難経の疾病観と虚実観

(漢方苞徳塾塾長)八木素萌

.はじめに

 僕らが病人を診る時には、見たり触ったり音声を聞いたり匂いをかいだり脉を診たりして病気を判断しますが、そういう身体の表面の色や形や声の変化や触った感じの形や温度の変化などに身体の中の情報が全部表現されているというのが、漢法医学の思想だと思います。日本の江戸期の湯液家たちが「病は体表に顕わるる」などという言い方をしているのも同じ事でしょう。前回もお話させていただいたのですが、この身体の表面に出ている病気の反応は一つの平面ではなくて何層にもなっている、この層の全体から情報を汲み取り解釈して、この病気の病因・病臓・変動経・病態と同時に、その病気が表に出るきっかけは何だったのか把握した上で、治療をどうするのか組み立てる、これが治療家の仕事であると思うわけです。

 在来日本の古典治療は脉診主導主義で、四診を総合して判断するのだといいながらもどうしても脉診の結果に引きずられるという傾向があります。しかし今いったように脉診を身体の表面に出ている病気の反応の一つとして考えると、結局治療する時にはどうするのか、最終的に何によって判断すればいいのか。『難経』でそれを書いてあるところは実は一つではないと思うのです。たとえば、一難では死生吉凶を決する診察法の非常に大事なものが脉診だと言っておいて、八一難では脉の結果で治療すると失敗するから病そのものの虚実を見て治療しなさいという事を言っている。これは非常に大切な事だという感じがするのですね。

2.『難経』を裏読みする!
『難経』という本はいわばぷつんぷつんと結論だけ書いていて、ダブった記述がないので、関連した本を読まないわけにいかないし、裏読みもしないと解り難い面があります。 たとえば『難経』の脉論のうち十八難は…四段にわけて読まなければならなと僕は思っているのですが…第一段が三陰三陽の寸関尺・六部への配当を、第二段が上中下の三焦の意味を、第三段はちょっと飛ばして第四段は慢性痼疾と積聚の脉と病の関係についてをそれぞれ述べています。この中で、第一段の六部への皆さんご存知の配当は、王叔和の『脈経』のなかにあるものですが、彼は別の解釈も書き残しており、当然当代の学者たちの間でも議論があったところです。

 それにもかかわらずこの解釈が結局ずっと引き継がれてきたという事の裏には、第二段の記述があると思うのです。上焦中焦下焦を脉の寸関尺・浮中沈で診るのだというこの事に関する限りは、どんな専門家も医者も意見が一致しているのです。

 このように、寸口あるいは気口の脉診部位だけで、全身の三部の情報が取れるのだとしたのはまさに『難経』の独壇場で、他の難を見ても、脉の強弱、長短、浮沈、深さ、何処に一番変な脉があるか、など実に多面的に脉を診ようとしています。ですからこれを省略して、左右寸関尺の六ヶ所の脉だけを比較対照して判断するということは…経絡治療創始期に脉診を簡単に教えるためにこうしたのだという事を岡部素明先生が最近書いておられますが…これは『難経』の本来の脉診を一部分だけ取り出してそれがすべてだというようなもので、どうかすればうそを言った事になる場合も結果としてはあるので…。それに似たような欠点が現行の脉診論にはあると認めなければならないのではないでしょうか。

 また、四難での脉の陰陽を論じている部分で、いわゆる陽乗の脉と陰乗の脉、陽の意味を持った脉状と陰の意味を持った脉状が混ざり合っている時、その混ざり合っている事についての意味をどう解釈するか、それはどういう性質の病なのか、具体的な解釈は『難経』には書いていません。これについては、金元四大家の一人である張元素の『薬註難経』、完全に失われたといわれていたのが最近になって発見されてオリエント出版から出版されましたが、これに実にわかりやすく解釈されています(注参照)。あとは、今度脉を診る時に張元素が言っているような事で良いか悪いか追試してみればよいわけです。

 わかりにくいのは脉の問題だけではなく、たとえば十難では膀胱の邪が小腸を冒しているなどという表現があります。臓腑の名前がついた邪が別の臓腑を冒しているというのも、わかる気もするがわからないといえばまったくわからない。しかしこれも、七難、三七難、それから後から述べますが四九難を照らし合せると、『難経』の病因論が見えてくる。このように、わかりにくいところは、ただ単に照らし合わせるだけではなくてちょっと突っ込んで考えてみるとか裏読みするとかせざるを得ないなあと感じます。

