江戸時代に彼方嶽山のふもとに蓮花心寺(れんげしんじ)というお寺がありましたが、廃仏毀釈で廃寺となり、今はただのミカン山でお墓のみ残っています。


元禄時代に綱吉は国家鎮護のため、文京区湯島に霊雲寺を創建しました。柳沢吉保の庇護の下、河内長野延命寺の浄厳が招かれて初代開祖となりました。 浄厳の死後、弟子の連体(のちに河内長野の地蔵寺の住職となる)が二代目継承を断り、彼方出身の慧光が二代目となりました。
この慧光(恵光の漢字になっている場合もある)さんが後に東大寺長老となり、東大寺の戒壇院を再建、大和尚(だいわじょう)と尊敬されました。
出身地の彼方でも蓮花心寺の住職となり、隆盛を極めたようです。お墓も霊雲寺、東大寺勧学院、彼方と3つもあります。


蓮花心寺の絵図

白山権現は春日神社に合祀されている

写真:絵図
今はお墓が残るのみ

慧光大和尚の肖像画

全身座像掛け軸の部分

写真:肖像画
霊雲寺では龍の絵柄を今も使っている

霊雲寺妙極院のお墓

東京文京区湯島にある妙極院の境内

写真:妙法院のお墓
「霊雲第二世慧光大和尚」の銘がある

慧光大和尚の三つのお墓


東大寺勧学院境内のお墓

「當山妙法律中興大和尚慧光長老」は他のお墓の銘と一致する

写真:東大寺勧学院
享保一九年(1734)11月4日示寂

彼方のお墓當寺中興慧光大和尚

霊雲寺六代目極妙和尚のお墓も蓮花心寺三世としてここにあります

写真:彼方のお墓
享保一九年甲寅11月4日子刻掩化

数年前に東京の霊雲寺の管長はじめ幹部一行が来訪

彼方のお墓にお参り

写真:霊雲寺
お墓の前で読経、供養をしました

東大寺戒壇院横と瀧谷不動尊境内にある宝篋印塔


東大寺戒壇院と宝篋印塔

「享保第十七年ーーー長老慧光謹誌」の銘が入っている

写真:東大寺戒壇院
享保第十七年は亡くなる2年前で、この時に完成したことがわかる

東大寺にあるお位牌

戒壇院でボヤを出したときにお位牌も少し焦がしたらしい

写真:お位牌
お墓と同じく「當山妙法律中興大和尚慧光長老」と書いてある

瀧谷不動尊境内の宝篋印塔

蓮花心寺の宝物や宝篋印塔などは後に滝谷不動尊に渡っています

瀧谷不動尊境内
「河南錦部郡彼方邑妙法山蓮華心寺」の銘が入っている