今年の冬はえらく長く、その次の春は盛大に、そして一瞬で終わってしまった。
 それは幻想郷の片隅、竹林の奥深くにひっそりと佇む、永遠亭も例外ではなかった。
 永遠亭の周りは深い竹林で覆われているが、桜がないわけではなく、毎年永遠亭の住人たちは、時節に花見を欠かさない。
 永遠亭の主、蓬莱山 輝夜は永遠を生きているが、雅を彼女なりに好んでいるのだ。
 ところが、今年は桜を堪能する間もなく咲き散った。
 そのことに腹を立てた主は、欲求不満と生来生前からの我が侭ぶりを発揮した。
 意味もなく宴を開くことを従者の薬師に告げ、告げられた薬師、八意 永琳は弟子の兎と、館の兎たちにその旨を伝え、宴の準備をするように命じる。
 宴会の準備を命じられた兎たちは役割分担を決め、各々準備を始めた。
 川に釣りに行くもの。竹林に筍狩りに行くもの。大部屋と前庭の掃除をするもの。
 そして、農園で収穫するもの。

「ふぅ……」
 畑の作物、人参を採りながら月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバは思う。
 何で宴会なのだろう。
 花見ができなかったから、といっても、毎週のようにしなくてもいいじゃないか。
 しかし姫は、三日おきぐらいにしたい、とも言う。
 おかしい、と思う。しかし、誰も異論を唱えない。というか、みんな賛成しているみたいだった。
 今年は花見ができなかった、というが、だったら来年を待てばよいのではないか。
 最初の口実は、まあわかる、しかしいつまで続けるつもりなのだろう、と鈴仙は疑問に感じていた。
 そのことを誰も気にしないのは、なぜだろう。
(まあ、宴会自体はかまわないんだけど……)
 しかし、その準備が一手間なのだ。
 永遠亭は半ば以上閉じられた場所。物流も乏しく、食料も限られる。
 それでも住人たちが平気なのは、食生活が理由。
(姫と師匠は別に食べなくても死なないし)
 蓬莱の薬を服用しているためだが、空腹は感じるらしく、普段は三食きちんと食べている。
 館の妖怪兎たちは、元が兎であるためか、ほとんどが基本的に草食性、言い換えるなら菜食主義である。
 もちろん中には肉を好むものもいるが、そういう兎は自力で調達してくるようだ。余った分は上納していて、要請があれば狩りもする。今も狩りに行っている。
 ちなみに鈴仙はというと、雑食かなぁ、と自信なさげな声。
 兎たちの長で、健康第一の因幡 てゐに訊いてみるとこう返ってきた。
「私は、元が肉食じゃないから、食べないよ。食べられるけどね」
 彼女は、素質があったのだろうが、元々は普通の兎である。根っからの菜食主義であるようだ。
 下手に肉を食べると寿命を縮めるのよ。たんぱく質が欲しければ、大豆を食べればいい。畑の肉なんだから。
 健康に気を使っているてゐの発言は、月の兎の鈴仙にはよくわからない。
 そもそも鈴仙は食事の好き嫌いがあまりなく、食べられればいいや、と食事に対して消極的なのだ。
 それでも、初めて地上の人参を食したときは、なんて美味しいんだ、と涙を流して喜んでいた。月の主食は餅である。
 さて、そんなわけであまり食料を必要としないはずの永遠亭だが、宴会となれば、それなりのご馳走が要る。
 毎回、相当の食料を消費しているのだ。少ないとはいえ、余計に減っている食料。しかも、今年の冬は異常に長かったため、調達はあまりはかどっていなかった。
 いなかったのだが、そのことをてゐと鈴仙が薬師の永琳に相談すると、
「これを畑に撒いてきなさい」
 と、色付き瓶に入った液薬を渡された。
 種蒔きを終わらせたばかりの畑に恐る恐る撒いてみると、翌朝には実をつけ、生ったから驚いた。
 てゐは不信感を露に、採れた人参の毒見を鈴仙にさせ、自身はありとあらゆる手段でそれを分析していた。
 無理やり毒見をさせられた鈴仙は、ごく普通に美味しい人参を頬張り、分析を済ませたてゐは問題無しの結果を見て気にしないことを決めた。
 気にしすぎは健康によくない。病は気から、である。
「――――…………?」
 ふと、鈴仙は不可思議な感覚に首をかしげた。
(なんだろう?)
 なんとも言いがたい、違和感。
 気になって周りを見回したり、高精度の受信体である耳を済ませてみるが、わからない。
 月からの電波ではない。強いて言うなら気配か。しかし、あまりにも曖昧過ぎる。
「こら、鈴仙さぼるなー!」
 監督、陣頭指揮をしているてゐが叫ぶ。叫びながらも、その手は滑らかに人参を収穫していっていた。
「ごめんごめん」
 素直に謝る。
 気のせいかな、と最後にもう一度、空を見上げた。
 いい天気。でも少し霞みがかっているように、鈴仙には見えた。








