幻想郷の妖怪は、ときおり結界の綻びから抜け出て人間界に出でて人間を喰らう。
 幻想郷にも人間はいるが、それは力ある者の末裔、下手に手を出せばしっぺ返しを喰らう。
 養殖も多くはないが存在する。が、やはり天然もののほうが好まれる。
 そうして妖怪によって連れ去られる人間は神隠しに遭う。






 ……ねえねえ、知ってる?


 ――なになに?



 もうすぐ夕暮れ、という頃、下校中の仲の良い女子二人が話をしている。



「最近、噂になってるお化けの話」

 お化け?

「うん。お化けというか妖怪かな? 最近、行方不明になってる人いるでしょ。二、三人ぐらい」

 そういえばそう言う話もあったわね。

「それの原因になってるんだってー。妖怪だってさ。怖いよねー」

 はは。胡散臭いわねぇ。

「でね、その子。あ、その妖怪、見た目女の子なんだって。しかも金髪のかわいい女の子」

 ……凄まじいわね。呆れを通り越して尊敬するわ。……それで?

「その子が現れるのは暗くなってからなの。やっぱり妖怪だから、夜に活動するのね」

 ふむふむ。

「いつもお腹空かせていてるの。んで妖怪だから、人を食べる。だから、お腹を空かせたその子に遭った人は食べられちゃうの」

 おお、可愛い顔して怖いわね。

「うんうん。だからもしその子に遭っても食べられないように、何かお菓子を用意しとくの。はい、これどうぞーって」

 ほんとに用意してるのね。あ、これ食べていい? ありがと。

「だめだよー、ちゃんとお菓子持ってないと、食べられちゃうよ」

 そう言われてもね。私はあんまり間食しない人だし。

「でも、大丈夫。お菓子を持ってない人もちゃんと対処法があるのですっ」

 ほほう。

「えーっとね……、いくつかパターンがあったと思うんだけど……。ああ、そうそう、『あなたは食べられる人類?』って聞かれたら、『食べられない人類』って答えるの」

 え? たったそれだけ?

「それに、なんでもいいから理屈を絡めるの。例えば、『私は昨日まで風邪を引いてたから、今食べると病気になるよ』とか。納得してもらえたら、『そーなのかー』って言って食べるのを諦めてくれます」

 そーなのかー?

「そーなのです。あとねー『このポーズはどんな風に見える?』って聞かれたら」

 なにそのポーズ。

「実際にこういうポーズなんだってー。……あれ? どうだったっけ。『人類は十進法を採用しました』だっけ? あ、違う。こっちはタブーだ。これを言ったら問答無用で食べられます。南無ー」

 ぷっ……。なによ十進法って。あ、わかった。あはははっ。

「正解は『聖者は十字架に磔られました』、だ。こういうとその子はとても満足なさります」

 なさるのですか。

「とても機嫌がよくなるから、『それじゃあ私は帰らなきゃなので、さようなら』と、自然に去りましょうー」

 ばいばーい、と。

「念のために、一つ角を曲がったら全力疾走ね。あ、妖怪だから空飛べるんだった。だから屋根あるところのほうがいいかもー」

 他にもある?

「んん〜……、あったようななかったような。……思い出したっ。『リボンを取って』って頼まれることがあるの」

 リボン?

「金髪にね、赤いリボンが結んであるの」

 そーなのかー。む、笑うなよぅ。……で、そのリボン取っていいの?

「ううん。取っちゃ駄目だよー。それを取るとトンデモナイことになるのでぃす」

 とんでもないこと?

「それは決してやっては駄目なことだから、どうなるかわからないのです。ブラックボックス。ぶらっくほーる」

 ブラックホールってなんだー。

「なんだろう? んで、理由を言わなかったら不機嫌になって問答無用で食べられちゃうので、リボンを誉めましょう。『リボンつけてるととても可愛いよ』とか、『赤いリボンがお似合いですね』とか」

 ご機嫌を損ねないことが重要なのね。

「うんうん。その子は馬鹿にされることが嫌いなのです。トラウマでもあるのかなぁ? でも子供っぽくてかわいいらしいよー」

 ふーん。その可愛い少女妖怪、名前はなんていうの?

