◆朝日新聞より転載 [患者を生きる・バックナンバー]

      シリーズ  患者を生きる

     <患者を生きる-3> 投書編・・・・

       
うつ 復職へ


眠れない、妻に手引かれ病院へ

 


 

  明るい光が差し込む部屋に、パソコンのキーボードをたたく音が何重にも響く。
 6月、東京都品川区にあるNTT東日本関東病院の作業療法室。20人前後が真剣な表情でパソコンに向き合う。その中に、都内に住む宮井克弥さん(31)=仮 名= もいた。

 うつ病で休職中の人を対象にした職場復帰援助プログラム。同病院では97年11月にスタートした。平日の週4日、パソコンの入力作業のほか、グループでの話し合いや軽い運動などのリハビリテーションをし、職場に戻る道筋をつける。参加者は様々な企業の会社員が多い。
 この日、宮井さんは約2時間かけて、催し物の案内状をパソコンで作成した。職場で使う能力とともに、うつ病で落ちた集中力を回復させる目的がある。時折、ペットボトルの水に手が伸びる。「抗うつ剤の副作用で、すごくのどが渇く。手放せないんです」 電機メーカーの会社員だった宮井さんが最初に精神科医院にかかり、抗うつ剤を飲み始めたのは03年11月だった。

 体調がおかしくなったのはその3年ぐらい前から。取引先との交渉などの仕事がいくつも重なり始めたころだ。土曜日曜もパソコンを家に持ち帰って仕事をこなした。徹夜はざらで、1週間で6時間しか睡眠をとれないときもあった。朝起きられず、会社を休む日が出てきた。
 それでも我慢して仕事を続けていたが、03年10月になるとまったく眠れなくなった。市販の睡眠改善薬や焼酎をのんでも効果はない。やっと寝付けても、緊張が続いているのか、パソコンの画面で計算している仕事の夢を見るような状態だった。

 眠りたいのになぜ? 仕事に支障が出てしまう――。不眠はそんな焦りを生み、その焦りがさらに不眠を呼ぶ。悪循環に陥った。

 11月、会社の会議に出る直前、急に味わったことのない緊張感に襲われた。手に汗がにじみ、足の震えが止まらない。パニックになり、トイレに駆け込んだ。何が起きたのかわけが分からなかった。
 「診断してもらおう」
 妻(32)に手を引っ張られるように訪れたクリニックが精神神経科と知り、驚いた。うつ病について、まだ何も知らなかった。

 復帰試み失敗。役立たずと自分責めた
 電機メーカーに勤める東京都内の宮井克弥さんは仕事のストレスが重なり、03年11月、うつ病と診断された。
 12月から休職に入った。最初は心身ともに疲れ果てていたが、近所の精神科医院で処方された抗うつ剤をのみ、自宅でゆっくり休んでいると、3カ月後には症状は徐々に回復していった。すぐに「急いで会社に戻りたい」という焦りが抑えられなくなった。

 働いていないことがどうしようもなく不安だった。同じころ、初めて子どもが生まれたことで責任も感じていた。
 昼下がりの午後、体調維持のため、散歩に出ると、スーツを着て歩くサラリーマンの姿が目に入る。そのたびに暗い気持ちになった。
 おれは社会の一員として貢献していない。妻に負担をかけてしまっている。こんなことをしていられない――。

 職場の産業医と相談したうえで04年5月、職場に復帰した。だが、焦りばかりが先行し、体調は完全には戻っていなかった。10月ごろから気持ちの落ち込みが出始めて再発。主治医の判断で、11月から2回目の休職に入った。
 「役立たず」
 そんな言葉が頭に浮かび、自分を責めた。
 布団にくるまり、一日中泣くだけの日々が始まった。ボロボロと涙がこぼれ、止まらない。胸を突き刺すような苦しみが全身を覆う。一刻も早くこの状況から逃れたい。「死にたい」と思った。

 妻にも申し訳なく、家にいることもつらかった。「離婚したほうがいい」と伝えたが、妻は「そんなつもりはない」と取り合わなかった。
 それでも、抗うつ剤を毎日のんでいたからなのか、時間が解決したからなのか、徐々に「この苦しみは病気から来ている。いつか過ぎ去るはずだ」と思えるようになった。
 少しずつ冷静に考えられる時間が増え、3カ月たったころ、気付くと起きあがって生活できるようになっていた。

 05年5月、職場の産業医に復職の希望を伝えた。だが、一度復職に失敗していることもあり、不安もあった。上司や産業医らと面談し、NTT東日本関東病院の職場復帰援助プログラムに参加するよう指示された。
 この時点で覚悟を決めた。「時間がかかってもいい。焦らず、ベストの状態に戻してから職場に戻ろう」

援助プログラムで生活にリズム
 東京都内に住む電機メーカー社員宮井克弥さんは、うつ病から回復しつつあった。05年5月、復職を希望したが、産業医や上司との面談で、NTT東日本関東病院(東京都品川区)で職場復帰援助プログラムを受けてから目指すことにした。

 プログラムは月〜木の週4日。作業療法士の岡崎渉さんらが指導し、パソコン(月、木)、卓球などの軽スポーツ(火)、グループで話し合う「グループ療法」(水)などがある。さらに宮井さんは、マイナス思考に陥りやすい「考え方の癖」から脱却するための集団認知療法という精神療法にも参加した。
 プログラムは午前9時半から2時間程度。普通の会社の始業時間に合わせ、満員電車に乗るストレスにも慣れてもらう意図がある。
 「毎日通うことで、生活にリズムができていった」と宮井さんはいう。

 宮井さんの場合は、定員に空きが出た10月にプログラムを開始。週2日のパソコンから始め、今年4月からは週4日通うようになった。
 昼過ぎに帰宅すると、2歳の長女と遊んで過ごした。そのことも回復を後押ししてくれたと宮井さんは思う。
「我が子の成長を見ていると人間の力はすごいな」

 最初は何もできないのに、そのうち立てるようになり、言葉を発するようになる。その姿を見ていると、「なぜか病気も治るような不思議な感覚になる。自分も変わっていけるんじゃないか」と感じる。

 6月、主治医と産業医、上司の話し合いで復職の許可が出た。さらに、プログラムの参加状況や主治医の意見書などの資料をもとに、最終的な復職の可否を判断する審査会が社内で開かれ、7月末からの復職が決まった。
 受け入れる職場の態勢も整っている。最初の3カ月は1日5時間の軽減勤務をこなし、徐々に体を慣らすよう言われている。その状況が再び審査会にかけられ、許可が出れば10月末から通常勤務になる。現在は休職手当のみだが、その時点で通常の給与に戻る。

 「焦らず、ゆっくり行こう」と宮井さんはいう。
 「うつ病は急になるのではなく、時間をかけ、ストレスが蓄積されてなる病気。だから、治すときもそれなりの時間が必要なんだと思います」

(文・武田耕太)