菅野博さんと話し合って、日本国憲法が危機的な状況になっているので、「ビデオを見て憲法を話し合う会」をやろうと言い出した西脇健三です。

 加古川市役所の南で司法書士をしています。

 私が司法書士を始めた1970年初めころには、司法書士がどんな仕事をするのかも、あまり理解されていなくて、私の同業の友人の小学生低学年の子供が、学校で「親の仕事を教えてください。」との問に答えて、「しほうしょし」と書いたら、若くて可愛い女教師が「しょうぼうし」と訂正してくれたという笑い話があります。(実話です)

 最近では、土地・建物を取得する人も多くなり、仕事の範囲も広がって、多重債務の整理や簡易裁判所での代理人になることも出来るようになり、「代書屋さん」と呼ばれることは少なくなり、それなりに活躍させて頂いております。

 

 私と日本国憲法との出会いは、中学3年の期末試験の際に、試験問題の予告があり、「日本国憲法の前文を全文書きなさい」とのことでありました。

 当時の私は、真面目な秀才でありましたから、全文暗記してきっちりと書きました。そのころ私の通っていた中学校は荒れていまして、同和教育に詳しい人ならご存じかもしれませんが、同和教育の「さきがけ」のような事が実践されていまして、1クラス50人の学級が差別とその結果としての貧困から実質40人のクラスになるような実情がありました。山の手の秀才君たちがボカスカと殴打されるという日常がありました。私は貧乏の中で育ちましたから、なぜ秀才君達が殴打されるのか、それなりに理解することができました。彼らは無意識のうちにしろ「差別」をしているのです。そんな中、私のボディガードをかって出てきた級友がおりまして、「お前も狙われる立場にあるのだから、俺が守ってやる。」と。その彼は、映画「少年時代」のガキ大将武君のように「チエーン」を身につけ武装しておりました。私としては、武装した少年に守られるのは不本意ではありましたが、ご厚意に甘んじているという面も無かったとは言えません。

 その彼が答案用紙に、「先生、日本国憲法は嘘ばかり書いている。差別はあるし(24条)、文化的な最低限度の生活も保障されていない(25条)、教育を受ける権利もない(26条)、おまけに軍隊まである(9条)。」と書いた。

 答案を採点して、返却するときに、先生は「正確に書いてある答案もあったが、以上の答案があった。身をもって憲法を理解している優れたものであると思う。」と言いながら返却した。

 その後の私の生き方は、その頃のその様な環境での教育を経験できたことによるものに大きく影響されているものと思います。 

軍隊は国民を守るのか、守れるのかを考えているいるときに、次のような一文に出会いました。

 司馬遼太郎は「街道を行く6」でこんな体験を披露している。太平洋戦争末期、司馬は栃木の戦車連隊にいた。敵が関東に上陸したとき、軍隊は南に驀進しなければならない。

しかし、沿岸の住民は一挙に北上してくるだろう。そのときの交通整理はどうするのか。これを疑問に思った司馬は「大本営からきた人」に尋ねた。答えは「轢っ殺してゆけ」だった。司馬は軍隊が自国の住民を守るものではないことに気づいたという。

 大江健三郎さんの講演に出てくる沖縄も、ひめゆり部隊の話も、同じ底流をもつものではないかと考えている。

 

 さて、戦後60年経った今、自由や人権、民主主義の光に影がさす時代になってきておりますが、まだ国民の3割は民主主義者です。国家主義的な保守勢力に同調しているのは4割ほどでしょうか。残りの3割が揺れている国民層ですね。

 この残りの3割の方々を取りこぼすことなく確保していかなければ、憲法は「改悪」されてしまうでしょう。

 共産党と社民党と新社会党が協力しただけでは憲法を守る勢力には不足しているわけです。お隣のおっちゃん、おばちゃん。お向かいの兄ちゃん姉ちゃんにも「憲法」のことを話しかけて、協力してもらわなければ「憲法」は守れないのです。

 そういうことで、「ビデオを見て憲法を話し合う会」をやろうと菅野博さんに呼びかけた訳でありまして、拙速に「9条の会」を立ち上げて、それでおしまいではなく、どうすれば国民投票で「過半数」が取れるのか、そのためには何をしなければならないのかをシツッコク話し合っていきたいと思います。

 私たちは、自分の方で壁を作って「この人は誘っても駄目だろう」とかの先入観をもっている場合が多い。先日、私の眼前で、私の友人が隣の同僚に「今日の会合に参加しませんか」と、誘っていた。案の定、「徴兵制にでもなれば、若い子達も、もう少しシャンとすると思う。」等と拒絶されていましたが、こうした相手をえらばない語りかけが9条を維持する大きな力になるのではないかと考えます。

 今日は7月30日に東京の有明コロシアムと言うところで約1万人程の人が集まった9条の会有明講演会のビデオから鶴見俊輔さんのおはなしをきいてみようと思います。最後の方で気になる発言をされていますがこれは勝ち負けばかりにこだわらず、負けた場合でもその日本の国の現状を世界の歴史にさらす勇気を考えて欲しいという。私ら負けたときのことがあるとは考えてないのですが。テープを聴いて考えてみたいと思います。