── 第13話 『地上の星は儚くて』 ──



 未だ意識を取り戻さない魔女を抱きかかえ、ようやく霧雨邸に到着した。
 壁面に大きな風穴が空いた霧雨邸は、周囲のぐつぐつとした熱気に比べると些か涼しげに見え、台風の目を連想させた。
 魔法の森は熱帯雨林の様になっている。この状態で数日もすれば、元から特異な魔法の森は貪欲に適応し、さらに混沌とした森と化すだろう。確かにそれはそれで自然の流れではあるが、原因の半分は魔理沙の不手際に因る。もう半分が召喚元の地震という天災であっても、その対応を怠ったのは魔理沙の責であるから、半分どころか元凶扱いされかねない。
 そして責任者は戻らず、魔法使いは一人、後処理に向かう。住処を同じとするものとして、手を出さないわけにはいかないのだ、と自身に言い掛ける。
 家の中に入り、比較的無事な居間に残ったソファーに魔女を寝かせた。もっと無事な寝室のベッドはなんとなく癪なので無視する。
 やれやれ、と重荷を降ろし、楽になった肩を廻した。軽いことは軽かったが、所持している魔導書がやや重かった。もしかしたら隠して複数冊持っていたのかもしれない。
 まあ、無数の人形を所持しているから、他人の事は言えないが。
 その所持している人形たちに運ばせることも出来たがそれをしなかったのは、これから行う作業に向けて、魔力を節約するためだ。
 節約した魔力は上海人形と蓬莱人形に充てている。
 今朝、露払いを任せたり記憶の読み込みをさせたりと多少消費していたし、この二体は他の人形たちに比べ容量が桁違いに大きく、常に満タンとは行かないのだ。
 魔力を与えすぎると暴走の危険があるのが曰く付きのろいの人形であるし、上海人形はともかく蓬莱人形の底は未だ把握できていない。
 今、魔力が極端に減っている、というわけではないがこれからやることを考えると、できれば容量一杯蓄えたい。
 魔法使いという種族柄、魔力量には自信がある。何せ魔力はそのまま体力、生命力に当たるのだから。生命が魔法のカタチを成している、と考えることもある。
 しかし、瞬間出力、瞬発力には欠けている。自分で制限を掛けていることもあるが、魔力を放出することは人間で言えば血を流すこととイコールなのだ。本能的に過剰放出を忌避している。
 人形使役は、馬鹿みたいな魔力放出を技とする魔理沙に対抗する手段でもある。瞬発力の無さをプールして補う。

 確認チェック――0番蓬莱不明アンノウン1番上海充足フル

 蓬莱の容量が分からないのはいつもの事として、上海の充電は間に合ったようだ。
 少し安堵する。我ながらお気に入りの上海に掛ける信頼は大きい。
 よし、と、気合を入れ、半壊した工房に足を踏み入れる。その途端、
「わっ!?」
 猛烈な熱気と蒸気に襲われた。
 湯気ではなく、高温の水蒸気。夏服で、露出していた腕を火傷した。
 しまった、半壊していても工房の結界は動作していたのか。
 魔理沙邸が台風の目のように思えたのは、工房の結界が内の影響を外に漏らさなかったのだ。その癖、周辺には垂れ流しとはなんて迷惑な。
 舌打ち一つ。魔法使いは妖怪の部類。身体は頑丈なのはずだし、熱感覚なんて鈍感さを揶揄されたような……。
 そういえば身体機能を限りなく人間に近づけていたことを思い出す。

 ――――熱感停止カット0番蓬莱防壁展開シールド

 火傷の“再現”が消え、肌触りはそのままに、熱の感覚だけ遠くなる。
 ついでに服や人形が傷むのは嫌なので結界を張り、蓬莱に制御を任せた。
「さて……」
 落ち着いて、工房内の様子を視る。
 外見では、噴出した蒸気が溜まっていて肉眼では蒸気しか見えないが、あちこち魔理沙の魔砲で吹き飛ばされたり焼け焦げたりしているようだ。
 足元には熱湯が溜まっているが、あまり床は浸されていない。先の間欠泉で噴出した分程度か。
 ふむ、と、幻視して見えたことと合わせて考察する。
 現在、魔理沙の召喚陣は、不安定な安定、と言葉にすると妙な状態なのだ。
 例えるなら、適当に作った屋根が今までは上手く雨を遮ってくれたが、いきなり土砂降りになって盛大に雨漏りをしている、しかしまだ家屋として成り立っている。大黒柱が無事なので、まだ致命的に壊れてはいない、といったところ。
「でもここまで酷いと、いっそ一から作り直したほうがマシだと思うけど」
 ともかく作業を始めなければ。大黒柱が無事でも、向こう三軒両隣が壊滅しては意味が無い。

 確認チェック――――2番仏蘭西3番倫敦4番露西亜5番6番オルレアン7番和蘭8番西蔵――――良好オールグリーン

 蓬莱の障壁を確認し、七体の人形を場にセット。
 傍らに控える蓬莱以外の八体の人形は、円状に等間隔を取って並び、魔理沙が浮かび上がらせた魔法陣を囲んだ。蒸気が晴れて端から見れば人形たちがサークルダンスを踊ろうとしている風に見えるかもしれない。
「解析始動」
 魔法陣を、召喚陣と制御陣に二分。
 1番上海主幹メインに、2番から5番までは召喚陣、6番から8番は制御陣の解析に当て、
「思考分割、属性付与」
 さらに属性も付与。

 ――1番上海、『火』
   ――2番仏蘭西、『水』
     ――3番倫敦、『金』
       ――4番露西亜、『土』
         ――5番、『木』

   ――6番オルレアン、『水』
     ――7番和蘭、『風』
       ――8番西蔵、『土』

 五行と四大元素をそれぞれ割り当てる。本当なら自分流に色に当てはめたかったが、術式に合わせた。魔理沙は四大元素を元から利用していた節があるが、五行の概念を持ち込んだのは魔女の知識だろうか。
 重複し、今回最も重要な『火』には、メインの1番上海に担当させる。
 メインとして全体の総括の仕事も含める都合、他の人形に比べると三倍の仕事量になると予測できるが、上海ならば処理できる。
 同じく重複し、重要な『水』には、属性と共に、互いの相性が良い2番仏蘭西6番オルレアンを連携させる。
制限維持リミッターオン出力最大フルスロットル
 まずは自主規制の範囲内で、全力を。
 魔法の繰り糸ストリングスを通して、いつもより多くの魔力を注がれた人形たちは楽しそうに踊りだす。


