私の17才のころ
貧乏でも 憲法、平和、人権を考える大人たちがいた 西 脇 健 三 最近、何やかやと17才が注目を集めているようだ。
早熟であった私は、17才の時(1960年)大学生達に混じって、大阪の御堂筋の真中を、両手を拡げ、フランス・デモをしながら、「安保反対、民主主義を守れ!」と叫んでいた。
私が好んで生れたわけではではないが、私は貧しい家庭で育った。 そんな環境が、私を早熟にさせ、世の中の矛盾をいち早く感じとらせてくれたのだと思う。(順調に育った同年齢の田宮高麿や森某は、10数年遅れて、ハイジャク、連合赤軍事件を引き起こすのだから。) 先日の神戸新聞(正平調)に、阪神・淡路大震災は(中略)国は「個人資産に公的な援助はできない」の一点張りだった。先の鳥取西部地震では、知事のツルの一声で、(中略)この社会は、危急存亡のときでさえ「公平」「不公平」の意識がつきまとう。(中略)一面の真理をついてはいても、弱者には詭弁にしか聞こえない強者の論理だ◆弱者になって初めて見えることがある。その視点に立てば、難題の結論が、おのずと見えてくる。被災者の一人としての確信だ。との主張が掲載されていた。 世の中の秀才たちも、「経験を積み重ねれば弱者の痛みが理解できるものなのだ。」と感服した。 17才を迎える日まで、唯ひたすらによい学校に入ることを強いられて来た若者の目には、汚れた大人たちの狡くて、欲望に満ち溢れた姿のみが、強烈に印象づけられてきたことだろう。 「金(権)力にまかせても勝てば良い。」という読売巨人軍や政治をもてあそぶ政治屋たちの真摯な反省がないかぎり、若者たちが救われることはないだろう。 私の17才の頃には、私の周囲には、貧乏でも、真面目に「憲法」「平和」「人権」について考える大人たちがいた。 21世紀は、どうなることでしょうか。