「名前はわかんないなぁ。一応通称があるけど」

 なんていうの?

「妖怪『そーなのかー』」

 あははははははは。






 やがて、日は沈み、宵闇が世界を侵食する。








 ――ねえ、知ってる?


 ……なに?



 街灯が切れかけた暗い下校道を、二人の女子が歩きながら話している。



「最近、行方不明になった人がいるでしょ」

 ああ、家出かなにかだっけ。

「うん。でも、本当は家出じゃないのよ」

 そうなの?

「本当は、妖怪の仕業なの」

 妖怪?

「妖怪。ここから離れた山の奥、そこにあるとても古い神社の向こう側からやってくる」

 向こう側……。

「神社が境目になってるのよ。だから普通の人がその神社に行っても何も解らないわ。でも妖怪たちはその境界を時折越えてくる。人間を食料とするから、食料調達をするの」

 じゃあ、行方不明になった人は妖怪にやられたってこと?

「そう。でも、賢い妖怪たちは――ああ、妖怪一般が賢いって意味ね、これ――人間達が問題にしないように、わからないように人を狩る。だから――」

 だから?

「最近起きている行方不明は、そういう食料係の仕業じゃないわ。きっとたまたまこちら側に来れたはぐれ妖怪なのよ」

 迷子なんだ。

「その子はお腹をすかせていたから、喜んで人を襲った。一人食べれば、まあ数日は満足してただ遊んでたんじゃないかしら。空腹になったらまた人を襲うの」

 子供みたいね。

「きっと、子供なの。妖怪たちの不文律も知らないのよ。だから噂話になんかなってる」

 噂話……。あ、例のあれかぁ。

「多分それであってるわ」

 あれって、単なる怪談か都市伝説だと思ったんだけど……

「結構、的を得ているのよ。あの話」

 そうなんだ。

「ただ、あの妖怪は夜に活動するのではなくて、きっと闇そのものなのよ」

 闇そのもの?

「暗くなったから活動するのではなくて、彼女の周りは常に夜で、闇。そういう力を持つ妖怪なの」

 暗いから妖怪が現れるんじゃなくて、妖怪がいるから暗いってことね。

「確かに眩しすぎる光は嫌うかもしれないし、暗いほうを好むかもしれないけれど」

 まあ、妖怪だし。

「食べられた人は不幸にも何人かいた。けれども、その食事中のシーンは目撃されていないわ」

 やっぱり食事は隠れ家みたいなところでしてるのかな。

「いいえ。隠れるという発想はまだなかったでしょうね」

 あ、わかった。彼女の周りが闇だから。

「そう。食事のときは力が入って、闇が濃くなるの。だから周囲からは見えないし、闇の中に入っても見えないでしょうね」

 見たくないから、好都合かなぁ。

「でも、音はするでしょうね。きっと」

 う、それはそれでくるものが。

「流れ出る血が多ければ、血溜まりが闇の範囲から出てくるかも」

 うう……。

「食べ方も下手ね。食い散らかして、残骸をあとから勿体無いって拾って食べるんじゃないかしら。目玉とか」

 うあ……。

「それで、磔のポーズなんだけど」

 十字架に磔、の?

「これは話半分で聞いて頂戴ね」

 珍しいね。

「二割ぐらいは冗談よ。例のポーズは、そのまま十字架を示してるの」

 ふむ。

「なぜかというと、かの妖怪はかつては人間だったの」

 それは大胆な。

「人間であった少女は、妖怪に襲われた。その妖怪は吸血鬼で、弱点は多いけれど人間では太刀打ちできない力の持ち主だった。少女は母親から、吸血鬼の弱点を聞いていたのね。それで襲われて、いざ血を吸われるという間際、彼女は必死で十字架の意味するポーズを取りつづけた」

 それで?

