平野郷
平野郷は坂上田村麻呂の子広野麻呂が開発した。「ひろの」が転訛したという。
中世以降は自治都市として環濠を形成して自衛したが、大阪の陣で焼失した。
江戸時代には家康の命により、2重の濠で囲み碁盤目状に区画されたという。
平野郷には出入り口があり、出入りには地蔵尊に一身の加護を祈ったという。

平野の街に入る 北口地蔵 平野の黄金水
青物市場跡と安藤正次墓 全興寺の境内 興寺内のステンドグラス
平野町ぐるみ博物館 平野環濠跡 市内最大の木造、大念仏寺
大念仏寺の幽霊画(1) 大念仏寺の幽霊画(2) 杭全神社