臨床脉診の修得と病理について(3)

                            
3.浮沈脉の脉証と病理について
 陰虚、陽虚は漢方病理の基本である。陰虚、陽虚をいかに理解するかにより陰実・陽実も容易に分かってくる。陰虚、陽虚を正しく理解するためには浮脉、沈脉の脉証を考えなければならない。

@浮脉について
 浮脉とは基本的に風邪・表病を現す脉である。陰陽脉の分類では陽に属する。臨床の現場では、証・選穴や手法が正しければ中位に沈んで、意外と正脉になり易い。

〇浮虚の脉証について
 浮脉は肺金の正脉であり毛脉に通じる。はっきりと輪郭が出ていない方が良いとされる。輪郭が出ているのは邪が入っているということである。脉全体が中脉よりもやや上にある。

 『脉法指南』では浮脉(この場合は浮虚と考えた方がいいと思われる)のことを「元陽虚極シテ真陰不足ノ脉也」という。元陽虚極とは三焦の虚を示し、真陰不足とは腎虚を指している。『診家枢要』には「浮虚ハ原気不足ノ脉也」とある。これも三焦と腎の虚を指す。腎虚は陰虚(肝・腎・肺・脾・心包虚)の代表であるから陰虚と言って良い。

 また、人迎気口脉診という祖脉診法があるが、『脉論口訣』には「人迎ニ相応ズルトキハ、風寒経ニ有ル。気口ニ応ズルトキハ、栄血虚損ス」浮虚の脉が右関前一分・気口に表れた時は栄血虚損、つまり内傷であり、左関前一分・人迎に表れた時は風邪が経に入っている、外感病であるという。浮脉という一つの脉状に、外感・内傷の二病症が現れることを示しているのである。例えば、風邪が入っているかいないかを的確に判断して治療ができる。人迎気口脉診は参考になる。
このように浮虚の臨床的病証は、風症・三焦の虚・腎虚(陰虚)とされる。

○浮虚の病因と病理について
 肺気が虚している場合、つまり陽虚のときに外邪に侵襲された場合には、浮実になれなくて浮虚の脉証を呈することになる。肺虚(陽虚)の風症には浮虚の脉証もあるのだ。これで病症が進行すれば沈虚の脉証となり陽虚の病症が顕著となる。

 脾の部位に浮にして虚の脉証が出た場合、これは臨床で良くあることで、外邪によるものではなく胃の陽気が虚していると捉える。食欲はまだある、多くは食べられないが食べれば食べることができる。胃の陽気が強くはないけれどもまだある状態である。また、腹風邪といって、風邪をひいて薬を飲むとこのような脉になることがある。風邪ということで左関前一分・人迎が浮にして軽い虚を呈するが、薬を飲むということは湿邪であるから、全体の脉状はやや沈み気味、虚して若干堅い。熱でも冷えでもなく停滞、そんな脉である。身体を触ると冷たい。こういう場合はやはり服薬を止めさせて、陰から補っていくことになる。腎と肝の部位の浮虚の脉は虚熱・津液不足と診る。風邪とは診ない。

 このように同じ浮虚の脉でも部位によって病理が異なる。たとえば脉が浮虚で数が絡んだ場合に、熱がある場合の証は肺・脾が多く、熱が無い場合は腎・肝の証が立つことが多い。津液不足ということならば、お小水が出すぎていないか、汗をかきすぎていないか、朝のどが渇いているか、などを問診で確かめる。また、浮虚の脉で風邪の場合はそんなに陰が虚していないはずである。陰がひどく虚していて風邪が入った時は、その人の体力にもよるが、陽虚で沈脉になる場合が圧倒的に多いからである。

〇浮実の脉証について
 『診家枢要』に「浮ニシテ力アルハ風ナリ。中風、傷風ヲ主ル」とあるとおり、浮いて実の脉は外邪の風邪をあらわしている。
 臨床的には風熱・風寒の病邪により悪風・悪寒・発熱・麻痺・不仁・口渇・頭痛・身痛など陽実の病症を発する。
 陽実とは、陽の部(陽経・府・上部・皮膚等)に邪気や血等が充満し働きが悪くなり実熱を発する状態である。