 ――――さあ、ぐちゃぐちゃに絡み合った魔法陣を解き解そう。














 日没を間近に控え、最も紅色の映える時間帯の紅魔館を視界に納めつつ、霊夢にホールドされているレミリアが言った。
「霊夢、少し離れましょう。アイツはこっちに来るだろうけど、このままだと私の館が潰れる」
 でも放さないでね、と可愛らしく甘える。
 夕闇を帯びて鮮やかな紅魔館には、巨大な影がそびえていた。

『いいぃぃ――――ええぇぇ――――いぃぃぃ――――!!』

 言わずもがな、巨大化した悪魔の妹 フランドール・スカーレットである。
 先ほどレミリアに、妹は正気かどうか、と問われ、
「ありえない」
 と、霊夢は言った。頭痛を堪えるように。実際、大音声が彼女の脳みそを揺さぶっている。
「そりゃそうだ」
 と、揺さぶられる脳みそが無いらしいレミリアはあっさり肯定した。
 ただでさえ狂気で凶器な妹君が、酒が入ってまともだなんてありえない。
 断っておくが、フランドールにも良識と呼べるものがある。その中の一つが、無闇に館を壊さない、というものである。日光と雨を防ぐ館は吸血鬼姉妹に欠かせない。少々気がふれているため遊びが過ぎることは(多々)あるが、フランドール自身も守ってきていた。
「ったく、あの土臭い鬼め。私の可愛い妹を巨大化させやがって」
 大真面目に、どことなく嘘臭い台詞を吐くレミリア。
「どうする?」
 面倒そうに霊夢が尋ねる。
「どうするもなにもねぇ。今の間はセオリー通りでいいんじゃない? ――ほら、フランはやる気みたいだし」
 レミリアの声につられて見れば、巨大なフランドールは館のせいで動けないことに気づいたのか、屋根に手を掛けて巨体を持ち上げようとしている。
「うあ、壊れないのかしら」
「館自体は元々咲夜やパチュリーがあれこれと頑丈にしてるから、単純な力や重さじゃまず壊れないわ。今後は、内側からの巨大化について改善させないと」
 しかしフランドールの力に対しては、水や日光など吸血鬼の弱点を以って制さなければ不確実であり、多用すると今度はレミリアが困るのでバランスが難しいのである。
「飛ぶ気ね」
「あの大きさで飛ぶ?」
「人間くらいよ。つまらない物理法則に縛られてるのは」
 宝石のような羽が魔力の輝きを発し、羽ばたかれ、暴風が吹き荒れる。
 破壊の風を巻き起こし、フランドールは宵闇の空を飛翔した。
 冗談のような光景を、幸いにしてか霊夢は見なかった。
 そんな余裕が無かったのである。羽ばたきで生じた余波に過ぎないはずの、切り裂く破壊の風。しかし風ゆえに回避などできるはずも無いそれを、
「霊夢、結界!」
「――ちっ!」
 急いで一枚防御用の結界を張り、軽く風に流されるだけで事を済ませた。
 その間にフランドールは紅魔館と湖の間、広い草原にその巨体を着地させていた。
 膝をわずかに屈伸させただけで身体を支えると、ニヤリと、その唇が形作った。

 曰く――――遊ぼう、と。

 伸ばされた手から、打ち上げ花火の大玉のような魔力弾が放たれる。
 大きさ、速さ揃ってスケールアップした魔弾。
 普段なら紙一重で弾幕を躱す霊夢も、大きな動きを取らざるを得ない。
「ていうか、そろそろ離れなさい、レミリア!」
 それ以前に、レミリアを抱えていては、回避運動すらままならないのだが。
「もうちょっと待って。完全な夜までそう遠くないわ」
 如何に気候が夏めいていても、月は一月、季節は冬。日没時刻は早い。
 太陽は既に山入端から窺えない。残滓も残り僅かだ。
「あと少し……」
「ああもう!」
 悪態をつきながら、魔弾の端を掠めてとんぼ返り。
 単調で直線的なため、なんとか躱せているが、少しでも読み違えれば即被弾――いや、即死。
 来るから避ける。来てから避けては間に合わない。
 リズムを先読みし、勘で以って動く。毎度ながら惚れ惚れする綱渡りな弾幕ごっこ。
 特等席で眺めるレミリアは内心で喝采を上げている。自身が死と隣り合わせにも関わらず。それともこの程度でも吸血鬼は死なないのか。
「――霊夢!」
 珍しくフェイント気味に“来る”弾幕に備えた霊夢に、レミリアは叫んだ。
「二重結界!」
 レミリアの声を聞くや否や――実際声を出すより、その気配を察して――霊夢は攻勢防壁を展開し、そして目を向けた先には弾幕をフェイントに迫ったフランドールの手のひら――
「――レミリア、フォローよろしく!」
 境界を侵そうとするものを倍返しで排除する二重結界が、

 ――――ばちばちばちっ!

 あっさりと破れた。
 球のように撥ねだされ、至近から放たれた紅い大魔弾が襲いかかる。
 その魔弾をはっきりと見据え、抱えられたままレミリアが片手を伸ばし、宣言する。
「スカーレットシュート!」
 一点集中、集中突破。
 幾重にも重ねられたレミリアの紅い魔弾が、フランドールの巨大魔弾を相殺――いや、貫通し、そのままフランドールを逆襲した。

