◆朝日新聞より転載 [患者を生きる・バックナンバー]

      シリーズ  患者を生きる

     <患者を生きる-1> 

       
うつ 高島忠夫さんを支えて(上)

夫から笑顔消えた

高島忠夫(たかしま・ただお)
寿美花代(すみ・はなよ)

 

 「どのくらいの賞金に達したらチャレンジをやめるのか見極めが難しいわね」「やっぱり人間、欲が出てしまうのかなあ」
 6月12日、東京・台場のフジテレビ。ゲスト出演したクイズ番組「クイズ$ミリオネア」の収録を終えた高島忠夫さん(75)と妻の寿美花代(すみ・はなよ)さん(74)は、控室でホッとしていた。
 夫婦だけでのテレビ出演は数年ぶりのことだ。寄り添って話しかける寿美さんに高島さんは終始、ほほえみながら答えた。しかし、この笑顔が戻るまでには、長い道のりがあった。

 発端は98年7月初め。30度を超す暑い夏の日だった。
 「寒い。クーラーを止めてくれ」
 高島さんは都内の自宅のベッドで、ガタガタ震えながら毛布にくるまっていた。寿美さんに電気毛布を出してもらい、暖房もつけてもらった。
 かかりつけの内科を受診したが、原因は不明。点滴を受けたが、20日近くたっても治らない。全身が重しを置かれたようにだるい。新聞を読む気力さえわかなかった。
 大学病院の心療内科への紹介状を書いてもらい受診した結果、「典型的なうつ病」と診断された。

 「初めはピンと来なかったんです。先生に薬で治りますと言われ、命に別条がないなら良かったと思ったくらいで」と、寿美さんは言う。
 休養が必要と診断されて、仕事を全部キャンセル。寿美さんはレギュラー番組を抱えながら、自ら車を運転して通院に付き添った。
 発病の原因ははっきりしない。だが、寿美さんは数年前から高島さんの「異変」を感じとっていた。
 60歳を過ぎたあたりから飲酒量が急に増えた。発病する2年前、夫婦で26年間出演して人気があった料理番組「ごちそうさま」の司会を代わった。「思い入れのある仕事だっただけに寂しそうだった」
 感情が高ぶることが多くなり、話し出すと止まらなくなった。入院していた高島さんの母親の体調が思わしくなくなった時期とも重なった。
 「知らず知らずに、ストレスになっていたのかも知れません」。寿美さんは振り返る。

うつ病と診断されてから1カ月、いつ冗談を言って周りを笑わせていた夫の表
情は、うつろになった。食事の時以外はカーテンを閉め切った寝室でベッドに横たわり、まばたきもせずに一点を見つめ続ける。表情は能面のようになってしまった。
 あまりの変わりように、家族は戸惑った。

 スキンシップをはかるため、ブラッシングに肩もみ、つめ切り、手足のマッサージもしてあげた。家族がそばにいることを分かってほしくて一日に何度も「気分はどう?」「散歩でもしようか?」と話しかけた。長男の政宏さん、次男の政伸さんも仕事の合間を縫って頻繁に電話やメールをくれた。
 だが、夫の反応はなかった。主治医は「高齢になってから発症すると、治りが遅い」と教えてくれた。万一を心配して、家中の包丁やはさみを隠した。お風呂の水も毎回抜いた。

 高島さんが「散歩する」と自分から言い出したのは、秋も深まってからだ。寿美さんが付き添った。最初は10分。少しずつ距離を延ばし、30分歩いても疲れないよ
うになった。近所の人と会えば、あいさつもできる。
 年末、寿美さんは夫をなじみの天ぷら屋に連れ出した。発病して初の外食。事前に店に電話をかけ、積極的に話しかけてもらうよう頼んだ。久しぶりに背広を着てカウンターで天ぷらを食べる夫。店長と会話も弾んだ。「復帰」を意識し始めた。
 主治医とも相談し、99年1月、仕事を再開。復帰後第1弾の仕事は、トーク番組だった。そこで、高島さんはテレビで初めて、うつ病を告白した。
「笑うことができなかった。でも元気になりました。また仕事を頑張りたい」

 その後も、新しい仕事が次々と入る。8カ月後、それが再発の引き金になっていった。

(文・前田育穂)