古代の大王眠る古墳群
允恭天皇は仁徳天皇の子供で、5世紀後半に築造された前方後円墳
5世紀後半に築造された長持山古墳から出土の石棺
境内の真ん中、鳥居と本殿の間に踏切がある
下の写真と内容説明
古市古墳群では応神天皇陵古墳に次ぐ大きさの前方後円墳で、4世後半の築造
3ッ並んだ古墳で、そのうち真ん中の古墳はすでに開発されマンションになっている
放生橋を渡って応神天皇陵へと向かう(タイトルの画像が正面)この石橋を渡ると、古墳の横へ入る
権田八幡宮と応神天皇陵古墳
権田八幡宮はもともと応神天皇陵をお守りする神社であったが、のちに八幡宮になったという
本殿は慶長11年(1606)豊臣秀頼が再建させたものだが、大坂の役で放置され、家光が竣工させたもの
戦に敗れ命を落とした人々を弔って、生き物を放してお参りしたという。放生祭りは今でも最大規模になる