○浮実の病因と病理について
 浮実の脉証は、陽の部に邪気が充満している状態である。そして病症が表にあるとする。しかし臨床の場では、邪気や血等を表に充満させた病理の方が重要となるのである。この病理を正しく理解しなければ臨床効果は上げられないのである。浮実の脉証は確かに外邪による表病を現しはする。しかし、表ばかり治療しても決して治療効果はあがらないのである。ここにこそ病理の重要性がある。

 肺虚における「浮実」の脉証は、邪気が表に多くなる病症である。これは、肺気の循環や発散が悪い為である。その原因は、素因・飲食・内因等いろいろあるが、とにかく肺気の循環や発散がわるいのである。この病証を肺虚証という。

 肺虚になると風や寒などの外邪に影響を受けやすくなる。そして、循環や発散しない陽気が表に停滞し始める。この為に浮実となるのである。つまり浮実の脉証は、肺気が虚した為に陽気(多くは邪気)が表に停滞した状態を現すのである。

 脾虚における「浮実」の脉証は、多くは陽明経(胃・大腸)の実熱である場合が臨床的には多い。病症は腹満を呈し便秘する。食欲は旺盛であるが余り肥らない体質が多い。

 肝虚における「浮実」の脉証は、肝の蔵している血中の津液の不足を現す。つまり肝虚により虚熱が多く発生した状態を現すのである。病症としては「腹脹」を現す。

 腎虚における「浮実」の脉証は、腎の蔵している津液の不足を現す。そして虚熱が多く発生した状態を現している。病症は「大小便渋る」を現す。

○浮脉の臨床応用
 臨床の場にて浮脉を現す病証についての基本要項は、第一には四時との相関である。例えば夏の時期であれば浮脉は順脉になるからである。つまり菽法との相関である。この事がまず基本となる。

 次に重要となるのは数遅の問題である。浮脉に数が伴なえば発熱を考える。発熱があれば虚実を区別するのである。浮脉に遅があればその病症は簡単なものでは無い事を注意する。予後も良く無い場合が多いのである。

 浮数にして発熱が伴えば、証としては肺虚か脾虚となる場合が多い。浮数にして発熱がなければ、証としては腎虚か肝虚が多いのである。そしてこの病証の病理は、津液不足による虚熱となるのである。

 浮脉を現す病証の基本的選穴は、浮虚は病理として陰虚の虚熱を現すから陰経の水穴を選穴する。浮実の脉証は、外邪としては風邪を現すから陰経の基本的選穴は木穴である。陽経の基本的選穴は胆経か小腸経の金穴である。急性病の場合は瀉法が適応する。

A沈脉について
 沈脉とは浮脉の反対の脉である。『脉経』で「之ヲ挙ゲレバ不足、之ヲ按ズレバ有余」としているとおり、脉全体または中脉の位置が脉診部の中間より下に位置する脉状である。脉診部に当てた指を浮かせてくると虚ろな感じがするが、沈めていっても簡単には消えない脉である。
 季節でいえば冬の脉である。五蔵では腎水の大過脉である。病証としては蔵病や陰病を現す脉状である。『難経』の陰陽脉状の分類では陰に属する。

 病脉としての沈脉は、浮脉と違ってそう簡単には中位に浮かない、継続的治療を要する脉である。また、気を漏らしたり選穴を誤ったりして脉が開いたときにも、中位に浮いてきたようにみえるのでよく観察しなければならない。遅数・虚実など他の脉状との組み合わせから、常に病理を考えながら証や選穴につなげなければならない。

