◆研究

伝統鍼灸における下合穴の研究

委陽・上巨虚・下巨虚の臨床実践

 

1.はじめに
伝統鍼灸の臨床実践にあっては、五行穴や五要穴の的確な選穴が臨床効果を上げるためには必須要件となる。
今回は、日常臨床の場にて選穴応用が比較的に多い「下合穴」につき病理や病証を考察しながら報告する。

2.臨床実践に於ける選穴の意義
臨床実践の場にあっては、用いる経穴は出来るだけ少数穴であり、鍼の刺激量も極軽く行う事が「気・血・津液」の調整を基本とした伝統鍼灸の臨床実践の基本であり、臨床の場に於ける選穴の意義もまさにここにある。
選穴の基本要項は、経穴が独自に保有する病理・病証・脉証等の臨床研究を通して臨床の場に応用するのである。

3.下合穴の考察
下合穴の実地臨床に於ける選穴応用は、肝・腎・中下焦の病証に効果が顕著である。また、内傷性の有熱病証に対しても応用出来る経穴である。
下合穴の古典文献は、『霊枢』の邪気蔵府病形篇第5と本輸篇第2にある。

 〈霊枢・邪気蔵府病形篇第5〉
『黄帝曰く、栄兪と合とは各々名あるか。岐伯答て曰く、栄兪は外経を治し合は内府を治するなり。
黄帝曰く、内府を治すること如何。岐伯曰く、之を合に取る也。黄帝曰く、合は各々名あるか。岐伯答て曰く、胃は三里に合す。大腸の合は巨虚の上廉に入る。小腸の合は巨虚の下廉に入る。三焦の合は委陽に入る。膀胱の合は委の中央に入る。胆の合は陽陵泉に入る也。』
『黄帝曰く、願わくば六府の病を聞かん。岐伯答て曰く、・・・大腸を病むものは、・・巨虚上廉に取れ。胃を病むものは、・・之を三里に取る也。小腸を病むものは、・・之を巨虚下廉に取れ。三焦を病むものは、・・委陽に取れ。膀胱を病むものは、・・委の中央を取れ。胆を病むものは、・・其の寒熱するものは陽陵泉に取る。』

 この条文を整理すると次の様に解釈できる。
「下合穴は蔵府病の内、府病を治する経穴である。そして、内府の病症に対応出来る下合穴は、胃病に対しては足三里。大腸の諸病には巨虚上廉。小腸の諸病症には巨虚下廉。上・中・下焦の諸病症には委陽。膀胱の諸病症には委中。胆の諸病症には陽陵泉を選穴するのである。」
ここで重要なことは蔵府病の診断法である。『霊枢』の本論篇には、各府病ごとに詳細な病症が記載されている。参考にすべきである。実地臨床には難経を基本にしている。
難経医学の蔵府病につき考察する。9難にては、府病は数脉で熱病症を現す。蔵病は遅脉で寒病症を現すものとしている。51難にては、府病は冷飲食を好み外向的な生活態度を欲する。蔵病は温かい飲食を好み内向的な生活態度を欲するものとしている。52難にては、府病はその病が一定の所に止まらずよく移行するのが特長である。蔵病はその病が一定の所に止まり余り移行しないのが特長であるとする。その外にもあるが、これらの蔵府病の診断点より弁別し下合穴を選穴するのである。

 治療には補瀉の二法がある。この治療法については『霊枢』の本輸篇第2に次の様な記載がある。
〈霊枢・本輸篇第2〉
『三焦の下の兪は足の大指の前、小腸の後にあり。膕中の外廉に出ず。名づけて委陽という。是れ太陽の絡なり。手の少陽経なり。三焦は足の少陽、太陽の主る所、太陽の別也。踵を上ること五寸、別れて入りて臑腸を貫き、委陽に出で太陽に正に並びて、入りて膀胱に絡う。下焦を約す。
実するときは閉○し、虚するときは潰溺す。潰溺するときは之を補い、閉するときは之を瀉す。』
この条文を整理し意釈すると次の様に解釈できる。
「ここでは三焦の病症に対する治療法のみが説明されている。小便不利の病症は実として委陽穴を瀉す。小便多利や流れ出る病症を虚として委陽穴を補すとしている。』