『――――っ!?』

 思わぬ反撃に、面食らったフランドールはたたらを踏み、ずずん、と地鳴りが響いた。
 その隙に、目を廻した霊夢をレミリアが強引に引っ張り、一時戦域を離脱する。
「大丈夫、霊夢?」
 さっきまでとは逆に、霊夢はレミリアの腕にぶら下がっていた。
「……どっちかというと、引っ張られた腕が抜けるかと思った。でも助かったわ」
 よっ、と地力で浮かび直し、霊夢が礼を言った。
 どういたしまして、とレミリア。
「さて――」
 翼を広げ、一人で“夜空”に浮かぶレミリアの眼が細まった。
 雰囲気の変化に、ああそうか、と霊夢は思う。
 夜は来たりて、帝王が現れる。
 運命を紡ぐ吸血鬼の本領を発揮する刻限となったのだ。
「そろそろ、姿を見せてもいいんじゃないかい?」
 独り言のように言った言葉。しかし、返す声があった。
「やれやれ。まさかこんなことになるとはねぇ」
「萃香! ――あれ?」
 声がしたほうを霊夢が向くと、思いがけず目の前に伊吹 萃香の姿があった。
 本当に目の前に萃香がいるのだが、その大きさは手のひらに乗ってしまう程度であった。
「大方、戯れに手を貸して、取り込まれたんだろう?」
 レミリアが言うと、普段の四分の一サイズの萃香は苦笑しつつ頷いた。
「館に一人で居るのを見つけてね。退屈だったから弾幕りあった。そのあと呑んで話してたら、ミッシングパワーを羨ましがられてねぇ。広い場所だったし、まあいいかと力を貸してみたら、あんな風に」
 なっちゃった、と軽く言う鬼。
「あそこまで大きくなったのは、あの子の魔力が大きいから、かな? ともかく外まで飛び出ちゃったから、慌てて霧を出して日光を遮ってたけど、ようやくその必要も無くなったから」
 現れたんだけど、と霊夢の肩に乗って萃香は言った。
「とっとと元に戻しなさいよ」
「それが出来たらこんな風にはなってないってば。思った以上に混じりやすかったせいか、こっちの命令が届かないんだ。霧を出した後に気づいたんだけどね」
 だから今の私は霧になっていた分だと言う。本体というわけではなく、それぞれが我という群体の性質故。
「吸血鬼も鬼だし、霧になったり、似てるものね」
 霊夢がそう言うと、レミリアは嫌そうに顔をしかめた。一緒にするな、と言わんばかりに。
「…………。元々アイツには、吸血鬼としての側面からじゃないと色んな力が通じないのよ。大抵の力は伝わる前に壊されるんだから。私が運命を操っても、咲夜が時間を操っても、霊夢が結界で封印しても、その全てを、根幹ごと破壊するのがあの子の能力だもの」
 現に二重結界を紙のごとく手で破いた。
「そうだねぇ。我々はあの子の外と中で完全に分断されてる」
 納得した風に萃香は頷き、ああでも、と続けた。
「さっき、あんたがスペルをぶつけたとき、少しだけ繋がったんだ。気が抜けると隙ができるみたい――」
 遠くで再び、ずずん、と地鳴りがした。
 どうやらフランドールが立ち直ったようだ。
「酒が抜けるのを待つ、ってのは駄目かしら?」
 夜のレミリアならあのフランドール相手でも充分時間を稼げるし、萃香は数に入れなくても霊夢と二人掛かりなら。
「私を取り込んでるから、無理ムリ。人間で言うなら、血管から直接酒を呑んでるようなものだよ。しかも延々点滴で」
 素面な姿を見せたことが無い萃香が言い、あー、と霊夢は納得した。
 そんなやり取りをしている間に、フランドールはこちらを見つけ、地響きと共に歩み寄ってきた。
「ちぇ。あんな大きさなのに私たちを見逃さないのね」
「そんなもんだよ」
 迎撃体勢に入る霊夢の嘆息に、その肩に乗ったまま、フリーサイズの萃香が答えた。
 そしてレミリアは、
「――霊夢。八十秒だけ、凌ぎなさい」
 と言った。
 言外に、この場を任せた、時間を稼げと言っている。
「――――」
 一瞬、あ然とするが、夜王の眼をしたレミリアを見て、霊夢は問い返した。
「八十秒ね?」
「ええ」
 頷く。
「わかった」
 それだけ言葉を交わすと、レミリアは無数の蝙蝠となってその場を去った。
「…………やれやれ」
 霊夢は肩を廻し、再び巨人と対峙した。







 蝙蝠となったレミリアは、目立たないように、霊夢たちから離れた地面に降り立った。
「…………」
 静かに目を向けると、既に彼方では弾幕が展開されていた。規模、色ともに大玉の打ち上げ花火のようだ。霊夢はその中でゆらゆらと揺れる木の葉か、落下傘か。
「…………」
 気にしても仕様が無いし、それほど気にしてもいない。
 霊夢ならば、やる。
 絶対の信頼を以って、レミリアは意識を切り替え、集中した。

 ――運命は、自ら切り開くモノ。

 運命を操るのなら、自ら動かなければならない。
 気まぐれな能力と自身の性格。
「――――ふっ」
 思わず笑みがこぼれた。
 不測の事態こそが、予定通り。
 運命の糸を紡ぎながら、紅い悪魔はその時を待った。







 余計な風を除けるためだけに薄い結界を張って、霊夢は縦横無尽に空を駆けた。
 時には風に乗り、時には重力に従って、気が遠くなるほどの切り返しを繰り返し、フランドールの弾幕を避ける。
 あまりの余裕の無さに、表情が落ちる。
 何せスケールが違う。フランドールにしてみれば、霊夢はまさに玩具のように見えるだろう。
 どんなに逃げても、フランドールの領域から逃れられない。
 戯れにフランドールが手を伸ばし、霊夢を掴もうとして、一瞬早く霊夢が躱す。
 悔しいからフランドールは大岩のような魔弾を放ち、それもなんとか躱す。
 金魚鉢の中の金魚のようだ、と霊夢のどこか冷めた部分が考えた。
 水槽の外から石を落とされ、中をかき混ぜられている。
 また一石投じられた。波紋は広がる前に、避難する。
 避難するが、そこもすぐに危うくなる。
 ただひたすらに、避ける、躱す。
 レミリアを抱えていない分、さっきまでより動きの切れは良い。
 しかし、回避のタイミングがずれる。
 縮尺が普段と違うことが目測を狂わせているが、それは先程までと同じ。
 さっきまでと違うことは、
(見づらい……)
 ついに夕陽の残滓すら無くなったということだった。
 鳥目じゃないが、人の目は充分な明かりが無ければ見えないのだ。
 自ら光を発する弾幕はまだいい。
 しかし、気まぐれに襲い来るフランドールの両手。
 これはほとんど勘で躱すしかない。
 一応、フランドールの殺気、というか、タイミングが読めるので、完全に直感任せではないのだが、間一髪で躱した際の悪寒は正直ありがたくない。
 もちろん、また下手に弾かれて結界を破られでもすれば、フォローしてくれるレミリアは居らず、肩に未だ乗っている萃香も役に立たない、従って、宙に放り出され、的になるだけだ。
 しかしさらに恐ろしいのは掴まれること。
 破壊の化身の人形遊びに付き合わされては、それこそ悪夢だ。
 ああ、だから、死角から伸びてくる手には気をつけないと――
「――って、このぉ!」
 渾身の力で、二重結界。今度は防ぎきった。
 体勢を崩さないように注意を払いつつ、弾かれる力を利用して間合いを取る。
 いやあ危なかったねぇ、と耳元で萃香の暢気な声。
 運が良かったわ、と内心で相槌を打ちつつ、舌打ちをする。
(ばれたな)
 弾幕よりも、手を掴もうとされるほうが苦手であることがわかったのだ。
 顔を上げてフランドールの顔を見るつもりなどないが、にやり、と楽しそうに笑っているのだろう。空気で判る。
 比較的小規模の弾幕が張られる。比較の話であって、一つ一つは相変わらず通常の大型弾よりも巨大だ。
(これで足止めをして、掴みかかってくる――!)
 勘を働かせるまでもなく、次の展開が読めた。
 ぐっ、と空気が震える。
 フランドールがその身体を屈伸し、そして霊夢に飛び掛った。
 猫のように、両の手で、左右から挟むように。
「上!」
 馬鹿みたいに大きな爪が空を文字通り切り裂いているのを横目に、山を越えるように急上昇。
 しがみついてくる重力のせいで、視界が暗転しかける。
 何とか堪え、振り返り眼下に滑り込んできたフランドールの背中を確認。
「拙い」
 その背中の翼、羽根が輝いていた。
 次は飛ぶためではなく、純粋に攻撃のためにフランドールは羽を使うだろう。
 そして来るのは、乱気流と弾幕の二重奏だ。
 絶望的な未来予測、それを変革するために霊夢は、
「神技――」