 病理としては、ひとことでいえば陽気衰である。特に陰の部においての陽気が虚している。陰の邪(寒・湿)が蔵・陰経・腹中に侵襲してきている脉でもある。
 古典の記述では、「裏ニアッテハ陰トナシ、湿トナシ、実トナス」(『脉法指南』)「沈脉ハ邪裏ニアリ、気鬱・疼痛ヲ主リ、藏府冷エ、三焦フサガリ・・・手足冷ユルナリ」(『脉法手引草』)「沈脉ハ陰逆・陽鬱ノ候ナリ。実トナシ、寒トナシ、気トナシ、水トナシ、停飲トナシ・・・脇脹トナス」(『診家枢要』)

 沈脉のときは陽気が不足しその働きが低下して冷えを呈する。全て陰病である。また病は裏にあるというが、その「裏」を臨床的にはどう考えるか。諸説があるがここでは単純に陰経・藏府と解釈する。つまり陰経や藏府の陽気が衰えて冷え、停滞による病症を呈するとき沈脉となるということになる。

 また、沈脉の陰陽の気は陽気が裏に閉じ込められて表面に出てこられないという場合もある。このときも、遅数脉との兼ね合いがあるが、大体は働きが低下して冷え・停滞の病症になってくる。
 人迎気口診の外感・内傷の診方も重要である。「人迎ニ相応ズルトキハ、寒、陰経ニ伏ス。気口ニ応ズルトキハ、血、腹蔵ニ凝ル」(『脉論口訣』)これも冷えの病症を現している。

〇沈虚の脉証について
 「沈細ハ少気トナス、沈遅ハ痼冷トナス」(『診家枢要』)
 これは陽気虚による『冷』を示すもので、臨床的病証としては陰経や藏府に問題があり陽が冷えている。先の言葉でいえば裏の虚を意味する。そして身体がそれだけ抵抗力を失っていると寒邪が当然入ってくるから、身体の痛みや水分の貯留による全身の浮腫などの病症を現してくる。だから逆に脉証の沈虚は病因としては「寒湿の邪」を表すと考えてもいいだろう。寒湿の邪というのは、平たく言えば冷えであり水である。水分の邪とは「飲食の邪」でもある。

 陽虚外寒証の基本病症は、総じて冷えと停滞・全体的な機能低下の病症である。病症をいちいち憶えなくても、陽気が少なくなったために温める力が無くなって冷えるという基本的な病理がわかっていれば理解できるはずである。また、陰虚が前提になっているのだから当然陰虚の代表病症である消痩もあらわれる。

○沈虚の病因・病理について
 沈虚の脉証の基本的病理は、三焦の原気不足による陰虚が前提になり、そこに寒湿の邪が入ったために陽気が不足し、病症として寒症を現すという事である。

 では右寸口の肺の部に「沈虚」の脉が現れた場合、どのように病理を考察するのか。
 「右寸ノ沈ハ肺ノ冷感、痰の停蓄、虚喘、少気・・・沈細ニシテ滑ハ骨蒸、寒熱、皮毛焦乾」(『診家枢要』)
 「沈弱ハ陽虚、気滞ニシテ筋萎」(『脉論口訣』)
 「沈細ニシテ滑ナルハ骨蒸ノ病ニシテ寒熱コモゴモナシ、皮毛乾キ渋ヲ主ル。沈細ナルハ少気トナス、臂ヲ挙ゲル能ワズ」(『察病指南』)
 このように病症は肺の冷寒、陽虚、気滞を現す。基本は「陽気不足」である。
 たとえば「虚喘」は冷えると出るセキ。就寝時など身体が温まったときに出るのは肺燥の虚熱からくる順のセキだが、虚喘は逆のセキで治りにくい。カゼをひいていても、微熱が続いたり、のどがいがらっぽくて元気が出ず食欲もない。おそらく症状を押えるために飲んだ薬が湿邪となったのである。他にも頭痛・咽喉痛・関節痛などいろいろあるが、全て症状としては軽微である。それから肩関節の上挙ができないもの、池田先生のお話で肺経が詰まって腕が上がらないのは簡単に治るというのはこれだろう。