 次に本輸篇を踏まえた下合穴の臨床運用につき考察する。

 本輸篇が説く下合穴の臨床応用は、三焦病証の中の下焦病症である小便多利・不利の病症につきその運用法を解説している。
三焦病証を虚実に分け、虚の病証に対しては補法を、実の病証に対しては瀉法を行う事をはっきりと打ち出したのである。この点は非常に重要な所である。
邪気蔵府病形篇にては、下合穴の主治は府病の病証に対して選穴する事が中心であった。そして、この府病の病症は主として「熱病症」であった。手法も「瀉法」が中心であった。
この様なことより考察すると、本輸篇の臨床運用は大変な進歩である。確かに本輸篇の下合穴の臨床運用は、三焦の下合穴「委陽穴」についてのみ論を進めてはいるが、この運用法よりその他の下合穴の臨床応用も追試出来るのである。

4、臨床実践
伝統鍼灸の臨床実践における基本要項としては、脉診は六部定位の糢状診を主とし、特に難経の菽法脉診を重視した。
鍼運用に当たっては、銀鍼一寸一・二番(三十ミリ十六・十八)と金・銀・銅の鍼を基本的に使用。
治療は、証決定の段階で治療側を決め、右か左の一側治療を原則とし両側治療は行わない。鍼の深度も一ミリか二ミリを限度とし鍼を多用した。
治療の効果判定は、病症の改善を第一とし次いで脉状・菽翆法の改善・腹証の改善、皮膚・肌肉の改善、特に肩頚背部を中心とした皮膚・肌肉・筋の緊張の緩解等を目標に臨床研究を行った。

5、症例報告
(1例)
患者:四十五才の主婦
既往歴と病症:生来虚弱体質にして痩形、かぜひき易く冷症、乳癌発病により左乳房摘出。全身倦怠感・寒証にして手足厥冷・頭重・頸肩部のコリや不快感・上肢のシビレ感・皮膚枯燥して冷たい・その他にも不定愁訴あり。
脉状:全体が沈虚の脉状。菽翆法では左右の尺部の位置が低く脉状が硬い。そして遅脉が特徴である。
証:腎虚陽虚証
治療側:右側
本治法:銀鍼一寸一番(三十ミリ十六)を使用。
陽気不足と虚冷の為に右、然谷(栄火穴)に時間をかけた補鍼。脉診により菽法の位置改善と腎肺の調うを確認し陽経に移る。難経 六十四難の選穴法により、右の委陽(三焦の下合穴)三里(胃経の下合穴)の補鍼。

標治法:てい鍼(銅)を使用。後頸部、左右天柱穴の補・肩背部の補鍼・右、腎兪、肺兪、命門の補鍼。円鍼にて肩背部と下肢膀胱経を補的に揩摩する。
経過:三回の治療にて、手足の厥冷が取れ諸症が改善される。脉状も沈虚遅より浮虚の脉状となる。遅脉もかなり改善される。
証:腎虚陰虚証
本治法:選穴は難経六十九難の相生的選穴を応用。
右、復溜(経金穴)太淵(兪土原穴)の補鍼。陽経は右、委陽(下合穴)の補鍼。
標治法:略
経過:かぜには罹患はするが体重も増加し諸症良好となる。

(2例)
患者:五十五才の男性、会社経営。
既往歴と病症:体重七十八キロのやや肥満型。生来は健康であるが冠状動脈不全の既往を持ち、以来健康維持には慎重になった。
常に上気し顔面が紅潮。常習的な頑固な肩凝りがあり左が強い。動悸あり不安感を伴う。下肢厥冷と小便不利。軽い頭重痛。血圧は 高く降圧剤を長年服用。食欲は旺盛である。
脉状:全体が浮滑にしてやや数脉。菽法は左関上・尺中の位置がやや高く問題あり。
証:肝虚陰虚証
治療側:左側
本治法:銀鍼一寸二番(三十ミリ十八)を使用。
血虚による逆気病症に対して、左曲泉(合水穴)に補鍼。この補鍼により浮滑の脉状がかなり落ち着いた。陽経の治療は、難経六十四難の選穴法により左上巨虚(大腸の下合穴)の補鍼を行う。
標治法:銅の鍼を使用。
側頸部や後頭部の丁寧な補鍼。下肢の膀胱経と胆経の間の抵抗部を補鍼にて緩める。陽関・命門・中枢の補鍼。円鍼にて肩背部や 下肢後側全体を軽く揩摩する。
経過:この一回の治療にて諸症がかなり改善される。