 ――吸血鬼としての側面からじゃないと
 ――吸血鬼も鬼だし

「――八方縛陣!!」
 山一つ、封印する気概で以って、結界を紡ぎ上げた。

『――――っっっ!!』

 フランドールの上半身を覆うように光の柱が築かれ、ばりばりと雷鳴に似た轟音が大気を揺らした。
「――流石に全身は無理か……っ!」
 それでも霊夢は歯を食いしばって、フランドールの反発する力を押さえ込もうとした。
「…………っ!!」
 無呼吸。息をする瞬間の脱力すら惜しい。ぎりぎりまで時間を稼ぐつもりで押さえ込む。
「――――くはっ」
 それでも肉体は空気を要求する。
 張り詰められた糸が緩み、結界が内側から引き裂かれる。
 その光景を苦々しく眺めながら後退。力の押し合いと溜められた呼気の開放で、霊夢は一瞬で発汗、汗だくになっていた。
 端から封印できるとは思っていない、ただの時間稼ぎだ。それでも得意の結界術が破られたことに、思うところがないわけなかった。
「――おっと」
 少し驚いたように呟いて、萃香が肩を離れ、今度は背中に張り付いた。
 先程までほとんど感じなかった重さが増していた。
「中々の術だったみたいだね。二割ぐらい、戻ってきたよ」
 それでもまだ二割。されど二割なのか、見当が付かない。
 フランドールの姿は、確かに一回り小さくなっているようだった。
「……そう言われてもね」
 同じことを二度やれって言われても出来ない。霊力のストックが足りない。
 ともかく時間は稼げたのだ。レミリアが指定した時間までそう間は無い。
 あとはまた、同じように逃げ回るだけ――
「――――え?」
 今、何か、とても嫌なものが見えた。

 ――巨大なフランドールの手に、同様に大きな杖が握られている。

「そっか。今あの子は私を繋ぎ止めるのに力の大半を使ってるんだ。私が減った分、あの子本来の力には余裕ができる」
 背後で冷静に語る萃香の言葉が、悪夢のように霊夢の頭に響いた。
 なんてことはない。フランドールはスペルを使わなかったのではなく、使えなかったのだ。
 もちろん、未だ雲に刺さるほどの大きさを維持しているから、大したスペルは使えないだろう。
 従って、今彼女が使えそうなスペルは、ごく単純なもの。
 例えば、杖を破壊の炎を撒き散らす魔剣に見立てる――

『――――害為す魔杖レーヴァテイン

 夜天を、紅色の塔が貫いた。
 知る者が見れば、天を目指したバベルの塔を彷彿とさせる光景。
「――――」
 霊夢は基督教の伝説など知らない。
 それでも、紅い塔が迫ってくるという光景に、圧倒された。
「霊夢!」
「――――っ」
 萃香の叱咤で、我に返った霊夢は咄嗟に回避する。
 しかし、レーヴァテインは撃ちっ放しの弾幕ではない。
 制御するには大き過ぎるとはいえ、フランドールの手によって、方向は如何様にも変化する。
 地面に叩きつけられ、長大な地割れを刻んだレーヴァテインは切り返され、空へ戻りながら、息が上がり体勢の整わない霊夢を襲った。
「夢想封印!」
 レーヴァテインにぶつけずその手前で炸裂させ、反動を利用して回避した。
 結界での防御なんて紙に過ぎない。苦肉の策は功を奏し、破壊の塔の軌道から脱出した。
 だが、それ以上続かない。
 紅色が強すぎて見えない。躱せたと気づくことにすら遅れる。
 大粒の汗、ぜえぜえと荒い呼吸が霊夢の限界を示していた。
 再び、掲げられるレーヴァテイン。空を貫くバベルの塔。
 振り下ろされる。紅色の破壊が迫ってくる。
「こんなんだけど――」
 その絶望的な状況を目の当たりにしながら、
「――八十秒よ、レミリア」
 なげやりに霊夢は呟いた。





 ――――スピア・ザ・グングニル





 紅色の塔を、紅色のやりが――粉砕した。



 暴風が吹き荒れる。フランドールの羽ばたきに匹敵する程の乱気流。
 レーヴァテインを砕き、空を穿ったスピア・ザ・グングニルは、僅かに風切り音を残し、彼方へと飛び去る。
 紅色が砕け散り、魔杖はフランドールの手を離れ、輝きと大きさを失い落ちていった。
「おお……」
 と、何故か感嘆したような萃香の声。霊夢の背中に掛かる重さがまた少し増えていた。
 それに気づく余裕はなく、霊夢は体勢の立て直しに追われた。
 文字通り横槍を入れられたフランドールは、グングニルが飛んできた方向を向き、レミリアを睨みつけた。
 レミリアは投擲を終えたまま動かず、笑みを浮かべてフランドールを見つめていた。
 姉妹のびりびりとした睨み合い。その間に霊夢は豪風に四苦八苦しながらフランドールから距離を取った。
(助かった……――助けられた)
 一抹の不安がよぎる。
 これでよかったのだろうか。霊夢には一縷の懸念があった。
 その気になれば時間無制限で無敵になれる霊夢だが、今回、そうはしなかった。
 理由は二点。
 どこまでも無茶苦茶なフランドールに、その無敵が通じるのか、という不安。
 例え無敵状態が通じたとして、本当にそれで時間が稼げるのか、という疑問。
 どちらかと言えば、後者の理由が強い。
 無重力では、何も引きつけられない。
 無敵になった霊夢に、フランドールを惹きつけていられないのではないか。
 囮でも餌でも、役目をこなせれば何でもいいが、それが出来なければ無敵に意味はない。
 しかしその結果、追い詰められ、レミリアのグングニルはレーヴァテインを貫き、霊夢は助けられた。
(私としては、精一杯やったんだけど)

