【ハクタクさまのおはなし】
むかしあるところにハクタクさまがいました。
ハクタクさまは森羅万象を司る力を持っていて、人間のことが大好きでした。
ハクタクさまは里山に住み、里村で暮らす人間たちを見守り、ときどき姿を現して、人間たちに助言を与えたりしていました。
しかしだんだん、ハクタクさまは苦しくなってきました。
なぜなら人間たちは、ハクタクさまが暮らしている里山をどんどん切り開いてきたからです。
ハクタクさまは我慢しました。人間が大好きだからです。
人間たちの行動も、彼らが強く賢くなったからなのだ、とハクタクさまは考えました。
なのでハクタクさまは自然と一つになって休むことが増えました。
そうしていると、里村の人間たちはハクタクさまのことをだんだん忘れていきました。
ハクタクさまは寂しいと思いましたが、我慢しました。本当に人間のことが好きだから。
しかし、とうとうハクタクさまは苦しさに耐えきれなくなりました。
里村はもうすっかり都になっていました。人々も比べられないほど増えていました。
しかし、ハクタクさまのことを覚えている人間が、誰も居なくなっていました。
もうここには居場所がない。ハクタクさまは思いました。
ハクタクさまは長い間溜め込んだ苦しさをこらえて、とても長い間居たところを去りました。
その日は雨でした。
その翌日のことです。ハクタクさまは振り返ってみました。そしてとても驚きました。
ハクタクさまは森羅万象を司る力を持っています。だから凄く遠くのこともわかります。
ハクタクさまの居た里山が崩れていたのです。
それに山の近くに住んでいた人たちがまきこまれていました。
そしてそれは、ハクタクさまがいなくなったから起きたのです。
ハクタクさまは森羅万象を司る力を持っています。だからわかりました。
私が関になっていたのか、と、信じられない様子でした。
ハクタクさまは悲しみました。
もうこんな思いはしたくない。
そう思いました。
もし次があれば、私はそのまま朽ち果てよう。
ハクタクさまは前を向き、涙を流しながら、言いました。
ハクタクさまの旅は長く続きました……。
ハクタクさまはやがて、一つの里村に辿り着きました。
そこはかつて暮らしていたところにとてもよく似ていました。
ハクタクさまは懐かしく思いました。
そして、そこに居ることを決めました。
長い、長い、旅の終わりでした。
ハクタクさまはとても疲れていました。
元々、疲れきった果ての旅だったのに、旅の途中で妖怪に襲われたり、妖怪に襲われた人間を助けたりしていたのです。
なので、しばらく自然と一つになって疲れを癒すことにしました。
そうしてハクタクさまが眠っていると、一人の男の子が山の中を歩いていることに気づき、目を覚ましました。
どうやら、男の子は道に迷ってしまっていたようです。
もうすぐ日が暮れようとしていました。
このままでは妖怪に食べられてしまうかもしれません。
この近くには、ハクタクさまが前に居たところよりも妖怪が多かったのです。
夜になりました。
男の子は一生懸命、里村に戻ろうと歩いていましたが、疲れて座り込んでしまいました。
そうでなくても足元も見えなくなるぐらい暗くなった険しい山道です。
明かりも持っていない男の子は、泣くのをこらえていました。岩陰で一晩を越すつもりのようです。
ハクタクさまは男の子が眠ってしまうのを待ちました。
男の子はとても疲れていたので、すぐに、ころん、と眠ってしまいました。
ハクタクさまは、ひさしぶりに姿を現して、男の子を里村まで運びました。
知ろうと思って知れないことはハクタクさまにはありません。だから、男の子の家もすぐにわかりました。
男の子の家を探したハクタクさまは、ちょっとだけ驚いて、ほんの少しだけ笑いました。
何かの縁だな。ハクタクさまは呟きました。
男の子の苗字に、ハクタクさまが入っていたのです。
男の子を家の前まで送ったハクタクさまは、家の戸を軽く叩いてから山の方へ去りました。
自然の中に戻りながら、振り返ったハクタクさまは、男の子がハクタクさまのほうを見ているような気がしました。
自然の中で眠りながら、ハクタクさまは男の子が“山の神様”に助けてもらったと話しているのを聞きました。
神様じゃない、ハクタクだ。と、ハクタクさまは思いました。ハクタクさまは笑っていました。嬉しかったのです。
しばらく時間が経ちました。
ハクタクさまは少しずつ疲れを癒しながら、ときどき村を守ったり、人を助けたりしました。
ハクタクさまがそういうことをしていたので、最初は誰も信じなかった男の子の話を、里の人々全員が信じるようになっていました。
男の子は、男の人になり、夫になっていました。
その男の子だった、夫になった男が、山の中にやってきました。
彼は思いつめた様子で、ある岩の前まで来ると、跪き、そして言いました。
私に子どもができました。しかし、もうすぐ産まれるというときになって、妻の容態が急変しました。……里の医者の話では、母子ともども危険だ、と。
どうか、知恵を。願わくば、己が妻と子を助けてください――神様……っ!
