講演  三焦・心包論        池田政一

 

 平成六年四月十日、第一回漢方鍼医会学術総会が目黒さつき会館にて開催され、一周年を祝して漢方陰陽会会長・池田政一先生による記念講演が行われた。「五蔵の生理・病理・病証」について本会では、肺・脾・肝・腎の順で、池田先生にすでに四回講演していただいており、このシリーズ五回目にあたる記念講演においては"三焦論"が取り上げられ「三焦・心包論と生理・病理・病証について」と題してお話いただいた。

 以下は講演会の録音よりテープを活字化したものです。(編者)

 漢方鍼医会結成一周年ということですが、一年経って貴会が益々発展しているご様子で、本当におめでとうございます。
 さて、"三焦"というのは昔からずいぶん問題があるんですが、そう特別なものではないんです。特別に言い過ぎるので、そう感じるんですが、実は三焦というのは、みなさんも本当は使っているんですね。使っているんだけれども、わからない(笑)。つまり従来の経絡治療といわれていたものの中には、その概念が入ってなかったと思うんです。必要なかったと言えるかも知れませんが。三焦経というのはあるのだけれど、あまり使われていなかった。或いは三焦という考え方自体をどの程度意識して治療していたのか。そして心包というのは心の代りという程度で、脾虚証の時には心包経を補うんだという事程度でなかったかと思うんですね。

 三焦は特別な難しいものではないという言い方をしたのはなぜかといいますと、三焦というのは簡単に言うと陽気のことなんです。熱エネルギーというと変ですが、漢方的じゃないんですね(笑)。だけど、よい陽気のことなんです。その陽気のことを一口に三焦というのですが、従来の経絡治療では陰気・陽気ということ、あまり言わなかったですね。そもそも陰虚・陽虚の解釈自体が間違っているわけです。つまり陰虚というのは熱症状を出しているのを陰虚といい、陽虚というのは冷え症状を出しているのを陽虚といいます。が、これを全く反対に解釈している人達が非常に多い。そして、それが実際の証の時にどれだけ役に立っているか と言うと、あまり役に立ってはいないんですね。何故かというと肝虚か脾虚か腎虚か、又は脾腎の虚とか、或いは脾肝両虚か、いずれにしてもその程度位のことで、肝虚で熱を持つとか脾虚で冷えを持つとか、そういう概念がなかったんです。これ自体が不思議な事なんですね。素問には「陰虚で内熱を持つ」とか「陽虚だと外寒になる。」とか、古典にはちゃんと書いてあるんですが、何故かそれを全く無視した上で、肝虚、脾虚、腎虚、肺虚でやってしまっていた。そこには全く〃三焦〃の概念が入り込む余地が無かった・・・ですね。けれども三焦、三焦というし、実際と結びつかないし、ややこしいというか、わからなかったという事だと思うんですね。

 今日は一番もとからお話してみたいと思います。"もとから"という意味は古典医学において一番大事な蔵器は何かというと、普通"腎"といいますね。本当に腎が大事なのかなあ。心蔵が止まったら死ぬわけですから、心蔵が一番大事じゃないかと思うんですがね(笑)。腎蔵が止まったらどうでしょう、死にますかね。ところで身体を三つに分けて、上焦、中焦、下焦と言います。三焦というのは、そのように部位の名前でもあるんですが、さて上焦の機能が止まったら肺と心が止まるわけですから、これはすぐ死んでしまいますね。中焦の機能が止まったらどうかというと、消化吸収ができなくなりますが、これは古典で七日間位は生きていると書いてあります。次に下焦の機能が止まったらどうか、というと腎蔵というよりはむしろ、大小便が出なくなるという状態になると思います。すると、これは死んでしまう、と。これが一つ。それからもう一つ、中国では房中術、つまりセックスの仕方といいますかね、ずいぶん昔から研究されていたんです。このセックスをする時の力というのは下焦の力なんですね。これで子孫が繁栄していくということですから、やはり上、中、下と分けた時に古典では下焦に一番問題を置いたんですね。

 下焦の蔵器腎は「陰中の陰」といわれていて、「水を蔵す」いわゆる津液が非常にたくさんある蔵器なんですね。水、水気の多いところですが、これだけではもちろん活動できないわけですよね。これと相反する部分というか、場所に「陽中の陽」といわれる心蔵がある。これは非常に熱が多いところ、陽気の盛んなところですね。心蔵が陽で、腎蔵が陰、この両方が交流して人間の身体は健康だという。中医学では心腎交流、交流しなくなったら心腎不交という言い方しますね。
ところで腎の津液なんですが、津液というのは水なんですけれども、実は水だけでなくて、陰気又は精気と言ってもいいんですが、やはり"気"がプラスされているんですね。この気は津液で固める気なんです。腎蔵の腎という字は上が〃臣又"、堅いのは下の土が月(にくづき)に変った字ですのでわかりますが、腎というのは堅い、固まっているものだ、と。固まるーーという性質自体が陰なんですね。陽はバラけていく、広がっていく方ですが、陰の方は固まっていく、縮まっていくわけです。そういう性質を持って、水気でもって固まる気がプラスされて固まっているのが腎だ、と。
そして、それだけでは生きていけないので非常に活動的な、或いは広がる、伸びる、発散するというような陽的な作用を持った"心"が一方にあって、この心と腎とがうまく交流して活動しているんだ、と。