3、『難経』は瀉法中心?!
ひとくちに『難経』の疾病観と申しましても、やはり裏読みが必要になってきます。 たとえば七二難では、"鍼灸治療の眼目は陰陽気血の流通を良くして調和を図る事だ"という意味の事をいっています。病気というのは陰陽気血の調和交流がうまくいかなくなって、しかも何らかの原因で経絡の、主に流れと表現される働きが狂っているのだという、このいわば根本原則にも、やはり裏読みが必要なのではないかと僕は思っているのです。

 ここで申し上げたいのが、第二十回の日本経絡学会で石田秀実先生が講演なさった内容なのですが、一口で言えば『素問』『霊枢』の治療法は瀉法だという事なのです。瀉法なのだという事をはっきりいって、色々と論証しておられます。

 『難経』を理解するためには、絶えず『素問』『霊枢』をいろいろな角度から引っ張り出しては参照して、更には『傷寒論』から清代の本まで読まなければならない。解釈が決まっていなかった部分で後代になってぽろっと臨床家が解釈を、しかもきわめて納得できるものを提出してくれている事があるのです。『難経』という本は厄介ですが、それだけに臨床的な意味での影響はとても大きいのですね。後代の各時代の代表的な医学書を読むと、それが直接『難経』の注釈書というわけではなくても、『難経』の解釈や注釈に関する部分が必ず数箇所は含まれている。本当はこれを全部拾い出してから『難経』の解釈をしなくてはならないわけです。ですから、学者先生には本当のところはわからない。頑固な臨床家魂を持つ人が、固定観念にとらわれずに素直に臨床家の目で、当時の著者自身が何を言いたくてこういう書き方をしているのかという事を考えながら読まなければならないと思うのです。私自身の体験からも、謎が一つ解ける毎に治療時間が短くなったり治療範囲が広くなったりした事は事実です。

 そういう想いで読み返すと、病気も実にさまざまな角度から論じられています。実は『難経』は病気について、症状にも脉にも「虚実」という言葉を直接は使っていないのです。直接使っているのは、三虚三実のところ、それから補瀉を決めるにはどうしたらいいかと言う最後のほうだけで、後は虚実という言葉を使わず具体的にぽつんぽつんと書いているだけなのです。で、その記述が虚なのか実なのか考えながら読んで気づくのは、『難経』は、虚の病気について書いている事はきわめて少ないというだけでなくまた極めて抽象的であり、具体的にわかりやすく書いているところは、『難経』風の虚実判断のものさしでみると、やはり実の病気であるということです。日本の常識として虚実をいう場合には、病気をしているという事は精気が虚している、病気している蔵の事を虚と表現するのが普通ですよね。しかしそれは、『難経』の虚実観とは異なっているという事になってしまう。

 この点は、中国でいう虚実の考え方と、日本での今いったような虚実の考え方との間に大きな差があるのはなぜかと言う問題に関連してきます。たとえば、肺が悪くて痰がいっぱい詰まって胸苦しく息がゼイゼイするしどうかすると心臓までアップアップするという状態を、中国では肺の実ととります。これに対して日本では、それは肺が虚しているからそうなるのだと解釈する。これは虚実と言う概念のものさしが、中国と日本では違う、あるいは『難経』と今の日本とは違うという事なのです。どちらが良い悪いではなく、客観的な事実として両者が違うのだと言う事はやはり指摘しておかなければなりません。

  『素問・通評虚実論』に、「邪気盛んなるときは則ち実し、精気奪はるときは則ち虚するなり」という記述があります。他にも似たような記述は何個所もありますが、そういうものさしでいうと、病気というのは、邪の角度からいえば激しいか弱いかの差はあってもそれに関わりなく実の状態であり、正気の角度からいえば虚の状態である。正気の角度から虚と診るのか、邪気の角度から診て実、それも激しい実と診るのか柔らかく弱い実と診るのか、という異なる診方があるわけです。ここで気になる事が、『素問』『霊枢』も『難経』も『傷寒論』もそうなのですが、「虚実」という言い方よりも、「太過不及」という言い方のほうが多いのです。

