ケニア旅日記C

10月12日(日)
 マサイマラを発つ日が、来てしまった。大自然から都会へ戻る日だ。すごく寂しい。ナイロビまでの車の中でも一睡もせず、景色を目に焼き付ける。広大な黄色い大地、ポツンポツンと立つ木々、ところどころにあるマサイ集落、あざやかな赤い布をまとったマサイ族の人、トムソンガゼルの群れ、草を食むシマウマ…。最後に見た野生動物は、何だったろう。ガゼルかな。感傷的になってしまった。

 最初の休憩は、前にも寄った高い土産物屋だった。前日、マサイマラのロッジで買ったのと同じ物が、ここでは高い。ゆきちゃんが店員にそれを話し、もっと安くしてと言うと、いっちょまえに「なんでホテルショップより安くしなあかんねんな?」(訳:適当)と聞いてくる。ゆきちゃんは、「ビコーズ、ホテルはきれいから。」とbecauseのみ英語、後は関西弁で答え、店員を煙に巻いていた。店員も、それ以上何も言わなかった。
 次の休憩はグレートリフトバレーの展望台だった。目の前には、すばらしい景色が広がっているのにもかかわらず、「みてみて。」「やすい。」と土産物屋が寄ってくる。どこが安いっちゅうねん。ついには、
ビニール袋に入れたリンゴを売るおっさんまで現れた。たまらん…。

 ランチは、アフリカンバーベキューでシュラスコだった。珍しい動物の肉が食べられる。シマウマは柔らかくて、イケる。昨日まで「シマウマ、かわいい!」なんて言っていたのに、今日は「うん、まあまあちゃう。」なんて言ってしまう。恐いものだ…。ダチョウとシカは、イマイチだった。ナイロビのニュースタンレーホテルに着くと、そこでドライバーのサリムさんとモイガイさんとはお別れだった。突然のことなので、プレゼントが手持ちのものしかなく、残念。ふたりとも、上手な運転で安心だった。ちょっと寂しい。
 チェックインを済ませてから、交差点の向かい側のスーパーへみやげ物を探しに出かけた。交差点を渡る時に、日本人と見て輪タクが「乗れへんか」(訳:適当)と声をかけてきたが、私たちは、
「もう、そこやねやんか。」と関西弁で答えておいた。それ以上勧められなかったので、通じたか?スーパーは紅茶など52円と安い、安い。調子に乗って、ドカ買いしたら2400円にもなってしまった。4:00には閉店なので、ホテルに戻り、ゆっくりとシャワーを浴びた。改装したばかりなので、ピカピカだ。久々のバスタブにも感激した。
 8:00に2階のレストランへ行くと、みんな揃っているのにジョンさんだけが来ない。せっかくの最後の夜なので待っていると、15分遅れてジョンさんが登場した。久しぶりに奥様に会いに家へ帰ったら、戻る途中に事故による渋滞に巻き込まれたらしい。何はともあれ、無事に全員揃ってのラスト・ディナーだ。ただし、私のおなかはイマイチ調子が悪く、あまり食べられない。ジョンさんは、最後までマジメで「次、ケニア、来るとき、よくなってると、思います。新しい、大統領、かわってます。」と語る。うんうん。ジョンさんの思うとおりになれば、いいね。楽しかったケニア滞在は、やっぱり
ジョンさんの力が大きかった。ほんとうに名残惜しい。

10月13日(月)
 なんと、このおおづめにきて、とんでもないハードスケジュールが待っていた。朝4時に起きると、外は当然、真っ暗だ。ホテルが簡単な軽い朝食を用意してくれたが、あまり食欲もない。5:00にホテルを出発したので、ナイロビの街も、ジャカランダの紫の花も、闇に包まれたままのサヨナラだ。
 空港に着いて建物に入ろうとすると、入口でジョンさんは空港職員に止められた。しばらく押し問答が続くが、中へ入れてもらえないようだ。結局ジョンさんは入れず、「ここ、ときどき、めんどくさいです。」ということで、その場でお別れすることになった。みんなで集めた日本から持参したものをプレゼントした。私たちが中へ入り、出国手続きをしている間も、
外からガラス越しに見ていてくれていた。手続きも終わり、ガラス越しにバイバイをした。ほんとうにお世話になりました。いいひとでした。
 眠い目をこすりながら、7:35発カイロ行きエジプト航空に乗り込む。シートにつくと、いつ離陸したのかわからないほど、あっという間に眠りこけ、機内食で起こされた時には、すでに9時前。突然、記憶がとぎれたように時間がとんだことに、驚いてしまった。約5時間のフライトでカイロに到着した。あのでかい女性とアミル君が、出迎えてくれた。ところが、みんな寝不足もあり疲れきっていたため無口で、アミル君は少しひいてしまったようだ。
 ホテルのチェックインが終わると自由時間だったので、とりあえず、まずランチをしようということになり、ホテルの中の鉄板焼屋「札幌」へ行った。イカの鉄板焼と焼そばを注文するが、なかなか出てこない。やっと目の前で焼き始めたのはいいが、焼きながら指でナイフをクルクル回したり、コショウを背中の後ろに回したり、パフォーマンスが始まる。「そんなんせんでええから、はよしてくれっちゅうねん。」と日本語で突っ込んでしまった。おまけに、醤油をドバドバ使いすぎで味は異常に濃い。ひとり60ポンド(約2000円)。高い!