 これを病気で考えてみますと、病気というのは簡単に言うと、熱を持って非常に熱が多くなる病気か、冷えが多くなる病気かということになるんですね。冷えの方の病態というのは割りと一定なんですけれど、熱の方の病気には、二通りあるんです。一つはものが足りなくなって起る虚熱の場合と、ものが詰まって起る実熱の場合ですね。実熱が陽のところに溜ったのが陽実で、陰のところに溜ったのが陰実とということになります。
陽虚というのは冷えの方で、虚して熱が出るのは陰のものが虚すから熱を持つんだ、ということなんです。だから熱には陰虚の熱、陽実の熱、陰実の熱があるわけです。冷えの方は冷え一つでいいんですね。実の冷えなんてないですから、冷えはどこまでたっても冷えですから。ものが溜る、冷えが溜るといったら実かも知れないけれども、病態は寒冷としか出ませんから、冷えは冷えなんですね。この冷えの方を陽虚といいます。もっとも冷えすぎて熱の出る真寒仮熱というのもありますがこれは後日に。
それから心と腎だけで説明しても、やはり陰陽のどちらかに分れていくと思います。それでは腎の津液とか、心蔵の熱とかいうのはどこで作られるかというと、これは脾胃で作られます。胃を中心にもってきてもいいですね。胃が真中になる。脾の命令を受けて、胃で作られるんだ、と。脾は命令を出しているんだけれども、これを古典では津液を送ると書いているんですね。津液は腎にしっかりあるわけですから、脾は腎蔵から津液をもらって、胃にその津液を送り、胃を働かせて水穀を分離している、つまり食べたものを消化吸収させているんだ、と。そして結果として気血が出来る、という事になるんですね。脾と腎が相剋関係になっているのは、実は、その為なんですね。脾は腎から津液を取り上げているから、やはり剋する関係になっています。ところが、これだけではチョッと働きにくい、陰の津液だけではダメで陽気という陽の方も欲しい。この陽気、実は心から降りてきた陽気が胃に行くから胃が働くんだ−という説明ができるんですね。

 別の説明もあります。腎が陰で、心が陽で、この陽の心の陽気が腎が降りている。この降りてきた陽気を命門の火というんですね。難経が初めて命門という言葉をつかったんですが、心の陽気が降りて来て、腎に宿ったのが命門の火だ、と。上に胃という釜があって、下にかまどの火を炊くのと同じに、命門の火がしっかりしていて旺盛だから胃がよく働いて、ものがよく消化吸収されて、気血栄衛ができて、その気血栄衛は肺に行って、尚かつ、心の血脈を通じて血の方は流れ、脾の方は気が行き、全身に流れてそしてそれがまた腎に降りてくる‐こういう繰り返しで説明をしている方もおられます。どちらでもいいんですが、そういう説明ができるわけですね。

 さて、話を元に戻しますと、脾が命令を出して胃で水穀が分離されて、カスは下焦に行って大小便として出て、中焦で出来た気血は循環して行く。この循環している気血を栄衛と言うんですね。そこに止まっているのを普通、気血と行っているんですがね、古典はね。この辺がちょっとややこしい(笑)。例えば腎は津液があるとか、肝が血を蔵すとかいうのは肝血、或いは肺気とか胃の気とか言うでしょ。これは蔵府そのもにある気血の時には、その名前を付けて各々に肺気、胃の気、肝血などという言い方するんですね。栄衛とはいわないんですね。それはそこに蔵器そのものに備わっている陰陽の気、或いは気血という意味なんですが、循環している方は気血というよりは衛気・栄気という言い方をします。衛気というのは気・陽気ですね。栄気というのは血を循らす気ですから、難経では栄血と一口に言ってます。素問霊枢では栄気といって、栄気が血を循らすんだ、と言っていますから、まあどっちに言ってもいいんですがね。

 さて、中焦で衛気・栄気ができ、そして宗気も出来ます。宗気が呼吸の原動力になり、栄気は血脈に入って赤い血となって経絡中を巡り、衛気は昼間は陽の部分を循り、夜になったら陰の部分に入る−という生理ですね。それで全身を循って行くんですが、その心の陽気というのは血脈に栄気が入って赤い血となる、ということですから、心の陽気は血の陽気、気血の血の陽気だといっていいんですが、実はそれが循るためには肺の気もいるんです。肺気がないと循りにくいんですね。血だけでは循りにくい。これが一体となったものを古典では神、カミさんの"神"という言い方をするんです。肺の陽気だけだとイコール衛気。心の陽気だとイコール栄気といういい方できるんですが、実はこれが一体になって全身を循っていくんで、そのことを神と言っています。単に陽気といっている場合もありますが。この肺気が循環することによって呼吸が始まって血が循るというのは、例えば肺は「相傅の官」、これは「そうでんの官」と読まずに、「しょうふの官」と読みますね。"ふ"というのは扶養家族の"扶"なんで、つまり肺というのは心を助けているという意味なんです。

 何を助けているかというと、心の陽気がよく循るように肺気がワァーと動いて助けているようなんですね。そして肺の陽気と心の陽気は一緒に膀胱経を通って降りて来て、そして命門の陽気になるんです。命門の陽気という言い方は難経が言い出したんで、霊枢では夜になったら、足の腎経から中に入っていくというような書き方をしています。これを腎の陽気と言ってもいいですね。難経では命門の火、この命門の火が一番大事なんだ、というのが難経の特徴ですが、先程言ったようにと、命門の火がしっかりしていれば脾胃がよく働いて、脾胃がしっかり働くと気血がよく製造できるということから、命門が非常に大事になってくるんですね。