 更に『素問』『霊枢』のいくつもの篇で、病気についての記述に「過は〜に在り」とある。過は太過の過、〜の所には必ず経絡の名前が出てきます。つまりそれは、石田秀実先生ではないですが、そこを寫せということなのですね。「過は〜に在り、〜に取れ」とか「穴を取れ、穴をとった後に整えよ」とかそういう書き方の「太過不及」に関する篇が、その部分だけで表を作りたいくらい、相当数あるのです。これもちょっと耳障りな内容だと思いますけれども、それが事実ですからやはりご紹介しておかなければと思うわけです。

4、虚実の判断と補瀉の選択
四八難の「三虚三実論」と『霊枢・根結篇』
そういう目で『難経』をもう一度読み直して、虚実の解釈が難しい時におおざっぱな判断のものさしになるのが、四八難の三虚三実「脉の虚実、病の虚実、診の虚実」に関する記述(表1)です。まず脉の虚実ですが、「脉の拍動がべったりと力なく柔弱なのは虚であるが、緊張して牢固であるものは実である」と述べています。文字解釈論では「濡」とは、動物の産毛が雨に濡れてぺたっと皮膚に張り付いている状態、「牢」とは牛小屋に牛を入れて縛り付けて動けなくしている身動きの取れない状態を表しています。

 それから病の虚実では「中から出てきた病=内傷病は虚、外から入ってきた病=外感病は実」「あれこれと言うものは虚、言わないものは実」「症状や病態の変化が緩やかなものは虚、急で激しいものは実」。

 診の虚実とは主に触診・切経の事ですが、これも「濡が虚で牢が実」「かゆいのが虚、痛いのが実」となっています。
このように「脉」「病」「診」の三者それぞれが別のものさしになっている事がわかります。次元が違うものであり、イコールでないのは当たり前、裏返せばイコールの時はほっといても治ると一三難にも書いてありますね。病証と脉象に矛盾があるのが病で、矛盾の性質が相生的なのか相剋的なのかで予後を占えとあるわけですから。

 ですから臨床に際して具体的に補瀉を決定する時に、どのものさしで判断するのがより効果的なのか考えると、八一に「補瀉は脉に従うのではなく病そのものに拠れ」というのですから、三つのものさしの内、病の虚実で補瀉を決めるのが難経的であると私は考えています。

 この四八難に関連したものに『霊枢・根結篇』の記述があります。これを又、元代の汪機が『鍼灸問対』で非常にわかりやすく注釈してくれていて、それを表にしたのが表2(略)です。これが補瀉選択基準として非常に大事であると体験的にも思っています。ここでは病人を、「形気の虚実(有余・不足)」と「病気の虚実(有余・不足)」で四つに分けています。形気の有余不足というのは、汪機によると心肺機能と筋骨がしっかりしているかどうかという事です。

 ◇「形気有余・病気有余」病人の身体はがっちりして抗病力も強いし、病気の毒も激しいというときは、「急ぎその邪を瀉しその虚実 を調えよ」
◇「形気有余・病気不足」病人の身体はしっかりしていて、病気の毒は弱いという時、「急ぎ之を補せ」
◇「形気不足・病気有余」、病人の身体は非常に弱々しいけれども病気の毒が激しい時、これはただ「急ぎこれを瀉せ」
◇「形気不足・病気不足」この場合には「刺すべからず」。甘薬というのは補の力が強い、これを使うかもしくは気海に灸。

 これで、先ほどの虚実判断に基づいて、補法中心か、瀉法中心か、瀉してから補すのか決めるのが良い、というのが現在私のやっている事です。

 実際の治療の時は、初心者ほど、ここがこっている、ここがふにゃふにゃだと片っ端から鍼をしたりお灸をしたりしますよね。学校でそう習って、そのとおりしてもその虚や実の反応が消えないから尚更一生懸命何とかしようとがんばって、それでうまくいく事もあれば、やりすぎてその後患者さんの調子が悪いという事も起こる。『難経』の論理構造からいえば、そういう事を防ぐために、虚実の判断をして経絡を使えという事であり、触診の判断を中心に補瀉を決めるという事にはならないと思うのです。

 先日伝統鍼灸学会の会報三四号に『病症から証へ』というシンポジウムが出ていて、あれを読んでもわかる事は、当代一流の先生方が皆、触診ではなく病気の判断によって使用する経絡と経穴を決定しているということです。むしろこのことを広く伝えなければならないのではないか。