 後悔――は、していない。
 八十秒、自分なりに頑張った。

 うん、と頷いて、霊夢は思考を切り替えた。
 過ぎたことに悩むのは柄ではない。
 そもそも霊夢の行動に間違いはあっても、過ちは無い。
「まあ、これで終わりってことはないでしょ」
 後は任せた。今宵のパートナーは頼もしい。
 現に今も、レミリアは不敵に笑っている。

「――いや、これでおしまいだけどね」

 レミリアが言った。
 声は大きくないのに、その場に居る全員に、はっきりと聞こえた。

「だって、私の槍は外れないグングニル

 彼方から風切り音が響いてくる。

『――――!!』

 レミリアを睨んでいたフランドールが、右腕を伸ばしながら振り返る。
 手を開き、そして握りつぶそうと、力を込める。
 次は破壊する。
 フランドールが壊そうと思えば、対象の存在境界は彼女の手の内に入る。
 先程よりも高速で飛来してくるソレの――その“目”を手中に収める。
 あとはこの目を潰せば、木っ端微塵。
 フランドールはにやり、と口元を歪め、数瞬後、自身に激突するであろうソレを破壊しようと、力を込めようとして、

『―――――――――――え?』

 ぽかん、と呆気に取られた。






 そして壮絶な音とともに、フランドールの顔面に“彗星”ブレイジングスターがぶち当たった。







 轟音が響き渡り、星が散った。
 握りかけた手はそのままに、ぐらり、とフランドールの巨体が揺らぐ。
「へ?」
 呆気に取られたのは霊夢も一緒だった。
 フランドールが飛来したソレを迎撃しようとしたところまではわかったが、その次がわからない。
 何にフランドールが驚いたのか、霊夢にはわからなかった。
 霊夢が呆けている間に、傾いていたフランドールの身体が本格的に倒れ始めた。
 その瞬間、ぼん、と霧が溢れた。
 フランドールが気絶し、取り込まれていた萃香が開放されたのだ。
「ありがとさん」
 嬉しそうに笑って霊夢の背中から、いつもどおりの大きさに戻った萃香が離れていった。
 それに答えられるほど、霊夢は状況を把握していなかった。曖昧に頷きつつ、
「――ん?」
 何か、叫び声を上げながら、降ってくるモノに気づいた。
「…………ぅゎぁぁぁああああああっ!!」
 ドップラー効果。クレッシェンド。
 近づいてくる黒白に見覚えがあったので、霊夢はとりあえずキャッチした。
 黒白エプロンドレスの襟を掴む。ぐったり、と脱力している。目を廻しているようだ。
「……えーっと、なにやってんの、魔理沙?」
 問い掛ける霊夢。
 未だ状況を把握出来ていないが、何処か冷静な部分が、
(ああ、星が散ったのは、魔理沙のせいだったのね)
 と酷く納得していた。







 元のサイズに戻り、落ちてきたフランドールを、レミリアは片手でキャッチした。
 さらに上空を眺め、羽を羽ばたかせる。
 空いているもう一方の腕を伸ばし、抱きとめる。
「おかえり、咲夜」
 呼びかける。
「……あ、う……」
 衝突で意識がはっきりしないのか、呻き声を上げる。
「咲夜」
 苦笑を漏らし、もう一度呼ぶ。
「…………ぁ、はい」
 しばらくして、焦点が定まり、従者は答えた。
「ただいま戻りました、お嬢様」











 元に戻った萃香は、いつの間にか戦いの舞台から遠く離れていた。
 レミリアたちの責任追及から逃げた、とも言う。
「何はともあれ、まず一段落」
 暇つぶしのつもりが、なんて道草になってしまった。
「いやぁ、失敗失敗」
 興が乗りすぎた、と苦笑して、ぐい、と酒を一口。
 ぷかぷかと宙に浮かびながら、ぼんやりと眺めていると、
「すいかー」
 と、不意に間の抜けた声が聞こえた。
「なんだ。紫、起きてたの?」
 目を向けると、宙に隙間が開いて紫が顔を出していた。眠たそうに、目が糸のように細くなっている。
「んー……。冬眠中だったんだけど、なんか暖かいし、夜だし……」
 夢見心地な声。今にも寝てしまいそうだ。
「あー……。ちゃんと霊夢たちが動いてるから大丈夫だよ。紫は寝てていいよ」
「そう? じゃあそうするけど……。おやすみなさい」
「おやすみ」
 炬燵に引っ込むように、ずるずると隙間に戻っていく。
 それを見送ってから、萃香は目線を転じた。
「さて」
 視線の先には魔法の森がある。
 霊夢たちは大丈夫だろうけど、アッチのほうには少し手を貸してやるか。
「ま。お節介かもしれないけど」
 一人ごちて、萃香は、ひょい、と手をひねった。










 ――2番、6番、魔力枯渇。

 仏蘭西とオルレアンが助けを求めてきた。
 やはり『水』の作業は、二人がかりでも荷が重い。
 止めてしまうと他への影響が拙い。

 ――5番、7番に、支援要請。

 手の空いている『木』と『風』担当、京と和蘭に当てている魔力の一部を、足りない二人に回し、作業の手を止めさせない。
 もちろん二人への魔力は足りていない。すぐに底を着くだろう。

 ――1番から本体マザーへ、支援を提案。
  ――提案を却下。――出力再上昇。

 減ってきているとはいえ容量に余裕はあるつもりだった。
 しかし、本体わたしは良しとせず、出力の上限を上げた。
 既に制限は越えている。二度目の引き上げ。
 ちらり、とアリスのほうを見る。
 厳しい表情をしている。が、まだ余裕があるようだ。
 高度な人形操術は、術者の擬似的な分身を作り出すことに等しい。
 人形に、術者の思考を被せ、トレースする。
 今、それぞれの人形はアリスとして動いている。
 元々持っている性質にアリスとしての自我が加味されていて、人形のスペックが高いほど、アリスの負担は少なくて済む。
 実質的には全て術者一人でやっているが、プロセスとして複数人での作業となる。
 どう違うのか、と訊かれると、頭脳は一つと変わらないが、手の数が増えるようなものである。
 もちろん、増えた手を動かせるかどうかは術者の器用さ次第。
 そして器用さにかけてはアリスは幻想郷随一である。とても誇らしい。

 ――閑話休題。

 自身の作業に集中する。
 荒れ狂う『火』を抑えながら、『火』の引き出し口を探る。
 他の人形に矢継ぎ早に命令を送り、反応を拾い、さらに命令で返す。
 演算に次ぐ、演算。自身も一つを担当しながら、全体を窺う。
 全体のバランスが大事だ。一つが遅れると、全部遅れてしまう。
 魔法陣の内、制御陣はほぼ把握済み。今はひたすら抑えに専念。
 召喚陣の解析に時間が掛かっているが、それももうじき終える。
 大胆かつ緻密な魔術式。本来の術者の気質が窺えた。
 魔法使いの仕事は順調に進んでいた――

 ――警告。
  ――異常。
   ――危険。
  ――異常。
    ――警告。

 悲鳴のようなレスポンス。自分自身、愕然とする。
 突如、召喚圧力の返し値が跳ね上がり、制御可能範囲の理論値を軽く超えた。
 本体アリスを通さず、1番わたしが悲鳴を上げる。

 ――蓬莱!