 中焦の説明から順番に行くと、霊枢は中焦の説明から入っていますが、中焦で気血、宗気と津液と糟粕つまりカスができて、そのカスは大小便となって出て、宗気は胸にたまって呼吸の原動力になり、津液の中から衛気、栄気ができて、肺気によって血脈に入って順番に循っていく。そして膀胱経に来て、その膀胱経から足の腎経に入っていったのがいわゆる命門の陽気、ということなんですね。長々と説明しましたが、この胃が働く力というのは陽気なんです。肺が働く力、心が働く力もやはり陽気なんですね。

 それが腎にはもともと陽気がないから、下焦に陽気が降りてくることによって、大小便が出たり、或いは腎の生理的な部分がしっかり働くんですが、これもやはり陽気としての働きなんですね。これ、全部冷えたら悪いですわね。逆に熱持ち過ぎても悪い。心蔵は当然、熱を持ち易い。胃というのは熱持つこともあるが、冷えを持つこともある。腎はどちらかというと冷え易い。これはみなさん臨床を通じておわかりだと思うんですね。堅が熱持ち過ぎやすい人というのは困るだろうねえ、精力多過ぎて…(笑)。心蔵が冷えた人というのは、たぶんこの会場には来てないだろう、と。死んでしまいますからね(笑)。
 ところで三焦の"焦"という字は「焦げる」という字で、それは火、つまり陽気だというんですね。この陽気、または火は命門の火とも言ったんだけれども、これが三ケ所にあるというので"三焦"と言ったんですね。

 私がいままでみなさんにご説明したように肝虚の陰虚もあれば陽虚もある。腎虚の陰虚もあれば陽虚もあるし、脾虚の陰虚もあれば陽虚もあるわけですが、それはどこで診ているかというと、例えば脾なら脾という精気が、脾の津液なら脾の津液が虚すことによって胃に熱を持つ病態を「脾虚陰虚」の熱、胃の熱という表現をし、脾の津液が虚すことによって胃も一緒に冷えてしまうことを「脾虚陽虚」というように、私は表現してきたんです。

 つまり、いずれも蔵器、この蔵を中心に虚によって病気が起ってくるんですから、肝虚・脾虚・腎虚・肺虚の説明でいいんだけれども、さらにそれを詳しく分けていくと、寒熱に分れるというお話をしてきたつもりなんですね。熱を持つ状態か、冷えを持つ状態かに分けるという事は、つまり上中下、三焦の陽気を診てるということなんです。だから、私の話を理解していただければ、三焦を考慮に入れた治療をしている事になるんですね、特別に三焦、三焦言わなくてもね。

 人間の身体の中で陽が一番多いのは心ですが、心の陽気を君火といいますね。これは外へ出てきて働くことはない、と。代りに心包が出てくるという説なんですが、出てきて、あっちこっちで働く。つまり肺気になったり、胃の気になったり、或いは命門の陽気になったりするその火、その陽気のことを相火といいます。だから単に命門の陽気を言うのではなく、胃の相火、肝の相火、腎の相火、肺の相火と、後世派ではそういう言い方をします。鍼灸家はあまりそう言いませんけれども、腎なら腎の陽気、脾胃なら脾胃の陽気、肺なら肺の陽気、肝なら肝の陽気のこと、各々の蔵府、特に蔵が持っている陽気のことなんです。三焦の陽気というのはね。

 霊枢の邪客篇に「心は君子の官で独り病まず。心の邪あるは皆心包の絡なり」とあります。ただ経は病むんだ、と。心の経絡そのものの病気はあるけれども、心蔵そのものの虚はない。だから心虚証という証はない、ということになっているんだけれども、時々、心虚証という言葉を使っているのを耳にしますが、あれはどういうつもりで言ってるのかなあ。心虚というのはいろいろな意味があると思うんですね。つまり心蔵そのものの熱がなくなったという意味を心虚証というんであれば、

 つまり心熱虚証というのはあり得ない。心蔵の熱がなくなるんだから、動かなくなるわけで死んでしまいますからね。ただし、心の熱が盛んになる証はある。経絡治療をやっている方は、あんまり心実証なんて証は立てないはずですよね。どうして心が熱持つのかというと、これは腎の水が不足して熱持つから、それで心蔵に熱を持つ。つまり腎虚から来るという認識が普通です。事実、脉診で、左の尺中が虚していて、左の寸口が非常に強くなっている高血圧の方がいますが、この場合たいてい腎虚証として治療されると思います。だから心虚証はないけど心熱証というのはあり得るみたいですね。

 心蔵は熱が多い処ですが、熱が多くなり過ぎたら困るんで、これを押えるのが実は心気なんです。また難しいというか、変なことを言い出したでしょ(笑)。心気はどこを流れてるかというと、これは心の経絡を流れている。心の経絡は少陰心経で少陰腎経と繋がっています。共に少陰経ですからね。だから少陰経という経絡は腎の冷えの性質を持った気が流れている経絡だと言えます。そこで少陰心経又は少陰腎経を補うと、心蔵の熱は取れるわけです。心蔵の熱を瀉して取る場合は心包経を瀉して取ることになります。反対に死ぬ前で心蔵の熱が衰えている場合、脾胃が働かなくなって後天の原気が製造されずにいるわけですから、その場合には心包経を補わないといけませんね。心経を補ってもダメ、心経補ったら逆に死んでしまうからね。ただ、五行穴がありますから、金穴の場合だと多少意味が違うということがあるんだけれども。