 私自身も局所を触った感じの、所謂触診の虚実をその部分への補瀉を選択する基準にはしないで、病気そのものの太過不及の判断で決める、経絡や経穴を使う時も、全体を表現している部分だけを触って変動経を決める、他のところは触った感じで虚のところも実のところもあるけれども、それを基準に補瀉を決めるのではなく、あくまで「病の虚実にしたがって補瀉する」立場を貫く事が重要である、と考えるようになってきています。どうも病というのは先ほども触れました『素問・通評虚実論』の虚実の判断、病態論で言う太過不及の判断で治療原則を決めるのが正しいのではないかと考えているのです。

 そういう意味で、僕自身は中医学とは違うと思っているのですが、つい中医学に近い言い方をしている事があります。つまり、素直に実なら瀉、虚なら補、とすれば、ここに病気があるからそれは精気の虚だから補す、という考え方か、病気は邪実だから瀉す、という考え方か、どちらでやるのかという問題になるのです。

 ごく最近の具体的な例なのですが、アトピー性皮膚炎で関節が発赤してかゆくてという人が来ました。ちょうど冬至の三日後、季節の三陰三陽でいうと少陰の時期でした。最初は少陰を使わず、皮膚が赤くなってかゆいのですから肺経で魚際を瀉して、心包経で井穴と・穴を瀉したら赤味がきれいに消えました。良かったなと思って、ただかさかさに乾いていますから水気を足してやろうと、復留と陰谷を補したら、とたんにまた赤くなってかゆがりだしたのです。これは、少陰の季節の真っ最中に少陰を補っても水を足す事にならなかったのですね。逆に冷えのために経絡の働きが落ちてアトピー症状が悪化したと解釈すべきであると考え、急遽湧泉をぱっと瀉しました。そうしたら見る間に退いてしまった。季節の特徴的な気と臓腑経絡と病証の関係を見事に表現してくれた例でした。

 これを見学していた東洋鍼灸の学生が、「腎を瀉すとは何事ですか」と言うのですね。で、そう思うのは当然だが、経絡としての腎と先天の原気としての腎とは何処でどのくらいつながっていてどのくらいレベルが違うのか、もし僕のやる事が間違っているなら『素問』『霊枢』が間違っている、嘘だと思うなら原文読んでくれって言ったのです。本当に腎経も肺経もいっぱい瀉しています、瀉血までしている。

 これがなぜ今日本で行われていないのかというと、裏話があって、要するに、初心者に陰経を瀉させると事故が起きると大きいから、そんなことをしないでも悪くしなければそのうち患者さんは治ってくれるから、というのであまりさせなかったのですね。たとえば禁鍼穴や禁灸穴も、場合によればすごい効き方をするツボですよね。これも、よく判断も出来ないでむやみに使うと危ないから、ということのようです。

 話が横道にそれましたが、つまりそういう虚実の表現、病気の捉え方で、かなり中国と日本とは違っていると思うのです。この病の虚実と治療の補瀉の関係を表現する仕方を考え直した方がいいのではないかというのが最近の私の持論です。

5、中医学についての私論
中国人のいう「中医学」には、実際には三通りあります。一つには、中国人にとっては自分たちがやっているから中医学なのであって、だから中身は西洋医学でも中医学と言っている場合があるのですね。それからもう一つに「中西医結合」という言葉があります。つまり、西洋医学と中国医学を合体して新しい一つの医学を作ろうと国家政策でやっている。この国家政策は今変更されつつあるのですが、この人たちも中西医結合を決して良いとは言わず、自分たちがやっているのは中医学だと言います。又三つ目に、本当に伝統を踏まえた医学をやっている人たちももちろん中医学と言うわけです。これらがみんな「中医学」としてごちゃごちゃになって日本に入って来ているのですね。

 文化大革命以前、清代から引き継いで来た伝統的な中国医学を最もきちんと整理して書いてくれているのは秦伯未という方が書いた『中医入門』です(翻訳が二種類出ているのですが、誤訳が多い。それでも基本的なことはわかりますから役に立つ本だと思います)。この伝統が文化大革命の少し前で途切れてしまったのですね。ですから新興中国としては、広大で豪華絢爛たる体系を持った現代西洋医学に対抗するために、現代中医学の診断基準と治療判断の原理とを、ちょうど西洋医学の教科書のような組立てで大々的に作ったのです。

