〜少女退魔記〜 円


 神乃 円という少女は端からみると、普通の少女である。
 身長も高くなく、やや低めだが、平均的だ。
 性格的にも、おっちょこちょいといった感じで、人より転んだりする回数が多いことを特に気にしなければ、明るい元気な娘である。
 しかし、彼女は明らかに他の同級生たちと異なるところがあった。

 

 神乃家には、古くから歴史があるらしく、町外れに大きな古い屋敷を構えている。
 その広大な敷地の中、道場のような建物がある。
 刻は早朝。その道場内に、一人の少女──神乃円の姿があった。
「・・・・・・」
 彼女は正座して、目を閉じている。瞑想をしている。
 円の前には、紙と硯と筆が几帳面に置かれている。
「・・・・・・・・・・・・」
 彼女は動かない。
 目を閉じて、ひたすら精神を集中させている。
 ────ぴちゃん
 外で──どこかの木の枝からだろう、水滴が落ちた。その音が響いた。
「─────」
 少女が動いた。
 眼を開き、筆を素早く取る。
 さっ、と墨をつけると、息も吐かずに紙の上に筆を走らせる。
「・・・・・・」
 真剣な顔で、素早く──正確に腕を動かす。
 ぴっ、と終わりに流すと、少女は書き終えた姿勢のまま固まった。
「・・・・・・・・・」
 出来を確認しているのか、厳しい顔のまま大きな眼を動かしている。
「───・・・・・・ふぅ」
 ようやく緊張を解くと、彼女は小さく溜め息を吐いた。
 正座を崩して、胡座をかくともう一度、じろじろと自分が書いたものを見る。
「まあ、こんなもんかな? ここの所、不調だったし」
 そう言うと、紙を取って丁寧に折り曲げていく。
 十回ほど折り曲げ、掌に収まるサイズになった紙を、今度は茶巾袋に入れた。
 茶巾袋は長い紐が付いていて、首に下げられるようになっている。
 それを円は、首に下げた。

「────円〜、朝ご飯できたわよー!!」
 遠くから、母親の声が届いてきた。
「今行く〜」
 わたしは応えて、筆や硯を片付ける。一分かからず片付け終え、道場を後にする。
「────っと」
 わたしは道場を出る前に、さっ、と手で空を切った。
「円───!」
「は〜い!!」
 そして、わたしはすがすがしい朝日の照る外に飛び出した。

 

 神乃家────
 一言に言うなれば、霊能力者の家系である。一族全員とは言わないが、霊視・破邪の力持つ者が多い。こういう霊能力者は、現代は影を潜め、こっそり妖怪退治やら風水による環境浄化やらを手がけているのだ。
 そういう中、神乃一族は名の売れた方で時々神社や寺、稀に宮内庁(つまり天皇家)から仕事を引き受けていたりする。
 神乃円も、力の才能を持って産まれた。
 当然神乃一族では珍しいことではないが、それゆえの苦労もある。
 例えば・・・・・・

