○はじめに
池田政一著「難経真義」(六然社刊)のコラムのページに面白い記載がありました。
経絡治療学会の学術大会にて「寒熱が分からない」とベテラン経絡治療家数人より相談を受けたと言うのです。寒熱の臨床は古典治療の基本であります。寒熱が分からないという事は、古典治療が何も分かっていない事になります。それでは、経絡治療ではなく、実態は単なる刺激治療を行っている事にしかならないと思います。
陰陽論は寒熱論が基本となっています。古典鍼灸術を実践しているのであれば、陰陽理論は基本中の基本となり、その基本である陰陽理論も正しく理解していないと言う事になります。陰が虚すと熱が発生します。虚熱ですね。陽が虚すると寒が発生します。また、陰が盛んになれば内に寒が多くなり、陽が盛んになれば外に熱が多くなります。
陰の部位に熱が内攻すれば陰実となります。これは陰の熱であり、これが慢性になれば?血となり寒となるのです。これが基本であります。
病気になると陰陽のバランスが崩れるから必ず寒熱が発生します。この寒熱の病理状態を診察して証を決め、選経選穴をして営衛の手法を行うのが治療であります。
漢方医学独自の基本思想に、命門学説・相火論・三焦心包論・精気神論などがあります。中でも、命門学説と相火論・三焦論は鍼灸治療には重要な思想であります。
命門学説は、蔵府理論を構成しているものの一つとなっています。命門と人体の生命活動とは密接な関係があるため、これを「生命の門戸」と呼んで蔵府の中でも極めて重要な位置を占めるものとしています。
命門の記載は内経に始めて現われています。「霊枢」根結には、『太陽は至陰に根ざし、命門に結する。命門とは目のことである。』とあります。これは足の太陽膀胱経が睛明穴で終わることを示しているもので、睛明は至命の場所であるから命門と呼ばれているわけです。
相火論については、人体の生命を維持する精気は五蔵に舎どり、心は神を蔵し、肺は気を蔵し、脾は営を蔵し、肝は血を蔵し、腎は精を蔵する。この五蔵の内で、心と腎の上下の交流が最も大切であります。心の君火と腎の水の陰陽が交流することにより、精気は神明となり心に神を蔵し、腎に精を蔵します。つまり、心の君火は人体の気の大元で、腎の水は人体の形の大元であるのです。
我々が臨床の核とした医学文献は、内経医学といわれる「素問」「霊枢」「難経」を基本的文献としました。特に「難経」は、古代より鍼灸臨床医学書としての価値は非常に高かったのであります。その「難経」の基本理論が三焦心包論にあるのです。臨床の場では陽気・精気・命火・寒熱論・・・になるものと理解しています。
「陽気」とは腎中の陽気であり、手の少陽三焦経が属する三焦の原気です。また、命火とは五行的には腎と膀胱の間に位置していて、腎蔵はこの三焦の原気を生命の根源としています。これを等が腎間の動気・右腎の命門・下焦の原気等々であります。
三焦の府は、この原気の一部を受けて血液の循環や身体を温め潤し、飲食物の消化・吸収・排泄の働きにより衛気営気を生成し、五蔵に精神的要素である魂・神・意智・魄・精志を内臓させる事になります。
原気とは臨床的には生命力の事であり、三焦とは人体における三つの原気であります。少陽という位は、天地の気では相火と称され人体にあっては三焦の陽気に相当するものであるとされています。
1.陰陽五行について
森羅万象を、陰陽五行を基準として分類すると一定の法則が出てきます。
漢方医学では、この陰陽五行を人間に応用して生理を定めます(人合)。この生理を基準として、患者の病因・病位・病証等を診察・取捨選択して総合的に判断し、漢方の病理を決定します。つまり「証」を決定します。決定された「証」に基づき治療や予後・養生の指示もできるのです。
(1) 陰陽・五行等の基準について
陰陽とは、ある全体を、基準に基ずき二つに分類したものです。分類された一方と他方を比較して、天の位(場所)や日や気や火の性質が多い方を「陽」と云う言葉で置換え表現し、地の位や月や形や水の性質が多い方を「陰」と云う言葉に置換え表現します。この事を「陰陽の生成」と言います。
その置換えた符号、「陽」と「陰」の間では交流、変化、交代、循環などの一定の法則が成り立ちます。その法則は、万物・万象を分類・論理し応用する基準となります。
陰陽五行等の分類は無限に分類できる自由自在の物差しです。陰陽に分類した一方の陽を更に陰陽に、もう一方も陰陽に再分割します。つまり、陽中の陽・陽中の陰・陰中の陽・陰中の陰の四部に細分化できます。この事を、「陰陽中に陰陽あり」また「五行に五行あり」とも言います。
五行等とは、陰陽が二つに分類するのに対して、三つに分類する三部(上中下・天地人等)、四つに分類する四部(四時・四季・四象等)、五つに分類する五部(五行・五運・五位・五時・五音・五色・五味・五穀・五菜・五果・五類・五畜等)、六部・七部・八部・九部・十部・十一部・十二部等も含め五行等と言っています。
陰陽の分類と同様にある全体を、三・四・五・・・と分割分類し、その分類された各々の部分には、互いに様々な秩序や法則が出来ます。五行を例に取ると、五行の相生関係・相剋関係等の法則です。
これら、五行を代表する物差しも、元は陰陽から派生したものです。これらを総称して単に「陰陽五行」とも言います。
@形(物質)の陰陽五行