 そして今宵も宴会が開かれた。
 竹林の静寂もあり、喧騒はささやか。
 羽目を外すのは兎ばかりで、輝夜と永琳は静かに酒を交わし、当人同士以外には不可解な話をしていて、てゐはきっちりと適量の酒を自分のペースで呑み、時折鈴仙に絡んでいた。
 鈴仙は酒があまり得意でなく、ちびちびと飲んでいたのだが、その呑みっぷりを他の兎たちから茶化されていた。
 さらに絡んでいたてゐが揶揄し、乗せられた鈴仙は、勢いに任せて、ぐいっと一気に杯を飲み干してしまった。
 場は盛り上がるが、当の鈴仙はふらふらである。その様子をみて、兎たちはおろか師匠と姫まで笑っていた。
 そうして、宴もたけなわ。すっかり酔わされた鈴仙は、それでも自意識を保ち、その酔いを冷まそうと縁側へ風に当たりに行った。
 視界はふわふわと定まらず、鈴仙は縁側に立つ柱に寄りかかるように座りこむ。
「ふしゅぅ……」
 吐息は熱く、頭もぽかぽかと熱を持っていた。
「うーん」
 眠ってしまいそうな意識を何とか留め、空を見上げる。
 上弦の月が鈴仙を見下ろしていた。
「…………」
 鈴仙は、月を見るたびに見下ろされている気分になる。
 自分は、月から逃げ出したのだから。
「――――」
 半月でよかった。
 半月のときが一番雑音(ノイズ)が少ない。
 月から嫌が応にも届く兎の波長は、ふとしたときに鈴仙の心を揺るがす。
 特に最近は騒がしい気がする。気のせいだったらよいのだけれど。
 熱を逃がすように溜め息を吐く。
 熱い熱い、吐息。
「……ああ、やっぱり、私も宴会がいいや」
 忘れたいし、忘れていた。たまには羽(耳)を伸ばしたい。

 ――そうそう、宴会は楽しいよ。

「え?」
 しょぼしょぼする眼をこする。
 目の前は霞みがかっていた。
 酒精がまだ回っていて、視界は安定しない。

 ――だからだろうか。
 ぼんやりとした視界に、角が見えたのは。

「…………鬼?」
 思わず呟いた。
「おや」
 今度ははっきりと聞こえた、と思う。何故か嬉しそうな声。
「紫の手助けも無しに、私の姿を捉えたのは、あんたが初めてだよ」
 霞みが少し濃くなって少女の姿が、視えた。
「はじめまして。伊吹萃香っていう鬼だよ」
 酒気のせいだろうか。
 不思議と、警戒感はなかった。
「レイセン。月の兎だよ」
 鈴仙はごく自然に名乗り返した。鬼の少女は嬉しそうに笑った。
 気がつけば、鬼の少女以外はぼんやりとしか見えなくなっていた。
 雲の中で、いや、雲の上で対峙しているように、自分の居場所がわからない。

 そもそも、月から逃げ出した私には、自分の居場所なんてないのかもしれない。

「えーっと」
 思考を振り払う。変なことを考えるのはお酒のせいだ。
「そっかそっか」
 鬼は頷きながら、言った。
「あんたは人を狂わせるけど、その分自分は正気を見定めないといけないのよね。狂わせるには正常を知らないといけない。だから、物を見る眼は確か」
 鈴仙の狂気の瞳は普通とは違う世界を視る。
 そして鈴仙はその眼と耳で波長を合わせ、ずらすことで相手を狂気の世界に叩き込む。
 鈴仙は、霧のように広がった萃香に波長を合わせることで、その姿を捉えた。
 月の兎は、見ずに視る。鈴仙は波長を合わせるのが上手い。
「凄いね。私はほとんどあつまってないのに、ほぼ完全に視えてる」
 そのことが嬉しいことのように、鬼は言った。
 鈴仙はその様子を見て、そして視て、言った。
「……萃まってないんじゃなくて、萃まれないんじゃないの?」