 経絡と蔵は実は陰陽の関係になっています。一方が発散すると、他方は収斂する。片方が固めよう固めようとすると、もう一方は発散しよう、発散しようとしている。例えば肺、肺蔵そのものは引き締める収斂作用があるけれど、肺経の経絡を流れる肺気は発散するようにと、陽の方に働いています。また肝の蔵は血を貯蔵していて陽性の働きがあるけれども、その血を集めてくる収斂の気は肝気で、厥陰肝経は陰としての働きをしている。厥陰肝経を捕うと血を集めてきて、結果として発散しだす、つまり活動的になるんですね。心蔵でいうと、心蔵そのものはいつも熱を持って動いているが、心経の方はは引き締めようとする作用がある。その引き締めようとする働きは腎の固まる作用に通じているものなんですね。腎はそういうことでいけば固める作用しかないんです。この腎経を通じて、心蔵が熱を持ち過ぎないようにしているわけです。

 脾虚証の時にはみなさん、心包経をよく使うだろうと思うんです。脾が虚すことによって胃も冷える状態、食欲が無い、身体も冷えている、小便の白いのがたくさん出る。どちらかと言うと下痢しやすい、下痢したら非常にしんどい、疲れるといった状態。脾虚陽虚証といってもいいし、脾虚で胃寒といってもいい。これは古典の言葉で言うと、中焦の中寒だとか、脾の中寒、寒にあたったといいます。これは脾が虚すことによって胃が冷えてるということなんですね。脉は当然沈んで細く弱脉で渋っているでしょう。弦脉や滑脉のようにポンポン打ってはいないはずです。病症としては食欲が無い、唾液が口の中にいっぱい溜る。下痢しやすい、下痢するとしんどい、ガックリ疲れる。そういう冷えの病証が中心になります。これを脾虚陽虚証といいますが、この時は心包経を補わないといけません。

 心経を使ってはダメですね。脾虚陽虚というのは身体の中の熱エネルギーが、陽気がなくなろうとしているわけで、中焦も働いていないので、この陽気を補うには心包経を補うしかない。心経を使うと少陰経につながっていますから、腎の方の陰気を増してしまうような形になるので、よけいに胃が冷えてしまうことになる。だから普通は心包経を使います。反対に心蔵に非常に熱が多いときは少陰経を補ってもいいけれども、場合によっては心包経を瀉法にする。t門を瀉法でよく使うようです。曲沢の補ということもある。

 私はどちらかと言うと瀉法はあまり好きではないので補う方をよくやります。補って取れない時に瀉法をします。特に陰経の瀉法はしないですね。陰経の瀉法はあまり気持ちよくないですから。肝経は少々瀉法しても大丈夫ですが、心包経はちょっと瀉法しにくいですね。どうしても熱が下らない時に、心包経の労宮を瀉法することがありますが、だいたいは補う方でいきます。

 今、心蔵に熱持っている人ーー今流でいえば高血圧や動脈硬化の人ーーけっこう多いですね。小川新先生はよく胸の熱のことを仰るんです。胸をさわっての熱があるかどうかですね。胸全体に熱持っている人がいますが、だいたい胸骨中心、|中から下あたりから非常に熱っぽい人がいます。それは少し横にずらしてさわってもらったら分るんですが、これは心の熱なんです。こういう人は自覚症状として例えば、血圧が高いとか、フラフラする、動悸がしやすいとか言いますね。そして病院へ行くと狭心症の疑いがあるとか、立派な病名をつけてもらって、たいしたことなくても、それで病気になってしまう人もいますが・・・。

 小川先生の話では、安定剤や高血圧の薬などを飲んでいると、必ず胸に熱を持つそうです。安定剤を飲めば飲む程、熱を持つ。確かに漢方的に見ると現代医学の薬をたくさん飲んでいる人は非常に熱持っていますね。これは触診するとよくわかります。胸に熱持つと、必ずと言っていい程、夜中に目がさめます。いったん寝るんだけれど夜中の十二時、一時頃になると、ぶっと目が覚める。これは胸の陽気が出てきやすいんですね。胸に熱持てば持つほど、その中の陽気は夜だから内に入っていてもらわないと困るのに、それが多過ぎて胸にパッと出る。だから真夜中に目がさめるわけです。

 そういう人は眠れないと病院に行くと安定剤をもらう。安定剤を飲んでむりやり寝ているんだけれど三時、四時までしか眠れないという人が今、たいへん多いですね。そういう人は絶対胸に熱持っているんです。触診して心蔵の周辺に熱があっても必ずしも心の熱とは限りません。肺に熱が行っている場合もありますから、症状を聞いたり、脉診などによって、肝虚で心熱持っているのか、肺に熱もっているのか、又は腎虚で心に熱持っているのか、肺に熱持っているのか、或いは脾虚で心熱なのか、肺熱なのか、そういう判別が必要です。