形(物質)の陰陽五行とは、位・方位・場所・器の分類です。別の言い方をすると、ある気(働き)を宿す位・方位・場所・器等の形の分類です。
具体的には、上下・上中下・左右・前後・表裏・表中裏・内外・内中外・東西南北・四海・木火土金水・九野・九州・十二河等の分類です。
A気(働き)の陰陽五行
気の陰陽五行とは、形(位・物質)に気(陰気・陽気)が作用して、交流・変化・交代・循環等の現象が起こります。
まず、天地を場所の陰陽で分類すると、上にある天は陽、下にある地は陰という陰陽が生成します。次にその生成された、陰陽の間に様々な働き(作用)が生じます。
その働きを「気」と言います。その気を更に分類すると、陽(天)の場所より陰(地)の場所に働く気を天気(陽気)と言います。陰の場所より陽の場所に働く気を地気(陰気)と言います。則ち「気」を陰陽に分類すると「陽気」と「陰気」に分類されるのです。
1) 交流の陰陽五行
天地は天気(陽気)と地気(陰気)の作用により交流しています。
これを交流の陰陽と言います。
2) 変化の陰陽五行
陰陽は、時間と共に常に変化しています。
陽気(天気)と陰気(地気)が交流し万物が生じて一つの形態をとるとは、ある形態から別の形態に変化する現象です。
この事は、ある現象の中に次に来るべき現象が「生」まれて次の現象を準備しています。この現象を「化」と言います。生じて順次「化」して別の形態に「極」まります。これを「変」と言います。これら一連の現象を、変化の陰陽と言います。
3) 交代の陰陽五行
陰陽の生成で陰の場所と陽の場所が生成します。
この天の場所(天位)で陰陽の交代があります。則ち陰が去ると陽が来て、陽が去ると陰が来ます。此の様に陰陽は交代します。?
この事を、一日の陰陽の交代で説明すると、陽位の天には、日(天の陽中の陽)と月(天の陽中の陰)があり、時間の変化と共に天の陰陽が交代します。即ち、天の陰陽の交代に呼応して、地には昼と夜が交代します。一日は昼夜の交代で構成されています。また同様に、一年の陰陽の交代は、春・夏・秋・冬と交代します。
4) 循環の陰陽五行
陰陽は交流しながら変化し、変化しながら交代し、交代しながら循環しています。
一年の季節は、春より夏、夏より秋、秋より冬、冬よりまた春へと交代します。これを繰り返す事を循環の陰陽と言います。
◆陰陽五行のまとめ
ある物やある現象を分類すると陰陽が生成します。
生成した陰陽の間で、陰陽の気が互いに作用し合い、陰陽の気が交流・変化・交代・循環します。その陰陽の気の変化に応じて、生物(人・万物)は形態を生・長・化・収・藏と変化します。これを繰り返しながら生化・盛衰して、生・長・壮・老・死と変遷し、万物はそれぞれの一生を終えるのです。
(2) 陰陽五行思想の臨床応用
@天・地・人(人合)と臨床
自然現象を、陰陽五行等の物差しで置き換え表現すると、陰陽五行は生成し交流し変化し交代し循環する等の様々な法則を生じました。それらの法則を、人体に適応し物差しの基準としました。これを、「人合」と言います。「生理学」になります。
人(万物)は、天(陽)と地(陰)の間、つまり「上・中・下」の位、「天・地・人」の構造のなかで生命を維持しています。そこで、自然界の陰陽五行の法則を人体に適用して人体を理解しようとしました。この事を「天人合一説」とも言います。
陰陽五行等の法則を、生理学は勿論のこと、診断から治療・養生に至るまで活用しているのが漢方医学であります。
A漢方の生理について
漢方の生理とは、人体(形)を陰陽五行の位に分類し、その人体(形)の中で人気が生成し交流し変化し循環する状況を、時の変化と共に把握する事です。
人の陰陽五行分類は、人体である「形」と人体を働かす「気」で出来ています。
つまり人は、陰陽五行の場所に分類された「形」に、陰陽の交流により神・精を生成し、天の天気・空気を呼吸し、地の地気・水穀を飲食して取り入れ、変化させて「人気」を生成します。
生成された「人気」は、日月の運行や季節の変化に応じて盛衰して、形の中で交流し変化し交代し循環して一部は形に舎り活動させ、一部は形を栄養し、一部は修復し、一部は貯蔵しながら、その形を木・火・土・金・水と象変させ、生長收蔵させて生命を維持し、これを繰り返しながら、生化、盛衰して成長壮老死と変化し一生を終えます。
1) 人体の形について(人体の部位を陰陽五行等で分類する)
人形の分類とは、「位」「形」「場所」「物質」の分類です。
上下・内外・表裏・背腹・皮毛筋骨・左右・陰経陽経等の二分割の分類
上焦、中焦、下焦・外中内・表中裏の三分割の分類
四海(水穀海・気海・血海・髄海)の四分割の分類
五蔵(肝心脾肺腎)の分類
しかし、形の分類は天地六合(東南西北・上下)の内に全てが統合されています。
2) 人体の気について(人体・形に舎った働きを陰陽五行等で分類する)
人気は、舎どる所や働きにより呼ぶ名が変わります。
神気、精気、正気、陰気、陽気、気血、栄衛、津液、心気、肝気、脾気、胃気、肺気、腎気・・様々に呼び名が異なりますが、一口に「人気」と言います。
人気は大きく分類すると、定処の気(精神・魂魄・意志・三焦の原気等)と循環する気(気血・営衛・津液等)に分類できます。
人形、つまり人体の陰陽の部位にはそれなりに働きの場があります。これは定処の気と言えます。それに対して、循環する陰陽の気があります。この陰陽の気にはそれぞれの働きがあります。また、日夜や四時の変化の法則に従って身体を循環しています。
