんと準備してあるんだから」
炒った大豆はやはり効果あり。さらにメモを追記する。
「いい機会だから、新しい魔法を試させてもらうわ」
「何? 弾幕ごっこ?」
鬼が訊く。魔女は頷いた。
ころりと鬼の表情が楽しげなものに変わる。現金なものだ。
――
書斎の魔術防御機構を発動させる。
これでいわゆる『○すべて』になった。
「楽しみね」
言って、鬼は軽く宙に浮かんだ。
「楽しみだわ」
魔女の手には一枚のスペルカード。
「いくわよ」
「いつでもどうぞ」
合意は得た。心置きなく“実践”できる。
「そうそう――」
魔力が込められたカードを放る。レディ。
――百年「ビーンズ トゥエンティスリー」
「制限時間はまだ決めて無かったわ」
ゲームスタート。
「な――」
百個の弾からなる弾幕が弾けた。
「この、鬼ぃーーー!!」
人違いだ。人じゃないけど。
「パチュリー様、なにやら小鬼が泣きながら逃げていきましたが……」
「新しい魔法を実践してみたの」
魔導書を開き、メモしていた事柄を書き足していく。
「へぇ。効き目ありました?」
「ええ、ばっちり」
百個の弾が消えず、無作為にあるいは幾何学的に、ただひたすら寄せては返す弾幕。
鬼は外、福は内。
「そうね、今度はレミィにやらせてみたいわ。きっと凄いわよ」
「凄いですか」
もし、五百の弾で同じことをしたら……。
「ええ、きっと」
言って、魔女は珍しく、口元を綻ばせた。
[Back]