「────っ!」
 ────ずべしゃ
 学校への通学路。派手に円は転んでいた。
「あはは♪ 円、なにやってんのよ」
「なんでなーんにもないところで転ぶかなぁ?」
 一緒に歩いていたクラスメイトが笑いながら言った。
「はは・・・・・・」
 とうの円は、曖昧に笑いながら立ち上がった。
「おっちょこちょいだねぇ、円は」
「うんうん」
 クラスメイトたちは、お互いに顔を合わせて言う。そして、話題は変わって、たわいもないことを話し合っている。
「・・・・・・ふぅ」
 おっちょこちょい。
 円を知る人は──ごく一部の親しい友達を除いて──そう評される。
 実際、円はよく転ぶ。何もない所でも転ぶし、椅子から落ちることもある。その『理由』を知らない人からみれば、仕方無いだろう。先程のクラスメイトも特に親しくないわけではないが、やはりクラスメイトにすぎない。
(やっぱり、そう見えるよねぇ・・・・・・)
 円は落胆しながら、小さく溜め息を吐いた。
 演技でやっているのだが、それを悟られないようしているとしても、円はその『誤解』が嬉しくない。
「どうにかならないかなぁ・・・・・・」
「何がかな? 円ちゃん」
 びくっ、として円が振り返ると、そこには眼鏡を掛けたストレートのロングヘアーの少女が立っていた。
 彼女の『事情』を知る数少ない親友だ。名前は霧島弥生と言う。
「なんだ、弥生かぁ・・・・・・。おはよう、弥生」
「うん、おはよう。円」
 安堵の溜め息を吐いて、円は挨拶した。
「で、さっきのもやっぱり『アレ』?」
「うん」
 アレ、とは妖怪退治の事である。
 霊能力者は、霊力を持つと同時に、霊や妖怪などを引きつける性質を持つのだ。したがって、能力を持つ円の日常には普通人とは比較にならないほど、霊的なモノが関与してくる。それが聖の存在であれば無視していいが、魔の属性を持つモノであれば、周りに悪影響を及ぼしてしまう。
 よって神乃一族で、霊力を持って生まれた子供は、幼い頃からこの『日常における妖怪退治』を義務づけられるのだ。
「ご苦労様ね、毎日毎日」
「慣れてるよ。今日は『お守り』の方も上出来だったから、楽な方だし」
 毎朝、円は『お守り』を自分で作っている。これも日々の習慣──鍛錬だ。
 円が作り、携帯している『お守り』は、霊的なものを退かせる力を持つ物で、かなり弱い霊なら浄化させることもできる。その効力の範囲はお守りを中心に──これもお守りの出来次第だが──およそ半径三百メートルほどで、お守りに近づくほど、浄化力も比例して強くなる。
 しかしお守りの効力のみで除霊、浄化できるのは弱い霊や単なる霊的物質だけで、少し強い下級妖怪以上の類には「こっちに来るな」といった接近を防ぐ効果と、多少妖力を抑える効果しかなく、浄化とまではいかない。
 そこで、円に見える範囲に入った霊には、自ら退魔の法を駆使して、こっそりと除霊するのだ。
 そして『こっそりと』の部分が円にとって鬼門で、他人の目を盗んで除霊する方法があまりない。まして、円は高校生であり、一日の大半は他の生徒が大勢いる学校で過ごすのだ。他人の目の数は圧倒的に多い。
 幼い頃からこの問題と向き合ってきた円は、一つの手段を考えだした。
 「日常的な動作中に、除霊する」ということを。
 それが、先程の転倒である。転んだ振りをして実は転倒地点に居た地縛霊を除霊したのだ。
「そう、それは良かったわね。前、テストの時は凄かったもの」
「・・・・・・あれは、もう忘れて」
 お守り作りは集中力が命であり、円の精神・身体状態によって出来が左右される。
 当然、円の体調が悪かったり、徹夜して睡眠不足に陥った状態でお守りを作れば、出来は悪くなり効果は薄くなる。
 過去円は一度、徹夜でテスト勉強をしたことがある。
 その結果・・・・・・お守りの出来は最低で、最下級の霊を祓う力もなく、テスト中だろうとお構い無しに、霊や妖怪が寄って来ては、ちょっかいを掛けて来たのだ。
 円はげんなりしながら、退魔の印を消した消しゴムかすや、聖水をしみこませた紙片を使って祓っていったのだが、間の悪い事に、普段は稀にしか現れないレベルの妖怪が現れたのだ。
 思い悩み、必死に案を検討した円だが、前述した方法では退治出来ず、結局、強硬手段にでた。
 椅子ごとコケて、直接手に書いた退魔の呪文を押しつけたのだ。
 結果、見事妖怪は消えたのだが、テスト中に大きな音を起てて転んだ円は目立ち、また、色々と呪文を書いていたりしていた事も試験官の目に止まり、カンニング疑惑まで掛けられたのだ。
 幸いというか何というか、円自身のテスト結果が疑惑を晴らしたが・・・・・・。(つまり、散々だったのだ)

「それでね、今日はちょっと相談があるんだけど」
 弥生がふいに話しかけてきた。
「・・・・・・え?」
「昼休み、いつもの場所で。いいかな?」
「うん、いいよ」
 少し驚きながらも、円は答えた。
「ありがとう。────そういえば今日、朝会ね。ちょっと急ごうか?」
「うん。それじゃ、後でね」
 そう話し終えると、二人は小走りに駆け出した。