 右関上の脾の部に「沈虚」の脉が現れた場合、これは脾の津液が不足していると同時に胃の陽気も虚している病証である。当然食欲はない。
 「右関ノ沈ハ胃中寒積、中満呑酸」(『診家枢要』)
 「沈ハ胸中満チ、呑酸、心腹痛ム。弱ハ胃虚シテ客熱ス」(『脉論口訣』)
 「脉沈ナルハ心下満シテ苦シミ呑酸スルヲ主ル」(『察病指南』)
 「胃中寒積」とは胃に寒がたまることで胃の陽気虚を表す。「中満呑酸」とは上焦が冷えて胃に熱がこもる病症。胸には本来熱があるのが順であるが、胸に熱が無くなり胃にばかり熱が残った状態になると酸っぱいものが上がってくる、これは湯液では重要な病症で、臨床でもよく遭遇するものである。ちなみに酸っぱいものが上がってくる患者で胸に熱があれば二日酔いである。のどが渇くのは胸の熱のせいで、この場合は呑酸とはいわない。

 臨床現場では、食欲がなく下痢をする、そんな病症が多い。臍の回りが冷えるか胃内停水もある。胃が冷えて胸に熱がこもっているときは食欲にムラがある。ゲップや腹鳴・食後の吐き気など老人特有の症状もこれである。老人一般の脉は全体に浮いた虚熱が多い脉であるが、薬など湿邪が入ると脉が沈んできて陽虚を呈するのである。

 左尺中の腎の部に「沈虚」の脉が現れた場合。腎というのは津液を生産する場所だから、基本的には津液不足と陽気不足を現す。具体的病症は腰下肢のしびれ痛・小便多利・失禁など。
 「腎ノ蔵、寒ニ感ジテ腰背冷痛、小便濁リテ頻。男ハ精冷トナシ、女ハ血結トナス」(『診家枢要』)
 「沈ハ冷気、腰痛、小便白シ、弱ハ骨肉痛ム、気血トモニ虚極」(『脉論口訣』)
 「沈ニシテ細ナルハ名ズケテ陰中ノ陰トイウ、両脛疼痛シテ立ツアタワズ。陰気衰少シテ小便余瀝、陰下湿痒ス」(『察病指南』)
 腎の正脉は沈濡にして滑、つまり陰脉がふたつ・陽脉がひとつだから、いつも沈んではいないでふわっと浮いてくる脉であるが、それが完全に沈んで虚ということは、腎陽の脉である濡脉が消えて、つまり陽気が不足してこのような症状が出るのである。陰虚で浮いている脉は年をとればある程度自然のものであり、不定愁訴はあっても命を脅かすような病症はない筈であるが、沈虚の脉を現すとやっかいな痼疾といわれる病症を現してくる。

 左関上の肝の部に「沈虚」の脉が現れた場合、これは肝血の不足から肝の陽気が少なくなっている。臨床の場では手足の冷え・下痢・食欲はないが食べれば食べられるという状態、このような病証を血虚、亡血、肝陽虚などと表す。
 「沈ハ両脇脹満、手足冷、腹内疼痛。弱ハ筋痿、目暗、血気虚ス」(『脉論口訣』)
 「脉沈ナルハ、心下痛ミテ気短ク、両ノ脇脹レ満チテ、手足時ニ冷エルヲ主ル」(『察病指南』)

 以上、各脉部において単独に考えてきたが、実際の現場でこれを導入するには色々な臨床技術が必要であろう。一番顕著な問題のある脉部があったら、このような比較を試みるのも面白い。また、たとえば中満呑酸などの病症があったとき、逆に右関上の脉が他の部位と比べて沈にして虚していることを確かめれば、この脾の陽虚を何とかすればよいということになる。
 余談であるが、この脾虚陽虚には臍灸(知熱大灸)がよく効く。臍の上で普通の知熱灸の3倍くらいの大きさのものに火をつけるのだ。神闕穴に三焦の原気を賦括させる働きがあるのだろうか。また陽虚に百会の小灸、ただし逆気がない場合に限るが、これも大変気持ちのよいものである。(つづく)