◇定処の気(三焦の原気・陽気)
1.気を循環させる定処の気(上焦)
2.気を生成させる定処の気(中焦)
3.気を貯蔵・排出させる定処の気(下焦)
◇循環の気(経絡内外を刻数に対応し出入・往来・交流・交代・循環)
形・人体の内外を「三焦の原気」により循環して、形体(人体)の定処の気を補給し、栄養し、修復し、定所に応じた働きをさせます。
人気は、主に12経絡の内外を営衛・気血・津液等と表現を換えて循環しています。定処
の気も循環の気も、刻数に応じて盛衰しています。刻数に応じない場合が病気となります。
2.君火と相火について
天地を陰陽に分類すると、天は陽で地は陰、天は上に位し地は下に位す、天は気で地は形に分類されます。
分類された天の気を、更に六つに分類すると、寒・熱・燥・湿・風・火の天の六気となり、地の形を、更に分類すると木・火・土・金・水の五行となります。
天と地の陰陽・形気が交流することにより、万物は化して生じ形が極まります。つまり、変化して生命が生・長・化・収・蔵します。天地の気が上下に昇降しあって、天地の間に様々な化と変を起させます。
天の六気を分類すると、風は厥陰、熱は少陰、湿は太陰、火は少陽、燥は陽明、寒は太陽となります。その天の六気の内で、尤も陽性な働きを現わすものは少陰の熱と少陽の火です。どちらも五行では火に属しています。
少陰の熱は神の火で「君火」と言います。少陰の火は陽気の源であり、上に有って日(太陽)の輝きで「明」とも言います。
それに対して、少陽の火は君火を受けて動き回っている火、つまり「相火」と言います。相火は動き回っていますから、動いている位(形・場所)により呼び名が異なります。以上は自然界の現象を言ったものです。
これを人に適応したのが三焦の原気です。
三焦とは人体の生命に関わる陽気「君火と相火」の働きの事です。つまり、五蔵の陽気とも言えます、また、焦とは「こがす」という意味で、火や熱を意味し活動力、陽気とも言えます。
三焦とは、人体の生命に関わる君火と相火を三部(上焦・中焦・下焦)に分類したものです。
3.心と腎の交流
人の生命を維持する精気は五蔵に舎どります。
心は神を蔵し、肺は気を蔵し、脾は営を蔵し、肝は血を蔵し、腎は精を蔵します。その五蔵内で、心と腎の上下の交流が臨床的には一番に重要となります。
つまり、心は上に位し、天の火に対応し陽中の陽です。それに対して、腎は下に位し、地の水に対応し陰中の陰となります。
生命の始まりは、この心陽(火)と腎陰(水)が交流することです。この両精(陰陽の精・心腎の精)が交流する現象を神と言います。この現象により生じる形(物)を精と言い、生じる気を神明と言います。これが生命の始まりです。
心の君火と腎の水の陰陽が交流することにより、精気は神明となり心に神を蔵し、腎に精を蔵します。つまり、心の君火は人体の「気」の大源であり、腎の水は人体の「形」の大源となります。
◇心腎の交流を心の君火と心包の相火側より
君火とは心に舎どる陽気です。いわば陽気の大源です。
その心の君火は腎水を受け相火となります。その相火を心包が受けて、心の君火の代理を務めます。(心包相火論)
その相火は下降して上焦部に作用し、呼吸により気を刻数に応じた循環をさせます。
中焦部に作用し、水穀を腐熟させ精微を生成させます。
下焦部に作用し、糟粕の分別と清濁の分別をし大小便を排出させて腎に流れ、腎に精を蔵させます。
◇心腎の交流を腎水の原気側より
腎水は君火を受け原気(三焦の原気・命門)となります。
その原気を三焦(三焦は五蔵六府を包む膜)が受けて、腎の原気の代理を務めます。
その原気は上昇し、下焦部に作用して胃の精微を衛に変化させます。
中焦部に作用し胃の精微を営に変化させます。
上焦部に作用し胃の精微と呼吸の精微を宗気に変化させて、精気は神明となり、心に昇りり、心に神を蔵させます。
「難経」八難や六十六難などに言う「生気の原・十二経脈の根・腎間の動気・呼吸の門・三焦の原・守邪の神・陰中の一陽・命門」などは、腎の陽気(原気)側より述べたもと思われます。
◇心腎の交流を脾胃の側より
上下の間の中央に脾・胃が位します。
脾胃は心包の相火(陽気)を受けて、水穀を腐熟させ精微を生産しています。
また、脾胃は三焦の原気を受けて、生産された精微(衛気・営気・宗気・津液の原料)を三焦の道より補給します。この働きをさせる気を胃の陽気・後天の原気と言います。
胃は「肺の蓋」と「腎の関」の中間に位するので、ふた(肺)・鍋(胃)・火(腎)に形容して腐熟を説明することがあります。
以上を要約すると・・・・・・・・
上焦部の「心包」は上に位し相火の元締めとなります。相火は下降して、上中下焦を働かせています。
下焦部の「三焦の府」は下に位し原気の元締めとなります。原気は胃で生成された精微を衛気・営気・宗気・津液に変化させて、上中下焦の道より出します。
中焦部の「脾胃」は中に位し、上の相火と下の原気を受けて衛気・営気・宗気・津液の原料である精微を生産して後天の原気の元締めとなります。
心包・脾胃・三焦の元締めの働きとは、精気が上中下・内中外で昼夜・四時の変化に対応し、片寄りがないように調整をしています。