 そして、円は体育館に来ていた。
 整列して、隣の列の三人分ほど離れたところには弥生の姿もある。
「・・・・・・?」
 弥生がこちらの方を心配そうに見ていた。いや、円ではなく、わずかに後方を見ているようだった。
 気になり、弥生の視線を追ってみて、円は息を飲んだ。
 ぱっ、と見た感じ、少し色白の少女だ。しかしそれが、身体と精神の不調からであることが円にはわかった。
 ────明らかに悪霊か妖怪、それも力のあるものに取り憑かれている。
 今は円のお守りのせいか、近くには存在していないが、円から少し離れればすぐに戻ってきて、また少女を憑き殺そうとするだろう。
(そう遠くに行ってないはず・・・・・・)
 円は意識を集中して、気配を探った。
(どこだ・・・・・・?)
 円の周囲の人物であるのに、これだけの影響を受けているのだ。浮遊霊の類とは、比べものにするのも馬鹿らしいほどの力を持っているに違いない。
 弥生の相談事とはこれの事だな、と思う。
『いつもの場所』に弥生から呼び出されるときは、霊能力者として円に用がある、という約束なのだ。
 俗に言われる『霊視』をしながら周囲を見回すと、ふと、弥生と目があった。
 ────あの子?
 ────うん。
 視線での会話を交わす。不意に、弥生の顔が恐怖に歪んだ。
 ハッ、として、円は視線を転じた。気配が濃くなり、はっきりと円の感覚で捉えられた。
(────上っ!)
 果たして、見上げた先に「そいつ」はいた。
 どす黒い塊の「それ」は、体育館天井にある水銀灯を包み込むように漂っていた。
 円は愕然とした。「そいつ」の意図を一目で悟った。
 ────瞬間、円は跳んでいた。

 

「大丈夫?」
「あ、・・・・・・あ?」
 円が少女に静かに訊いたが、少女は突然の出来事に呆然としていて、返答出来なかった。
 円は周囲の気配を窺って、もう霊が居ないということを確認した。ふぅっ、と安堵の溜め息が出た。
 すぐ側には、落下してきた水銀灯の残骸がある。他の生徒達は唖然としていて、状況を把握できていないようだ。
「・・・・・・・・・――――」
 ぼんやりとした様子で周りを眺めていた少女が、どういう状況か理解したのか、貧血を起こしたのか、円の腕の中に倒れるように気絶した。
「と、と・・・・・・う〜んどうしよう」
 急に気を失った少女を支えながら、円は途方に暮れて曖昧な笑みを浮かべて呟いた。
 ――――ざわざわざわ・・・・・・!
 ようやく、周囲の生徒や教師達が騒ぎ出した。

 昼休み、弥生と約束を交わした円は、一人屋上に立っていた。
 ・・・・・・すでに準備は終えている。
 円の左手には木刀がある。足元にも色々と式具が入っている袋が置かれていた。
「――――円、来たわよ」
 弥生が少女を連れて、屋上に現れた。
 少女には円のお守りが掛けられている。が、円は近づくと紐をといて、中の札を取り出した。
「やっぱり、相当な力の悪霊ね・・・・・・」
 普段なら丸一日その効力を保つお守りが、妖気にさらされその力を失ってしまっている。
 円はポケットからビー玉のような玉を取り出して、袋に入れ再び少女に渡した。
「これ持って、絶対にここから動かないこと。約束できる?」
 円が真剣な顔で言うと、少女は袋を握り締めて、こくん、と頷いた。
「それじゃ――――除霊、開始だよ」
 円は一歩離れ、印を結びながら口の中だけで呪文を唱え始めた。
 僅かにしか音を発しないその呪文は、外ではなく円の内側に向かって行く。
 肉体の内側――精神と呼ばれるさらに内側に達し、魂そのものに響き、啓発する。そして――――
「――――集っ!」
 かっ、と目を見開き円が吼えた。
 力ある言葉によって、取り憑いている少女から離れ、漂っていた「それ」が強制的に呼び寄せられた。
 ――――うごぉぉぉぉっ! ばるぅぅっ!!
 声にならない、音ですらない叫びが、確かに空間に木霊した。
 びりびりと頬を引きつらせるような『叫び声』を聞いても、円は巌のようにその場から動かない。少女と弥生は顔を蒼白にしながらも耐え、円からの言いつけを守っていた。
 しっかりと相手を見据えながら、円は右手で宙に複雑な模様を描く。
「────封魔の法『落月』!」
 描かれた模様は魔法陣となり、悪霊を強制的に吸い込もうとする。が、相手は耐えた。やがて魔法陣は消え、無理やり霊を吸い込もうとした強制力が消えた。
「やっぱ、この程度の術じゃ駄目か」
 大して焦るような様子も無く、淡々と呟いた。
「─────」
 左手に持っていた木刀を構える。
 刹那、黒い塊が唸りをあげて体当たりしてきた。お守りが効いているため弥生達の方へは近づけないのか、円の方に。
「破っ!」
 円はそれを木刀で払うと、素早く畳み掛けるように札を数枚取り出して、投げた。
 風に流されると思われた札たちは「そいつ」を中心に、ある一定の間隔を持って何もない中空に浮かんだ。
「────捕縛の法『絡』!」
 放たれた札の内五枚が五芒星の形を取り、霊を封じ込める力場を作った。
 ────がぁぁぁっっっ!
 閉じ込められ、押さえつけられて、悪霊が苦悶の叫び声と共にありったけの妖気を放出した。
 バチバチ、と霊的物質がスパークを起こし、霊を抑え込んでいた結界は堪らず霧散する。
 力場を乱した妖気が、奔流となって円を襲った。
「――――っ!」
 至近距離から力を受け、円は吹っ飛ばされた。数メートルも円の体は宙を舞った。
「円!」
 弥生が悲鳴をあげた。思わず駆け出そうとするが、誓いを守り・・・・・・堪えた。
 地面に激突する寸前、円は受身を取った。それを見て、弥生はほっとした。
 すぐさま立ち上がり、隙無く気を張る。
 ――――ぐおぅ・・・・・・がぁお・・・・・・・・・
 黒い塊の「それ」は、大きく呼吸するように唸った。『息』に併せて辺りの妖気も流れる。
「・・・・・・だいぶ、疲れたでしょ?」
 いきなり円は「そいつ」に向かって話しかけた。
 ――――・・・・・・?
 戸惑うような波動が、妖気に伝わる。
「もう、かなりの力を使ったと思うんだよね。最初に呼び寄せた時にも、ちょっと堪えてたみたいだったし・・・・・・
 ――――今の術から抜ける時、持ってる妖気ほとんど使っちゃたんじゃないかな」
 軽い調子で――面白がるように、微笑みすら浮かべて、円は言った。
 円は続けた。
「ほんとは『落月』の次の『絡』で封じられるかな? って思ったんだけどね。
 ・・・・・・なかなか、手強かったよ」
 ニヤリと、笑みを深くして円は不敵に笑った。
 動揺などと言う感情があるのか、悪霊は一歩退いたように見えた。
「――――気付いてないかな? もう、何処にも逃げ場が無いんだよ」
 ――――っ!!
 今度は明らかに狼狽した。再び纏まり始めていた妖気を目晦ましに、黒い塊が逃げ場を探すように屋上を飛び回った。
 しかし、屋上から外へは仕切りで隔てられたように出ることが出来ない。
 ――――!?
「ここにね、あんたがわたしに呼び寄せられた時点で決着はついてたんだけどね・・・・・・。出来れば使いたくなかったんだよ」
 疲れるから、と小さくぼやいて、円は足元に何かを撒いた。
 塩と聖水だ。一部だけ――ほんの僅かな隙間だが――欠けていた結界を補完する。
 ――――ああああっ!!
 狼狽し、今までで最も大きな『叫び声』を上げて、突撃した。
「さよならだよ・・・・・・」
 小さく呟くと、円は最後に必要な呪文を唱えた。
「――――退魔の法『滅昇』」
 円に渡され、少女の握り締めるお守り、その中の水晶球を中心にして大きな魔法陣が光り輝いた。
 ――――がああぁぁぁっ・・・・・・
 断末魔の『叫び声』が、空間に木霊した。

