落し物。





   -epilogue-


 軽いうつですね。


 家族の勧めで受けた精神科の先生はそう診断した。

 ああ、なるほど。

 私は、どうと言うことも無く、納得した。
 精神病といっても、心の持ち様ではなく、結局は脳の病気なのだ。
 私は抗うつの薬を受け取り、自転車に乗って家に帰った。






    -1-


 ちゃりん。


 何か、小銭か何かが落ちた音がした、気がした。
 なので、私は立ち止まり、振り返って、なにが落ちたのか、なにか落としていないか、探した。

 何も落ちていない。落としていない。

 念のために財布、携帯電話、キーホルダーを確認してみた。
 財布も携帯電話も服のポケットには入れていない。背負っていたバッグのポケットを探る。口はきちんと閉じられていて、両方ともきちんとあった。

 ふぅ、とため息。

 最後にズボンのポケットに手をやる。唯一ポケットに入れているキーホルダーも無事だ。

 気のせいか。

 そう思い直して、私は歩き出した。






 それから、同じようなことが何度も起きた。

 ちゃりん。

 自転車に乗っているときに、鍵を落とした気がした。

 ちゃり。

 バッグに穴でも開いているんじゃないかと、不安になった。

 かちゃ。

 思わず足を止め、何も落としていないか確認した。





 何か、落としているのかな。



 わからない。






    -2-


 この時期になると暗くなるのが早い。

「やあ」

 こんばんは。

「もうこんな時間だけど、散歩?」

 なんとなくぶらぶらしたいの。夜の暗さは嫌いじゃないし。

「ならこっちにくるといい。目的地は無いんだろう」

 こっちって、どっち?

「こっち。自転車を押しながらじゃ、ちょっと辛いかもしれないけど」

 そこの坂、登ったことないんだよね。結構辛そう。

「がんばって」

 うん。ところで……

「うん?」

 あなただれ?






 ――わあ。

 妙な言い方だけど、小さな夜景が広がっていた。
 夜景の表現に、宝石箱をひっくり返した様な、というのがあるけれど、この場合は、宝石箱を開けただけ、という感じ。
 坂道を登り、団地を横切った端にある公園、そこからの風景は、三百円のキーホルダーみたいな安っぽいけど、素朴な綺麗さがあった。



「どうかな」

 いいね。悪くない。

「そいつはよかった」

 穴場だ。ここ。

「そうだね」

 それで、あなただれ。







 - epilogue 2 -


 それからのんびり帰宅した私を、家族は心配した。
 心配のし過ぎで、精神科のドアを叩かされた。
 そして、軽うつ症と診断された。




 別にだからどうということはない。
 幻覚と幻聴ぐらい。ぐらいといえるほどのものか知らないけど。
 あれは、誰だったのかな。
 私の幻視なんだろうけど、誰なんだろう。ルーツとかありそうなんだけど。
 そして、何を落としていたんだろう。
 何も落としていないけど、気になる。




 何か、忘れてるのかな。



 わからない。







 私は時々、振り返りたくなるときがある。
 いつも何かを忘れている気がして。


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