全作業中断オールカット――0番蓬莱! 」
 被さるようにアリスが叫び、防壁が最大限強化されるや否や――


 ――再び、噴出した間欠泉に、全員が吹き飛ばされた。



 召喚される温泉脈は、そのまま地面の下を通って霧雨邸まで来ているわけではもちろん無い。
 魔法的に召喚される温泉脈は、一時的に非物質化され、霧雨邸の地下まで来て、元の温泉として顕現する。
 きちんと召喚魔法が作用していれば、“道”は確保され、適度に呼び出されて、適度に温泉が湧き出る。
 しかし、道か召喚元かに異常が発生した今、召喚魔法は乱れ、過剰に呼び出された見えない温泉脈が地面の下を広く拡がっている。
 見えず、形而上的であるが、温泉脈は確かに在るのである。
 門番はそれを乱れた地脈として捉え、魔女はそれを火気と水気として捉えた。実際には土気と金気も混ざっているため、どちらも正解と言える。
 非物質化された温泉脈は、百度の水蒸気のようなもので、普段は目に見えないが僅かに温度が下がると水となって目に見えるように、何かの拍子で具現化してしまう。
 温泉脈という属性柄、地面の下に在るときは安定しがちであるが、地相との相性次第で滞り、圧力が高まると、温泉が出現してしまう。
 つまり、極端に圧力が高まれば、間欠泉となって吹き上がるのだ。





 一瞬、気を失いかけた。
 ぎりぎりのところで意識を保ち、人形たちを確認。
 蓬莱が若干の魔力消費を訴えただけで、全員無事。作業もすぐに再開できる。
「あの鬼……!」
 作業に携わっていなかった蓬莱だけが、鬼の力に気づいた。気づいたがどうしようも出来なかった。
 密と疎を操る程度の能力によって、拡がっていた温泉脈をあつめられたのだ。
 そして圧力は制御陣の臨界を突破し、吹き上がった間欠泉は霧雨邸の屋根にも大穴を開け、アリスたちを空に打ち上げた。
 蓬莱の障壁のおかげで無傷だが、憎々しげにアリスは毒づいた。
「……大黒柱が砕け散ったわね」
 アリスは作業を再開しようと、幻視力を働かせ、変化した状況を視た。
 魔法の森とその周辺から、異常な熱気が消えている。
 いくらかはあちこちに溜まっているようだが、自然に消えていく程度しか残っていない。せいぜい、期間限定の温泉が湧く程度だ。
 その代わり、霧雨邸は酷い有様だった。
 魔理沙の自業自得な魔砲によってできた横穴に加えて、屋根にも大穴が開いている。
 屋根の穴から魔理沙の工房が見えるが、中では魔法陣からごぼごぼとお湯が湧き出し、時折小規模な間欠泉が発生していた。
「…………」
 最後のバランスが崩れていた。
 温泉脈の広がりを無理やり元に戻したために、魔法陣が致命傷を負っている。
「……作業、再開」
 諦念すら抱いて、人形に命じる――

 ――6番から8番、作業過剰オーバーフロー

「――――っ!!」
 一瞬で、制御陣担当のオルレアン、和蘭、西蔵がオーバーフローした。
 溢れようとする力が強すぎて、抑えられない。

 ――2番、作業過剰オーバーフロー

 6番オルレアンの性能低下に引きずられて、召喚陣担当の2番仏蘭西も落ちる。
「ちっ――――出力再上昇リレイズ……っ!」
 手首を切るような気持ちで、魔力を搾り出して、人形たちを支える。
 じり貧だ。溢れる力のせいで、作業ができない。作業ができないまま、壊れた魔法陣を支えることしかできない。
 未だ作業に従事していない蓬莱を動かしても無理だろう。こういった魔法に向いているわけでもない。
(どうする……?)
 魔力をひたすら消費するだけの現状を、どうにか打破できないか。
 大量の魔力消費による幻痛がアリスを苛む。
(鬼は本当に余計なことをしてくれたわね……!)
 主人を心配した上海が貯蔵魔力を他の人形に分け与えていた。その上海の貯蔵魔力も危うい。
「――呆れた。貴女って、本当に人間被れなのね」
 いきなり、魔女の声がした。
「え……?」
 目を向ける。本を抱え、パチュリーが風に乗って、浮いている。
「もっと色んな見方をしないと。目の前のことばかり囚われていると、本質を見失うわよ」
「――うるさい。この状況を見て、どうしろってのよ」
「決壊しそうな、いいえ、決壊したダムを何とか押さえようとしているこの状況? 馬鹿げてるわね」
 本気で言ってるのか? と嘲けるような言葉を、淡々と吐く魔女。
 苦虫を噛み潰したような表情の魔法使い。
 アリスが、なら貴女がなんとかしなさいよ、と口を開きかけたその前に、パチュリーは言った。
「私なら、溢れようとする力を、どこかに溜めておくわ」
 パチュリーは本を開き、呪文を唱える。
「ええ?」
 途端、アリスが感じていた圧力の大部分が消えた。
「水気、火気、土気、金気。全部、私の得意分野ね」
 魔法陣から溢れようとしていた力が、明確な命令を受け抽出される。
 それは、火、水、土、金、四つに分かれ、魔女の元へ集っていく。
 分離した精霊は、パチュリーの周囲に浮かび、彼女は言った。
「なにぼけっとしてるの。早く魔法陣を作り直しなさい」
 その言葉でアリスは我に返り、一度、人形たちに魔力を行き渡らせた。
 魔法陣もほとんど壊れきってしまっている。
 ――だったら、一から作り直せばいい。
 解析は済んでいる。
 既に設計図は把握した。
 魔理沙の術式の癖もよく知っている。
「魔理沙に分からないぐらい、完璧に仕上げてみせるわ」