 これは寸口の脉を比べてもらえば簡単に分ります。右の寸口が強ければ肺の熱だし、左の寸口が強ければ心の熱です。これは実脉でなく、ただ単に強弱をみればいい。尺寸陰陽でみてもらえばわかるはずなんですね。尺中の方が脉が弱くて、寸口の脉が強ければーー右寸口が強ければ肺熱持っでいるし、左寸口の脉が強ければ心に熱がある。それではどの程度の熱なのか、それは脉状を診ることで判断していかないといけない。

 その強い脉を表現すると、例えば弦脉ーー単なる弦脉で少し強いのか、滑までいっている強さなのか。或いは肺がショク、実までいっているのか、という脉状によって病態を把握していかないといけないですね。各六部定位の脉、各六部それぞれの脉状をみるという脉診法は決して特別な方法ではないんです。昔の書物には全部それが書いてあります。寸口の脉が滑脉の時はどうで、ショク脉はどう、虚脉は、弱脉はなどと昔の脉診の本は全部それが書いてある。昔の人は各々の脉状を診ることによって病態を、病理を把握しようとしたんですね。もちろん脈経にもハッキリと書かれています。

 そういうことを全く無視して経絡治療は虚実しか言わなくなったんです。無視したんじゃなくて、あんまり言うとやこしいので虚実しか言わなかった。そしてその虚実がいつの間にか、強い弱いになって、脉差診ととか比較脉診などと言う言葉が生まれたということなんですね。歴史的に全く間違った方向に進んでいたと言ってもいいのではないかと私は思っていますが、もうそろそろ修正して、六部各々の脉をちゃんと診ていかないといけないと思いますね。

 同じ脾虚でも胃が冷えているのか、胃に熱を持っているのかでは病態は違ってきますよ。例えば脾虚で胃が冷えているために膀胱も冷えたら、小便に何回もいく、ノドまで冷えたら咳が出る。胆まで冷えたら寝られなくなる。逆に今度は脾虚で胃に熱を持った場合、胃の熱が肺に行ったら咳をするとか、心蔵に行ったら血圧が高くなる、又は動悸がする。膀胱に行ったら膀胱炎様の症状を出す、胆に行ったらイライラする。そのように冷えや熱があちらこちらに移動することによって病態が変っていくんですね。

 その寒熱の病態、病証というのは他の五蔵六府全部に出る可能性があるわけです。つまり、脾虚で胃の冷えとした場合に、その脾虚が単に脾だけなのか、心包も一緒に虚しているのか、心の血の不足のための陽虚で冷えがきているのか、という区別ももちろんあるでしょうね。そして次に、その冷えが心、心包以外の例えば肝、腎、肺にどれだけ影響しているのか、或いはそこまで行っていなくて府の方にどれ位の影響を与えているのか、それを六部各々の脉状と病証で見つけていかんといけないわけです。

 その時に難経の六十九難の方式で捕うと、いろいろな処に波及している寒熱がわりと取れやすいですね。全部は取れないけれど、うまくいけば取れやすい。上手にやれば一穴でも脉が揃うんですね。ただし施術者の陽気を補う力、技術によってずいぶん違うというのは事実です。それでも足らない時には、冷えている経絡の治療をした方がいい。あたり前のことだと思いますが、それも見つけていけるんです。脉と病証が一借になればね。

 先程から寒熱を言っていますが、これは言葉を変えれば、三焦の原気を診ているということです。五蔵六府の持っている陽気の状態、それが非常に大事なんだということで、三焦の概念が出てきた。大きく上・中・下の三ケ所に分けて、各々の陽気としての活動力があるということ。難経は命門の陽気、三焦の原気を非常に強調したんですね。それは各五蔵六府の陽気を強調することだろうと、私は思うんです。

 では、その陽気はどうしたら補えるのか、とういことですが、簡単に言えば接触鍼。接触鍼は押手が強いともうダメでしょ。普通にのせて、上がら指をあてているだけで充分補えるはずなんですね。鍼の治療というのは、ものすごくキックするか、もの凄く弱くするかのどっちかがいいですね。中途半端にやっても良くない、あまり効さません。特に肺経、心包経というのは、ほとんど接触鍼しかしないですね。本当に接触ね。そして左手の押手の示指を基点にして、鍼を上に斜めに置いて、母指で上からおさえる。

 この時おさえ過ぎて鍼が曲って、たわんでもダメだし、押手がきつ過ぎてヒフが引込む程でもダメ。おさえて、そして気が至るのを感じたら抜く。指か冷たかったらダメですよ。さて、そのような補い方で陽気が循り出すんですね。ただ病態は陽虚だけでなく、陰虚もある。つまり熱を持っている場合には陰気を補わないといけないわけです。難経にも素問、霊枢にも書いてありますが、陰気を捕う際は、よく按圧して経穴をのばし、爪を立てて、そこの衛気を散らしておいて栄気を補うように強くやる。栄血を補う必要がある時は、その穴所を按圧して、少し鍼を入れます。入れると言っても一、二ミリ位までですよ。

 栄血を補うということは陰気を捕う。陰気を補うということは熱をさますということです。
寒熱をもう少し詳しくみてみると、湿燥という概念を入れてもいいですね。熱プラス水という考え方でもいいでしょう。水毒といっている人もいますが、冷えがあると当然水が溜るんですが、熱があっても水が溜ることがあります。これを別の言葉で「痰飲」と言った(やまいだれ)の中に火が二つ入るのですから、熱がこもっている水という意味です。熱プラス水ですね。