彼は涙を流しながら、祈りました。
そしてすぐに立ち上がると、妻子のことがあるので失礼します、と振り返ることなく山を降りていきました。
それをハクタクさまは見送りながら、その場所がかつて男の子であったころの彼を助けた岩陰であることを思い出していました。
ハクタクさまは、彼が家に戻ってから、彼の家に現われました。
家の中では、彼の妻である女の人が苦しんでいて、その側で彼と彼女の両親と医者が彼女を見守っていました。
神様。
彼が驚いて立ち上がりながら言いました。他の人たちも驚いていました。
ハクタクさまは、
神様じゃない。私はハクタクだ。
と言いました。少しだけ笑いながら。
ハクタクさまは苦しんでいる彼女の側に近づきました。
―――――そして、ハクタクさまは消えました。
ハクタクさまは、森羅万象を司る力を持ちます。
けれど、それは不可能がないという意味ではありません。
そして、もはや人間は、森羅万象から外れつつある存在だから。
その場にいたみんながぼう然とする中、あなた、と今まで苦しそうにしていた妻が、目を開けて言いました。
ハクタクさまが、助けてくださりました。
私も、お腹の子も、もう大丈夫です。
ただ、一つだけすまない、とハクタクさまは仰いました。
『私の力は衰えていて、容易には助けることができなかった。
私は私の魂を以って、そなたの子を助ける。
その結果、そなたの子はただ人にあらざる者になるやもしれん』
彼は思いました。
そんなことは、かまいません。
それよりも、ハクタクさまの魂を犠牲にしてしまうなんて……。
『違うだろう』
彼はハクタクさまの声を聞いたような気がしました。
……ありがとうございました。
『ああ、それでいい』
彼は涙を流しながら、ハクタクさまに感謝しました。
もう一つ、ハクタクさまは仰ったわ、と妻が言いました。
この子は女の子ですって。名前は何にしましょうか?
ハクタクさまはいなくなりました。
けれど、ハクタクさまは人間が今でもきっと大好きです。
おしまい。
【聖なる少女と闇なる魔物】
女の子がうたっています。
とても楽しそうにうたっています。
昼も夜もうたっていました。
むかしあるところに、女の子がいました。
女の子は夜の闇を恐れませんでした。
夜は妖怪の時間です。しかし女の子は夜も昼のように外に出ていました。
女の子は不思議な力を持っていたのです。
女の子の歌声には、人間と動物と妖怪を区別することなく惹きつける魅力がありました。
女の子の周りはいつも誰かがいました。
昼は、村の子どもたち。
夜は、近くの妖怪たち。
大人たちは昼も夜も女の子に近づきませんでした。
女の子のことを気味悪く思っていたのです。
大人たちは子どもたちに女の子に近づかないように言いました。
こどもたちは、よくわからないけれど、従いました。
女の子はうたいます。
とても楽しそうにうたいます。
子どもたちのうちの何人かは楽しそうにうたう女の子に惹かれ、集まりました。
女の子はもっと楽しそうにうたいます。
大人たちは近づきませんでした。
ある日、大人たちの一人が、山で遭難しました。
村の大人たちは、昼の間中探しましたが見つけることができませんでした。
もしかしたら、もう妖怪に食われているのかもしれない。
大人たちはそう結論付けて、村に戻りました。
もうすぐ夜がくるから。
夜は、妖怪の時間です。
その夜も、女の子はうたいました。
いつもより大きな声でうたいました。
女の子はうたいながら歩きました。
村をはずれ、山のほうへ。
しずかな夜に、女の子の歌声が響きます。
女の子は森の中を歩いています。
歩きながらうたっています。
まわりでは、がさがさと、動物や妖怪が歌に惹かれてやってきていました。
女の子はうたいながら歩きました。
やがて、ひときわ大きな、がさがさという音がして、一人の人間が現われました。
ひどく疲れた顔をした、遭難した村人でした。
女の子は微笑むと、回れ右をして、村のほうに戻り始めました。
村人はそれについていきます。少しまわりにおびえながら。
女の子は、歌声を少し小さくしました。
そして女の子と村人は村に辿り着きました。
村人が女の子に礼を言うと、女の子は優しく微笑みました。
翌日から、女の子のことを悪く言う村人はいなくなりました。
女の子はうたいます。
とても楽しそうにうたいます。
昼も夜もうたいます。
昼は、村の人間たち。
夜は、近くの妖怪たち。
女の子の歌声に惹かれて、集まってきました。
女の子は楽しそうにうたっていました。
ある日の夜、村の人間が妖怪に襲われました。
女の子はうたっていました。
次の日の夜も、村の人間が妖怪に襲われて、いなくなりました。
女の子はうたっていました。悲しそうに。
次の日の夜も、村人が妖怪に襲われて、いなくなりました。
女の子はうたっていました。寂しそうに。
いつのまにか、昼も夜も、女の子のまわりで歌を聴く人間も妖怪も動物もいなくなっていました。
村人は家から出ないようになりました。
動物は山からいなくなっていました。
妖怪もいなくなっていました。
たった一人で、女の子はうたいます。
昼も夜もうたいます。
夜、女の子は村の広場で一人、うたっていました。