(3例)
患者:三十九才のOL
既往歴と病症:生来健康であったが、子宮筋腫術後に逆気病証が発症し冷症・上気・不眠・食欲不振等に苦しむ。子宮を全摘し、下肢 厥冷・全身の倦怠感・頭重等の病症が悪化する。
その他に不眠・口燥感・鼻塞り・眼精疲労・皮膚枯燥(温)・眩暈等の病症を訴える。
脉状:全体が浮虚にして数脉。菽法は左右の関上部、特に右関上の位置が低く脉状も硬い。
証:肝虚陰虚証。
治療側:右側。
本治法:銀鍼一寸一番(三十ミリ十六)を使用。
血虚に対して右曲泉(合水穴)に補鍼。脉診により右、陰谷(合水穴)にも補鍼を行う。この二穴の補 鍼により浮糢がかなり落ち着いた 陽経は、大腸と胆経に問題あり。難経六十四難の選穴法より、右の上巨虚(大腸の下合穴)の補鍼を行 う。
標治法:銀鍼一寸一番(三十ミリ十六)を使用。
後頭、後頸部を補的に丁寧にゆるめる。右、肝兪・腎兪、命門に補鍼。円鍼にて肩背部全体を軽く揩摩 する。
経過:四回の治療にて諸症がかなり改善される。脉状も数脉がとれ、血虚による陰の虚熱も落ち着いた。
浮脉も中位にまとまり菽法も改善された。皮膚の枯燥感が取れツヤが出てきた。不眠や食欲等も改善され 眠れるようになった。治療継続 

6、まとめ
 今日までの臨床経験より、下合穴を選穴して臨床効果が顕著なものは、肝・腎・中下焦の諸病症である。
 特に委陽穴は中下焦病症、上巨虚穴は肝腎の病症、三里穴は腎紕の病症や陽虚病症に対して下合穴としての選穴が臨床的に有効性である事が、脉状の改善や訴える病症の緩解と消失等によりその一部が臨床の場で確認できた。
 特に臨床研修につき重要視した診察点は、頚肩部の形態変化である。この部の緊張緩解を重要視した。 この様な形態変化が脉状の改善と病症の緩解や改善につながる。腹証の改善、特に臍を中心とした形態変化も重要である。
下巨虚・委中・陽陵泉穴については今後共研究を続けたい。
 また、下合穴は急性の熱病症にもかなりな臨床効果を上げるものと思うが、まだまだ臨床の症例が少ない為はっきりとしたことは報告出来ない。今後の研究課題である。

 下合穴という経穴を使われていない方が大多数だと思われます。(足の)胃経に三里・上巨虚・下巨虚の三つ、(足の)膀胱経に委中・委陽の二つ、胆経に陽陵泉があります。これは足の経絡以外は手に流注する陽経のものを求めたので「下合穴」と命名されているのです。「邪気蔵府病形篇」では熱病症を瀉したというのですが「本輸篇」では特に三焦病症でも下焦病症に対し補って効果があると記載されています。 今回はそれを臨床運用しました。

 例えば腎経の病症の場合を簡単に言いますと、下半身が冷えて小水が近いあるいは近いけれどあまり出ない・のどが渇く、この様な病症は必ず足が冷えて皮膚の表面が冷たくな る・朝方にのどが渇く・逆上せる、この様な病症は脉が必ず浮くものです。脉が浮いていた場合には予後 は良好ですが沈んでいる場合もあります。そのような病症の場合に下合穴の委陽を使うというヒントが「 本輸篇」にあります。臨床の現場でそれを捉えて陽経の処理に委陽を取穴すると効果がありました。

 下合穴は六穴ありますが委陽・三里・下巨虚・上巨虚ではかなりの効果を上げています。漢方鍼医会で は日常臨床で使用しています。ですから、陽経の選穴は一穴か二穴になることが多いのです。
 以上のことから、陽経では下合穴をどのように臨床応用して効果を上げるかというのがポイントだと臨 床の場で研究中で 

【質疑応答】
(福島) 臨床の中で下合穴を使用されている先生方はおられるでしょうか。下合穴の使い方は鬘蹣が良い様ですが豪蹣でも良いです。我々の臨床では銅の鍼がかなり効果を挙げています。また銀の一番か二番での接触鍼は本当に効果が出ます。
伝統鍼灸の場合では全日本鍼灸の発表と違って理論的に薄いのではないかと批判がありますが、我々は臨床家でありますから臨床の場で効果を上げるのが一番大切です。いままでのことは「本輸篇」の中に出ているのです。これは我々が初めて使ったものではなく、九州の岩井先生は二十年位前に運用法は若干違いますが使用されていることを学会誌などに発表されております。代田文誌先生の「鍼灸治療基礎学」にも下合穴のことが出てきます。その場合には「傷寒論」とか漢方についてもそうなのですが高熱の場合に三里を瀉すという下合穴の使い方が出ています。
しかし、我々鍼灸の場合には実を瀉すということは確かにありますが、圧倒的に多いのは虚した病症に対する処置なのです。その場合に下合穴を用いると、今まで陽経に何穴を使って上手くいかなかったものが、例えば委陽を使えばスムーズに処置できたという症例が増えています。臨床の中で実際に行っていると色々な手応えが得られて楽しいです。
効果判定は脉状だけではなく、例えば頚肩背部が緩むとか、明らかに触ってみると胸の熱が取れる等、何を対象として効果判定を捉えて治療して行くのかということが臨床の一番の重要点だと思います。