 素問に「肝虚、脾虚、腎虚は四肢煩重する」と書かれていますが、この肝虚、脾虚、腎虚の三つに陰虚があります。この三つの陰虚というのは各脉診部位の虚脉とイコールなんです。つまり脾の部位の脉が虚していたら脾の虚、そして熱があれば脾の陰虚ということが言えます。

 陰虚になったら当然、熱が出て来ます。この虚熱が発生すると、熱は外に向いてどんどん出ていく作用がありますから、非常に虚熱の多い人は外の熱で身体がほてりますね。熱っぽくなる。同時に水が抜けていきます。つまり汗をしっかり出します。年がいくと、だいたいこの様な状態になりやすいですね。陰虚というのは簡単に言えば、水気の不足ですから潤いがなくなります。

 年がいくと当然、体の中の潤いがなくなり、熱が外に向いて出ていくと同時に汗が出ますからひからびてくるんですね。よく背中が痒くなります。背中に何もできていないのに痒いんですね。『老人性皮膚掻痒症』というと、「嫌な言葉ですね。」と患者に言われますが、老人性ですよと、わざと言うんです。実は私も時々、痒くなるんですが(笑)。身体の中の津液が不足すると、そうなるんです。

 こういうふうに汗が出やすい人はやせがちなんです。絶対太ってはいませんね。ところが、古くなってひなびてくると、出て行く虚熱が少なくなり、表面の皮膚近くまでは押し出すけれど、汗が出るほどは熱が出ないという状態になります。そしてどうなるかと言うと、ここに水気が溜ってくるわけですね。よくあるのが女性の肥満です。陰虚の虚熱はあるが、汗を出してしまう程、旺盛ではない。

たとえ虚の熱でも熱がどんどん循れば、汗も出るし、小便も出る。その代り、便秘になったり、口がよく渇く、又は筋肉がひきつりやすくなるなど他の症状が見られますが、特に小便と汗はよく出ます。ところが虚熱そのものが少くなってくると、小便も勢いよく出なくなる。汗の方は首から上はでるが、首から下は出ない。虚熱が多い人は足の先から頭の先まで汗が出るはずなんです。ところが少くなればなる程、だんだん上の方しか汗が出なくなります。これは患者さんによって違いますね。

 「汗よくかきますか。」「先生、私は上半身によく汗かくんです。腰から下は絶対に汗出ません。」とか。もっとひどくなると、胸から上は出るけど、又は首から上は出るけど下は出ない。しまいには頭の方も出ないで、水だけ溜っている。それがどんどん進んで行くと今度は冷えの方にいくわけです。虚熱があるが、汗を出すほど熱がない人は水が溜って、つまり肥満になります。

 これを古典では胃に溜ったら痰飲だし、皮膚表面に溜ったら水気病だし、俗に水毒と言いますね。これはよく触診するとわかりますが、撮まんでみるとハッキリわかります。皮が薄くつまめる人は虚熱だけの人なんですね。ポテッとした人は水気の多い人です。この水気を動かすのに実は三焦が関係しているんです。水は津液に従いて流れる、ということが古典に書かれていますが、津液は水なんだけれども、古典では津と液とに分けている。津は陽気で液は水だという表現をしています。これはどうも津液の中に陽気が含まれていると解釈してもいいんですが、身体の中の水分、水気、津液というものは衛気が動くことによって動く、ということだと思うんですね。

 つまり陽気が循環することによって、水気はさばけることになります。そこで水肥りの人は腎虚で治療するか、肺虚で治療するかは別にしてもーー特に肝腎の虚が多いですがーー肺気を循らすことにより、陽気を盛んにして水気を抜いていくことができます。膀胱経の陽気が下を向いてサァーッと降りれば、小便がよく出ます。膀胱経を補うと、よく小便が出るようになりますね。霊枢には膀胱経と胆経の間を三焦経が流れているということが書かれています。また、その三焦経は膀胱経の委陽を流れているということなんです。

 確か、増永静人先生が最初に言われたと思うんですが、「足の三焦経」は委陽穴から下、つまり膀胱経と胆経の間あたりに流れている、と。あの辺をよく按圧してみると、たしかにシコリができている人がいるんですね。附陽穴より少し外で胆経までいかない処に、ブヨブヨとしたシコリができている。そういうところをよく治療してあげると、小便がとてもよく出るようになるんです。これはぜひ確認してみて下さい。

 私はうつ伏せで治療する時は委腸に置鍼することがあります。膝関節に水が溜っているような人にやったりするんですが、明らかに水肥りの人がいるんですね。私がよく便うのは飛陽、附陽ですが、委中、委陽、或いはそこから少し胆経に寄った方、足の三焦経といわれているあたりのプヨプヨした脂肪の固まりのようなしこりに置鍼してもいいし、撚鍼で丁寧に補ってもいいんですが、そういう処を使って膀胱経の陽気を下に降ろしてやります。つまり足の方まで陽気がよく循るようにしてやるんですね。

 すると当然、小便が勢いよく出るし、上半身しか汗かかなかった人が下半身の方まで汗をかき出すようになってきます三焦の気とは三焦の陽気というように陽気なんですね。三焦の原気というのはもとは後天の原気から造られて腎に行ったものですから、だから陰経の原穴と兪土穴は一致しています。それに対して陽経の原穴は別になっています。つまり原穴というのは三焦の原気が出ているということなんだけれど、要するにその蔵府の陽気が顕著に表われる経穴、或いはその蔵府の陽気を補うのに必要な経穴という言い方をしてもいいかと思うんですね。