 ですからそれを見ると、実に微に入り細にわたって非常に明快ですが、いざ臨床に使おうとすると…。中国の病証表現についてだけ書いた本をこの間調べてみると、証と名の付くものは四〇〇以上あるのです。湯液の問題上、処方が違うためにわざわざ文字を変えて表現しているのではないかというようなものまであって、あの発想だとこれからもまだまだ証が増えるのではないでしょうか。

 これで良いのかというのが一つ。又、鍼灸の方は、理論は豪華絢爛なのですが、治療になると豪くシンプルですね。〜のときはこことここ、のような感じで、どうもあの非常に精密な理論と経絡や経穴の選び方が論理的につながっていない感じがする。確かにこの経穴にはこういう性質があるからここにこう使っているのだとは書いてありますけれども、どうも理屈が得意な中国人がへ理屈で捏ね上げたという印象を受けるのですね。

 先程も触れましたが、中国のそういう状態に対して、最近様変わりが始まっています。昨年、今の中国で非常に大事な役目を果たしている伝統中医で李致重という人が日本に来て講演しました。その内容はというと、中西医結合というのは非常に良いように思えるけれども中国の伝統の持っている良いものを棚上げして西医の方ににじり寄ったために中医としては腐ってきている、そういう問題を解決するためには本来の伝統医学の持っている良さを徹底的に生かしていかなければならない、おおざっぱにいえばそんな話をしている。又、九十七年の秋に中西医結合の国際大会があったとき、中国の医療行政の責任者が挨拶したのですが、これが又興味深い事に、中西医結合も成果をあげているけれども、中医学の本来の良い所を忘れずにそちらをしっかり勉強しなさい、という意味のことを言っている。明らかに行政の姿勢が変わってきているのです。ですからあと十年もすれば、今みなさんが中医学に対して持っている常識とだいぶ違った教科書が入ってくることになるのではないでしょうか。

 それでは私たちはどうすれば良いのかといえば…中国の各時代の代表的な医学書はたいてい日本には入ってきていますから、自分自身で丹念に勉強するしかない、ということです。『素問』『霊枢』『難経』の解釈たるや、中国と江戸末期でもずいぶん違いますし、日本江戸期には『難経古義』(加藤章)のように、中国の研究者たちも一目置くような著作もあります。そういう意味では日本の伝統の持つ良さも大事だと思います。ですから中医学に対しては、こういう認識で改めて、少し眉につばをつけながらでも研究して頂けるとありがたいなあと思います。

6、病証と病因・病臓の関係…四九難
病気を診る場合に、病因を正確につかむ事はもちろん大変大事です。次に、『難経』では傷寒、『内経』では燥、つまり外気の乾燥した冷たさにやられた時は、「為声」声の変化として現れる。また『難経』では湿・液、『内経』では寒、これは氷雪の上にいるような時に湿気とともに足からやって来る冷たさのことであると思われますが、これにやられた時は「出液」涙・汗などの所謂五液に変化が現れる。これらの病因が何処の臓に入り込むと何が起こるか、病証と脉象を中心にまとめてみました。これを全部一つ一つ注釈すると何時間もかかりますから、恐縮ですが一つだけ取り出してご説明します。

 たとえば風を例にとってみます。肺が風邪にやられた場合、脉は風を示す脉状の弦脉と、肺を示す脉状の・脉となる。症状は「洒長洒長として悪寒し、甚だしき時は則ち喘咳す」、というのと「脇下満痛」、『傷寒論』風にいうと胸脇苦満がある。つまりぞくぞく寒気がしてひどい時は咳が出て声がしわがれる、という肺の代表的な病証と、肝の代表的な病証である胸脇苦満とが、症状として同時に出るという記述になっています。同じように、熱暑に肺がやられた場合、脉は心火の脉状の根本である浮・大(洪)と同時に、肺がやられているのですから・脉も出る。症状は、肺の「洒洒悪寒、甚則喘咳」と同時に心の病証である「身熱」が出る。こういう書き方で全部一貫しているわけです。どういう事かというと、脉においても病証においても、もし病因の持つ五行的な性質と病臓の持つ五行的な性質がイコールならば、例えば傷寒の邪(金)に肺(金)がやられたのなら、肺の代表的な病証が強く出るだけで、他のものは混じってこない。ところがそれらがイコールでない場合、風邪(木)や熱邪(火)が肺(金)を冒した時は、肺の病証と一緒に、熱邪の時は心火の証候が出てくるし、風邪の時は風木の証候が出てくる。非常に単純化して書いているとは思いますが、そういう意味では分かりやすいのではないでしょうか。こういう論法で一貫して書かれているのが四九難なのです。