また、心包は心を取り囲む膜であり、三焦は蔵府を包む膜と横膈膜であると言われています。同様の発想をするなら、胃(穀道)は水穀を包む膜(器)とも考えられます。この事をもう一歩進めて言うと、相火(広義)の働き場所は膜、精微を変化させる内の?理と言えます。
<参考> 三焦の相火について
内藤希哲は「医経解惑論」の君・相の二火と心主・三焦論に次のように述べています。
「君火とは天の日のようなものです。相火とはその働き、即ちその作用のようなものです。例えば、空中の陽気、地中の陽気、水中の陽気、言い替えれば暖かさのようなものです。君火は、ただ天上にあって明るく下界を照らしているだけなので、君、即ち帝王の火ということです。それと違って、相火は君火と位置を異にし、下界のあちこちにあってその働きを行っているので、相、即ち宰相の火と言うのです。しかし、その本は同じ一つの気(陽気)なのです。」
<参考>上焦・中焦・下焦の生理について
(1)上焦について
上焦の領域は咽喉(廉泉穴)より心下部(上?穴)に至る領域であります。この領域を心主・心包・?中・胸中・気の海・胃の上口などとも言います。
上焦にある蔵府は心・心包絡・肺であり、これらの蔵府には上焦の陽気が作用することによって様々な働きをしています。
@精神活動
上焦の陽気が作用すると、?中の陽気が心包絡に作用し、心・神の代理をして喜・怒・哀・楽などの働きをします。心包絡の気を腹中の陽気とも言います。
A呼吸活動
上焦の陽気が作用すると、気海や胸中に宗気が積もり、宗気が心・肺に作用して呼吸を行わせます。
B上焦より気の発散
C呼吸と営気の循環
D呼吸と衛気の循環
上焦の陽気が作用し、宗気による呼吸の働きにより上焦が発散(開発)します。上焦が開くと営衛の気が体の隅々まで行き渡り栄養し、温め、活動させています。「上焦は霧霜の漑ぐがごとし」
宗気は、中焦の道より補給された営を導き営気となり、脈中を刻数に応じて循環します。また、宗気は下焦の道より補給された衛を導き、衛気として脈外、皮膚分肉の間を昼夜、四時の変化に応じて循環します。
◇衛気の循環(一日五十周)
昼間(人が目覚めて活動しているとき)太陽経→陽明経→少陽経→足の少陰腎経脈に沿って脈外を一周する。この循環を二十五周する。
夜間(人が睡眠しているとき)外より足の少陰腎経脈に沿って内に入り腎→心→肺→肝→脾を一周として二十五周する。昼夜五十周。
E上焦の道より宗気の補給
上焦の陽気が作用して、天の気や水穀の気の一部が変化して宗気となり上焦の道より補給されます。宗気は上焦より出て、上焦・中焦・下焦に下降します。(宗気の推動作用)
以上のことより、上焦の生理機能の特性としては気の宣発と粛降を主っています。
(2)中焦について
中焦の領域は中?穴より臍に至る領域であります。この領域を脾胃・中?・水穀の海・五蔵六府の海等とも呼びます。中焦にある蔵府は脾・胃・肝・胆であり、中焦の陽気が作用してさまざまな働きをします。
@精微の生成
中焦の陽気が作用して、脾・胃の働きによって水穀を腐熟し化して精微と糟粕を生成生産します。
A精微の配分
中焦の陽気が作用して、ここで生成された精微は、脾の命令により四傍に分別・分配されます。上焦では宗気となり、中焦では営となり、下焦では衛となります。
B中焦の道より営の補給
営は水穀の精気、水穀の清なる者で、津液を原料として変化して赤くなった者であります。血として脈中に入り中焦の道より補給されます。
C血の貯蔵
肝は血を蔵します。営気は中焦にて生成され、手の太陰肺経に始まり足の厥陰肝経に終わります。肝は外界の変化や昼夜・精神状態により、素早く血の量を加減します。また、胆は行動の切り替えの働きをしています。
以上のことより、中焦の生理機能の特性は脾・胃の運化作用を包括し、昇降の要・気血生化の源といわれています。
(3)下焦について
下焦の領域は、臍下一寸の陰交穴より両陰の間、会陰穴に至る領域であります。この領域を胃の下口・膀胱の上口・三焦の原・下の気海・腎間・臍下丹田・右腎の命門・十二経の根・呼吸の門とも言います。
下焦にある蔵府は腎・膀胱・三焦の府・子宮・小腸・大腸・肛門があり、下焦の陽気が作用してさまざまな働きをします。
@三焦の原気
腎は心の君火を受け、原気・臍下の動気となります。この原気を三焦が受けて腎の原気の使いをします。これを三焦の原気と言います。
A津液の分別と生成・貯蔵
下焦の陽気が作用して、三焦の原気は胃で腐熟した糟粕を小腸で化物を生成し、大腸で精微と糟粕に変化させます。
大腸で清濁を分別して津液とカスを生成します。この津液はさらに尿となり、膀胱の上口に浸み込み貯蔵されます。
また、膀胱は必要に応じて津液を貯蔵したり、水道に補給したり、小便として排泄したりします。その働きは水道の一部分となり、津液の調整をしています。「膀胱は州都の官、津液を蔵す。気が化せば則ち能く出ず」
三焦の原気と脾は水道を開閉させて、清濁を分別し津液を吸収し分配しています。分配された津液は下焦の道より衛として補給され、中焦の道より営として補給され、上焦の道より宗気と呼び名を変えて補給されます。
水道とは、上では肺に、中では脾に、下では腎・膀胱に連絡している通路です。また、下焦の陽気により骨に液を膏状にして貯蔵させます。これも津液が変化したものであります。
B大便・小便の分別と排泄
C下焦の道より衛の補給
下焦の陽気が作用して、胃で腐熟された水穀は糟粕となり、営を生成した残りの糟柏は下焦(大腸)に下りて搾られ汁とカスになります。