 脾虚で胃が冷えている場合は、胃の原穴、陽明経の原穴を補うという使い方をする。もっとも、脾虚の場合は陰虚でも陽虚でも土穴を使います。肝虚陽虚証、つまり肝が貯蔵している血そのものが少なくなって冷えている場合、上穴を使います。それはイコール三焦の原気を補っているということなんです。肝虚の陽虚だから原穴を使う。それは結局土穴を使うことになっている。実にうまくできていると思います。

 肝虚陽虚証の場合、女性では月経中に下痢する、手足ともに冷える、冬には必ずシモヤケができる、或いは不妊症が多いですね。男性では非常に体力や精力のない人ですが、こういう人達は当然冷えです。血がないための冷えなので血を造らないといけない。それには陰谷、曲泉ではダメで、血を造るには脾胃に関係する土穴を補うこと。土穴イコール原穴ですから、結局原穴を補っていることになります。

 ということは陽気を補うようにできているんですね。霊枢では蔵に病があれば原穴を使うことと、書いてありますが、蔵に病気にあればという意味は今でいう肝蔵が悪いとか、胃が悪い、脾蔵が悪いといった意味ではないんです。

 つまり古典的に蔵そのものの持っている何かが、要するに陽気がなくなってグニャとしている場合に原穴を使いなさい、と。原穴を使うことは三焦の原気を捕うことだし、三焦の原気を捕うことは、つまり陽気を補うことになる。陰虚の場合はこれと反対に虚熱のある方だから、原穴は使わずに合水穴を使うのだということになる。このあたりをからめて考えていけば、ずいぶん取穴の巾が拡がってくると思います。

 病態と取穴を寒熱で考えていくと、各々の寒ならば原穴或いは土穴を使う。熱ならば合水穴を使う。この考えでやれば、三焦を充分考慮に入れた取穴になっています。知らない間にそうなっているわけですね。
具体的に三焦をどう使うかと言うと、先にもお話しましたが、まず小便が出ない場合は足の三焦経を併用してみる。冷えの人も水は溜りますが、水がたまると更に冷えて、小便はむしろ、どんどん出ていってしまいますから、冷えの人で水がたまっている人はあまりいないですね。陰虚の虚熱から水がたまる人が多いです。虚熱プラス水の人ですが、その様な人はぜひ膀胱経を使う。とにかく小便を出すということが一つ。

 もう一つは瀉法に使います。肝虚胆実、脾虚胃実など実熱が出る場合があります。陽経の実となれば、陰経補ってから当然、陽経の浦法になるんですが、この瀉法の時に実は三焦経を一緒に使う。非常に熱が多いわけですからね。これはふつう手の三焦経を使います。火穴が一番いいのではないかと思いますが、私の場合は中渚と外関をわりと瀉法に使います。

 急性病でも慢性病でも、陰実でも陰虚でもかまいませんが、身体に熱がたいへん多くなっている時に、中渚・外関、三焦経を一緒に瀉法するんです。つまり胃経の瀉法プラス三焦経の瀉法ーーそういうことをすることがある。一番良くわかるのはカゼがこじれて身熱がある場合です。舌に苔ができる。味がわからないから食べるものもあまり美味しくない。なんとなく口が渇く。なんとなく身体が燃えてほてる。

 そして体温計で測ると三十八度もないが、徴熱や倦怠感があって身体がしっかりしないという状態で、風邪が今ひとつ、スッキリ治り切らないという。そして病院へ行き、注射をしたり、薬を飲んだりしているんだけれど、とういう人に限って薬を飲めば飲む程、余計に負担がかかって、余計熱が下らない。このような場合に三焦の瀉法をする、その熱が案外よく抜けます。

 これは慢性病ではあまりないかも知れませんが、慢性病といってもアトピー性皮膚炎は実は肺虚からの変型だろうと私は思っているんです。肺虚証とは限りませんよ。腎虚証も肝虚証もいるんですが、だいたいあれ肺が弱い人、呼吸器系が弱い人。

 話が飛びますが、柴胡清肝散という漢方薬があります。戦前の話ですが、大正年間、結核患者に大変効果があって、よく使われていました。現在、子どものアトピー性皮膚炎に柴胡清肝散が効くことがとても多いんです。アトピーというのは昔だったら結核になるような子が、今はBCGや予防接種で結核にはならないが、それがアトピーに出ているのではないかという感じを持っています。

 これを漢方的に言ってみれば、肺虚から腎虚あたりを行ったり来たりしている子にそういうのが多いんではないか。尚かつ、見たり触ったりしてわかるように、あれは冷えではありませんよね。何か中に熱がこもっているような感じがします。皮膚の黒さといい、熱感がある状態といい、少なくとも冷えではなく又、熱も体温計に出る熱じゃない。いかにも皮膚の内側に熱がこもっている状態です。

 あれは肺虚証、そして極めて浅い接触鍼でやる方が治るような気がします。ただ、かなり古くなり色が黒くなっている人は一時瀉血した方がいい場合もあります。特に副腎皮質ホルモンを使っている人の場合は肘関節のところなど黒くなっていたりしますが、瀉血した方がいいでしょう。そして皮膚鍼がいい。皮膚鍼ないし接触鍼、ブスブス刺す鍼よりも接触鍼がいいですね。