 いつの間にか萃香は居なくなっていた。
 フランドールは気絶したままで、魔理沙はあーうー呻いている。
 休息を命じられた咲夜は、主人の傍で腰を下ろしている。
 何だこの状況、と思いながら霊夢は、レミリアに訊いてみた。
「私の槍が、道を作って、運命を定めたんだよ。あとでそこの黒白に聞いてみなさい。何か急に引っ張られなかったか、ってね」
 もし不思議に思われたら、それが運命で、予定通りだったのだ、と言いなさいとレミリアは告げた。
「ふぅん……」
 よくわからないが、まあいいか、と霊夢は適当に納得した。
「しっかし、この子苦手だわ」
 フランドールを見てぼやく。私の結界が通じないなんて卑怯だ、と。
 そしてふと、当初――から二番目ぐらいの目的を思い出す。
「――ああ。この子なら、あんな氷なんて問題じゃないわね」
 手加減が出来そうに無いから、その辺は考えなければいけないだろうけど。
 暴走防止に魔理沙も要るかしら、と、そんなことを霊夢は考えた。














 パチュリーは無表情に際限なく湧き出る力を汲み取りながらも、その内心は辟易していた。
(よくもまあ、これだけのマナを抑えながら魔法陣の解析なんてできたものね)
 鬼が出張ってくる前はもっと弱い力だったのだろうが、それでも力を真っ向から受け止めながら作業しようとすれば酷く気が散るだろう。
 きっちり思考を分けている。人形操術のたわものだろうか。
 やり方は間違っている、という見解を保持しつつ、パチュリーはアリスの魔術の腕を見直した。
 そう、やり方は間違っている。
 強すぎる流れならば抑えようとせず誘導するべきなのだ。
 ましてや方向性の定まらない乱流ならば。
 だからパチュリーは、まず乱流を四つの支流に分け、方向を定めた。
 火気、水気、土気、金気。
 四つの流れ。四つの精霊。四つの属性。
 精霊魔法を得意とするパチュリーにとって、ここまでは簡単だった。
『魔法は効率良く使わないと、自分で自分の魔法を打ち消しちゃうぜ?』
 魔理沙の言を思い出す。その時、パチュリーはこう返した。
『あんたじゃあるまいし。魔力の無駄遣いなんてしないよ』
 その言葉を、今このときに至って、少しだけ後悔している。
(この力、どうしよう)
 蓄えたのならば、使わなければならない。しかも有意義に。
 無色の魔力ならともかく、属性があると指向性が生まれるため、溜め込むにも限界がある。
 というか、もう既に溜め込みすぎて開放できない。分離させた火気だけで、魔法の森が焼け野原に変わるだけの力がある。火気に同様に溜められた水気をぶつければ相殺できるが、それをするのはプライドが許さない。
 如何せん、五行概念では木気が足りず、収まりが悪い。
(あ――)

 ――閃いた。

 プライドを捨てるのは最後の手段にするとして、自身で相殺させたくなければ、他者の手を借りればいいだけだ。ちょうどいい貸しもある。
(……いける)
 魔法使いのほうも、余裕は無いようだが、余力を残している。
 少々の考慮時間の後、充分可能であると結論づけた。






 魔理沙の魔法陣を片っ端から書き換える。
 全体も仔細も、いくつかの問題点も把握済み。
 人形わたしたちは迷い無く、力一杯魔力を編み上げていく。
 縺れた糸は散り散りに、新たな糸で新たな陣を組み上げる。

 ――指向微修正、魔理沙の術式を模倣。

 家主の使い勝手を考慮する余裕すらあった。
 余裕が生じたのは、魔女が力の抑え役、いや汲み上げ役を担ってくれているからだ。
 横目で窺えば、魔女の周りで四つの精霊が回っている。
 溜められる力が増え続けているからか、輝きと大きさを増していっていて、目に優しくない。
 あれだけの力をプールし続けるのも骨だろう。早く終わらせないと。
 そういえば出力も上げっ放しだ。それも構わない。ともかく早く。

 ――3番、作業完了。
    ――4番、作業完了。
  ――2番終了、6番終了――


 次々と仕事を終わらせる人形わたしたち。
 八つに分割されたパズルのパーツが揃い始める。

 ――1番、全作業、完了。

 そして最後にパーツを繋ぎ合わせて、召喚魔法は完成した。





 熱湯の噴出が止まり、温泉脈は地下に治まった。
 これで魔法の森一帯の異常は解消する。
 萃香の力からあぶれて点在している所もあるが、そのまま自然消滅するか、期間限定の温泉が湧くかで、どっちにしても大事無い。
「……終わったかぁ」
 思いのほかあっさりとした実感に、アリスは呟きをもらした。
 疲労感は大きい。魔力は平時の半分ほどに落ち込んでしまった。
 命や健康に別状があるわけではないが、精神的に、しばらくは安静にしておきたい。
 ふぅ、と溜め息をついて首を廻すと、魔女の姿が目に入った。
「感謝するわ。私一人じゃ、どうしようもなかった」
 素直に礼を言う。パチュリーも魔法使いの奮闘を称えた。
「おめでとう。お疲れ様」
 と、パチュリーの周囲に浮かぶ光がアリスの目に入る。
 四色の精霊は危うげな光を放ちながら舞い踊っていた。
「――って言いたいところだけど」
 魔女は一節呪文を唱える。
「……え?」
 もう一色、緑色の光が追加された。
「ええ?」
 何をしているんだ、とアリスが困惑していると、


 ――眼下に広がる魔法の森から寄せられた力。
 ――その属性は、木。
 ――集うは五行五色。木、火、土、金、水。
 ――内、四つは汲み上げた地脈の力。
 ――相生相克を以って調整済み。
 ――安定。しかし、魔力総量は巨大。

 ―――『賢者の石』の発動を予想。
 ―――規模は霧雨 魔理沙の『ファイナルマスタースパーク』に匹敵。


 まだ稼動中だった人形たちが律儀に解析してみせた。
「まさか」
 魔女の周りで、ぐるぐると狂ったように光が舞い続ける。
「相殺よろしく」
 気軽に魔女は言い放ち、左手で開いた本を支え、右手を天に向けた。
 開いた本から五枚のページが飛び、仮初の書となってスペルを支える。

