BERLIN 2004 観光篇
2004年9月下旬のベルリン〜ウィーンの旅より
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ベルリン大聖堂 Berliner Dom (ホーエンツォルレン王家について知りたくてネット検索したが、よくわからなかった・・・) |
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大聖堂前広場(庭園?)の並木道 |
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旧博物館 天才建築家・シンケルの代表作。1830年完成のベルリ ン初の公共博物館。第二次世界大戦で破壊され、 |
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ペルガモンへ続く道ではアンティークマーケットが。 |
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ペルガモン博物館 ペルガモン王国は、紀元前2世紀頃に小アジアで栄え たギリシアの植民地国家(現在のトルコ・ペルガマ)。 そのペルガモンや、ギリシア、ローマの遺跡から発掘 された品々や復元したものを展示。 |
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フンボルト大学 1766年に皇太子ハインリッヒの宮殿として建てられ、 1810年に大学になった。(日本で言うと、まだ江戸時代!) ヘーゲルやグリム兄弟を輩出。 1887年頃には、森鴎外もここへ。 |
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ポツダム・プラッツのソニーセンターにある「リンデンブロイ」(ビアレストラン)でのドイツ料理。 写真奥が、有名なアイスバイン(塩漬けした豚の骨付きスネ肉を茹でたもの)、その左はザワークラウトの上にソーセージ、手前は、わかりにくいけどポテトのスープ。 |
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国立オペラ座 1743年に王室のオペラ劇場として誕生。市内にある3つの 国立歌劇場の中でも、一番格式が高いらしい。 (現在の建物は1995年の再建) 時間があれば、演目を見てみたかった。 |
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カイザー・ヴィルヘルム記念教会 1895年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を記念して 建造。1943年の空襲で焼け落ち、中心部を碑として 残している、平和を祈念する教会。 |
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ブランデンブルク門 1791年にプロイセン王国の凱旋門として建てられた。 ベルリンに壁のあった時代、死の境界線上にあったことから 東西ドイツ統一以降、ベルリンのシンボル。 ドイツのユーロ硬貨にも描かれている。 |
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門の上で、4頭立て騎馬に乗るのは、 勝利の女神・ビクトリア。 この門は、ベルリン・マラソンのゴール地点。 勝利の女神が、毎回、優勝者を迎えている。 |
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ハッケーシャー・ホーフの外観 カフェやショップ、ギャラリー、映画館などが入った、人気の スポット。流行発信地らしい。“ホーフ”の意味は中庭。現在 では中庭のある建物全体を指す。壁崩壊以前の旧東ドイツ 時代は、職人たちが集まって住んでいた。 |
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ハッケーシャー・ホーフの中庭 モザイクで飾られていて、きれい。右下の部分が通路になっていて、さらに奥へ、奥へと続く。左のほうは、カフェ。日本でも人気のトリッペンも店を出している。 |
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旧東ドイツ地区の歩行者用信号のマークは、かわいい。 写真ではわかりにくいけど、青は、帽子をかぶった太短い 人が歩く絵。アンペルマンと呼ばれ、グッズが人気。 お店は、ハッケンシャー・ホーフの中にある。 |
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旧東ドイツ地区には、こんなトラムが走っている。 |
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ベルリンの壁 写真で見ると、そんなに高く見えないけど、本物は高い。 とても上れない。大戦後、ドイツは東西に分けられ、ベルリン は、英米仏露の分割統治に。1961年にソ連統治下の東ドイ ツが東西ベルリンの境界線を封鎖して以来、こんな壁が 延々と155kmも、街中に張り巡らされていた。1989年11月 9日に壁が崩壊するシーンはニュースで有名。敗戦国・日本 も、東西に分けられていたら、どうなったんだろう・・・。 右上の写真は、トポグラフィー・オブ・テラー。大戦中SS本部 として使われていた地下室の壁部分に、当時の写真や資料 をパネル展示している。 |
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カフェ・ウィンターガルテン クーダムにある、静かな、雰囲気のいいカフェ。 写真は、手前がパンプキンスープ(なぜか生姜味)、奥がツナサンド、右がバームクーヘン・モカ(バームクーヘンにモカ・クリームを挟んだケーキ。甘い。)、泡立っているのは、カフェラテ。 |
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ラビーン 100年以上前の創業当時からのレシピで作り続ける、 バウムクーヘンの店。1m13層になるまで直火でじっく り焼き上げる。できあがるのを待って、写真のように包 んでもらって(かさばる!)、日本まで買って帰ったは いいが、やはり、ぶつけたせいか、温度のせいか、周 りのお砂糖はかなり溶けていた。でも、おいしかった。 |