 余計な時間をとられて怒りながらも、考古学博物館へ行くことにする。ホテルでタクシーを頼もうと看板を見ていると、近くにいた現地の人が「これは高いよ。白と黒のタクシーを使いな。」と言うので値段を聞いてみた。往復と、待ち時間1時間込みで40ポンド(約1400円)。5人で割れば、超お得なので頼むことにした。身体はでっかいけど、かわいい顔をした運転手さんだった。

 博物館は、展示物も人も多く、サバンナから来た者にとっては、キツイものがあった。日本人観光客もたくさんいる。とりあえず押さえるべき、ツタンカーメンの黄金の像を見に行った。他にもミイラや、たくさんの棺などを見て、歩き疲れて、ホテルへ帰った。エジプトは、ケニアよりもずっと暑く、人も車も多く、それだけで疲れてしまう。ホテルに戻って、3段重ねのジェラートを食べた。うだるような暑さに、まいっていたので、おいしかった。
 そしておなかの調子もイマイチのため、夕食はルームサービスで済ませる。フルーツサラダとクロワッサンで,充分だった。疲れもそろそろピーク。明日はまた、20時間のフライトが待っている。はぁ〜…。

10月14日(火)
 とうとう、きてしまいました…。予想していたオナカをこわす日が…。ホテルで目覚めた時から、ツライ…。7時起きだしね。…が、いちおう朝食の混み混みレストランには行き、果物だけをがんばって食べた。あ〜、ツライ。8:30にホテルをチェックアウトした時には、またエージェントのあの名も知らぬ人が登場するが、またまた、あっという間にバスから降りて去って行ってしまった。ほんま、何しに来てんな。
 カイロの交通事情は、相変わらず今日もすごく、3車線に5台並んで走っている。ふと、横を走っているバスを見ると、ギューギューに人が乗っている。日本の
満員電車もビックリなほどだ。座席の前の足を下ろすところにまで、人が立っているようだ。それでもイスラムのケープみたいなものをまとった女性たちは、こちらを見て笑っていたりする。よく、わからん。朝のバスなので、彼女らはOLなのだろうか。
 ほどなく、空港に到着すると、そこでアミル君ともお別れだ。疲れのせいか、それともケニアのジョンさんに思いが残っているせいか、みんな恐ろしくアッサリと別れる。空港担当の係りの人は、いつもの巨大なお姉さんではなく、男の人だった。その彼が、出国カードをグリグリと読めない字で書いてくれたので(?)、出国審査もラックラクだ。ここの空港で久々に日本人の山を見た。しかも、圧倒的にオバちゃん。迫力だ…。
 カイロ空港は、免税店も酒・タバコ程度で、ご当地のおみやげは、いなかの駅の売店なみだが、そこでも日本のオバちゃん、
てんこ盛り。早々とゲートに入り疲れて椅子に座ってグッタリしている私たちとは、くらべものにならないほど元気いっぱい。そして飛行機の中では、機内販売のエジプトの壁画柄のエプロンを試着(!)したうえでの、大量購入。おかきはポリポリ回し食べ。すごい、すごい。
 一方、私は絶食状態…。機内食は食べる気がこれっぽっちもしないし、横になると気持ち悪くなるし、ツライ。これほどトイレがそばにあって、うれしかったことはない。
…が、そんなことは問答無用で、バンコクで降ろされ、マニラで降ろされ、機内ではトイレに通い、そうこうしているうちに成田が近づいた。

10月15日(水)
 やっと成田に着き、旅も終わりだ。入国審査も終わり、スーツケースを引き取るため、ターンテーブルのまわりで待っていると、黒い麻薬犬が登場しクンクン嗅ぎ回っている。さすが、マニラ経由のエジプト航空。でも、感じわるぅ〜。

 日本は、やはり人、人、人。ビル、ビル、ビル。ケニアのあの地平線、あの砂埃、あの広い空が、遠く感じる。自分は確かに、その景色の中にいたのに…。また、あの風に吹かれたいと、ケニアを思い出すたびに、考えてしまうだろう。この日本のちいさな景色の中で生まれ、そして育ったのに、あのケニアの空の下にいた自分と、どちらが自然な自分なのか、ふと、わからなくなる。でも、この狭い日本でも、忙しい日本でも、いつでも心の中では、ポレポレでいたいな。

 ジョンさん、サリムさん、モイガイさん、ツアーのみなさん、出会ったケニアの人たち、そして、ユキちゃん・・・、
アサンテ・サーナ!