元禄時代に綱吉は国家鎮護のため、文京区湯島に霊雲寺を創建しました。柳沢吉保の庇護の下、河内長野延命寺の浄厳が招かれて初代開祖となりました。
浄厳の死後、弟子の連体(のちに河内長野の地蔵寺の住職となる)が二代目継承を断り、彼方出身の慧光が二代目となりました。
この慧光(恵光の漢字になっている場合もある)さんが後に東大寺長老となり、東大寺の戒壇院を再建、大和尚(だいわじょう)と尊敬されました。
出身地の彼方でも蓮花心寺の住職となり、隆盛を極めたようです。お墓も霊雲寺、東大寺勧学院、彼方と3つもあります。
白山権現は春日神社に合祀されている
全身座像掛け軸の部分
東京文京区湯島にある妙極院の境内
慧光大和尚の三つのお墓
「當山妙法律中興大和尚慧光長老」は他のお墓の銘と一致する
霊雲寺六代目極妙和尚のお墓も蓮花心寺三世としてここにあります
彼方のお墓にお参り
東大寺戒壇院横と瀧谷不動尊境内にある宝篋印塔
「享保第十七年ーーー長老慧光謹誌」の銘が入っている
戒壇院でボヤを出したときにお位牌も少し焦がしたらしい
蓮花心寺の宝物や宝篋印塔などは後に滝谷不動尊に渡っています