 ですから極端なことをいいますと、病証を良く分析して、肝木の病証と肺金の病証があったとすると、どちらかが病臓でどちらかが病因なのだという事は少なくともそれだけで分かる。脉を診ても弦脉と・脉が混ざって出てくるのなら、やられているのは肝か肺か、病因が風か傷寒か、どちらかであるとわかる、そういうしくみになっているのです。

 私のところの塾では、ツボが正確に取れない者には脉診を教えないという事で、触診だけで病因・病臓・病位・変動経を把握するという事をずっと追求しているのですが、面白い事に、この触診でも本当に、病因を示す反応と病臓を示す反応との両方が出ます。臍の周囲や尺膚でもとても良く分かる。後は重要切経点を切経すれば、ほぼ結論づけても間違いない。忙しくて時間が無い時はお臍だけとか尺膚だけとか診てすぐ治療に入ったりする事もありますが、特別複雑なものでない限り、かなりの高率でうまくいきます。

7、季節の気・病因と配穴…七四難
病因の問題を、先ほど触れました瀉の重要性とからめてもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。

 外邪の六淫というのは、現代的に見ると実にあいまいです。花粉症とかウイルスとかいいませんから。けれども湯液や鍼灸の治療の上では、実に使い勝手が良くありがたい病因論なのです。たとえば最近流行っている風邪で、喉が渇いて寒気はしないで割と汗をかきやすくて、そこを通り過ぎると胃腸症状と高熱が出る、というのがありますね。これは、傷寒ではなく温病で、温の性質である熱邪をいかに除くかということが治療の眼目となります。温病に対する鍼灸治療を研究している本を見ても理屈からいっても、温病を治療するには火の性質を持った経穴・経絡を中心に使う。ちょっと病証が頓挫したら、一番問題を起こしたところを補してやる。頓挫する前は、熱が津液を傷めないように三里を丁寧に使う、つまり土を補う。これで大体うまくいきます。

 風邪の原因はビールスに決まっているのですが、それに目を奪われないで、その邪の五行的性質で使用する経穴と経絡を組み合わせると非常によく効くということで、やはり漢法的に五行に分類できる六淫の病因論は非常に大事だと思うのです。

 この病因論で、重要なのが七四難です。なぜかというと、ツボの性質の問題がいっしょに出ていると思うからです。よく経絡と経穴は診断の場所であり治療の場所であるといいますね。経穴は邪気の客するところ:邪気がそこから入ってそこに留まるところであり

、正気の集まるところである。病気でない時は正気が流れて働いているし、病気の時は弱い経穴ないし経絡に邪気が集まる。だから具体的には、邪気と正気が同居しているのが病気の本当の姿だ、というのが漢法的に正しい考え方だと思うのです。

 たとえば七〇難に、春夏は浅く刺すのだけれども深いところもやらなければならない、秋冬は深く刺すのだけれども浅いところもやらなければならない、なぜかというと春夏は気が上に・秋冬は気が下にあるから…この場合の気というのは邪気も正気もという事だと思うのですが…気が在るところに鍼を持っていくのだと、けれども浅いところだけ・深いところだけしても陰陽を調和できないから、必ずバランスが取れる様に陽をやる時は陰もやっておけ・陰をやる時は陽もやっておけということをいっています。

 七四難になると極めて明解です。
「春井を刺すとは邪肝に在り。夏・を刺すとは邪心に在り。季夏に兪を刺すとは邪脾に在り。秋経を刺すとは邪肺に在り。冬合を刺すとは邪腎に在り。」

 これは素問霊枢の井・愈経合の使い方と明らかに違います。一巡りずれているのです。ですからこれも『難経』の発明であると思います。上の七十難と照らし合わせて考えると、「邪の在る所・気の在る所を取る」つまり季節の気の五行性に応じる治療配穴論になっていて非常に面白い。問題はその後です。

「その肝心脾肺腎をして春夏秋冬に繋るとは何ぞや。然るなり、五臓に一病あらば、たちまち五色有り。たとえば肝病は色青き者は肝也、・臭は肝也、酸を喜ぶ者は肝也、呼を喜ぶ者は肝也、泣を喜くする者は肝也、その病衆多、尽く言うべからざるなり。四時に数有り、春夏秋冬に並び繋る者なり。」