汁は膀胱へ侵入させるが、その際まだ精を含んでいるで衛気と尿に分別されます。衛気は下焦の道より補給され、尿は小便として排泄されます。カスは大便として肛門(魄門)より排泄されます。
D衛気の漏泄・汗・小便
衛気の働きにより、体温の調節の一部を発汗と小便で行います。汗や津や小便はほぼ同じもので、衛気の動いた結果と考えられます。また、漏泄と言って外邪に対して即座に対応します。その対応は、?理が開くと即座に走ります。これは、衛気の最も重要な働きの一つであります。
以上のことより、下焦の生理機能の特性は糟粕と尿液の排泄であると言えます。
◇三焦の生理機能は
1.諸気を主宰し、全身の気機と気化作用を統括する働き。
2.水液運行の通路としての働き。
4.命門学説について
命門学説は、蔵府理論を構成しているものの一つとなっています。
「命門」と人体の生命活動とは極めて密接な関係があるため、これを生命の門戸と呼んで、蔵府の中でも極めて重要な位置を占めるものとしています。
宋以降の医家は命門と相火とを関係づけようとしました。たとえば、金元時代の劉完素・張元素・李東垣などは「命門相火」の説を提唱しました。しかし命門・相火・三焦・包絡の概念については明確に弁別されてはいませんでした。
明代に至ると、命門の理論的な研究は非常に深くなり完成の域に達し、臨床的にも重要な意味をもつに至ったのです。
(1) 左腎右命門説(難経の説)
「難経」ではじめて「左腎右命門」の説が提供されましたが、これは後世に対して大きな影響を与えました。明代以前の医家たちの多くはその説をとりました。
命門学説は明代に至って発展しました。しかし「難経」の左腎右命門の説に賛同する医家も少なくありませんでした。彼らは、命門の部位と機能とをさらに深化させましたが、「難経」の、命門が右腎に位置し、男子はそこに精を蔵し女子は胞をつなぐというという説には肯定的でした。(「難経」31.36.38.62.66難にあり)
(2) 腎間命門説
明代においては、より多くの医家が左腎右命門の説に対して批判的でした。
虞摶(ぐたん)〔1438年〜1517年〕は、「医学正伝・医学或問」の中で、『ひとり右腎だけを指して命門であると断じない』と述べ、『両腎はもともと真元の根本、性命の関鍵(重要なもの)である。腎が水蔵であるといっても、実は相火がその中に寓している。これは水中の龍火に象られ、動ずることによって発するものだ。両腎を総括するものは命門である。命門穴はまさに門の真中に立つ仕切りのように開闔を主る象を呈している。静であれば閉じて一陰の真水を涵養し、動ずれば升り龍雷の相火を鼓舞する』
虞摶の説が提唱されて後、李時珍・孫一奎・趙献可・張景岳などにより、命門は両腎の間にあるという形でさまざまな説が提唱されました。
明代の諸医家によるこの正誤の姿勢は、清代に入って右腎命門説が廃されるということで完了します。
(3)腎間動気説
孫一奎(そんいっけい) は明代(1522年〜1619年)に活動した医家です。彼が腎間動気説を初めて提唱しました。
「難経」の左腎右命門説に対して異議を唱え、『命門は、右腎にあるとするのではなく腎兪の真中にあるとするべき』(医旨緒余・命門図説)
しかし、「難経」の命門説は、原気という意味が実はもともと込められたのではないかとも考えていました。そして、この考え方を基礎とした上で、「易経」の中で述べられている、万物が産生される理由は、太極と陰陽の二気(陰陽陰)とが動静し変化した結果であるという哲学思想と命門(腎気)の考え方とを結びつけていきました。このようにして、命門とは両腎の間にあって、生生して休むことのない「腎間の動気」のことであると提唱したのです。
孫一奎は、両腎の間にある原気とはすなわち命門の動気であり、これこそが人身における太極であると考え、原気と動気とは太極の「体」と「用」であると考察をすすめていきます。
『原気を化すものは太極の本体であり、動気と名づけられる。動じて生ずるものであり、陽の動である。両腎は静物であり、静にして化すことから陰の静である。これによって、太極の体が成立する』(医旨緒余・命門図説)
さらにこの論を基礎として『命門は両腎の中間にある動気であり、水でも火でもない、造化の枢紐、陰陽の根蒂、すなわち先天の太極である。五行はこれによって出で、蔵府がこれに継いで形作られる』と結論づけています。
(4)命門君火説
趙献可(ちょうけんか) (1573〜1644年)は命門君火説の創始者です。人体の生命活動に対する命門の重要性について深く考察して、命門は人体の『真君真主』であるという理論を提唱しました。
命門は人体の中に位置を占めてはいるけれども、その形はなく有形の両腎の中に存在し、人身の先天においても後天においても極めて重要な主宰者としての機能をもっていると彼は論じています。
また、『命門は十二経の主であり、腎に命門の火(陽気)がなければ作強することができなく、技巧も出ない。膀胱にこれがなければ、三焦の気を化すことができないため水道がめぐらない。脾胃にこれがなければ、水穀を腐熟することができなく五味が出ない。肝胆にこれがなければ将軍としての決断ができないため謀慮が出ない。大小腸にこれがなければ、変化してめぐることができないため二便が閉じる。心にこれがなければ、神明が昏らくなるためさまざまな出来事に対応することができない。まさに、主が明敏でなければ十二官ともに危機に瀕するといわれている言葉の中身である』(医貫・内経十二官論)
