たとえばこんな話・・・


『路』の話  〜The Selection〜

 たとえばこんな話がある。
 ここに一人の少女がいる。
 彼女の名前は―――仮に、一条 和沙としておこう。
 彼女は学生で、制服を着て、交差点のコーナーに立っていた。時刻は朝で、彼女の通学時間である。
 彼女の脇を同じ学校の生徒達が通り過ぎていく。
 時刻は朝で、彼女の通学時間である。
 彼女は交差点のコーナーに立ち止まっている。

 私の前には路がある。私の後ろにも路はある。
 時差式信号と横断歩道がある四路の交差点に私は立っていて、目の前を車が通り、同じ学校の生徒達が少しだけ私に視線を向けて右に曲がっていく。
 右に曲がると私の通う学校がある。いつも私が歩く道だ。学校までは、ここから徒歩で十分と掛からない。
 昨日も私は右に曲がって登校した。一昨日もだ。多分、一年前もだろう。
 左に曲がるとこの辺りで一番大きな駅がある。この辺から通勤する人は大抵その駅を利用する。私も買い物しに何度も行ったことがある。
 ちょうど先週末に服を買いに行った所だ。数年前にできて以来、その駅は大きくは変わっていない。
 そして、私は思う。

「はたして真っ直ぐ進むと何があるのか?」

 私がこの町に住み始めておよそ五年。大まかな地理は知っているつもりだ。
 しかし、この交差点を真っ直ぐ進んだことが無い。一度も、だ。
 立ち止まってから数分が経った。視界に入る生徒達が減ってきた。
 私は、彼らの目にどのように自分が映っているのか少し考え、すぐに止めた。つまらなかったからだ。そしていったい今何時なのか、少し気になり手首を見た。
 八時三十分。時計はぴったりとその時刻を差していた。そろそろ学校に向かわないと遅刻する。
 遅刻。学校に遅れること。しかし、それがどうしたと言うのだろう。学校など数年で去って行くのだ。人生に置いて重大なウェイトを占めるが、たかだか二割以下。いくらでも挽回は効く。だが同時にこの時期にしかする事ができない事も多い。
 はたしてどう取るか。そこが問題だ。
 前を見た。見知らぬ路が見える。左に曲がって走っていく生徒がいる。
 右を見た。学校への路が見える。遅刻しそうで走っていく生徒がいる。
 左を見た。駅への路が見える。疲れた顔をして通勤していく大人がいる。
 私はもう一度真っ直ぐ前を見た。知らない路が伸びている。
 風が吹いた。太陽が昇っている。遅刻する時間。通学中。未知なる路。立ち止まっている私。時計が八時三十一分を差している。通り過ぎていく車。点滅する青信号。走っていく人。変わらない駅。四方に伸びる交差点―――
「・・・・・・」
 そして私は歩き始めた。真っ直ぐと、知らない路へと。
 未知の世界へと足を踏み入れている、そう思うと興奮に胸が震えた。
 地図の空白を一歩一歩埋めていく感覚。世界が広がっていく。
 日常の中に私がいない。私がいない日常が回っていく。それが虚しさともに喜びでもある。
 知らないことを知ることができたのは良いことだ。これは真理だと思う。
 私はこの選択を後悔しない。たとえ一時の汚点となっても。たとえ愚かだと言われても。
「・・・・・・―――♪」
 心が躍る。私は自然と口笛を吹き始めた。とても気分が良い。
 知らない世界を歩くこと。
 知らない世界へ進むこと。
 それは恐怖であり、希望であり、未来である。

 一人の少女が路を歩いている。
 彼女は学生で、制服を着ていて、通学路ではない路を歩いている。時刻は朝で、彼女の授業時間である。
 彼女の脇を人をたくさん乗せたバスが通り過ぎていく。
 時刻は朝で、彼女の授業時間である。
 彼女は見知らぬ路を歩いている。

〜The Selection closed〜


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