(質問)松本です。下合穴・六穴の紹介がありましたが手の陽経の正式な合穴と下合穴の関係について、あるいは募穴との関係についてお調べになりましたか。
(福島)募穴については調べていません。
(質問)そのようなことも我々は関心があります。
(福島)人間の能力には限界がありますので、一つの臨床を進めるの当たってはそれぞれのポイント をつかんでいくことが重要だと思います。我々の場合は脉を診て脉状の変化を捉え、脉が菽法で診て高い位置にあればその脉が下がるのが健康体へ近ずける方法ですから一つの目安とします。胸に手を当てて熱がある場合にはそれを取れなくてはなら ない。熱のために喉が何となくいがらっぽいような患者の自覚症状も取れなくてなりません。目を見ると目がちょっと赤い場合それが取れる。もう一つ顕著な反応として足の冷えが暖かくなってくる。そのような場合には必ず脉状に変化があります。脉状の変化は募穴だけが全てではないと思います。確かに身体に変化が生じれば募穴にも変化は生じていると思われます。質問については追試していないのでお答えができません。 (質問) 手の合穴についてはいかがですか。
(福島) 手の合穴は馬王堆医経の「陰陽十一脈灸経」に、三焦経や大腸経は歯や耳の経脈というような記載があります。「十一脈灸経」には心包経の記載がありませんが、その記載では例えば三焦経なら手の三焦経の経絡上の病症に対しては使えると思われます。ところが「本輸篇」では何故わざわざ病症例を書いているのか、全体病症の場合は三焦の下合穴という考え方で委陽を取穴すると効果が上がる。それを我々は見つけて実践しているだけで、何も難しいことを考えてやっているわけではありません。

(質問)それは証とは全然関係がないのですか。
(福島)証とは大いに関係があります。三焦病症の場合は委陽穴を取りますが三焦病症の場合には概ね病症に上気や逆気症状があるものです。ところが症状があってもそれに見合った糢状を示さなく腹証を表さない場合が問題です。脉症不一致の場合です。我々はそのようなケースを診た時に簡単に考えず証 再検討して捉えなおす必要があると思います。

(質問)下合穴と左右の関係はいかがですか。
(福島)必ず一側治療をします。

(質問)どちらか一方ですか。
(福島)一方です。概ねは本治法の治療側が多いようです。中には反対、又は左右共に取穴する場合も希にあります。しかし、我々は一つのこだわりを持っています。治療とは調整でありますから両方を用いてしまうと調整にはなりませんので、必ず一側治療です。その様なことにこだわるなという先生もおられるでしょうが、我々はこだわって治療成績を上げているのですから片方が基本です。

(質問)では、それは反応のある方となりますか。
(福島)経穴反応ですね。

(質問)病症とは関係しますか。
(福島)病症とは関係しません。
(質問)ツボ反応だけですか。
(福島)腎虚の病症の場合はだいたい上の方に病症があり下が留守になっていますから左右を判定できないことが多いでしょう。
(座長)時間ですし質問も出尽くしたようなので最後にまとめをお願いします。
(福島)議論より実行です。これらの運用法は古典に記載されています。それも霊枢の初めの部分(第二篇)に出ているのです。これは何を意味するのか素直に考えて下さい。例えば虚熱があれば脉が浮いている時に色々試しても上手く行かない場合に陽経では委陽穴を探ってみると反応があります。そして、この場合に大切なことは鍼を刺入しないということです。接触鍼又は鍼で十分効果があります。我々が初めて実行した時には「これほどの効果があるものか」と驚きました。それと経絡治療、我々は"漢方はり治療"と呼んでいますが経絡治療での鍼は浅いものですから。何故に浅いのかと言えば、気血津液の中で特に気の調整をするからです。
 論議よりも実行です。このような下合穴の運用方法もあるということを臨床で困った時に応用して頂ければ幸いと思います。