 根気よくやれば、アトピー性皮膚炎はケッコウ良くなります。一番いいのはさすること。これがケッコウ効くんですよ。でも息者さんをいちいち擦っていたらたまりませんがら、鍼だと接触鍼が最もきく思います。ただ、熱を持っている人が多いので、三焦経の瀉法はやってみて下さい。三焦経の瀉法をやりながら、本治法においてやってみて尚かつ、局所に接触鍼をするという状熊で局所の気血の循りがよくなれば、ずいぶんアトピーは改善されると思います。最近アトピーは多いでしょ。「先生、この子牛乳飲んだらダメなんです。タマゴ食べたらダメなんです。」結局、何も食べさせるものがなくて稗を食べさせている。幼椎園に行く頃になってもまだ三才位の背しかないという、ヒドイことになっている。その代りアトピーはで出てませんが、稗しか食べさせないから、アトピーも出ようがないわね(笑)。

 また、娘さんになってもアトピーが残っている人がいます。これは治りにくいですね。副腎皮質軟育をだいぶ塗り続けていますから、渋皮を張り付けたような皮膚の色になっているんです。これを漢方薬や鍼で治療を始めると、本人がブレドニンを急に止めんでいいと言うのに止めてしまうんですね。急に止めると副作用が出ます。軟膏でも。副作用が出てアトピーはパァーと出る、小便が出なくなって顔がむくむ、入院しないといけなくなる。そんな息者がうちでも二人いました。

 二人とも二十五、六才の娘さんです。その年齢まで副腎皮質軟膏をずっと塗り続けた結果なんです。だから、いっさい軟膏をなるべく塗らないように、変な刺激を与えない限り、そんなに悪化しない。ただ痒いから掻くでしょ。掻くと必ず悪くなるから、なるべくおさすりでごまかすようにして治すわけですが。
アトピーの場合、古典医学的に言えば身熱が結構多いわけですね。全身的にできているところは瀉法にしていいけれど、その瀉法は接触鍼的な瀉法です。経絡的には三焦経の瀉法です。

 「万病回春」という書物では、諸熱は三焦が主るということが書かれています。そして、あらゆる熱は三焦経で取れると書いてありますが、さあどうかなあと思うんですがね。本当に全部の熱が三焦経でいけるかどうかは分りません。が、ただし三焦経というのは陽気だ、陽気だと言ってきました。身体の中の陽気は上、中、下と各々陽気が必要なんですが、身体の中の陽気を平等に分配するような、そういう役目を三焦経は持っている経絡ではないかと私は思います。陽気がどこかに停滞する。中焦なら中焦に熱が停滞する。下焦に熱が停滞するのは膀胱か子宮ですが、膀胱の熱は瀉法しないといけないけれど、妊娠というのは子宮の熱ですから。

 子宮が冷えたら妊娠しませんでしょ。そういう熱の偏在に対しての手の三焦経、水の偏在に対しては足の三焦経を証プラス併用する。私自身も今、お話したことを実際にやってみて居りますが、まだまだ確信のところまで行っていないといった方がいいかも知れません。みなさんも是非お試しいただきたいと思います。というのは従来の経絡治療では三焦が重要というわりには実際に中に組み込まれてはいないのが現状です。

 私が言っている陰虚・陽虚又、寒熱の状態を分けていって、その熱その冷えがどこにあるという処まで分けていって治療をするのであれば、そして肝虚だから陰谷・曲泉という六十九難型でなくて、原穴とか土穴とかいうことも使うことで取穴をやっていけば、その中に自ずと三焦の原気を補うようにちゃんと組み込まれているわけです。私の理論は。だから特別に三焦と言わなくとも、肝の陽気・肝の陰気とか、腎の陽気、脾の陽気とかいう説明でいけば、三焦はその中に含まれているわけなんですね。

 実際の治療には、足の三焦経は陰虚の場合が多いですが、要するに余分な水が溜った時に足の三焦経を使い、余分な熱がある時には手の三焦経を使うというやり方をしています。三焦の原気が大切だからと、必ず左陽池をやるという人がいますが、私自身は陽池はあまり効かないいう気がしています。使い方が下手なのかも知れません。まだよくわかりません。

 むしろ、肝経に熱があって肝の脉がポコンと浮いている場合、或いは肝実で胆も実になっている時、又は肝虚で胆実になっている時に、手の少陽三焦経の中渚か外関を瀉法してごらんなさい。脉がスッと沈みます。軽い瀉法でいけます。私の場合は経に逆って補法でいくとか、そういうのでも取れますね。この手の三焦経は全身の熱を取るというのもいけますが、少陽経で結がっているので胆経と同列に考えて、肝胆の熱を取る時にも三焦経が使えるということですね。

 今後、もしこのことを漢方鍼医会が勉強していくとすれば、陰虚・陽虚の病態と、全体の脉状ないしは各六部の脉状と病埋、病証の関連性ですか、そういうことは一人の力ではなかなかですので、みなさんで研究され、是非、学会などで発表していただきたいと思います。それはまだ充分には確立されていないだろうと思いますね。ただし昔の本にはたくさん書かれているんですよ。書かれてはいるんですが、みんな通り過ぎているだけなんで、勉強しない人が多いんだね。

                                                                    ※漢方鍼医弟1号より転載