「キリスト教ではない吸血鬼には、十字架は効かないの。それに例え効いたとしても、ただ身体で表現しても効果はなかったでしょうね。少女は吸血鬼に血を吸われてしまったわ」

 それから妖怪になったの?

「うん。直接死に至るまで血を吸われなかったから、吸血鬼にはならなかった。でも、吸血鬼が吸血したときに、吸血鬼は完全に過失で、自らの血を少女に送り込んでしまった。それだけならなにもならなかった。しかし、少女には秘められた力があった。その力と、吸血鬼の血の力が混ざって、妖怪となった」

 ……可哀想なのかな、幸運だったのかな。多分可哀想なんだろうけど。

「それと、リボンの話」

 え? あ、ああ……話題が飛んだのね。うん、とんでもないことになるっていう。

「あれは、お札。あの子を制限している封印」

 取っちゃうと?

「封印が解かれることになるわね」

 どうなるの?

「色々と想像できたけど……。制限されていたものが、力なのか、姿なのか、知識なのか、記憶なのか……特定できなかったわ」

 噂通りになるのかな。

「おそらくね。そうでなくては、封印なんてされないもの」

 それにしても、詳しいね。遭ったことがあるみたい。

「ちょっとばかし知ることができる程度の能力があるだけよ。こんなの、あっちでもこっちでも役に立たないわ。かえって邪魔ね」

 …………?

「だって、力がある人間って美味しいってことだもの」

 ……えーっと?

「水槽で育った魚よりも、大海の潮流の中を泳いだ魚のほうが美味しいでしょ」

 ああ、うん。

「フォアグラみたいなのだとまた違うけど、まあ、そんな感じ。だから――」

 だから?

「きっと私は問答無用で食べられるわね」

 え?





 ふっ、と周囲が闇に包まれた。






 あれ? 街灯が消えちゃった?

「…………」

 ? ちょっと……どこにいるの?

「…………」





 ―――ごきり、と鈍い音が響いた。


 ぴちゃり、と何か暖かい液体が顔にかかった。





 え――

「…………」

 な、何……? へ、返事してよっ!

「…………」

 う……





 一寸先も見えない闇。顔についた何かを拭う手すら見えない。





 い、嫌……

「…………」

 何か言ってよ!!

「…………」





 恐慌状態に陥った少女は闇雲に走った。
 が、前も足元も見えない闇の中で、つまづき転んだ。
 それでも、少しでも闇の中を抜け出そうともがいた。
 そして、通常の視界が戻ってきた。闇を抜けた。
 いや、通常の視界とは言いがたい。
 振り返ると、闇だった。





 ――ごきっ


 ――ぴちゃっ


 ――ぐちゃ


 ――ぶちぶち……





 闇の中から音がする。
 有機的な破壊音。そして、咀嚼音。



 食べられている。



 何かが、ヒトを食べている。





 ふと、




 …………?




 ころころ、と、




 ――――!!




 人間の眼が転がってきた―――




 ――――いやぁぁぁぁぁぁぁああっっ!!!!




 闇が、薄れた。



 う、ぁっ……、ひっ……



 腰が抜けていた。
 眼が、眼に、釘付けになっていた。





「――ねえ」



 知らない声。幼い声。



「あなたは食べられる人類?」



 闇の中から、金髪で、血塗れの少女が現れた。



 わ、わ、わたしは……っ……



 ガタガタと、震えが止まらない。



「あんまり美味しそうだったから、思わず食べちゃったけど、大丈夫だったかな。ここらへんの人間は、なにかと食べたら駄目なのが多いのよ」



 次は少女の片手に眼が釘付けになる。
 少女の片手には、かつて人間だったものが―――



「ねぇ――」



 一歩、近づいてくる。闇を纏った少女が。
 闇が、濃さを増す。少女の纏った闇が。



「あなたは食べられる?」



 声にならない絶叫。
 闇が飲み込む。
 光が途切れる。





 全てが闇に覆われる瞬間―――






 ―――リボンが

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