この様に、命門の火は人体に対して非常に重要な生理的な作用をもたらしているということを指し示したのです。
趙献可は、命門の先天後天に対する機能を分析することを通じて、人における先天後天の両方に対して、ともに命門が主宰者としての位置にあることを論じただけでなく、命門が先天の本体を主宰するとともに、後天の用(機能)が発揮されることをも主宰するということを明確にしました。
その意味を『人における先天無形の水火は、ともに両腎の間から出ている。先天無形の火とは、すなわち三焦の相火であり、命門の右の小さな穴から出ている。先天無形の水とは、すなわち真陰であり、命門の左の小さな穴から出ている』と説明しました。
無形の火とは、すなわち原気であり、無形の水とは、すなわち元精である。この両者はともに、命門の元神の主宰を受けていると考えたわけです。
「命門が先天の体」であるとは、命門が生命を形成する過程における、精・気・神といった三者の関係を実質的に体現していると考えたものです。同時に趙献可は、後天無形の相火と真水とは、ともに命門の力によって全身をめぐるのであると考えました。
三焦の相火は命門の臣使の官であり、これが命を稟けて五蔵六府の間を休みなくめぐり、真水はこの相火にしたがって全身を潜行していると考えたのです。
相火が命門の命を稟け、真水が相火にしたがって流行するということは、結局は、全身の陰陽水火を総督するものが命門であるということになります。
相火と真水は、両腎の間の命門の火に帰するというこの考え方は、人の先天後天の生理機能におよぼす、命門の重要な作用を暗示しています。
(5)命門「真陰の蔵」説
命門が『真陰の蔵』であるとする説は、張景岳(1562〜1639年)によって始めて説かれました。張景岳は前人の命門学説を基礎として、命門の研究と陰陽五行・精気理論とを密接に結合させ、命門の位置・生理・病理などに対して深く研究して、命門学説をさらに完成の域にまで高めました。
張景岳は、命門の位置について『両腎の中に位置して偏ることなく、先天後天の立命の門戸である』(類経附翼・三焦包絡命門弁)と考えました。
命門と腎とは、一にして二、二にして一の関係にあり、『命門は腎を総主し』『両腎はともに命門に属し』『命門と腎とはもともと同一の気』であると提唱しました。
また、命門がすなわち女子の子宮・男子の精と関係するという、やや強引な説をも認めており、それを出発点として「先天立命」の重要性から、「難経」で言う所の男子は精を蔵し、女子は胞をつなぐという説について説明しています。
人における、先天の元陰・元陽は父母から稟けたものであり、そこから生命が始まり、先天の元陰・元陽は命門に蔵されて合して「真陰」と呼ばれると論じたのです。
「真陰」は先天的に稟けたもので、これは後天的な陰精・陽気によって滋養されると考えたのです。
《内経》における、五臟六腑の精は腎に帰すという考え方は、景岳によってさらに発展させられ、腎はその精を命門に蔵して人の真陰となり、後天の精気はすべてこれによって化生されると提唱するに至ったのです。
いわゆる『五液は皆な精に帰し、五精は皆な腎がこれを統括す。腎には精室があり、これを命門という。天一が居す場所であり、真陰の海であり、精はここに蔵される。精とはすなわち陰中の水である。気はこれによって化す。気はすなわち陰中の火である』(真陰論)
このようにして、張景岳は命門を「真陰の蔵」と呼んだわけであります。
張景岳は、陰陽一体の思想を根拠として命門を人における太極にたとえました。命門は水の性質も火の性質もともに具えているものである。命門が蔵する元精は「陰中の水」であり、元精が生化してできる原気が「陰中の火」であるとしました。
『命門は両腎の中に居す。これがすなわち人における太極である。これによって両儀が生じ、水と火とが具わり、消長がここに関ることとなる』(真陰論)
命門の、人身に対する重要性はこれによって理解されるでしょう。
張景岳はさらに具体的に解き明かしています。
『命門の水と火とは、すなわち十二蔵の化源である。心はこれによって君主としての明をもち、肺はこれによって治節を行い、脾胃はこれによって倉廩の富を済すけ、肝胆はこれによって謀慮の本を資すけ、膀胱はこれによって三焦を気化し、大小腸はこれによって伝導を自らの分とする』
それまでの医家達は、十二蔵の生理的な機能はすべて腎の技巧から出ていると考えていました。しかし本質的に考えると、命門の「真陰の用」(機能)なのではないかと断じたわけです。
張景岳の命門学説の特徴は、陰陽互根・精気互生を基礎とし、きわめて正確かつ全面的に水火を兼ね具える命門の生理的な特性を論じたところにあります。
命門学説の研究と陰陽精気論とは、ここにおいて緊密な関係をもって説きおこされることになりました。このことは歴代の命門学説を超越しており、非常に深い影響を後世に対して与えることとなりました。
◇まとめ
命門の研究は、明代以降に深く全面的なものとなりました。
明代の各医家の命門学説において明確に見られることは、彼らがそれぞれ道家の説と理学の影響を受けているということです。ことに道家における坎の卦「一陽が二陰の中に陥入している」という解釈と、周敦頤の《太極図説》による影響が見られます。