 有名なところです。季節と邪の所在と病証とがこういう風につながっているから、春は心下満を主る井穴、夏は身熱を主る・穴を取る、明らかにそういう言い方です。これと先ほどの四八難や四九難の病因論・六八難の五兪穴の主治証などを合わせて考えると、病気を診て、病因の五行的な性質と病邪の所在と変動経が判れば、もう何を瀉して何処を補すべきか自動的に結論して良いような、そんな大変な記述だと思うのです。たとえば「肺」に「風=木と寒=金」の「外邪が入っている=病の実」とされた場合、「手太陰肺経」の「木性穴と金性穴」から病邪を抜く「瀉法」を用いる、このような運用が成立するわけです。

 又、病因に関してこの「春夏秋冬に並び繋る」という言い方といい、四九難のように春夏秋冬にそれぞれ病邪の特徴的な性質が有ると判るような書き方といい、とても大事な事をいっている。たとえば春の気は風、温かい発生の気ですがこの温かさが原因の病気が春の風病、温かさだから温病といっても良いでしょう。以下同じように各季節の特徴的な総合的な気が、人の身体の養いになる場合と病因となる場合と、表裏一体で作用していると考えるべきであるという事がわかるようになっています。

 こういう風に季節の気・病因と病臓・経絡経穴が、五行論的にいわばお互いに共鳴・共振している共通の波動パターンのような物が在るのだという認識は、『難経』だけではなく『素問』『霊枢』にもいっぱい書いてあるのです。春夏秋冬の季節の気が病因となる場合と養いになる場合とあるのだと、そしてその事を治療上どう考えどう扱うかがとても大事だと思って再読すると、本当にあちこちに似たような事が書いてある。

 『素問』五臓生成論の中にはこうあります。人の身体には経穴があって、これは"衛気の留まるところであり邪気の客するところでもある"、つまり経穴に両者が同居している事を明記した上で「鍼石をもってこれを去る」とした後に、「診病の始め、五決を紀と為す」病を診察する最初に大事なのは、五つの事を決定することが法則的に基本である。五決は五脉、脉状でもあり五臓の経脈でもあるわけです。「その始めを知らんと欲すれば、その母を建てよ」その母とは何かというと、王冰の注に「建てるとは立つなり、母とは時に応じての王気を謂う。先にその母を建てるとは時の王気に応じてその後邪正の気を求めるなり」つまり時の王気をまずちゃんとつかんで、その上で邪気と正気の状態をはっきりつかみなさいというのですね。

 これに似た内容は『素問』『霊枢』を読む時に気を付けてみると本当にうんざりする程書いてありますので、皆さんもぜひ気を付けてみて下さい。今後はその記述を照らし合わせつつ、季節と病因と配穴の関連を考察していきたいと思っております。
ご静聴ありがとうございました。

 <注>『薬註難経』より
「所謂一陰一陽者謂脈来沈滑也。腎脈也・其時寒其性堅・腎名與病十一月十二月之気也・左」
「一陰二陽者為脈来沈滑而長也。肝脈也・其時風其性動・正月二月之気也・左関」
「一陰三陽者為脈来浮滑而長・時一沈也。心脈也・其時熱其性軟・三月四月之気也・左寸」
「所謂一陽一陰者・謂脈来浮而・也。三焦脈也・其時暑其性柔・五月六月之気也・右尺」
「一陽二陰者謂脈来長而沈・也。脾脈也・其時湿其性緩・七月八月之気也・右関」
「一陽三陰者・謂脈来沈・而短・時一浮也。肺脈也・其時燥其性斂・九月十月之気也・右寸」

 <補>一六難(五臓の基本的な病証について)
肝の病証を述べる中で「善潔」という記述がある。これは従来"清潔好き"とされてきたが、実際に肝を病む人はだるくて身体が重くいらいらして悲観的になる事はあっても、清潔好きというのはしっくりこない。
李コンヨウという学者の最新の校勘によると、「潔」=「・」であり、『素問』『霊枢』『傷寒論』でいう所の「・〓」、筋肉の病証で痙攣したり力なく緩んだりするその痙攣の事であるという。したがって、肝の病は"よく筋肉が痙攣したりこわばったりする"というように解釈すべきである。

(漢方鍼医弟9号より)