そのまわりに、何かが集まっていました。
その何かは、霧のような、気配のような、闇のようでした。
女の子はうたいました。問いかけるように。
言葉は返ってきません。
女の子はうなづきました。答えはあったのです。
女の子は微笑んで、うたいつづけました。
村人たちは話し合いました。
妖怪を恐れ、困りはてていたのです。
妖怪は夜になると現われ、その姿は見えません。
普通の妖怪退治の方法では、どうしようもありませんでした。
村人の一人が言いました。
あの女の子の歌が、妖怪を呼んでるんだ。歌を止めさせろ。
そう言った村人は特に妖怪を恐れていました。
その夜、女の子はうたいませんでした。
その夜、村人が何人も妖怪に襲われました。
次の日の朝、女の子は悲しそうにうたいました。
村の大人たちは再び話し合いました。
けれど、たしかな結論はでませんでした。
村人たちの半分は、女の子を村から離れさせる、という考えをもっていました。
村人たちの半分は、解決にならない、と、それに反対していました。
そのとき、話し合っていた村人たちの前に、女の子が現われました。
そして、言いました。
その日、村の広場に大きな十字架がたてられました。
そして夕方、女の子は大きな十字架にしばりつけられました。
村人たちは全員、家の中にかくれました。
女の子はうたいました。
悲しそうに、寂しそうに、楽しそうに。
夜になりました。
ふいに、女の子はうたうのをやめました。
高い場所にしばりつけられている女の子と、同じ高さに別の女の子が浮いていました。
「何してるの?」
別の女の子はきいてきました。その女の子は巫女の格好をしてました。
巫女の質問に女の子は答えました。
うたっていたわ。
「ああ、聴いてたわ。上手ね」
みんな聴いてくれる。人間も動物も妖怪も。
「へぇ。不思議な力ね」
わたしは好きでうたっているだけだもの。関係ないわ。
「ふぅん……」
……早めに離れないと危ないよ。
「なに、あなた、いけにえなの?」
にたようなもの。
「ふーん。妖怪の気配がするから来たんだけど、わたしが退治してあげましょうか?」
必要、ないわ。
「そう?」
わたしは村の人たちの望みを返しているだけだもの。
妖怪に襲われたくないから、死にたくないから。
わたしにできることは、うたうだけ。
だけどそれでかなえられるのなら、わたしはうたう。
そして、村の人たちはわたしが犠牲になることを望んでいるの。
「それでいいの?」
ええ。
「ならわたしは帰るけど」
うん。
ふと、紅白の巫女は言いました。
「ねぇ、あなた、わたしの後継ぎにならない?」
女の子は笑って答えました。
冗談でしょ。
あなたとわたしじゃ歳が近すぎて後継ぎにならないわ。
「それもそうね」
あっさりと巫女は言いました。
あ、そうだ。
こんどは女の子が思いつきました。
あなたのリボン、いただけないかしら。
「いいわよ。おせんべつね」
巫女はリボンを取ると、女の子につけてあげました。
「まるで、『聖者は十字架に磔られました』って感じね」
ふふ、ありがとう。
「どういたしまして。それじゃあね」
さようなら。
巫女は女の子に背を向け、飛んでいきました。
そして、ふとふりかえって、言いました。
「やっぱり、わたしの後継ぎにならないー?」
冗談。
女の子は笑って答えました。
夜が更けてきました。
女の子はうたっていました。
女の子の髪に、リボンが風でゆれています。
そして、闇が訪れました。
うたいながら、女の子は問いかけました。
闇が無言で答えました。
女の子はうたいながら、語り、闇は聴き、答えました。
女の子は、闇が伝えたいことがわかりました。
闇は、寂しい、と言っていたのです。
寂しいから、人を、動物を、妖怪を、取りこみ、食べているのだ、と。
けれど、決して寂しさはなくならないのだ、と。
女の子はうたっています。
闇は聴いています。
あなたのうたを聴くと、心地がよい。
けれど、どうしても人を食べてしまう。
あなたが寂しそうにうたうのはつらい。
女の子はうたっています。
闇は聴いています。
できることなら、あなたの楽しそうなうたをずっと聴きつづけたい。
人を食べることが、それを邪魔をするのなら、わたしは人を食べたくはない。
闇は言いました。
――――寂しい。
あなたのうたをずっと聴いていたい。
女の子はうたいながら、語りかけました。
ならば、わたしと一緒になりましょう。
わたしと一緒になれば、あなたの寂しさも、
――――わたしの寂しさも、なくなるでしょう。
闇が、ほえました。
無言の、そして、それは切なくなるような心の叫びでした。
そして、闇が一気に女の子に集まりました。
女の子は、勢いに負けないよう力強くうたいました。
女の子の髪に強くむすびつけられたリボンが、ゆれていました。
次の日から、村人が妖怪に襲われることはありませんでした。
そして、女の子のすがたはどこにもありませんでした。
村の人々は、女の子をたたえました。
村のために犠牲になった聖者であると。
おしまい。
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