「一陽が二陰の中に陥入している」という説の下、孫一奎は命門を腎間の動気と呼び、趙献可は両腎間の君火と考え、張景岳は腎の精室と名づけました。
これら諸家の命門についての論は、腎は陰精を蔵するということに立脚しています。これは、命門が相火であるという一般的な偏った認識とは異なっています。
彼らはこのような論を立てることを通じて、命門の陽気を保護することを提唱し、また命門を温補して、腎蔵の陰精を傷ることのないよう警告を与えることになりました。
このことは、李時珍の言うところの『命門の気と腎気とは相互に通じ合い、精血を蔵して燥を悪む。もし腎と命門とが燥わくことがなければ、精気は内に充実するので、飲食の状態は健全となり、皮膚には艶が出、腸府も潤い血脈が通じる』と通じるものです。
明代の、命門学説の臨床的な意義がここに見事に表現されています。
5.命門学説の臨床応用
腎と命門についての学説はいまだに統一はされてはいません。しかし、命門の中には真水真火と真陰真陽が包括され、五臓六腑をつかさどり、人体の最も主要な部分であるということについては大方一致しています。
いわゆる、水火陰陽は臨床的にそれぞれ一定の現象を有しています。それは相対性(対立)や相互作用(統一)を持ち、臨床的には腎陰・腎陽として応用されます。
20数年前に、東洋はり医学会の研究部にて「三焦、三焦経の臨床考察」と題して研究発表をしたことがあります。その時、福島弘道先生から「三焦の臨床は陽動として行う」との発言がありました。当時は、残念ながらその真意が分からなかったと言う思い出があります。
また、井上恵理先生のお話しに「現代の経絡治療家で、三焦・三焦経を臨床活用している治療家は、池田太喜男氏と福島弘道氏だけだ」との発言がありました。「三焦の原気」を臨床に取り入れている治療家という意味であります。
張景岳は、人体の陰陽には先天・後天の違いがあり、先天は命門に属し十二蔵の生成化育の源であるとしています。
「凡そ人の陰陽は、ただ気血・蔵府・寒熱という点から知れるだけで、これは特に後天有形の陰陽である。先天無形の陰陽ということになれば、陽は元陽といい陰は元陰という。
元陽はすなわち無形の火で、生成化育の働きがあり神機がこれにあたる。生命(寿命)はこれに関係しているので原気ともいう。
元陰はすなわち無形の水で、生長発育の働きを持ち天揆がこれにあたる。人体の強弱はこれに関係しているので元精ともいう。元精・原気は精気を生成化育させる元神である」
(景岳全書・伝忠緑・陰陽編)
張景岳の考えによれば、先天と後天の陰陽には区別はあるが、命門の水火は生成化育、生長発育の源で、生命(寿命)はこれに関係し、人体の強弱もこれに関係しているため、後天の陰陽と密切な関係があるとしています。
その為、後人はおおむね陰虚・陽虚を腎の陰陽と考えているのです。命門の水火についても、水を元精・元陰、火を原気・元陽としています。
明代から清代には、一般に腎陰を真水・真陰・元陰、腎陽を真火・真陽・元陽とし、人体の陰虚・陽虚の根本原因は、腎陰・腎陽が虚した為であるといっています。
脾胃と腎の関係については、大体「土は水を剋する」と「火は脾土を生む」の二つに分類できます。
(1) 「土は水を剋する」
脾は土に属し、腎は水に属します。従って土は水を剋すというのです。
しかし、土には燥湿に区分があり、脾は湿土であり胃は燥土であることを明確にしておかなければなりません。「水は湿に流れ、火は燥につく」。
湿土とは水を制することができず、単に水を制することができないばかりか、反ってその水を助長することになるのです。
よく水を制するのは燥土だけ、つまり胃の燥土だけであると言います。正常な生理状態では、陽明経の燥土である胃はよく腎水を制約して氾濫させないようにしています。陽明経の燥土がその働きを失運すると、胃の陽気不足(沈虚遅(数)脉=冷)となり、またその土が燥性を帯びず、水の制御ができなくなり、水が聚(あつま)って病となるのです。(水腫病)
水腫の証というのは、その発生は肺、脾、腎の三蔵に関連があると考えられています。
病が起るとまず肺に影響を及ぼし、次いで脾に伝わり、最後に深く腎にまで及ぶのであります。この様な認識は、「肺は水の上源と為す」という説が基礎になっており、臨床上大変意義があるものです。これ等の多くの場合は、肺から伝わってきたものではなくて、脾あるいは腎自体の病に属するものであります。
脾の水腫病は多くの場合、脾陽の不足により気化失調し、津液を化することができずに「湿」となり、湿が聚(あっま)って水を生じ、水が肌に溢れて水腫の病となるものであります。
腎の水腫病では、多くは寒湿の邪が外襲し、または正気不足して腎陽が不振となり気を化すことができず、水となり貯留して水腫と成るものであります。
脾と腎の両蔵は相剋関係にあるので、脾の病が引起す水腫でも、更に腎の病が引起す水腫でも、みな相互に影響し合うのです。
脾の陽気不足では、水を制することができないので腎水泛溢(じんすいはんいつ)をおこします。腎水泛溢は、陰邪が常にはなはだしくなる為に脾土を侮る結果となります。腎水泛溢による水腫の臨床処方は、必ず温陽を主とし利水を兼用すべきであるといわれています。
