はじめに 大和路との出会い

大和路を歩く。何と気持ち良く、心が爽快になることか・・・・・・。
明日香・斑鳩・西ノ京・葛城古道・山辺の道・宇陀・室生・奈良の都、これ等は日本人の故郷、何かしら郷愁を感じる響きがある。
大和路の中心、明日香が曲がりなりにも保存され、日本の原風景を保ち得ている原点には、実は「脉診流鍼灸師」の存在が大変に大きい。その人の名は、大阪で鍼灸治療院を開業されていた御井敬三氏である。御井氏は、残念ながらすでに亡くなられ、現在は息子さんが後を継いでおられる。
御井さんは、全盲の身でありながら大和路の風土をこよなく愛していた。特に、明日香の風土に魅せられていた。週末には、必ず奥様と二人で明日香の地を逍遥されるお二人の姿が見られたと言われている。お二人は、とうとう明日香の農家を手に入れられ、月の半ばを過ごされるまでになられた。御井さんは、明日香栢森に飛鳥村塾を創立し、貴重な日本人の文化遺産である飛鳥保存に心血を注がれたのである。
しかし、時代の激変により日本列島改造の嵐が明日香の地にまで侵襲してきた。このままでは、日本人の故郷である明日香の風土は消え去るかも知れない。そんな危険が大であった。御井さんは、大変深刻に悩んでおられた。何とかしなければ、明日香の風土が消えてしまう。何とかしなければならない・・・・・・。
当時、御井さんの治療院に松下幸之助さんがよく来院されていた。御井さんは、思い切って松下さんに「明日香の風土」の現状を訴えました。切々と話される御井さんの熱情に、松下さんは大変に感銘され、「先生の明日香にかける熱情は良くわかりました。東京で総理に会う機会があるから、先生の明日香に掛けた思いを20分のテープに録音して下さい。私が必ず総理にお渡ししましょう」と約束してくれた。                                                                 
当時の佐藤首相は、この御井さんのテープを聞き、大変な感銘と日本人としての精神的遺産損失の危機感を感じたようです。このテープが出発点となり、一国の総理がはじめて明日香の地を訪問され、あの「歴史的風土保存法」の成立が成ったのである。
一人の鍼灸師が抱いた熱い思いが、一国の総理を動かし、天皇までも1200年の年月を超えて明日香にお迎えする事が出来たのである。これは素晴らしいことである。
しかし,御井さんは「歴史的風土保存法」の成立を知る事なく、1971年8月に心臓発作にて53歳の生涯を閉じられた。大変に、本人自身も残念であった事であろう。
私は、この様な事実を知り大変に感動した。その後、毎月のように大和路・明日香などに足を運ぶようになったのである。大和路・明日香は、私にとり心の故郷となった。

 この古道は想いが深き秋の空