憲法9条は、占領中の米国におしつけられたものではない

「不戦条約」からの歴史を学ぼう

 私は、1943年8月27日生まれです。

 1943年は、歴史の年表によると、学徒動員が始まった年、「撃ちてしやまん」の決戦標語ができて、山本五十六長官が戦死した年であるらしい。

 そのようなことは、生まれたばかりの私には、知るよしもないことである。

 長屋の入口で、近所の人々と日の丸の旗に囲まれて、軍服姿の父と、母に抱かれた赤ちゃんの写った一枚の写真がある。その可愛い赤ちゃんが私であるとのこと。

 後に聞いた話では、この日に父は、家族のもとを離れて、戦場へ出かけて行ったそうです。

 その後の私は、母・兄たちと共に母方の祖父に引き取られ、福井県遠敷郡熊川村(最近は熊川宿として売り出し中)という県境の寒村で育ったらしい。

 食べ盛り、憎まれ盛りの兄たちとはちがって、この上なく祖父に可愛がられて育ったらしく、憎まれ盛りの兄たちの羨望の的であったという。

 その祖父は、画家を志してフランスへ留学した弟の影響もあってか、開明的な視野があって、日中戦争が始まるや、「都会に居ては、食料も足りなくなる。」

といって、戦勝気分に浮かれる大阪を引き払って、生まれ故郷の熊川村へ帰ってしまったそうです。

 以上は、後日になって、聞いた話であるから真偽の程は判りません。

 ところで、私事は暫く置くとして、私の生まれる丁度15年前の1928年8月27日に仏蘭西共和国は巴里の街で素晴らしいものが作成されていたことを見つけました(私の知識不足であっただけですが)。

 その名は、「戦争抛棄ニ関スル条約」(通称 不戦条約)といいます.

 条文をそのまま紹介します。

第1条 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係

 ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名

 ニ於テ厳粛ニ宣言ス

第2条 締約国ハ相互間ニ起ルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又

 ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコ

 トヲ約ス

(以下省略)

 この条約は、昭和4年7月25日条約第1号として昭和4年7月24日に大日本帝国憲法下の日本国に於いて発効しております。但し、この条約が国内で発効するについては、次のような「宣言」がついております.

   宣 言

 帝国政府ハ1928年8月27日巴里ニ於テ署名セラレタル戦争抛棄ニ関スル条約第1条中ノ「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」ナル字句ハ帝国憲法条章ヨリ観テ日本国ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス

 この条約の締結に奔走した人の中に幣原喜重郎という人がいたそうです。

 昭和21年11月3日に公布された「日本国憲法」の署名欄を見てください.内閣総理大臣 外務大臣 吉田茂 の次に 国務大臣 男爵 幣原喜重郎の署名があります。

   日本国憲法

第9条 [戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認]@ 日本国民は、正義と秩序

 を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による

 威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放

 棄する。

A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 以上の2つを比べてみると、日本国憲法は18年間に亘る苦難の歴史を踏まえ、人類の平和への期待を発展的に前進させたものと言えるでしょう。

 幣原喜重郎さん個人にとっても、日本国民及び人類にとっても、素晴らしい進歩というべきではないでしょうか?

 歴史的に、冷静に判断すれば、日本国憲法は、占領中の米国に押し付けられたものでないことはあきらかでしょう。

 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言」したのは、前記不戦条約に付された「宣言」を、国民の名に於いて廃棄したものと考えますが、如何でしょうか。

 最近、何方かが流行らせた流行語に「罪を憎んで人を憎まず」というのがある。誰もが一度は聞いたことのある言葉でありましょうが、これは、過って罪を犯してしまった人が、反省し更生しようと努力をしている姿に対して、被害者や世間が、「あなたの犯した罪は憎いが、更正しようと努力しているあなたは許しましょう。引き続き努力を継続して下さい。」と励まし、更生への努力を妨げてはならないとする意味の法諺であって、加害者或いは加害者の側にいる人が使ったのでは、「開き直り」というほかはなく、あのような人を総理大臣にしているのは、国際的にも恥ずかしいことではないのでしょうか。

 最近、この国では、憲法を踏みにじりながら「改正」を叫ぶ国会議員やありもしない「置石」のせいにしたかったJR西日本の経営者といわれる人たちのように、加害者でありながら被害者に成り代わろうとする姿が余りにも目立ちすぎるのではないでしょうか。

 

                           西 脇 健 三