 ――――火水木金土符「賢者の石」

 天に向かう手に導かれるように、五色の光が合わさっていく。
 力強いマナの波動。星から汲み上げられた力は地上の太陽のように眩しく、ロイヤルフレア級の光量が、夜の闇を照らす。
 五色の力が廻り始めた。
 木生火、火生土、土生金、金生水、水生木。
 緑、紅、黄、白、黒。循環の主体に応じて色が変化する。
「…………っ」
 一息、魔女はさらに魔力を加えた。
 力が、循環が加速する。
 ぐるぐると廻り続ける五つの属性。
 循環の回数は既に百を超え、さらに加速する。
 目まぐるしく色を変える光は、もはや肉眼では明滅する白光に過ぎない。
「…………っ!」
 パチュリーの顔色は蒼白だ。
 力を抑えながら、加えていく。
 安定性はある。手綱はしっかり握れている。
 しかし気を抜けば逆に振り回されるほどの密度。
 加速は止まらない。
 千を超え、万を超え、億を目指して、力は廻る。
 それは循環を繰り返す地球ほしの歴史。
 ただの物が生命と変わる、その歴史を再現する。
 五行の循環を、地球の歴史と見立て、生命そのものへ至らせる。

 ――賢者の石。
 それは究極の物質。
 卑金属を金に変える錬金薬。
 そして、永遠へ届く生命の秘薬。
 それは、地球ほしそのもの。

「2番から8番、スタンバイ」
 眩しさを真っ向から受け止めながらアリスは言った。
 廻り続ける力の循環から、少しずつ力が漏れ出している。
 パチュリーの顔色も悪く、制御の限界も近いのが明らかだった。
 幸い、人形にプールした魔力はほぼそのまま残っている。
 これ以上魔力を出したくない、というか精神的に出せないが、そうも言ってられない。
 魔女が創ろうとしているそれは今、ミニチュアの原始惑星の姿をしている。
 恒星に似て非なるそれは、本来長い時間をかけて冷やされ、雨が降り海を生まれ、生命が生まれていく。
 しかし、果てしなく加速され、地球の歴史を短縮した賢者の石。徐々に吐き出されるはずの熱は圧縮される。
 このままでは、星に生命は生まれない。熱は宇宙そとに吐き出されなければならない。
 それが、アリスの役目。
 魔力で創られた星ならば、魔力で冷やせる。
 要は、余計なモノを吹き飛ばせばいいのだ。
0番蓬莱1番上海――――呪詛、開放リリース
 アリスは上海人形と蓬莱人形とのラインを、幾本かだけ残して断ち切り、同時に、瞬間的に魔力を注ぎ込んだ。
 総量としては大したことはないが、瞬間的に高い魔力圧でショックを受けた蓬莱人形と上海人形は、人形師の使役を外れ、その本来の性質呪いをむき出しにした。

 主従が――逆転する。

 呪いの人形は人形師に取り憑き、主導権を奪われたアリスから人形へ、強引に魔力を搾り出した。
「―――――」
 貪欲に魔力を喰らう二体の人形。気が遠くなるほどの、強制的な魔力放出。
 そのまま完全に主導権を失う直前に、アリスは残ったラインで、制御を取り戻す。
確認チェック――――魔力過剰オーバーロード!」
 通常を超えた魔力充填が完了した。
 制御が戻り、上海人形が主人の身を心配する思念を発するのを内心で苦笑しながら、アリスは叫んだ。
「ったく、割に合ってないのよ!」
 その声に、パチュリーは気づき『賢者の石』を天高く打ち上げ、開放した。
 循環を繰り返しながら手綱を解かれた『賢者の石』が、その熱を、力を撒き散らし始める。
 アリスは、太陽のように輝くそれをしっかりとその眼で見据え、九体全部の人形たちに大号令を掛けた。

 ――――操葬「アーティフルカタストロフィ」

 まだ足りない、とばかりに蓬莱人形がアリスの魔力を喰らいながら、喰らった魔力を他の八体に注ぎ込む。
 仏蘭西以下七体の人形たちは、ただひたすらに与えられた属性いろ通りに魔力を放つ。
 上海人形はその、それぞれがマスタースパークに匹敵するパワーを保持している七色を、纏め上げる。
「こんちくしょぉぉーー!!」
 飛びそうになる意識。
 はちきれそうな繰り糸ストリングス
 人間のように叫び、気合を以って魔法使いは堪えた。

 そして、夜天に浮かぶ太陽のような輝きを――――さらに勝る輝きがかき消した。











 地上の星は輝きを失い、夜空に暗闇と静寂が戻った。
 魔法使いは事の終わりを確認すると、意識を失い墜落した。
 慌てて上海人形が主人を支えた。注がれた魔力はまだ余っているのか、小さな身体で容易く抱えていた。
「ふぅ……」
 魔女は息を吐き、ふと気づいて目線を空に向けた。
 小さな、親指ほどの大きさの石が落ちてくる。
 あれだけの大魔法であったのに、成果はたったそれだけ。
 賢者の石。錬金術の最終目標は、とても遠い。
「まあ、出来ただけでも、充分か」
 次の機会なんてそうそう無い。術式そのものも不完全なのだ。
 今回は魔力量とアシストに恵まれ、それに任せて無茶をやっただけである。
 完全を目指すなら、循環をさらに四十億追加、なんてやってられない。
「…………あら?」
 落ちてくる石を取るべく、手を伸ばそうとして、がくりと身体が崩れる。
(そういえば、今日って、別に体調が良かったりしてなかったわね)
 無茶をしすぎた反動が今頃来たらしい。
 あー、と暗転していく魔女の視界。伸ばした手が虚しく空を掴む。
「――――」
 そうして気を失ったパチュリーが落下し始める直前に、彼女の腕を掴む人形があった。
 蓬莱人形はパチュリーの腕を片手で掴み、もう一方で賢者の石を手にしていた。
 興味深そうに石を眺めた後、蓬莱人形は服飾のポケットに石を入れ、パチュリーを抱えなおした。
 同じようにアリスを支えていた上海人形と蓬莱人形は目配せして、一緒に降りて行く。
 ゆっくりと霧雨邸に降り着いた上海人形と蓬莱人形は、壁面に空いた穴から屋内に入り、未だに閉じられていた寝室のドアを魔法で開け、アリスとパチュリーをベッドに寝かせた。
「うぅん……」
「……ん……」
 二人一緒に。
 上海人形には、ベッドに入った二人の顔が幾分和らいだように見えた。
「――――」
「――――」
 さて、と上海人形と蓬莱人形は向かい合って、この後どうするかを相談した。
 人形たちの目に入るのは、悲惨な有様をした霧雨邸。
 玄関の閂は壊れ、積みあがった本は崩れ、壁面にも屋根にも大きな穴が開き、工房はお湯浸し。
 上海人形は今朝、こうなる前の屋内を探索して記憶していた。
 そして二体とも、アリスの魔力を思いっきり喰らったので、魔力はあり余っていた。
 魔力の無駄は良くない。
 うん、と頷く。
 スリープ状態だった他の七体を起こし、人形たちは修復作業に取り掛かることにした。



 かくして、脇道は終わる。
 元凶の知るところ無く。


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