更に理解しなければならないことは、脾陽を温するという事です。いわゆる温脾とは、主に温胃を指していることであります。これは、脾と胃は互いに表裏となし、脾といえども胃もその中に包含されているのです。
(2)「命火は脾土を生ずる」
腎中には、腎水と更に命火というものがあります。
清の時代の唐容川(とうようせん)は、「血証論・臓腑病機論」の中で『命門の火以って土を生ずるを得ざれば、即ち土寒して化せず、食少虚羸(しょくしょうきょるい)す。土虚して運せざれば、津液を升達し、以って奉心化血し、諸経を滲灌(じんかん)する能わず』とあり、ここで火が土を生ずる、すなわち腎中の命門の火が脾土を生じるとはっきりと述べています。
更に唐容川は、『脾はその納、化、升、降、燥湿、生血、統血という主要作用を営むためには、その原動力となる命門の火がなければならない。なぜならば、腎膀胱は、臍下丹田にあり、全身の水の精の帰宿するところであるから。しかし、この水は自ら化して気にはなることはできない。これは天陽の気を肺によって吸って、心火を引いて丹田に下降させて、はじめて原気、正気として化生する。心腎二蔵は一陽一陰、一降一升、互いに助け合って絶えず連動し、人身の気血を生化して止むことを知らない。すなわち心陽の火は腎に降って、腎陰は心に上升する。腎陰はすなわち命門であり、命門は腎陰、腎陽を包括している。その心陽の下降と腎陰の上升の枢紐(すうちゅう)は脾にあるということである。』と主張しています。
要するに、脾は心火の熱源がなければ、すなわち命火の作用がなければ機能を営むことができないのです。その原動力となる命火の助けがなければ、土は寒して、脾は湿にあたって凝し、飲食摂取し物を気と化すことができず、それらが中焦に停留するため、食少くして栄養物は全身に輸布されなくなつて身体羸痩する事になります。
このように、脾土が虚してくると運輸の機能は低下します。土が虚する事は、五行学説でいえば、土が金を生じることができず、土が金を生じないと津液を滋することができなくなり、その全身への升達も勿論おぼつかなくなってくるのです。
また、心火というものは脾土を生ずる(火生土)が故に、脾土が虚すれば、脾は血を統べるので、脾陽まで虚して統血不能になります。脾が虚すれば、血液を滋することもできなくなるのです。この状態では、心火虚衰して心陽の下降も虚し、必然的に腎の命門の火も虚してきて、その力をかりて土を生じることができなくなる事になります。
結果として脾が統血・生血して、蔵府百脈を循環する作用に影響を及ぼすことになるのであります。
唐容川の説を総じていえば、心陽は下降して腎は心火を引き、腎陰は上升して心陰を滋養し、脾は命火の力(陽気)によって、すなわち心陽の活動の下にその升降、納化、統血、燥湿の作用を営みます。
反面、心陽の下降、腎陰の上升の機序は、これまた脾の升降作用に依頼しているというように、お互いに協調しあって円滑なる生理作用を保っていると説明しているのです。
◇まとめ
陰陽五行や蔵象学説を根拠にすると、火に属する蔵は心であります。これを基として、命火は脾土を生み、心火は胃土を生むという考え方が出てきました。
命火が脾土を生むという観点からすると、剋中に生ありという説明になります。本来は土剋水であって、その中には命火脾土を生むということも包含しているのです。
また、腎水は滋土の作用もあると考え、土は水がなければ枯涸(こかく)して物を生ずることができず、土は水により柔潤する必要があるとしました。
つまり、滋水は滋土の意味になるのであります。従って、脾胃の運化機能は、腎陰と腎陽、腎水と腎火に関係があるのです。
しかし、火は土を生む事には、火が太盛しすぎると脾胃は燥となり、水は滋土することができるが、水が太盛しすぎると脾胃は湿となるのです。
病証より考察すれば、水腫の証の機序の多くは陽虚陰盛によるものであります。労倦の証は、その多くは陰虚陽盛によるものです。これらの病証はみな脾腎両蔵との関係が密接で、陰陽水火を明確に分別しないと、なかなか適切な治療方針が立てられないことになります。
更に、腎には精を蔵すという問題があります。
腎が精を蔵すとは、先天の精のほかに精の来源は脾胃であり、先天の精はまた後天の精の不断の補充に依存しているのです。腎精は、脾胃の運化による精微の滋養があって、始めて次々と生じて絶えることがないのであります。
脾胃の運化が失調すれば、益気生血できないばかりか、腎精の来源もまたこれに従って竭してゆきます。そこで、腎陰を補す事が考えられますがこれは治療のほんの一部にしか過ぎません。臨床的には、三焦の原気不足・慢性病証・五蔵の病証などには腎陽の治療が重要になると言う事です。
この様に、脾腎の後天と先天の関係を明確に把握していれば、腎虚の原因は脾胃との関係が重要である事がわかり治療の幅も深くなります。
最後に、ここ数年に漢方鍼医会が進める「陽経治療」と三焦・三焦経の臨床応用について参考までに書いておきます。陽経治療を研修する本旨は、陽経よりの選経選穴により三焦の原気を賦活する事に目的があると思います。簡単に言えば「陽気」の治療になると考えています。
<参考>三焦の原気を賦活する選経選穴
1.陰経=兪土原穴
2.陽経=経火穴(陽輔、崑崙,解谿)・合土穴(陽稜泉、三里)・原穴(陽池、衝陽) ・四時における三焦経の選穴
3.その他=・?中・中かん・関元・命門・陽関・・・・・