 

「ふぅ・・・・・・」
 わたしは緊張の糸が切れて、その場にへたりこんだ。
 もう霊の気配はない。終わった。
「終わったぁ・・・・・・。あ、もういいよ」
 大きく伸びをして、未だにわたしの言ったことを守っている二人に話しかける。
 ほっ、としたように、少女はわたしと同じように座り込んだ。流石にきつかっただろう。もう悪霊が憑いていないという安心感もあるかもしれない。
 弥生の方は、わたしに向かって歩いてくる。
「お疲れ様」
「うん」
 そう言うと、弥生はポケットからハンカチを出しだ。
 ん? と思っていると、わたしの腕を取って押さえる。
「痛っ」
 途端、軽い痛みが走った。
「ったくもう・・・・・・心配させないでよ」
 吹き飛ばされて、受身を取った時だろう。擦り傷が出来ていた。
「うん」
 頷いて、式具の中から聖水を取り出した。それを弥生に渡すと、慣れた手つきで傷にかけた。
 ・・・・・・しみる。
 傷の洗浄とはいえ、痛いものは痛い。苦い顔していると、弥生は堪えきれないように笑った。
 わたしは怒りたくなったが、耐えた。
「はい、本当にお疲れ様」
 弥生が押さえていたハンカチを交代して、自分で押さえると、弥生が言った。
 と、ちょうど五限目の予鈴が鳴った。
「円、午後の授業どうする?」
「サボる」
「お腹は?」
「すいた」
 それじゃ食べようか、と、どこからともなくお弁当を取り出す弥生。ちゃんと円の分もある。
「あー、眠い」
 わたしはぼやくと、寝っ転がった。ちょうど真上に来ていた太陽の光が眩しかった。
 疲れたー、とぼんやり呟いて、わたしは目を閉じた。

 澱み無い、いい風が吹いていた。


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