 僅かに、鬼が息を飲んだ。

「――――本当に、視る眼は確かなんだね」

 半ば思いつきの直感。もっと萃まろうとしているのに、できていない、そんな幻視。
 よくもまあ、そんなものが視えるものだ、とぼんやりとした思考で自ら思う。
(でも)
 存在が薄く広がっている分は合わせづらいが、萃香の素直さは合わせやすい。
 他者、並びに他物と波長を合わせるには、自身は限りなくニュートラルであることが望ましい。相手もニュートラルに近ければ近いほど、合わせることは簡単になる。
(まあ、てゐにしてみれば馬鹿鈴仙ってことなんだろうけどね)
 馬鹿正直だ、と。そういうてゐもその根性は、言うほど曲がっていないのだけど。
「はははっ」
 愉快になって笑ってしまった。感情が発露しやすいのは酒のせいだ。なんでも酒のせいにしてしまえ。
 波長を合わせるということは、相手のことを解るということ。
 彼女は鬼であるという。
 そして幻想郷には鬼がいない。
 故に彼女は此処には居られない。

 ――ああ、なんて、シンパシー。

 私たちはおんなじだ。
 此処に於いて、私たちは異分子。

「…………お酒」
「ん?」
「取って来ようか。呑みたくなった」
 鈴仙にとっては珍しい気分だ。でも、悪くはない。
 周りは霧の世界だが、“少し眼を逸らせば”、元の世界が見えるだろうから。お酒だけはたくさん残っているし。
「いやいいよ。お酒ならあるから」
 萃香は答え、栓のされた瓢箪を振った。中からはちゃぷちゃぷと音がする。
「杯は?」
「ん」
 ひょい、と萃香が空いたほうの手を振ると、杯が二つ、現れた。
 瓢箪の栓を抜き、なみなみと杯に注ぐ。確かに酒の匂いがした。
 乾杯しよう、と萃香が言い、何に、と鈴仙は訊いた。

 そんなものは決まっていた。
 だからこれは確認作業。
 互いに笑いあって、杯を月に向かって掲げた。

「幻想郷と、私たちに」

 兎と鬼の想いは一つで二つ。

 ――わたしはここにいる。






 酒に任せて、他愛の無い話をした、と思う。

 私は本当にここにいていいのかわかんなくてさ。
 あー、私もそうだね。ていうか、まだ居れないみたいで。
 それで、そんななのね。早く誰か気づけばいいのに。って私気づいたじゃん。
 いやいや、人間に気づかれないと駄目なのよね。というか、あの巫女にかなー。
 ふぅん、面倒なのね。
 面倒面倒。しかも、みんな鈍感なんだもん。
 だねぇ。なんでみんな不思議に思わないんだか。
 といっても、そういう能力なんだけど。
 互いに、不便な能力ねぇ。
 そうねぇ。

 互いに笑いあう。

 ここにいてもいいのかって、そんなの、あんたはもう大丈夫じゃない。
 ……そうかなぁ?
 変な気苦労しょいこむんだね。すっかりなじんでるじゃない。
 うーん。でもなぁ。
 何? 月から催促でも来てるの?
 催促じゃないけど、……まあ、耳に入っちゃう。
 はー……。あんな遠くにあるのに、聴こえちゃうんだ。いや、てことは意外と近いのかな?
 さあ。逃げ出すときは無我夢中だったし。
 ははあ。逃げ出した、ってね。それで悩んでるんだ。
 いまさら気にしてもしょうがない、というか、普段は気にしてないんだけどさ。
 わかるわかる。時々どうしようもなくなるよね。

 互いに遠い目をする。

 うん。ああ、お酒が美味しい。……どんだけ入ってるのそれ。
 ずっと出てくるよ。空になったと思ったら栓をして振ってみて。
 ほんとだ。凄いわね。
 ってまた話がそれた。あんた、もう十分、此処の住人だよ。
 そうだろうけど、なんだかね。あまりにもすんなりと行き過ぎて。
 私ににしてみれば、羨ましい限りだけどね。まだ始めたばっかりといえばそうだけど。

 二人揃って溜め息を吐く。


 ――――幻想郷ここってさ、優しいよね。

 うん。残酷なぐらいにね――――





 ほとんど覚えていないけれど、色んな話をしたんだと思う。
 きっと他愛の無い話で、わかりきった話で、互いに互いを確認し、互いにたがいを確認した。
 意味なんて月の重力みたいに軽くて、意図なんて霧みたいに散り散りで。
 わかりきったことをわからないでいる、異分子の私たちは、共に想った。

 わたしはここにいる。

 だからみつけて欲しい、と鬼は願い、だけどいてもいいのか、と兎は迷う。

 兎の迷いに鬼は笑った。
 そんなもの、とっくにわかっているじゃないか。
 待っている人が居るのなら、そこはもう居場所なのだから。
 ……だから、寝るんなら、ちゃんと帰って寝なさい。

 それに答える間も無く、私の目蓋は、地上の重力の重たさに負けていた。








 朝の明るさで目を開けると、目の前に白い綿菓子のようなモノがあった。
「…………」
 綿菓子という連想で思わず、あむ、と口ではさんでみた。寝起きの頭は働かない。
「――きゃぅ!?」
 綿菓子が鳴いた。ふわふわしたが、味はしなかった。綿菓子じゃないみたい。
「?」
 そこでようやく、何だろう、と思った。思っただけだった。
(飲み過ぎたなぁ……)
 寝ぼけが酷い。頭が重たいし、二日酔いかもしれない。
「むー」
 気づくと、目と鼻の先ほどの距離で、てゐが睨んでいた。
「…………へ?」
 なんでてゐが、と思ったところで、自分がどんな状況なのか気づいた。
 昨晩酔い冷ましにへばりこんだ場所で、毛布に包まっていた。
(ああ、そのまま寝ちゃってたのか)
 てゐと一緒に。って、おい。
「……あの、てゐ?」
 ……別に服が乱れてたりするわけじゃないから、うん、てゐの悪戯か何かだ、きっと。
「うー……」
 てゐは少し赤い顔を俯かせ、悔しそうに唸っている。……悔しそう?
「えーっと?」
 私が困ったように言うと、てゐは、キッ、と再び私を睨んでまくし立て始めた。
「駄目でしょこんなところで無防備に寝てちゃお酒呑んでるときは暖かいかもしれないけどそれは即ち熱を放出してるってことなんだから凄く冷えるのよ明け方はまだまだ冷えるんだから風邪引きたいのそもそも酔い冷ましとかいいながらそのまま寝るなんて馬鹿じゃないのていうかこの馬鹿鈴仙――っ!」
 とかなんとか。
 嗚呼、至近で大声は、頭に響く。
「……何、二日酔い?」
 頭を抱えて難儀していると、てゐは待ってて、と言って素早く毛布から抜け出し廊下を駆けていった。
 そして戻ってくると、その手には水が。飲め、ということなので、受け取って飲んだ。
 すぐには良くならないだろうけど、二日酔いは脱水症状なのだから水分を摂りなさい、とてゐは説いた。
 あいかわらずてゐの話はわからない。それよりも、
「なんでてゐは私と一緒に寝てたのかな」
 おそらくてゐとしては流したかったであろうことを蒸し返した。特に考えもなく。
「――――っ」
 悪戯のつもりが、私の寝ぼけで掬われてしまったのだろう。
 てゐの悪戯は時々物凄く裏目にでることがある。主に彼女の主観によって。
 うん。てゐは詐欺師だけど、素直だ。嘘吐きなのに、正直者。子供なのに、大人。
 感情的なのに、知性的なんて、端から見ればきっと可笑しいのだろう。もっとも、てゐの悪戯のメインターゲットは私だから、それは叶わないのだけど。
 ……あの鬼は良く似ていている。
 紙一重、じゃない。紙の裏表、かな。
「…………」
 私は、自分で訊いておいて、ぼんやりと物思いに耽っていた。
 てゐはその間、必死に言い訳をしていたが、聞いてなかった。いや聞いていたけれど、聴いていなかった。
 それでも何が言いたいかはわかる。
「まあつまり」
 頭痛を堪えて立ち上がり、てゐの頭に、何気なく手を乗せて、ありがとう、と言った。
 瞬間、私の眼には霞みが萃まったように視えた。
 それは、すぐに広がって散らばってゆく。
「――――」
 なんなのかと思えば、自身の頭がえらくすっきりしていることに気づいた。
 拡散したのは、私に残った酒精か。あの鬼がやったのだろう。
 内心、笑い出したくなったが、それはいかに私が狂気の月の兎であろうとも、可笑し過ぎるので自重し、中途半端になった台詞を接いだ。
「――寂しいと死んじゃうってことでしょ」
 敢えて、兎は、という枕詞を外した。



 嗚呼、願わくば――


 ――あの鬼の願いが叶わんことを。



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